「そいやぁっ!おらぁっ!」
ズパンっ、ズドンっと音がなる。天井からぶら下げられた円筒状の革袋に向かって、圓城菫は何度も腕で打撃を繰り返していた。へんな掛け声と共に、鋭い眼光で、時には蹴りを交えながら革袋を親の仇のように打ちのめしている。その光景を後ろで見ているのは50代ほどの髭を生やし、眼鏡をかけたスーツのような服を着ている男性だ。男性は苦笑いをしながら圓城に声をかけた。
「お嬢様、その、もう少しお上品に鍛練されてはどうですか」
「こんな鍛錬している時点でお上品も何もないでしょうっ!」
「……外ではあんなに猫被ってるのに」
「なにか言った!?そりゃぁっ!」
ドカン、と今までで一番激しい一撃が入った。自分を睨み付けてくる圓城に男性は特に何も言わずにこやかに笑った。
ここは圓城邸。男性は圓城から『じいや』と呼ばれている昔からの使用人である。圓城が自分の実家から連れ出した、信用できる唯一の使用人だ。元々、圓城は一人で家出するつもりだったが、その準備の最中この男にバレてしまった。しかし、驚いたことにじいやは両親に何も言わず家出の準備を手伝ってくれて、しかも家を出るときは一緒に付いてきてくれたのだ。家を出てからずっと圓城を支えてくれたのはこの男である。そして唯一圓城の本名と夢の力を知る人物だ。
「それで、その後はどうなったのです?」
「どうもこうも。竈門炭治郎と妹の件はお館様も容認していたそうよ。竈門禰豆子が人を喰べたら兄とその育手と水柱サマは腹を切るんですって」
満足するまで革袋を殴った後、稽古場の隅でじいやが差し出した水を飲みながら鬼殺隊本部での出来事を説明した。
「…それ、他の柱の皆様は認めたんですか?」
「まさかぁっ!こっちが必死に止めたのに勝手に竈門兄を処分しようとするし。一番納得していないのは風柱サマね。最後には自分の血を使って妹が人を襲うことを証明しようとしてたわ。結局無駄だったけど」
「ほう。人を襲わない証明まで」
「でもその竈門兄も大変だったわよ。せっかくこっちが話を聞こうとして柱サマ方を説得しようとしたら、風柱に頭突きを食らわせるし。穏やかに口添えしようとしたのにぜーんぶ無駄になったわ。」
「なるほどなるほど。こういうことですね。結果的にお嬢様への柱の方々の好感度がまた下がってしまわれたと」
「あなた馬鹿にしてるの!?」
じいやが笑い、圓城は思わず噛みついたが、言ってることは間違っていないので、すねたように唇を尖らせた。
「何故竈門兄妹を庇ったのです。庇ったら他の柱の皆様方から反感を買うに決まっているではないですか。適当に『鬼は殺せ』等言っておけばよかったんですよ」
「そんなこと言って本当に首を切られたら大変じゃない!まさかお館様が容認していたなんて知らなかったのよ!」
「また鬼殺隊でのお嬢様の評判が下がってしまわれましたな。嘆かわしいことです」
その慇懃無礼な態度に圓城は思わず拳を握りしめたが、黙って革袋の所へ向かい再び殴り始めた。
「竈門兄妹は結局どうされたのです?」
「…蝶屋敷で療養中。」
おや、とじいやは意外そうに目を見開いた。
「それはそれは。私はてっきりお嬢様が保護されるのかと」
「もちろんそのつもりだったけど、蟲柱に先を越されたわ。まあ、怪我もしていたしこればかりは仕方ないわね」
手拭いで汗を吹きながら圓城はチッと舌打ちをした。できればもう少し竈門兄妹から話を聞きたかったが、流石にあの場で怪我人へ、いろいろ聞き込みするのはよくない。
「では、蝶屋敷に行ってみてはどうですか?お見舞いの名目で話を聞きに行くんですよ」
「……え」
その提案をしたとたん、圓城がものすごく嫌そうに顔をしかめた。その理由を知っているじいやは穏やかに笑った。
「……いやぁ、そこまでして話を聞きたいわけではないし、ね。まあちょっと考えてみるわ」
それより、と圓城は気を取り直してじいやに声をかけた。
「会社の業績はどうかしら?最近なかなか新商品の開発が進まないそうだけど」
「はい。こちらが書類になります」
圓城菫は鬼殺隊の一員ではあるが、ちょっとした会社の経営者でもある。家出をした後に、自分の私物を売った金がなかなかの金額となった。その大部分は新しい戸籍を買うのに使ったが、余った金で起業したのだ。ただし、圓城が表に立って社長を名乗ると目立ってしまうため、公ではじいやに社長をしてもらっていた。少し時間はかかったが、会社がそこそこの成功をおさめため、現在経済的には多少の余裕がある。
「うーん。少しずつ売り上げは上がってきているみたいだけど、もう少し上げたいわね。やっぱり新商品の開発を進めて、取引先とも…」
書類を読みながらブツブツ呟く圓城をじいやは優しく見つめた。このお嬢様は昔の姿と比べると、信じられないくらい行動的で快活だ。そんな主の事をじいやは心から尊敬し、本人の前では絶対言わないが娘のように愛していた。
「ようっし!仕事の話はこれで終わり!そろそろ夜だし、鬼の頸チョンギってぶち殺しに行ってくるわね!」
……昔と比べるとかなり言葉遣いが悪くなってきているのが心配の種ではあるが。そう思いながら、刀をもって部屋から出ていく圓城をじいやは静かに見送った。
「あーあー。油断した。これはちょっと自然治癒は厳しいわね」
数日後、朝の早い時間に圓城は人通りの少ない道を歩いていた。今回の任務は、そんなに強くない鬼の抹殺だったが、鬼に体を突き飛ばされ、受け身に少し失敗した。左腕を少し捻ってしまった。利き腕でないのは幸いだったが、さっきから痛みが止まらない。
「この近くに病院が…」
「そこは蝶屋敷でしょう、お嬢様」
「……じいや、なんでここにいるのよ」
「帰りが遅いため迎えに来たんですよ。お嬢様、骨が折れてる恐れがあります。早く蝶屋敷へ行きましょう」
「……気合いで治、」
「お嬢様、怖いなら私も一緒に行きますから」
「誰が怖いもんですかぁっ!行くわよ、行ってやるわよ!一人でね!」
じいやに噛みつくように怒鳴った圓城は怒りを露にしながらプンプンと蝶屋敷の方角へ歩き出した。その後ろ姿をじいやはにこやかに見つめていた。
※じいや
本名不明。いわゆる執事に近い存在。元々は圓城菫の実家の使用人。家を飛び出したお嬢様になぜか付いてきた男。夢の力を知っている。家出をした当初は圓城のために戸籍を買ったり住む場所を用意したりと、一番苦労した人。圓城が鬼殺隊に入るまでは日雇いの仕事をして、生活を成り立たせていた。圓城が起業した後は、表向きはその会社の社長として活躍する。
一番の悩みは鬼殺隊に入ってからお嬢様の言葉遣いがだんだん乱暴になってきていること。外ではそんな言葉遣いをしないように言い含めている。そのおかげで、じいや以外の人の前では自然に「~ですわ」「~ですのよ」等を使っている。しかし、その事から、実は上流階級の家の出身であることが分かってしまい、『鬼殺しはお嬢様の道楽』という噂へと繋がってしまった。