嫉妬
アイリスを後宮に迎えて以降、ヨーゼフは毎晩彼女の部屋へと通うようになった。
酒を呑みながら時間の許す限り話し、つい夢中になりすぎて自分の部屋に戻るのが夜中になることもあった。
アイリスは毎日快くヨーゼフを迎えてくれたし、色んな話をすすんで聞かせてくれた。彼女を迎えたことで、日々淡々と政務を消化していた今までが嘘のように充実した毎日となっていた。
けれども、そうして毎日アイリスと過ごすことが、他からどのように映るのか、どんな想いを生むのか、ヨーゼフは考え至らなかった。
ある日いつものようにアイリスの部屋で話をしている時、ヨーゼフは彼女の異変に気が付いた。
いつもの元気が無く、会話の途中に時折ふと何かに気を取られたように口を噤む。そのたび額に手を当てている様子を見て、ヨーゼフはアイリスの顔を窺った。
「…どうした?」
心配して声を掛ければ、アイリスは額の手を下ろし、にっこりと微笑んだ。
「いえ、大丈夫です!――あ、お酒もう1本お持ちしますね」
アイリスはまるで誤魔化そうとするように勢い良く立ち上がった。それが却って悪かったのか、直後ぐらりとよろめき、その場にしゃがみこんだ。
「――アイリス…!」
ヨーゼフは慌ててグラスを置くと、彼女の傍らに屈んでその身を支えた。アイリスは苦しげに眉根を寄せている。
立ち上がることが出来ないようで、駆け寄ったヨーゼフに「すみません…」と謝った。
「気分が悪いのか?一体…」
俯く彼女の額に何気なく手を触れて声を失う。そこから伝わってくる異常な熱に、目を見張った。
「熱が…あるじゃないか」
「申し訳ありません…」
「何を謝ってるんだ!具合が悪いなら何故…!」
何故黙っていたのだと言いかけて我に返る。アイリスは項垂れると、再び小さく「申し訳、ありません…」と繰り返した。
改めて現実を突き付けられた思いだった。
何故などと聞くまでも無い。アイリスにとってヨーゼフはあくまで国王で、彼女はそれに仕える臣下の1人という意識なのだ。国王をもてなす時間は彼女にとって”仕事”に他ならず、病気だからといって断われるものではない。
そう考えているのだろう。
甘えていいと言われて、本気で甘えられる相手ではない。父親のようにと言われて、頼れる相手でもない。
この時間に癒されていたのは、自分1人だけだった――。
ヨーゼフはアイリスの体を腕に抱えて立ち上がった。突然国王に抱き上げられたアイリスは小さく驚きの声を洩らす。その細い体は、想像以上に軽かった。
「…陛下…!」
戸惑うアイリスに構わず、そのまま寝所へと向かう。以前も立ち入った寝台へ辿り着くと、その上へそっと降ろした。
横たえられたアイリスは黙ってヨーゼフを見詰めている。彼女の体に寝具を掛けながら、ヨーゼフは穏やかに微笑みかけて言った。
「医師を呼ばせる。……ゆっくり休みなさい」
「ヨーゼフ様…」
申し訳無さそうに口を開きかけたアイリスの言葉を、ヨーゼフは「もう謝るなよ」と先回りして遮った。
口を噤んだアイリスの頬は熱のせいで赤い。焼けるような額にもう一度手を触れながら、ヨーゼフは内心で自分を罵った。
何故ここまで我慢させてしまったのだ。自分の楽しさばかりを優先して…。彼女の様子を気にしていれば、もっと早く気付くことも出来ただろうに。
「待っていてくれ」
自己嫌悪しながら、アイリスの頭を優しく撫でる。少し潤んだ瞳を細め、アイリスは「はい…」と吐息のような声を洩らした。
ヨーゼフは彼女から離れると、衛兵に医師を頼むために居間へと戻って行った。
◆
翌日、ヨーゼフはアイリスの病状に関して宰相から報告を受けた。
アイリスは疲れからくる発熱と診断されたようで、数日薬を飲んで休めば回復するとのことだった。大きな病気でなかったことで、ヨーゼフは心から安堵した。
「しばらくはゆっくり休ませる」
ヨーゼフの言葉に宰相は「はい」と応えた。
「環境の変化で一時的に体を壊されたのでしょう。大丈夫です。またすぐにお元気になられますよ」
全て見透かしたような顔の宰相から励ましの言葉を掛けられ、ヨーゼフは極まり悪い思いで彼から目を逸らした。
毎日毎晩通っているのだ。年甲斐も無く若い妃に溺れる国王――誰がどう見ても今の状況はそうとしか映らないだろう。彼らが想像するようなことは、現実には何一つ無いのだとしても。
「さて、その話は終わりだ。今日の予定は?」
ヨーゼフは色々と誤魔化すように、そう言って話を変えた。
◆
アイリスが療養している間は大人しく待っていようと、ヨーゼフはその後アイリスの部屋には近寄らないよう心掛けた。
だが結局のところ、我慢できたのは3日だけだった。療養4日目、ヨーゼフはアイリスの様子を伺いに彼女の部屋を訪れていた。思ったより長びいている病気が本当に軽いものなのか気になっていたのだ。
横になっていたアイリスは、ヨーゼフの姿を認めると慌てて身を起こしかけた。来ると聞いていなかった侍女も、驚きの顔で国王を迎えた。
「起きなくていい」
ヨーゼフはそう言ってアイリスを制した。
けれども大丈夫ですと言って体を起こすと、侍女がそれを助け、枕を背に添える。それに凭れるアイリスを見ながら、ヨーゼフは早くも後悔していた。やはり来るべきではなかった。折角休んでいたのに、無駄に緊張させたらしい。
「具合は…まだ悪いのか?」
「いえ、大分良くなってきました」
アイリスはこんな時でも優しい笑顔でヨーゼフに応える。暫く振りに見た彼女の笑顔に、ヨーゼフの頬も自然と緩んでいた。
「それは、なによりだ」
侍女が2人から一歩さがって控える。
ヨーゼフがふと目を遣れば、侍女はびくっと体を震わせた。
「彼女をよろしく頼む。退屈だろうから話相手になってあげてくれ」
「――は、はい!かしこまりました!」
直接話しかけられたことで不意を衝かれたのだろう。侍女はせわしなく瞬きを繰り返して言った。
「…では、私はこれで」
ヨーゼフは最後にアイリスにおやすみと声を掛け、彼女の傍を離れた。
本当はもう少し側に居たかった。久し振りに話をしたかった。けれどもそれが彼女の心労を増やすことにしかならないことは充分に自覚していた。
続き部屋へ出て、扉へと歩いていく。
ふとその後ろから追って来る足音に気付き、ヨーゼフは振り返った。その目に捉えられた足音の主が、またびくりと震えて止まる。
「あっ…」
アイリスの侍女だった。
明らかに慌てて駆けてきた足音だっただけに、ヨーゼフは硬直する彼女に「どうした?」と問いかけた。
ヨーゼフの方から声を掛けられたことで意を決したのだろう。侍女はごくりと固唾を呑み、口を開いた。
「あの……私などが直接お話する無礼をお許し下さい。どうしても、陛下にお伝えしたいことがございまして…」
「……構わない。何だ?」
胸騒ぎに背を押され、ヨーゼフは侍女に向き直る。侍女は思い切ったように話を切り出した。
彼女から伝えられた話は、ヨーゼフに衝撃を与えた。
アイリスは、病に倒れる前の数日、毎日後宮の姫君達に呼ばれてテラスでの茶会に参加していたという。
親睦を深めるためというのは表向きで、それは明らかにアイリス1人を攻撃するための場だったと、侍女は言った。
なにかにつけては彼女の家のこと、家族のことをを引き合いに出して彼女を嘲笑い、自分達がどれほど家柄がよく教養に溢れているかを自慢し、立場と身分の違いを言って聞かせていたらしい。
その茶会にお供して側で話を聞いていた侍女は、じっと堪えるアイリスを見ながら悔しくてたまらなかったと、まるで自分のことのように涙を滲ませた。
「姫君達はアイリス様が陛下のご寵愛を受けておいでなのを妬んでいらっしゃるのです。でも…あんまりです!『そのお歳で陛下を虜にするなんて、どれほど経験が豊かのかしら』とか言って蔑んだりして…。『クレイド家は娘の体を売って生活を保っていたというのは本当のことでしたのね』なんて言うんです。……それ以外にも、もう聞いていられないほど…。3人で、よってたかって毎日毎日……アイリス様が断われないのをいいことに!」
感情的になる侍女の声が自分への非難に聞こえて、ヨーゼフは固く目を閉じた。
愚鈍な己を、内心で罵倒する。――何をしているのだ、私は…!
何も知らなかった。それは当然、起こり得ることであったのに。そのような苦しみはおろか、彼女がここで毎日どのように過ごしているのかも知らぬまま、彼女から聞く楽しい話ばかりを真に受けていた。
姫君達の怒りは全て自分が原因にある。完全に蔑ろにされた彼女達が、憂さ晴らしのために小さな姫を攻撃することなど、簡単に想像できただろうに。
昼間は姫君達と息の詰まる時間を過ごし、夜は遅くまで自分の話相手を務める。
これで体を壊さないはずがない。
「話してくれて有難う。…感謝する。後は任せておきなさい。……もう心配はいらない」
ヨーゼフの言葉に、侍女は安堵の表情を浮かべる。
その顔には、彼女のアイリスへの深い親愛の情が表れていた。
◆
その茶会はその日も開かれていた。
花と菓子の甘い香り溢れるテラスに、楽しげな笑い声が響き渡る。ヨーゼフの側室3人は頻繁にそうして集まり、歓談しているらしい。
招かれたことは何度となくあれど、その場にヨーゼフが参加したことは過去に一度も無かった。
なので突然現れた国王の姿に、姫君達は全員目を見開いて硬直した。
「…楽しんでいるところ、邪魔をするよ」
「ど、どうぞ!!どうぞこちらへ!」
アグネスが競うように立ち上がり、自分の隣の席を差す。
その抜け駆けに、他の2人の目が一瞬険しくなった。
だがヨーゼフは首を振ると「いや、お茶を飲みに来たわけじゃない」とその誘いを断った。
何かを感じ取ったのか、ゆるゆるとその場に立ち上がった残りの姫君達の顔には緊張が伺えた。
3人はお互いにちらちらと視線を交わし合う。彼女達の疑問に答えるべく、ヨーゼフは早速切り出した。
「アイリスを、茶会に招いてもらっているようだね」
全員の顔がさっと強張った。
自分達のしていたことが国王の耳に入ったと察したのだろう。一瞬険しくなったアグネスの表情に、”誰が伝えたのだ”という怒りが表れる。
ヨーゼフはあえて穏やかに微笑すると、「お気遣い、有難う」と礼を言った。
国王の笑顔と感謝の言葉で、姫君達の間に戸惑いの空気が流れる。
アグネスはぎこちない笑みを浮かべ、「いえ、とんでもない…」と恐縮して見せた。
「君達に良くしてもらっていると聞いている。仲良くしてもらえて、私も嬉しいよ」
続くヨーゼフの言葉で、姫君達の緊張が僅かに和らぐ。アグネスがすかさず「当然のことですわ」と返した。
「お若いのですから、不安もございましょう。私達が相談にのれたらと思いまして」
内心白々しい態度だと苦笑しながらも、ヨーゼフは想像通りの話の展開に安堵していた。
姫君達を叱り付けることなど造作も無い。だがそれでは解決にはならない。アイリスが泣き付いたと思い込まれ、また一層恨みを買うだけなのだ。
「ありがとう。今少し体調を崩していてね。参加できないのを気に病んでいた」
「お聞きしております。お早い回復をお祈りいたしますわ」
すっかり元気になった姫君達の口からは、心にもない言葉がこぼれ出す。ヨーゼフは慎重に一番大事な話を切り出した。
「ただ少し、気になることあってね」
国王の言葉に全員がまたぎくりとする。いちいち分かりやすい反応だ。
「彼女は心労が続いて体調を崩したようだと医師には言われている。私は貴方方に対するのと同じよう、できるだけ大事にしているつもりなのだが、何か他に原因があるのかと思ってね。本人は何も言わないので、余計気になっているんだ。何か聞いてはいないかな?」
姫君達の顔色が変わる。3人が3人、呼吸を合わせたように同時に首を振った。
「わ、私達には何も…!」
「全く気付かなくて…!」
ヨーゼフは「そうか」と言うと、小さく頷いた。
「それならいい。他で聞いてみることにする。君達も何か分かったら、教えて欲しい。…いいかな?」
「は、はい!!」
3人が口を揃えて返事した。そしてお互いまた目配せする。
それはまるで”貴方達、まさか言うんじゃないわよね”とお互いを牽制し合っているようだった。
◆
その後、ヨーゼフはまた宰相からアイリスが無事回復したとの報せを受けた。
「陛下のお越しをお待ちしておりますと、言伝を預かっております」
嬉しそうにそう告げた宰相に、ヨーゼフは気恥ずかしい思いで「そうか」とだけ返した。
また真に受けていいものかという迷いはあったが、いい加減我慢の限界でもあった。
葛藤の末、ヨーゼフはその夜結局アイリスの部屋を訪れた。
アイリスは以前と変わらぬ眩しい程の笑顔とともに、自分を迎えてくれた。
「色々と…ありがとうございました」
2人になって開口一番、アイリスはそう言った。
「…何も、感謝されることなどしていない。……色々と、済まなかった」
極まり悪い思いでそう返したヨーゼフに、アイリスはにっこり微笑んで首を振った。
侍女から何か聞いたのかもしれないと思ったが、あえて話題には出さなかった。
元気になってくれたのなら、もう何も言う事はない。
そしてまた、アイリスと過ごす時間が戻って来た。
その後アイリスが他の姫君達からお茶会に呼ばれることは無くなったらしい。
そしてアイリスの侍女がこっそり教えてくれたところによると、姫君達は入れ替わり立ち代りアイリスのもとを訪れ、自分だけは本気で揶揄していたわけではなく、他の姫君達の手前話を合わせるしかなかったのだというような弁解をして行ったという。
下らない八つ当たりにより国王の不興を買えば、今の立場も生活も失う可能性があるという事に漸く思い至ったのだろう。
突然の姫君達の変化に、アイリス自身は相当戸惑っていたようだが、これで一安心である。
ヨーゼフの方もアイリスの体調を考え、会いにいくのはたまににするよう努力した。
寂しかったが、仕方ない。もう彼女があんな風に寝込むところは見たくはなかった。
◆
そんなある日の夜、ヨーゼフはアイリスの部屋で酒と会話を楽しんでいた。
政務が忙しくて、それでもこの時間は作りたくて少し無理をしたせいか、いつもより酒の廻りが早かった。そして話に夢中になるあまり、そんな自分に気付かなかった。
そろそろ戻ろうかと立ち上がった時、突然視界が廻って足元がふらつき、そこで初めて気が付いた。
「陛下…!」
アイリスがとっさに支えてくれる。自分の体に触れた彼女の手に、明瞭な意識が引き戻される。アイリスは気遣わしげな目で、ヨーゼフを見上げて言った。
「大丈夫ですか…?」
「いや、大丈夫だ。飲みすぎたらしい。情けないな」
苦笑混じりに呟き、己の動揺を押し隠した。アイリスの体温と柔らかい体の感触が、一気に頭を熱くする。逃げるように片手で顔を隠すと、気分が悪いと判断したのだろう、アイリスが言った。
「座って下さい。すぐにお水をお持ちします!」
「……有難う」
ヨーゼフはアイリスの手を借りて再び長椅子に腰掛けると、その背もたれに凭れて嘆息した。
体を落ち着けると、頭痛を自覚する。本当に情け無い。ヨーゼフは自嘲しながら、アイリスが持って来てくれた水を飲んだ。アイリスは隣でヨーゼフの様子を窺っている。
「…大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。最近寝不足だったから、酒の廻りが早かったようだ」
「お仕事、お忙しいんですか…?」
「…そうだね、少し…」
答えながら、拳で軽く額を叩く。また頭がぼんやりとしてきたようだ。
「そんな時なのに…、私のための時間までとって下さって、本当に有難うございます」
思いがけない礼を言われ、ヨーゼフは目を瞬いた。
「いや、ここへは私が来たくて来ているんだよ。むしろ自分のためだ」
嘘偽り無い本音を返すと、アイリスの顔には柔らかい微笑みが広がる。ヨーゼフを癒す、いつもの笑顔だった。
一瞬くらりと眩暈を覚え、ヨーゼフはとっさに目を逸らした。グラスの水を一気に飲み干し、額に手を当てる。
早く醒まして戻らなくては。一体何に酔っているのか、分からなくなってきた。
「横になってお休みになられますか?」
アイリスに声を掛けられ、ヨーゼフは「横に…?」と聞き返す。アイリスはすっと立つと、ヨーゼフの手を引いて促した。
「寝所に行きましょう」
「…いや、それは…」
「こんなところでは体が休まりませんから」
「分かった!部屋に戻る」
慌てて立ち上がった途端、また眩暈に襲われる。再びその体をアイリスに支えられる結果となった。
「ほら…!こんな状態では戻れません!休んでらして下さい!」
自分自身に呆れ、ヨーゼフは深い溜息を洩らした。
結局アイリスの言うとおり、寝台で横にならせて貰うことにした。
寝具に体を沈めると、急速に頭が重くなる。変な心配をするまでもなく体がいう事を聞きそうになかった。
「少し…眠ってもいいかな」
ヨーゼフの問いかけに、傍で見守るアイリスは「勿論です」と答えた。瞼が重く落ちていく。
「きみが寝るときには起こしてくれ」
「はい」
最後にそれだけ伝えると、ヨーゼフは引き込まれるように眠りに落ちていった。
◆
部屋に差し込む朝の光で、ヨーゼフは深く心地よい眠りから覚めた。
朝が来たようだ。
頭痛は消えているし、頭もはっきりとしている。よく眠れたようだと思いながら身を起こしかけ、ヨーゼフは硬直した。
隣に眠る少女の姿が視界に入り、昨夜の記憶が一気に甦った。
結局あのまま朝まで寝てしまったのか――。
広い寝台の上、アイリスはヨーゼフから少しはなれたところで横になっていた。気持ち良さそうに寝息を立てている。
その無邪気な寝顔に、ヨーゼフは暫し目を奪われた。
起こしてくれと言ったのに、結局そうはしなかったらしい。なんとなく、こうなることは予想できてはいたけれど。
寝台に流れる金色の髪が輝き、きめの細かい白い肌が眩しく映える。
朝日に浮き上がるアイリスは、よりいっそう美しかった。
ヨーゼフはそっと身を起こすと、寝ているアイリスの顔を覗き込んだ。
とても目が離せない。できればずっとこうして眺めていたい。毎朝自分の隣で目覚めてくれたら…。そんな想いが湧き上がって、ヨーゼフの胸は苦しいほどに締め付けられた。
いつも羽織っている上着を脱いで寝たらしい。薄衣一枚の彼女は、どうしようもなく艶かしい。
こんな格好で隣に寝るなど、あまりにも無防備だ。
厚い信頼の証だろうか。それともヨーゼフが自分に興味が無いなどと思い込んでいるのだろうか。
体の奥から、禍々しい熱が湧き上がる。
ヨーゼフは手を延ばし、彼女の体を覆っている寝具をそっと剥いだ。
すこしはだけた夜着から、白い胸元が覗いている。ヨーゼフは無意識のうちに、その薄衣に手をかけていた。少しつまんでずらすだけで、形のいい胸の膨らみが露わになる。その桜色の頂も…。
―――いけない…。ダメだ。
頭の中で何かが叫ぶ。けれどもどうにもならない想いに、それはどこかへ追いやられる。
ヨーゼフは引き寄せられるように、その小さな突起に唇で触れた。
「う…ん…」
アイリスが寝返りを打った瞬間、ヨーゼフは弾かれたように彼女から離れた。
冷水を浴びせられたように、突然我に返る。直後激しい自己嫌悪に襲われた。
彼女の体に寝具を戻し、ヨーゼフはアイリスから目を背けた。そして頭を抱えると胸の奥からため息を洩らした。
愚かだと思った。
どのように取り繕っても本音はこれなのだ。
クレイド家のためなどではない。彼女の幸せのためなどでもない。
―――私はただ、この子が欲しかったんだ…。