その5
「来たか」
すんなり通された部屋には、待ち構えていたかのようにソロンが座っていた。いつものように紫色の賢者のローブを羽織っている。
どうやら、わたしが来ることを予期していたようだ。
「なぜ、アレスが勇者でなかったことを明かすような真似をしたの?」
「どうせ、いつかわかることだ」
「調査書も見直したわ。あなたたちは『アレス』と言ったときは、アレスのことを話していたけど、『あいつ』、もしくは『彼』と言っていたときはザックのことを話していたのね」
ソロンはそれには答えず、薄く笑った。
「一体いつザックはアレスになったの? 調査した限りでは、王都に来た段階でザックはアレスを名乗っていたようだけど……」
「王都に来る道中で魔人に襲われ、アレスは死んだらしい。ザックの言う事を信じれば、の話だが」
わたしを試すようにソロンは答えた。ザックがアレスを殺した可能性を示唆したのだろう。
「信じるわ。でも、今になって何でそのことを話したの?」
「言っただろう? あいつには何の才能もない。嘘をつくのも下手だ。この何年かバレなかっただけでも奇跡だ。どうせ、あんたもあいつが死んだと思ってなかったんだろう、
────アレクシア姫?」
その言葉を受けて、わたしはぐっと黙った。
「俺たちが国に戻った後、あんたには色々と縁談があった。その筆頭はレオンだ。だが、あんたもレオンも断った。『亡くなった勇者こそが王女の婚約者であり、まだ日が浅い』とか言ってな」
縁談はレオンだけではない。ソロンも候補に挙がっていたが、彼も断ったのだ。わたしは舞い込んでくる結婚話を断り続け、レオンとソロンは何故かそれを支援してくれた。ただ、マリアだけは「王国の安寧のためにも、すぐに婚姻されるべきです」と言って、わたしに婚姻を勧めてきた。
マリアはともかく、レオンとソロンのおかげもあって、わたしは未だに結婚せずに済んでいる。
「だが、それも限界だろう。陛下もいい加減許しはしない。だから、あんたは勇者の功績を文献にまとめるなんて事業を始めた。あいつを探そうと思って」
その通りだった。わたしは国の施策として、勇者の功績を文献にまとめることを提案し、自らその調査を始めたのだ。
彼が生きていることを信じて。しかし、まさか彼がアレスでなかったことはわからなかった。
「他にもお節介な連中も多い。レオンは伯爵家の力を使って、あいつがどこに行ったか情報を集めているし、マリアは教会の情報網を駆使して探させている。俺もまあ、探し物をする魔術を幾つか編み出した」
「でも見つかっていない?」
「あいつが向かったのは国外だからな。そう簡単には見つからんよ」
ソロンの気難しそうな表情が少し和らいでいるように感じた。
「探してどうするの?」
「連れ戻すさ。あいつは俺の友達だ。友達のいない人生はつまらん」
彼は両手を広げて、おどけてみせた。
「……ザックは自分が勇者であることを明かしたくないと思っている。それでも、あなたは彼を連れ戻すの?」
懸念しているのはそこだ。ザックは自分のついた嘘を貫き通したいと思っている。
「あいつは誰のために嘘をついているんだ? タリズ村までちゃんと行ってきたなら、わかってるだろう?」
「シェラさんのためです。彼女のために、せめてアレスを勇者だったことにしたいと思っている」
「その通りだ。アレスの母であり、育ての親である彼女に義理立てしている。ご丁寧にアレスに似せた自分の絵まで描かせてな」
初めて絵を見た時、少し美化して描かせたのかと思ったものだが、そこには理由があったのだ。
「それで? ザックは自分の嘘のために帰ってこないわ。彼は魔王を倒すほど意志の強い人間です。かといって、わたしたちがシェラさんに本当のことなんか言えません。ザックの覚悟を無駄にはしたくない」
「そうだな」
ソロンはあっさり認めた。
「しかし、だ。その嘘のことを最初からシェラが知っていたら、どうする?」
「どうする……って、そんなことわからないじゃないですか」
「わかるさ。絶対に知っている」
ソロンは断言した。
「なぜ、そんなことが言えるんですか?」
「あんたがもう一度シェラに会いに行けば、向こうから教えてくれる」
大賢者と呼ばれている男には、一体何が見えているのだろうか?
「もう一度、タリズ村まで行けと?」
馬で10日はかかる日程だ。そう簡単な旅路ではない。
「なに、俺が連れて行ってやろう。伊達に大賢者と呼ばれているわけではない」
「まさか、転移魔法? 研究中とは聞いていましたが」
「呪文は完成している。俺にしか使えんがな」
さらっと言ったが、転移魔法ははるか昔に存在していたといわれている伝説の魔法だ。そんな簡単なものではない。
「どうする、お姫様。魔法で行くのは怖いかね?」
挑発するようにソロンは言った。怖いに決まっている。そんな見たこともない魔法に身を任せるなんて怖いに決まっている。でも、
「……良いでしょう。行きます」
今更、後には引けない。わたしがそう答えると、ソロンは立ち上がり、別の部屋へと案内した。
邸宅の地下の奥深い場所にあるその部屋には、床には大きな魔法陣が描かれている。
「今のところはこの部屋から転移し、この部屋にしか戻ることができない」
まるで欠陥のようにソロンは言うが、十分凄い内容だ。画期的と言えるだろう。
ソロンとわたしが魔法陣の中心に立つと、ソロンは呪文の詠唱を始めた。床の魔法陣が青白い光を灯し始める。そうして、その光が輝きを増していき、光で視界が真っ白になった瞬間、わたしたちはまったく別の場所にいた。
周囲を若々しい木々に囲まれている。さっきまで王都にいたはずなのに、強烈な草木の臭いがした。
「ここは?」
「タリズ村の近くの森だ。一応、人目につかない場所を選んでいる。とはいえ、シェラの住む家はそれほど遠くない。行くぞ」
そう言うとソロンはすたすたと歩き出した。彼は一見すると学者然としていて、こういう外歩きは苦手そうだが、考えてみれば勇者パーティーのひとりである。これくらいの道行きはまったく苦にしないのだろう。むしろ、速いくらいだ。わたしは慌てて後に続いた。
────
ソロンが言っていた通り、シェラの住む村長の家まではそれほど距離は無かった。途中、行き交った村人たちからは怪訝な目で見られたが、ソロンはそれらの視線を完全に無視した。
そうして村長の家までたどり着くと、促されてわたしが家の戸を叩いた。
「はい……あら?」
出てきたのはシェラだった。
「またいらしたのですね。……来ると思っていました」
彼女は少し緊張したような笑みを浮かべると、わたしたちを家の中へと案内した。以前来た時と同じような時刻だったが、この時間帯は、夫である村長は外出していることが多いようだ。
「あの……この人は……」
「ソロン・バークレイだ。大賢者と呼ばれている」
わたしが紹介しようとする前に、ソロンは自分で名乗った。
「大賢者……そんな方にまで、こんなところに足を運んでいただけるなんて。
わたしはシェラ・シュミットです。お初にお目にかかります」
シェラはソロンに丁寧な礼をすると、そのままわたしの方に向いて跪いた。
「あなたはアレクシア姫ですね? 前回の訪問の際は、失礼しました」
わたしは虚を突かれた。以前来た時も今回も、調査にきた文官として身なりはできるだけ簡素なものにしている。装飾品も身に着けておらず、王族とはそうは気づかれないはずだ。
「身についた気品ある立ち振る舞いは、そう簡単に消せるものではありません。わたしも一見では気付きませんでしたが、所作や話し方などから、そうではないかと思いました」
さすがアレスとザックを育てただけはある。シェラは人を見る目があり、人を正しく育てられる人物なのだ。
「やはり、あなたは思った通りの人のようだ」
ソロンは少し声を落した。いつもはっきり物を言う彼らしくない。
「俺たちが何故ここにきたのかも察しているのだろう」
「ええ、ザックのことですね」
彼女は目を閉じて答えた。
「わかっています。いつか誰かに言わなければならなかったことも。いえ、本当はあの子にその場で言わなければならなかった……」
「最初から気づいていたんですか!?」
思わず声をあげた。まさか、そんな早くから知っていたとは思わなかった。わたしだって調査を進めるうちに、やっとわかったことだ。
「わたしはあの子の母ですよ? 子供のついた嘘くらいわかりますよ。ザックは昔から素直で嘘の下手な子でした」
シェラは儚く笑った。
「ザックがこの家に帰って来たとき、わたしは一瞬だけアレスが帰ってきたのかと思いました。でも、すぐにあの子の優しくて悲しそうな目を見て、ザックだとわかりました。そして言うんです。
『アレスが魔王を倒した。でも、アレスも魔人によって殺されてしまった』って。
それから、わたしにあの剣を渡したんです」
シェラは壁にかけてある剣を指差した。
「あの子は泣いて言いました。『ごめんなさい、僕だけが戻ってきて、ごめんなさい』と。
わたしは『アレスが魔王を倒したの?』って聞きました。多分、声は震えていたでしょうね。
あの子は黙って頷きました。
『あなたは今までどこで何をしていたの?』って聞いたら、『王都で働きながら生活していた』って答えたんです。おかしいですよね」
シェラの目から、とめどなく涙が溢れた。
「だって、あの子は信じられないくらい立派になっていたんですもの。見たことがないくらい身体が鍛えられていて、顔も精悍に引き締まって、目だけが旅立つ前と変わってなかったんです。
とても、農家や商店で働いていたような感じではありません。兵士として働いていたって、あんな風になりませんよ。
それで『あなたはこれからどうするの?』って聞いたら、『すぐに旅に出る』って言うんです。わたしは行って欲しくなかったから、引き留めるために、あの子の手を握りました。
そしたら、あの子の手は木の皮を触っているようにゴツゴツと硬くなっていたんです。掌もマメだらけで、きっと何万回も剣を振るってきたんでしょうね。よく見れば、服からのぞいている肌の部分には、信じられないくらい、あちこちにいっぱい傷跡があって……
それでわたしはわかったんです。『ああ、この子が魔王を倒してくれたんだ』って。『アレスとわたしのために魔王を倒してくれたんだ』って。そしたら、わたしはそれ以上、何も言えなかったんです。あの子のついた優しい嘘を『嘘だ』なんて、とても言えませんでした」
シェラの話にわたしの視界は滲んだ。ソロンはフードで顔を隠している。
「別にわたしはアレスにもザックにも勇者になんかなって欲しくなかった。ただ普通に育って成長して、幸せに生きて欲しかった。もうそれはアレスには望めることではありませんけど、せめてザックには幸せになって欲しいんです。そして、あの子の口からちゃんとアレスの最期について聞かなければなりません。それが母親としての務めです。ですから、アレクシア姫、あの子を、ザックを見つけてください。どうかお願いします」