220万部の大ベストセラー『漫画 君たちはどう生きるか』を描いた羽賀翔一さんと、話題の新刊『冒険の書』著者の孫泰蔵さん。時代の転換点で生き方を問う今注目の2つのベストセラーを生み出し、互いの作品をリスペクトする2人が、名著の制作秘話、そしてアンラーニング(学びほぐし)について語り合いました。今回はその前編。
返本の山の重みから名著が生まれた
孫泰蔵氏(以下、孫) 僕は『 冒険の書 』を書いているとき、羽賀さんの『 漫画 君たちはどう生きるか 』だけは絶対に触らないと決めていたんです。なぜなら、確実に影響を受けるだろうと直感でわかっていたから(笑)。とはいえ、いざ執筆を終えて改めて拝読したら、羽賀さんの“文体”や“間”も含めて影響を受けまくりでした。これには、ちょっと自分でもびっくりしました。
羽賀翔一氏(以下、羽賀) 孫さんが僕の漫画から感じてくださったものがあったとしたら、それは僕が吉野源三郎さんの原作を読んだときに感じた文体や間を、漫画につなげられたからかもしれません。実は『君たちはどう生きるか』の漫画化の話を頂いた当時、僕は原作を読んだことがありませんでした。タイトルを見て「少しお説教っぽい話なのかな」という勝手な先入観を抱いていたんです。ところが読んでみたら、まるで違った。主人公のコペル君、おじさん、友人たち――キャラクターたちが生き生きと動いている話でした。教訓を押し付けられることもなく、それでいて自分が学びを積み上げているような、不思議な感覚がありました。
孫 羽賀さんは、熟練したストーリーテラーだと思うんです。だから僕は、原作よりも『漫画 君たちはどう生きるか』に影響を受けたのだろうと思っています。羽賀さんのオリジナル作品の『 ケシゴムライフ 』も素晴らしく、僕が中学1年生のときに初めてTHE BLUE HEARTSのライブに行ったときと同じような衝撃を受けました。
中でも印象に残ったのは第3話の「横断歩道のすき間」。「ケシゴムの役割は間違いを消すことじゃなくて、えんぴつがおもいっきり紙の上を走れるように安心させることだ」――このシーンを僕は明け方に読んだのですが、個人的な思い出と重なってむせび泣いてしまいました。短編集として最高傑作だと思います。
羽賀 『ケシゴムライフ』は残念ながらあまり売れませんでしたが、そう言っていただけるのはすごくうれしいです。
孫 えっ、すごくいい作品なのに!
羽賀 所属しているコルクのオフィスで漫画を描いていたのですが、ピンポーンとオフィスに返品された本が入った箱が届き、僕がそれを受け取って積み上げていました。悔しいし、重いし、そのときのことはやっぱり忘れられません。でも、『漫画 君たちはどう生きるか』に続く流れができたのも、そんな『ケシゴムライフ』があったからなんです。
「仕事」になるのは嫌。だから「締切」を撤廃した
孫 音楽でいうと、アーティストのファーストアルバムって、その人を作り上げているものが一番色濃く出るじゃないですか。『ケシゴムライフ』は羽賀さんのファーストアルバムのような作品だと思いますし、これから新作を発表するごとにもっともっと評価されますよ。間違いないです。
羽賀 ありがとうございます。でも僕も、孫さんのファーストアルバムのような『冒険の書』に、手に取ったそのときから読者がワクワクできる熱量というか、佇まいのようなものをすごく感じたんです。ページをめくると、挿絵の持つ力や視覚的なレイアウトも含めて、「みんな見て!」っていう開かれた空気が広がっている。この本が一体どんなふうに設計されたのかすごく興味を持ちました。
孫 『冒険の書』は、設計という意味では“普通”ではないかもしれません。通常は、文章が先に完成して、この辺に挿絵を入れよう、次にイラストレーターさんに発注しましょう、という流れで進めると思うんです。でもそれって、なんだか「仕事っぽくて嫌だな」と思ったんですね。『冒険の書』の中で「こっちは遊びなんだ。仕事より真剣に決まってるじゃないか!」という文章を書いたんですが、僕にとってこの本は仕事じゃなくて「仕事よりもっと大切なこと」だった。だから、「仕事っぽくするのやめません?」と提案して、イラストレーターの方には締切を設定しませんでした。
イラストレーターのあけたらしろめさんには原稿を全部読んでもらって、「ここにイラストがあったらいいな、と思う個所に挿絵を描いていただけますか?」「納得いくまで描いていただいて結構です」とお伝えしました。そうしたら、半年後になんと50点を超える挿絵のラフが出てきたんです。仕上げの直前にも、「もう一度描き込みたい、全部見直していいですか?」と言って、全面的に描き直してくれました(笑)。僕は本当にうれしかったですし、もちろん納得いくまでどうぞと。そんな制作過程が最高に楽しかったですよ。
羽賀 その楽しさが本から伝わってきます。誰かが一方的に赤字を入れるんじゃなくて、携わっている人それぞれの意思と、「きらめく瞬間をキャッチするんだ」っていう熱量に満ちているから、この佇(たたず)まいになっているんだなって。ということは、孫さんは最初からこういう仕上がりになるとは考えていなかったんですね。
孫 そうなんです。イラストレーター、デザイナー、編集者といった多くの方たちとのコラボレーションの賜物(たまもの)です。
「こうあらねばならぬ」をアンラーニングする
羽賀 そもそも、孫さんが『冒険の書』を書きたいと思ったきっかけは何だったんですか?
孫 新型コロナウイルスのパンデミックです。僕が住んでいるシンガポールは、世界的に見ても外出制限が厳しいロックダウンでした。だから、完全に家にこもりきりでめちゃくちゃ暇になったんです。最初の頃は悩ましく思っていたものの、この状況が2~3年は続くだろうと考えたら、「こんなに時間がたっぷりあるなんて、子どもの頃以来じゃないか?」と気づき、「じゃあこの時期は好きなことを学ぼう、勝手に大学生になろう」と自分で決めて、興味のあるテーマの本や論文を読みあさりました。
ただ、インプットだけだと身に付かないのでアウトプットもしようと、仲間がいるSNSグループに学んだことを投稿し始めました。それが1年ほど続いて膨大な文章量になってきた頃、この本の担当編集者でもある中川ヒロミさんに、「本にしませんか?」と声をかけていただいたのです。
羽賀 『冒険の書』には偉人たちが光と共に現れて語りかけてくれるシーンがありますが、それは孫さんが勉強しているときにある種体験した感覚なのかな、と勝手に想像しながら読んでいました。「本の設定」というよりも、孫さんが見た景色を追体験させてもらっているように感じたんです。だから、ワクワクするのかな。
孫 ただ初期の原稿は、偉人たちの本からの引用文が難しかったり硬かったりで、「自分ならこの本絶対に読まねえな」っていう代物だったんですよ。そこから、対話式でセリフっぽくするのはどうかな? 本の中にタイムスリップするのはどう思う? と、試行錯誤する中で現在の形になっていったんです。
工夫を重ねるうちに「本とはこうあらねばならぬ」ということに対するアンラーニングが進んで、羽賀さんが言ってくださったように「自分が偉人の言葉に感じたことを、そのまま書けばいいんだ」と気づいたんですね。かなり時間はかかりましたが(笑)。
「自分の中にあるもの」を見つけていくこと
羽賀 僕も『漫画 君たちはどう生きるか』を描くのにはものすごく時間がかかりました。80年も読み継がれてきた名著を漫画にするからには、中途半端なものは描けない。正直、大きなプレッシャーがありました。吉野源三郎さんの思想を、自分がイタコのように理解しなければといろんな本を読んだりしているうちに、「こうあらねばならぬ」で身動きが取れなくなってしまったんです。
でも、小説を漫画にトレースするのではなく、僕自身がコペル君やおじさんというキャラクターに親近感を持ち、友人のように感じているのなら、その気持ちを大切にして、自分の経験と重なる部分を描いてもいいんじゃないか? と思うようにした。そう思えてから、やっと机に向かえるようになっていったんです。
孫 本当に、おっしゃる通りだと思いますね。
羽賀 たとえば、コペル君の同級生には、貧しい家庭で育った浦川君という子がいて、漫画には「ノートに文字をギチギチに詰めて書いている」というシーンがあります。
実は、あの描写は原作にはありません。僕が中学生のとき、浦川君と同じようにノートを使っている子がいて、「うち、ノートたくさん買えないからさ」とボソッと言ったことがすごく印象に残っていた。僕はそのとき、そういう状況の人もいるんだとハッとしたんですが、コペル君が浦川君の家に行ってハッとしたときの気持ちも同じなんじゃないか? そう思って加えたシーンなんです。
こんなふうに、自分の経験と同じ部分を探せるようになってからは、漫画としての説得力や、生き生きとした表現に手応えを感じられるようになりました。何かを作るうえで大切なのは、大きなものを頭の中に掲げてそこに追いつくことじゃない。「すでに自分の中にあるもの」を見つけていくことなんだと、孫さんのお話を聞いて改めて思い出しました。
構成/金澤英恵