「過防備都市」が若者を渋谷から遠ざけた
興味深い仮説がある。
以下のグラフは、「ジベタリアン」という単語が、大手新聞4紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞)でどれほど報じられたかを年ごとにまとめたものだ。
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これを見ると、2003年から2005年を境に、一気に下火になっていることがわかる。つまり、この頃に路上からジベタリアンが姿を消したのだ。おそらくこの背景には、2000年代以降の「街の管理」強化がある。例えば、「排除アート」と呼ばれる、人が滞留できないよう設置された街角のオブジェなどがその例だ。
渋谷の井の頭線高架下広場の奇妙な突起物は、その一例といえる。監視カメラの増加もこの頃から起こっている(特に2001年の池田小事件が契機だともいわれている)。
建築史家の五十嵐太郎氏は、こうした都市の在り方を「過防備都市」と名付け、2004年にこれらを論じた著書を出版している。
渋谷や新宿では、こうした「過防備化」が急速に進み、若者たちが路上に溜まる光景が見られなくなった。かつて、これらの街は「座ること」を通して、若者たちの「たまり場」として機能していた側面がある。
しかし、それらが2000年代以降の都市の「過防備化」に伴い、今はただ「便利な」場所になりつつある。これも、渋谷から「若者が消えた」と言われる一因ではないか。