2096年12月31日
四葉本家へと帰宅しなければならない当日。俺はいつも通り迎えのリムジンが寄越され、それに乗り込んでいた。
だが、真っすぐ四葉本家には向かっていない。真夜にあらかじめ寄り道する事を提言していたのだ。その寄り道、目的地は、とある駅だ。それも、司波兄妹が暮らす住居の最寄り駅である。
(うん、達也も深雪も訝しんでるな。水波は努めて平静を取り繕っているが)
マジックミラーの加工がされた窓ガラス越しに、俺は達也たちの様子を覗いた。彼らは四葉本家まで移動するために、駅に迎えを呼び、その駅で待っている。
彼らが訝しむのも、まぁ仕方がないかもしれない。駅にリムジンというのは確かに少し変だ。リムジンを呼べる財力があるなら、そもそも駅なんぞ利用はしない。でも、特殊な事情で駅からリムジンに乗り込むしかなかった、という線も負えなくはない。そういう線がありながら訝しんだのは、偏に彼らの直感なのだろう。もしくは、嫌な予感を覚えたか。
要人である自分たちのいるところ、しかも迎えを呼んだその場所に、要人が乗るに相応しい車が登場する。嫌な予感は、勘の鋭い彼らなら覚えてしまうだろう。
そして、幸いにか、不幸にか、その嫌な予感は当たってしまう。
今、そのリムジンは達也たちの目の前で停車した。表情を険しくしたが、気を引き締める程度で身構えはしない。
(さて、そんなところに俺が出てきたら……。どんな顔をするかな?)
俺はちょっとした悪戯心で、本来は従者が開けるその車のドアを、俺が開け放った。
「い、十六夜……?」
「十六夜、どうしてお前がここに……」
俺の悪戯心を満たすように、深雪と達也は呆けた顔を晒してくれる。
「深雪、達也、水波さん。パーティーの招待に来たよ」
そんなお茶目な一言を添え、俺は司波兄妹とその従者をリムジンの中へと招き入れるのだった。
「十六夜、これはどういう事だ」
リムジンが走り出して少し。達也がようやく開いた口で放った一言は、疑問のそれであった。
「どういう事も何も、ただ達也たちの帰省に俺も同乗しただけだが?」
「この時期にお前が四葉家に帰省するのは、少なくない人間が把握している。そんなお前がこの時期に俺たちを誘うという事は、俺たちを四葉家に誘うのも同義だ。俺たちと四葉の関係が勘繰られるぞ」
達也は秘密の露呈を懸念しており、その決定打となり得る行動を俺がした事に対して、疑問を抱いている。
達也としては必死に守ってきた秘密だ。俺としてはどの辺り必死だったのか首を傾げてしまうし、多分一部には露呈しているだろうが。
とにかく、今回の行動はその一部以外にも勘繰らせる材料を与えてしまうだろう。なんせ、四葉家直系が招待したのだから。今まで達也たちと四葉家に繋がりがなかったとしても、この招待で繋がりが確実にできる。後か先かはともかく、達也たちと四葉家に繋がりがある事は事実になる。
「それについてはすまない。達也と深雪が万が一にでも襲われないか、心配だったんだ」
「『襲われないか』?襲撃の可能性が万が一にでもあったの?」
「ああ。四葉家分家は深雪が次期当主となる事を避けたいんだ。だから、次期当主の最有力が俺であったとしても、可能性の芽を摘もうとする可能性があった。まぁ、この分だと杞憂だったかもね」
深雪は襲撃の可能性を全く追えていなかったが、俺にとっては原作であったために可能性が高いと踏んでいた。
しかし、駅で待っていた達也たちの周辺にも、今こうしている最中にも、敵意の視線が微塵も感じられない。俺という次期当主最有力候補が、分家の凶行を未然に思い留まらせていたのだろう。俺が最有力候補なんて、全くの勘違いなのだが。
「分家の方々が……!?どうして私たちを……」
襲撃の可能性がある理由に、深雪は息を呑んでいた。深雪は襲撃されかねない程達也が分家に忌避されていると、思いもよらなかったようだ。
「俺が、邪魔なんだな」
反して、その忌避をその身で味わっていた達也は、その忌避の度合いを正しく認識していた。深雪は再度息を呑み、達也の考えが事実かどうか確かめようと、おもむろに俺へ視線を移す。
「そうだ。どうにも、分家の方々は達也の力を恐れている。お前に様々な枷をかけてなお、お前の暴走が怖いらしい」
「お兄様は暴走などしません!そのように感情を失わせたのは、そう忌避する大人たちでしょう!」
深雪が声を荒げて述べた通りに、感情、正確に言うと激情に繋がる思考回路を達也は多く失っている。そういう枷をかけたのは、当時の分家当主たちであり、深雪たちの母である四葉深夜である。
「でも、まだ残っている」
「何が!」
「……俺の激情か。深雪に何かあった際の、御し難い怒り」
「……!」
俺が補足しようとして深雪が拒絶するかの如く問い質すが、達也はやはり正しく認識していた。
そう。達也の激情に繋がる思考回路で唯一残っているモノ、『兄弟愛』。都合が悪い事に、この『兄弟愛』で呼び起こされた激情は、達也では御す事ができない。もし深雪を傷つけようとする者が現れれば怒りが溢れ、一切の障害を無視してその者を抹殺してしまう。
もしかしたら、思考回路を除去する際、そこら辺のブレーキも一緒に除去してしまったのかもしれない。下手に人間の神秘へ手を出した結果、ある意味で罰である。
だから、分家当主たちはその罰が降る事を恐れているのだ。
「だけど安心してほしい。そんな心配をしているのは、現分家当主たちだけだ。次代たちはそんな心配なんてしていない。むしろ、その不当な扱いが達也の暴走を助長していないかと、そっちの心配をしているくらいだ」
「話せたのか、次期分家当主たちと」
「文弥さん、亜夜子さん、勝成さん、夕歌さん。そんな錚々たる面子とは話せた。直系である俺と交流を深めておきたいって事でね。時間を縫ってよく会いに来てくれたよ」
「……」
俺に次期分家当主と会える機会があったのかと、疑ってくる達也。そんな彼に俺は説得力のある事実を聞かせた。そうすれば、納得感を催す唸りが漏れる。
「この面子が次期分家当主でもあるし、次代の四葉を担う面子でもあるから、まぁ過半数は賛同を得られたとしても大丈夫じゃないかな。今しばらく辛抱してもらう必要はあるだろうけど」
「……深雪にまで被害が及ばないなら、俺はそれで構わない」
「お兄様……!」
達也のスタンスは一貫しており、やはり妹さえ無事なら問題ないと結論を下した。これも、兄弟愛しか激情がない弊害かもしれない。深雪はそんな深刻に捉えず、達也の愛情を甘受しているが。これで頬を赤らめる深雪は、ブラコンの末期患者だろう。
「襲撃の可能性については理解した。だが、俺たちと四葉の関係をひけらかす事について、どう対処するつもりだ」
達也は安全の確保には理解を示したが、もう1つの問題、秘密の露呈を懸念し続ける。
「それについては、だな。そっちも謝らなくちゃいけないかもしれない」
「……どういう意味?」
「達也と深雪が四葉関係者である事を、母上は公開する腹積もりらしい」
「そんな……っ」
俺が対処法、というか前提崩壊の予定を明かせば、深雪は驚愕で目を見開いた。しかし、達也の方は目を細めるだけで、そこまで驚いているようではない。達也はそうなる事を予想していたのか。
「……何故お前が謝る必要がある?」
そんな達也が追求するのは、俺が『謝らなくちゃいけないかもしれない』と言った訳だった。
「……俺の選択次第では、そうならなかったかもしれないからだ。俺がある選択を取っていれば、お前たちは四葉との繋がりを隠し通し、平穏な日常を送れたかもしれない」
俺がもし、四葉次期当主となる事を表明していれば、あるいは深雪が次期当主となる未来から変わったかもしれない。深雪と達也に、四葉と関係のない人生をプレゼントできたかもしれない。
だが、それでも俺は原作を遵守したのだ。謝罪の1つもあってしかるべきである。
「いや、それは違う。俺たちと四葉の関係は、いつかどこかで露呈していたはずだ。本意ではないが、俺は多くの人間に探られる立場になったからな。だから、それが早まったのだとしても、お前が謝る必要はない」
俺が謝意を表しているのに、達也はその謝意を受け取ろうとしなかった。自身の置かれた状況を正確に分析しているのか。それとも俺を擁護したかったのか。どちらなのかは判然としない。
「しかし、だ。お前の選択というのは、いったいなんだ」
罪の追及はしてこなかった達也だが、真実の追及はしてきた。その目は鋭く、俺を射抜いている。はぐらかせばわだかまりが生まれそうだ。でも、真実を話すには時期尚早である。
「……お前たちの仕事を、俺は肩代わりする事もできた。でも、俺はそれとは別に重要な仕事が舞い込んでしまった。受注できる仕事はどちらか一方で、俺は後者を選択した」
四葉家次期当主となるか、国家公認戦略級魔法師になるか。2つに1つの選択で、俺は後者を選んだ。その事を、曖昧な表現で達也たちに伝える。
実際は次期当主になる気なんて全くなかったし、国家公認は予想外だった。でも、次期当主にならない言い訳として、国家公認は妥当だ。なので、なる気がなかったのではなく、取捨選択だったかのように言葉を組み立てていた。
「……」
「……」
達也は組み立てられた言葉である事に気付いていないようだが、その曖昧な表現がお気に召さないようだ。射貫く視線がさらに鋭くなる。だが、俺が口をつぐみ、目を伏せてまで首を横に振る。これ以上はまだ話せない。
「……十六夜、いつかしっかりと話してくれるの?」
その沈黙を破るのが、深雪の一言だった。深雪は憂いの目を俺に向けている。その憂いは、真実を知る事ができない事実より、然も苦しんでいるかのような俺への思いであるかのようだった。
「もちろん。時期が来ればちゃんと話す。話せないのは、時期が悪いというだけなんだ」
「そう、なら良かったわ。お兄様も、そう思いますよね?」
「……ああ」
俺の回答で深雪は努めて明るく振る舞い、達也の張り詰めた空気を抜く。緊迫感すらあった雰囲気も、そうして通常のそれに均された。
「十六夜、約束だからな」
ただそれでは済まさず、達也は言質を取りに来る。
「約束するよ。この事については、絶対に後で話す」
「……なら、良いんだ」
わだかまりを残さないように、俺は達也に言質を取らせた。別に、この事については本当に深雪が次期当主となる事が公開されてしまえば、身内に話しても問題ない話なのだ。
言質が取れた達也は煮え切らない感覚を無理矢理煮詰めるように、自分の手で眉間の皴を解した。
その後、四葉の里に着くまでの時間は世間話で費やす事となった。ちなみに、水波は使用人という立場を弁えてか、話題にされない限りは終始口を開かなかった。
時刻は午後3時。襲撃の可能性が本当に俺の杞憂で終わり、何事もなく四葉本家に辿り着く。正直、襲撃に関する原作知識がおぼろげになっているので助かった。
(勝成が直接妨害してくる事以外、覚えてなかったからな。他にも何か妨害があったはずなんだが……。まぁ、場当たり的な対処をするはめにならなくて良かった)
俺は内心そう安堵しつつ、本家の自室に足を進める。達也たちには達也たちに宛がわれた場所があるので、一旦別れている。
(今日のイベントで残っているのは、四葉家次期当主候補が一堂に会する食事会か。食事会とは指定していなかったけど、そういう場を設けてほしいと真夜には言ってある。多分大丈夫だろうが)
杞憂に安堵の終止符を打ったところで次の杞憂。このままちゃんと原作通り進んでくれるかと、俺は少し不安になりながらも自室の扉を潜った。
「お帰りなさい、十六夜」
そうすれば、俺の自室で待ち構えていた女性が1人。まぁ、当主直系の部屋で待ち構えられる人間といえば、その当主くらいしかいない。
「……。ただいま、母さん」
真夜が待ち構えていた事に一瞬驚きはしたが、例年の彼女からすると、むしろ迎えのリムジンに乗っていなかっただけよく耐えた方だ。彼女の微笑みが待望していた喜悦の微笑みであるのもあって、何か火急の用があるようではない。
ただ我が子の帰りを待っていた母親然とした態度であると判断し、俺も息子然として微笑みを返した。それだけでなく、いつも通り『十六夜分』なる特殊成分を摂取しに来るだろうと見越して、俺は両腕を広げて待機する。
「……えーっと、十六夜?」
していたのだが、真夜は頬を赤らめるだけで、困惑の表情を浮かべていた。
「……抱擁とか、しないの?」
「こ、恋人でもないんですから、再会時に抱擁はいらないでしょう」
「恋人でもないのに、いつもしていたような気がしていたんだけど……」
「親子だからしてもおかしくはないでしょう!?きょ、今日は良いのよ!」
自身で前言に反論しているという、非常に奇妙な言動の真夜。とにかく、今日は良いという事なので、俺は少し不思議がりながらも両腕を下ろす。
「そ、それより。次期当主候補たちで会談する場、貴方の要望通り設けました。今夜七時、奥の食堂に次期当主候補が全員集まるよう、招集をかけています」
頭を切り替えるためか、真夜は話題転換に事務報告をしてきた。その内容は、俺が丁度不安に思っていた事、四葉家次期当主候補が一堂に会する食事会である。
「ありがとう、母さん。達也たち以外には、しっかりと話を通してあるよ。彼らの方から、次期当主候補の辞退が聞けるはずさ」
「そう、それは良かったわ。貴方の手腕、その結果だけになるけど、存分に見させてもらいましょう」
段取りは済んでいると報告すれば、真夜は満足そうにしつつ落ち着けていた腰を上げる。訊きたい事は聞けたという事なのか。それにしても、なんだか急いでいるように窺えてしまう。
「母さん、何か忙しいのかい?」
「え、と、特に忙しいという事はないのだけど……。会食の後に深雪さんへ婚約者を伝える準備は済んでいますし、慶春会の準備だって前もって済ませていますから……」
俺が指摘した事でようやく気付いたのか、真夜は自身が急いでいるようだった事に唖然とした。彼女は俺に忙しくはない事を説明しながら、どうして自分が急いでいるようだったのかと、自己分析している。
「……俺と接するのに、何か負い目がある?」
「負い目なんて!貴方は自慢の息子で、私は貴方の、は、母親です。そこに何の負い目があるというのでしょう」
無意識で急いでいたようである事から、そう仕向ける感情があると俺は推測した。だが、負い目については真夜より即座に否定される。『母親』というところで不自然に詰まっていたが。
「……息子として至らない部分があるのかな。なんでも言ってよ、母さん。望む事は、なんでもしてあげるから。近親相姦とかでも」
「近親相姦から離れなさい!なんだっていつもその疑いをかけるの!?」
背徳的な行為の欲求に駆られながら、それでも倫理を重んじて我慢しているのかと疑ったが、これも即座に否定された。
欲求を我慢しようとしていたならば、無意識に俺を避けようとするのも説明できる。また、『母親』で詰まったのも、俺とのそういう行為が不法になってしまう母親という立場にコンプレックスを抱いている、という説明が通る。
そんな感じで割と良い線行っていた推理と自負していたのだが、外れていたので内心落ち込む。
「近親相姦は冗談としても、何か不満があるなら言ってほしいな。俺は、自分で言うのもなんだけど女性の機微に疎いから、言ってもらわないと何をしてほしいのか分からない」
「……十六夜、私は貴方にしてほしい事はしっかりと言葉にしてきました。そして貴方はそれを叶えてきた。私に不満はありません。強いて上げるなら、貴方らしくあってほしいというだけです」
落ち込むのは内心だけにして、俺は無意識で急いでいた訳を探ってみるも、真夜は俺を諭すだけだ。ただ1つ、強いて上げられた不満を聞き出せた。
「『貴方らしく』、か……。母さん。母さんの思う『貴方らしく』って、いったい何だい」
しかし、俺はその不満を解消させる方法が分からない。『貴方らしく』と言って、真夜が俺に何を求めているのか分からない。
「十六夜……っ」
そんな俺に、真夜は憔悴したような表情を浮かべる。はたしてそれは、俺が求めに応じられない事に失望したのか、望みが叶えられない事に絶望したのか。
「ごめん、母さん。それは俺が考える事だった。自分でちゃんと答えを導き出さなくちゃいけない事だった。じゃなければ、俺は『四葉十六夜』である意味が―――」
「違います!貴方は何があっても、私の大切な人です!他人の求めている事が分からないくらいで貴方という価値が失われたりなんかしないわ!」
憔悴する理由を引き出すべく、弱気になった演技をしてみたが、返ってきた反応は劇的なモノだった。声を荒げている事から、その言葉が本心からだろうと判断できる。どうやら、見捨てられるような大きな失態ではなかったようだ。
「ご、ごめん。そうだよね、卑下しちゃいけない。これからも四葉直系として、堂々とした振る舞いを心がけるべきだ」
「……十六夜。……私も、急に叫んだりしてごめんなさい。でも、貴方はちゃんとやれていて、私がそれを評価していると、理解してほしいの」
真夜は俺に真っ正面から向き合って、俯く俺の頬に手を添えた。その手は自然と俺の顔を持ちあげる。真夜が俺を見ていると、見てほしいかのように。俺を認めている存在がここに居ると、示すように。
「うん、ありがとう……。少し、不安になっていたのかもしれない。母さんのためとはいえ、母さんに反発するような事を最近したから」
「周公瑾の娘を迎え入れた事ね。それで貴方に失望なんてしないわ。貴方は正確に現状を把握し、独自に打開策を用意しようとした行動だったのだから」
最近の独断行動に対する評価も探ってみれば、これもどうやら失態という裁量は下っていないようだった。
「……十六夜。……大丈夫、大丈夫よ。私は貴方を絶対に見捨てたりしない。私は絶対、貴方の味方よ」
真夜は俺を抱きしめる。言葉だけでなく態度で表すように、彼女の抱擁は強かった。
「……うん、ありがとう」
俺は真夜に身を任せ、したいようにさせる。
数分の抱擁の後、彼女は頬の赤みを残しながら、一言別れの挨拶を告げ、この場を後にした。
ついぞ、無意識に急いでいた訳と、憔悴した理由は聞き出せないのだった。
司波達也襲撃計画:四葉分家当主たちは十六夜が次期当主になると勘違いしているため、深雪の次期当主就任を全く警戒していない。それ故、深雪たちが四葉本家に到着するのを遅れさせる原作イベントは、全て消失している。
煮え切らない感覚を無理矢理煮詰める達也:十六夜がいつか話してくれるのが、『この事について』としっかり言及された事に不満を抱いている。
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