~月での暗躍~
2096年10月28日
論文コンペの当日にして、もうその催しが終わった深夜。
コンペの結果は第二高の優勝。我が第一高は惜しくも、九島光宣をメインプレゼンターに据えたかの高校に負ける事となった。
コンペ外、警備の方では目立った事件もなく、俺が怪我した事で警戒度を上げていた警備チームと護衛チームは見事肩透かしを食らっている。その実、俺や達也たちが起こっていた事件を世間の目に触れぬよう収めていた訳だが、その事を彼らが知る事はない。
俺と達也の口からその事件について知る事ができたのは、幹比古と真由美だけだ。周公瑾を捕えられなかったと彼らに知らせれば、落胆したようではあるが安堵したようでもあった。
とにかく、世間的には無事で終わった事であり、今の俺にとってそれ程重要な事ではない。
俺にとって重要なのは――
「……ま、やっぱり来ないな」
――月に待ち人が来ない事だ。
冗談半分で周公瑾に『月で落ち合おう』と言ってしまった。言った手前、意味が伝わってないとしても月で待つ他なかったのだ。
そう。俺は昨晩と今晩に月、正確に言えば『庭の文明』がある丘、便宜上『篝の丘』で周公瑾が来るのを待っている。
もちろん、肉体はCRホテルで眠ったままだ。
(精神だけここにある状態、で合ってるんだよな?)
しっかり研究すれば、精神ではなくパラサイト本体だったり魂だったりするのかもしれない。だが、興味がないので、俺がここにある状態をそんな仮説に留めている。
「さて、いくら待っても来なさそうだし。あの言葉は月夜に会おうというメッセージだったと受け取って……。ん?」
待ちくたびれ、そろそろ引き上げようとした時だった。
俺は俺以外の存在を、この場で知覚する。
「こ、ここはいったい……」
なんと、周公瑾が『篝の丘』に姿を現した。俺はちょっとばかり面食らう。
「凄いな。まさかとは思ったが、ここに辿り着けるのか。伊達に仙人の真似事はしてないな」
「十六夜様!?ここは、いったいどこなのでしょうか……?貴方様のプシオンに惹かれ、身を任せてみたもので。何が何やら」
周公瑾は珍しく動揺している様子だった。
無理もない。通常でも異常でも、滅多に来られる場所ではない。なにせ、ある種世界の真理、その1つなのだから。
「ようこそ、周公瑾。ここは座標で言えば月、地名で言えば『篝の丘』だ。尤も、地名は俺が付けたんだが」
「月!?月ですと!?月にこのような場所があろうはずが……」
これも無理ない反応である。21世紀末、人類はとっくに月を360度見通した。
だがそれは、表層のみ、科学的でのみの話である。
「なぁ、周公瑾。人類がこの月を魔法的に観測したのは、いったいいつだ?」
「魔法的に……?月にサイオンレーダーが打ち上げられた事など一度も……」
俺が問いかけ、周公瑾が答えたように、人類は一度も魔法観測機器を月に打ち上げた事がない。生命のない星に魔法があるはずないと、人類は勘違いしていたのである。
「ま、まさか……、ここは魔法による領域であると?」
「そのまさかだよ。まぁ、本当に魔法によるモノなのかは不明だか、そうとしか言いようがない。未だ人類がここを観測できていないのは、一度も月にサイオンレーダーを乗せた探査機を打ち上げていないからだ。打ち上げる余裕なんて、ないだろうけどね」
さらに問いかける必要もなく、周公瑾はその答えに至った。俺は不敵な笑みで、答えに丸を付ける。
「しかし、人類が探査機を打ち上げたとして、いつこの場を捕捉できるもんか。ここは、人類の手には余る代物だからね」
「人類の手には余る……?」
未知との遭遇に、周公瑾の疑問は尽きない。
俺は仕方なく、案内するように丘の頂上へと昇った。昇ってこいと手でジェスチャーすれば、周公瑾は素直に付いてくる。
「……これは」
頂上にある石板、『庭の文明』を周公瑾が見下ろす。
「地球の始まりから終わりまでを演算していた、超々高性能シミュレーターだ。もちろん、演算内容には生物の発生と進化も含まれる」
「そ、そんな膨大なデータがこの石板に!?」
「信じられないだろうな。なら、ちょっと試してみるか」
口で説明しても無駄なので、俺は実験もかねて周公瑾にある事をさせる。
「周公瑾。この、分岐がまだ始まってない一本筋、この溝をほんの一瞬触れてみろ」
「溝を、ですか?いったい何が起こるのやら……―――っ!?」
俺が唆して溝に触れた周公瑾は、目を見開いて飛び退いた。
何かしらの異常があったのは明らかだ。
「……どうだ」
「……ふは、あははははははは!凄い!恐竜が、始祖鳥が闊歩していた!」
『Rewrite』で天王寺瑚太朗が発狂したように、周公瑾も発狂する可能性を懸念したが、どうやら大丈夫なようだ。
まだ生物の可能性が分岐していない部分、他と比較してまだ情報量が少ない部分を触れさせたのが功を奏したか。
「十六夜様、貴方様のお言葉を信じましょう。これは間違いなく、超々高性能シミュレーターだ!」
おまけに信じきってくれたようだ。これで、次にしようとしていた話もすんなり信じてもらえるだろう。
「そう。これは超々高性能シミュレーターだ。そして、俺は2095年4月から2097年5月までの歴史、その一部を知っている」
「なるほど。貴方様は別の個所に触れ、その情報を得られたのですね?」
「もう触れるなよ。パラサイトとは言え、これ以上の情報量に耐えられるかは未知数だ」
「ご忠告ありがとうございます。欲にくらみ、痛む頭も無視して触れるところでした」
俺はまるで自身も触れて未来の知識を得たかのような物言いをし、周公瑾の詮索には明確な返答をしなかった。
案の定、俺が転生者である可能性を微塵も見出さず、周公瑾はそのミスリードを信じ込んでいる。
良い成果だ。ついでに、周公瑾でも頭が痛んだ事から、やはり情報量が多すぎて記憶するのに負担がかかる事が分かった。俺は絶対触れないようにしよう。
「俺はその情報を基に動いてきたから、知っている未来とは歪んできているかもしれない。故に、知っている未来と実際の現在を擦り合わせる必要がある」
「私は擦り合わせるための情報を収集すれば良いのですね?」
周公瑾の理解は早く、話も実に早い。
俺は、かなり優良な手駒を手に入れられたと確信し、他人の手に渡らない事を安堵した。こいつがずっと敵に回っていたらと考えると、身震いしてしまいそうだ。
「これからよろしく頼むぞ、周公瑾」
「ええ。こちらからもよろしくお願いいたします、
俺は周公瑾からの呼称に苦笑を浮かべるも、お互い、固い固い握手をした。
片や、この手駒を逃すものかと。片や、この同士を手放すものかと。
◆◆◆
~引き時の弁え~
2096年11月3日
周公瑾捕縛作戦から一週間が経とうとしている土曜日。
周公瑾捕縛作戦は一部の者しか知らないが、国防陸軍宇治第二補給基地で起きた内乱紛いの事件はそういかない。国防軍関係者なら知り得る話となってしまっている。
内乱紛いは潜入工作員に操られていた故と、判明はしている。だが、操っていた潜入工作員を処理するためとはいえ、侵入者は少なくない損害を基地に与えた。ならば、その責任を追及しようと、侵入者の調査を進める者が数名現れたのだ。
その数名の行動を封じる、いわゆる後始末の必要性が生まれた。当然、真夜がその後始末に動き出そうとする。
ただ、その後始末が血なまぐさくなる予感をして、後始末の代行に名乗り出た者が居た。
誰かと言えば、そう難しい話ではない。
〈やぁ、十六夜君。元気かな?〉
今、ヴィジホン越しで会話している、九島烈その人である。
「余分な仕事が増えなかった事で、すこぶる快調です」
〈それは僥倖。若者に大人の意地汚さを見せずに済んだよ。縁故も無駄にならぬものだ〉
そう。烈は未だ残り続ける国防軍への影響力を用い、先述の面倒事を全て封じ込めたのである。縁故と言うからには、かつての戦友や部下、現在国防軍の高い階級に居るだろう人物に働きかけたのだろう。
上から圧力をかけられてしまえば、下はもう動けない。それが軍という縦社会だ。
「本来四葉がすべき事でお手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
〈いやいや。それを言うなら、そもそも周公瑾の捕縛は九島がすべき事だっただろう。九島は京都の監視が仕事であるし、牽制すべき伝統派も出てきていた。おまけに、周公瑾と手を組んだ後始末は、我が家が付けるべき始末だった……〉
烈は自虐めいた言葉と共に肩を落としていた。周公瑾と手を組んだ事、己の過ちを後悔したままであるのが見て取れる。
その後悔の念は、利用できるかもしれない。
「……まだ、贖罪が足りませんか?」
〈足りる足りないではないのだよ……。戦友の遺留品を抱えて臨んだ、あの戦地に居るようだ……。喉に刺さった小骨のように、いつまでも痛みを拭えない……〉
「でしたら1つ、酷なお願いを聞いていただけませんか。老師の罪悪感が多少でも拭えるような、酷なお願いを」
〈……続けてくれたまえ〉
烈は縋るような眼差しを俺に向け、話に乗ってきた。
内心歓喜しつつ、俺は願いを口にする。
「周公瑾と手を組んだ責任を、七草の分も全て背負い、十師族を辞任してください」
そのお願いは、ある意味積み上げた成果を投げ捨てろという要求。九島家が十師族という枠組みに貢献してきた実績を白紙にしろという、まさしく酷なお願いだ。
俺はこうお願いする算段を、大分前からしていた。それは、パラサイドールの開発に七草が関与してしまい、原作より七草家の罪が重くなってしまったからだ。
もしかしたら、その重くなった罪を、烈は背負わないかもしれない。原作から大きく乖離してしまうかもしれない。俺は、その大きな原作乖離を避けたかった。
周公瑾を仲間にするという未知に踏み出してしまったのだ。その理由も、これからの未知を恐れたがためである。俺は未知に、全く光のない暗闇に、足を踏み入れる気はない。
〈……意図は何かな〉
辞任が願われている事に、烈は気を荒立てなかった。一時の激情に囚われず、将来の合理を見定める。
「七草家に十師族を続行してもらうためです」
〈ほう〉
俺のお願いに合理性を見出した烈は感嘆の声をもらしながら、耳を傾ける。
「母上は七草家を十師族から降ろそうとするでしょう。だから、これまでの利敵行為を曝さずにいました。今度の師族会議で、決定打とするために」
〈真夜なら、そうするだろうな。そして、弘一に罪を集約させるため、我が家の罪は明かさない。……真言は、便乗するか。弘一を糾弾しないまでも擁護せず、パラサイドールについての隠れ蓑にするのが目に見える。しかしだ……〉
俺の言葉に説得力がある事を認め、烈は俺の予測に同調した。しかし、それだけで終わらない。
〈十六夜君。何故君が、七草家を擁護する?〉
烈は、その非合理を見抜いていた。正確に言えば、まだそこに俺が擁護する理由のない事を。
さすがの鋭さだ。おかげで俺はスムーズにその訳を話せる。
「四葉家が居れば充分とする意見もあるでしょう。でも、俺はそう思いません。四葉は確かに、日本の最大戦力です。ですが、最大勢力ではない。少数精鋭であるが故、勢力という点で七草に勝てず、また伸ばせる手の範囲も小さいし少ない」
〈だから、最大勢力である七草家が必要だと〉
8割がた語ってしまえばこの通り。最後まで語る必要もなく、烈が当たりを付けた。俺はそれに頷き、肯定する。
〈……相変わらずと言うべきか。君の視野は恐ろしく広いな。君程国を思って動ける人間が、果たしているだろうか〉
「恐縮です」
烈が突拍子もない賛辞を送ってくるもので、俺は思わず頭を下げた。
利己的行動が全体利益的行動と捉えられている事に、正直俺は困惑しているのだが。その困惑が、顔に出ていないのを祈る。
〈私はてっきり弘一の娘を守るためだとばかり……〉
「……個人の色恋に情勢を巻き込んだりはしませんよ」
おちゃらけた烈の態度に俺の困惑は上書きされた。都合が良いので、その困惑は顔に出し、頭を上げておく。
〈ふむ。弘一の娘に恋心を抱いている事は、否定せんのだな?〉
「……それで、俺のお願いは聞いていただけるのでしょうか」
困惑の上書きは都合が良かったが、恋愛話は都合が悪いので、無理矢理話題を戻しにかかる。
どうせ、イエスと答えてもノーと答えても揶揄われるだけだ。
〈ははははは。すまないね。年を取ると、どうしても話を長引かせたくなってしまう。……さて、お願いについてだが。聞き届けよう〉
一瞬で気を引き締め、烈は俺の要求を呑んだ。そこに冗談を言っている雰囲気は一切ない。
〈こんな厄ダネを持っていては、いつ真夜に刺されるか分からん。真夜が刺さずとも、いずれは誰かに、九島を貶める材料として使われるだろう。ならばこそ、一挙に責任を背負い、去るべきなのだ。皆に許される、その時まで、な〉
多少お茶目な言い回しをしているが、烈は深刻に受け止めていた。
烈の言う通り、いずれは罪を暴かれ、付けを支払わされるのだ。その付けが安いうちに、支払ってしまうのが利口なのである。
「『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』というヤツですね」
俺は烈のお茶目に付き合い、有名なフレーズを説いた。
〈『神が光で照らしてくれた任務を果たそうとした1人の老兵として』、か。君がそう称してくれるなら、これ程良い幕引きもないな〉
烈はそのフレーズの締めを己から吐き、朗らかに、されどどこか疲れたように笑う。
きっと、気の利いた皮肉交じりの贈答品として、胸にしまったのだろう。
そうして、俺と烈の会話は、静かに幕を閉じるのだった。
◆◆◆
~月での続きは自宅にて~
2096年11月11日
論文コンペが終わってしまえば、しばらく学校で目立った催しはない。達也の回りについても、周公瑾追跡任務が終わってしまえば、束の間の平穏が訪れる。
という事で、この『魔法科高校の劣等生』的に何もない日曜日。七草三姉妹とのお茶会がなければ、達也一団の誰からもお誘いがない、そんな静かな今日を過ごしていた。
そう。過ごしていたのだ。インターホンのチャイムが鳴るまでは。
「ん?」
書斎での読書中、チャイム音が俺の耳に届く。何か荷物でも届いたのかと腰を上げるが、慌てて出ていく事はない。今時、数分も待てない配達員など居ない。
ゆっくり屋内側のインターホンで訪問者を視認する。
〈こんにちは。
カメラには、周公瑾をそのまま少女にしたような人物が映っていた。
俺は早足で玄関まで向かう。
「
「……誰のせいだ、白昼堂々押しかけてきて」
「深夜の方が怪しいでしょう?こういうのは、如何に胡散臭くても昼間に向かうものですよ?」
以前の面影がどことなくある声音で、可愛らしく微笑む少女。分かりきっているが、周公瑾の乗り換え先である。
まさか少女に乗り換えてくるとは思わず、気勢やら緊張感やらが削がれる。
「まず聞くが、戸籍は作ってあるんだよな?さすがの俺も、どこの誰とも分からん奴の戸籍を作るのは手間だぞ」
「ご心配なく。周公瑾の子女として、既に用意していた戸籍です。名前は
「子女、か……。確かに疑われないだろうな」
先述の通り、容姿は周公瑾をそのまま少女にしたようであり、声音も周公瑾の面影がある。親子の関係だったと言われれば、納得せざるを得ない。
周公瑾は戸籍上、16歳そこらの子供をもうけている年齢ではなかったが。まぁ、年齢を偽っていたとすれば充分通る。
「それじゃあ、母上に面通しさせてもらう」
「おや。私が貴方様の手駒となる事を、親公認にすると?」
「そうしないと今後のやり取りが面倒だ。毎度毎度密談の場所を見繕ってもいられない。そもそも、家に上げる時点で母に連絡が行くからな」
情報を貰うために接触は密としたい。ならば、この家を密談の場所とした方が好都合だ。だからこそ、俺の手駒として真夜に認めさせ、そうして我が家の出入りを自由にさせたい。
「貴方様の正式な手駒となれるなら、願ってもない事です。どうか面通しの程を」
「うん、まぁ、お前に異論がないなら良かったよ」
あまりにも演技臭い周公瑾の忠誠に、俺は違和感を覚えていた。が、少なくとも表立って俺の手駒になる事へは意欲的なので、とやかく言わない事にした。
という事で、まずは俺が家のセキュリティロックを解除してから、周公瑾に指紋と虹彩の登録を行ってもらう。それから家に上げてすぐ、書斎からヴィジホンで真夜のコールナンバーを呼び出した。
〈十六夜?どうかしたの?〉
案の定、スリーコール以内に通話へ応じる真夜。通話の訳が思い当たっていないようなので、まだ家への訪問者があった事は伝わっていないようだ。
「母さん、折り入って頼みがあるんだ」
〈……何かしら。そんな改まって〉
俺がシリアスに切り出せば、真夜にもシリアスが伝播する。彼女は笑みを絶やしていないが、佇まいを正していた。
これからする話がシリアスなモノだと真夜が理解してくれたところで、俺は初手から周公瑾、いや、周妃を画面に呼び入れる。
「母さん、俺は―――」
〈誰?その女〉
俺が頼みを言い切る前に、空気が一変した。その空気は、シリアスはシリアスでも、火曜サスペンスではなくて昼ドラマのモノだ。もっと言うと痴情の縺れみたいなそれである。
「母さん、落ち着いて聞いてくれ。彼女は愛人でもなければ恋人でもない」
〈じゃあ、何かしら〉
凄い笑顔の笑っていない目で睨まれ、俺は若干げんなりする。これでは俺の口から言っても効果が薄いかもしれない。
なので、周妃の方に頼んだ。彼女を画面の中央に置く。
「お初にお目にかかります、四葉のご当主様。私は周公瑾の娘、周妃でございます」
〈し、周公瑾の娘!?い、いえ……。言われてみれば……〉
周妃の自己紹介を受けてから、真夜はやっと周妃に注視し、その姿を仔細に観察する。そのため、周公瑾の面影を見て取った。
〈自身が多くの者に追われる身であるから、身分も血縁も偽装して、娘を後生大事に守っていたのね〉
信じ難いという表情ではあるが、その視覚情報が何よりの証拠であると、真夜も認めてしまう。同時に、一定の説得力がある背景であるため、腑に落ちてしまった面持ちだった。
真夜の睨む対象は周妃に移り、空気は火曜サスペンスに戻る。
〈それで、あの男の子供が、いったい何の用かしら〉
「では、父の遺言をお聞きください」
真夜の注意が完全に自身へ注がれたのを良い事に、周妃は見せ付けるような動作で、書状を両手に広げた。
全く段取りにない行動であるため、俺も何をするものかと注意を向ける。
「『四葉家ご当主様へ。貴女様を害した我が身なれど、どうか聞き届けていただきたい事がございます。周妃を、我が娘を、匿ってはいただけないでしょうか』」
それは、死者からの頼み事、のように相対する真夜からは見えるだろう。
背後に立つ俺からははっきり見える、周妃の広げた書状が白紙である事が。
なんとこの男、いや、女。真っ正面から堂々と嘘を吐いているのである。
「『もちろん、対価はお支払いします。先立ってお支払いさせていただいた対価は、九島に大陸の方術士を迎え入れさせた情報』」
あまつさえ、スティープルチェース・クロスカントリーでのパラサイドール事件にまつわる情報、その漏洩を出汁に使おうとしていた。
「『もちろん、それだけで我が身の罪を許していただけるとは露程も。ですので、これからお支払いできる対価として、私の情報網を提供いたします。世界各国へ亡命させた者たちによって形成された、その情報網を』」
そして、畳みかけるように本命を叩きつけてくる。
周妃は、俺が欲する情報網も対価として真夜に差し出そうとしていた。だが、それも計算づくだろう。元々敵のモノだった情報網、どこに罠があるとも知れないそれを、真夜が受け取るはずがない。
「『我が娘がその情報網を使えるように整えてあります。ですので、その情報網を持つ者として、どうか我が娘を保護していただきたい。これは、子供の親として、切なる頼みでございます』。……以上が、四葉家ご当主様に宛てた父の遺言です」
周妃は朗々と白紙の書状を読み上げ、自然にその書状を懐へとしまった。白紙であると露呈しないように対策をしている。
ただ、交渉の感触は良くない。真夜は睨みを緩めていない。
〈その程度の対価で、仇敵の忘れ形見を保持しろと言うの?罠かもしれないのに?〉
やはりと言うべきか、提供された対価が罠である事を真夜は疑っていた。
それに、フリズスキャルヴという情報網を持っている真夜にとって、その対価は然程美味しくないのだろう。大して美味しくもないのに毒があるかもしれないとなれば、食う輩は居ない。
しかし、俺にとっては充分すぎる程美味しい餌なのだ。
「母さんが要らないと言うなら、俺にくれないかい?」
〈十六夜?何を言っているの?〉
「母さん、フリズスキャルヴは信用できる情報網じゃない。その情報網はいつだって、送り主が剥奪できるモノなんだ」
〈そ、それは……〉
真夜は俺の提示した可能性を否定できず、言葉を詰まらせた。
真夜もフリズスキャルヴが敵から送られ、敵が四葉の動向を探るためのモノであると察してはいる。でも、高い利便性故、その可能性に目を瞑っているのだ。
「そんないつ失うとも知れない情報網では駄目だ。もっと堅固な情報網じゃなくちゃ」
〈周公瑾が寄越してきたそれが、堅固だと言うの?〉
「もちろん、完全に安心できるそれではないだろう。だけど、それでも保持する価値がある」
〈……〉
俺は言葉を尽くすが、真夜の不安は晴れない。ずっと、探るような目で俺を見つめていた。俺は負けじと見つめ返す。
〈……。今度実家に帰ってきなさい。その時に、しっかり話し合いましょう〉
決着は、お預けとなった。
真夜は何かを測りかねている。画面越しでは測りきれず、対面する時間を欲した。そんな風に、俺は感じた。何を測りかねているのかは、俺も相対するまで分からない。
〈この件以外にも話したい事があるわ。再来週の土日は空けておいて頂戴〉
「うん。その時に」
真夜は頭を悩める様子も隠さず、このやり取りを別れの挨拶とした。ヴィジホンの画面は暗転する。
かくして、俺は再来週に帰省する事が確定したのだ。面倒ではあるが、必要な過程である。
「この場で決定とは、いきませんでしたか」
「それ程お前が大立ち回りをかましたって事だ」
周妃は芳しくない経過を憂い、俺も少し溜息を吐いた。
どう説き伏せたものか、今から億劫になる議題だ。色仕掛けでも試してみるかと、そんな邪道も頭に浮かぶ。
これも全て、周公瑾が四葉の手から逃げ続けた弊害であり、逆に周公瑾が有能である証拠なのだから仕方がない。
「大立ち回りをしたのは私の父でしょう」
「同一人物だろうが。頭が混乱するから、2人だけの時にその使い分けはするな」
本当に混乱する話だ。今後、こいつを表向き周公瑾の娘と扱わねばならないが、その実周公瑾本人という。なんともややこしい事実である。
実際、周妃と呼ぶか周公瑾と呼ぶか、俺は迷っている。
「それで、どういたしましょうか?」
地味に俺の指示を無視し、これからについて議論を開始させた。
まぁ、そちらの議論が大事であるため、文句は一旦抑える。
「部屋が1つ空いてるから、そこを拠点として使ってくれ。もうお前は俺の傘下にあると、既成事実を作る」
俺は前に真由美が使っていたその部屋を、周妃に提供した。真由美が持ち込んだ家具は綺麗さっぱり運び出されているが、使い道がなくて途方に暮れていた一室だ。周妃を寝泊まりさせるのには丁度良い。
「既成事実、ですか……。ええ、女体に変じましたので、その覚悟はできております」
「なんの話してるんだ、お前」
当たり前の話だが、俺はこの場面において『既成事実』という単語を、『できちゃった婚』的な意味では用いていない。
原作で話をよくはぐらかしてくる印象はあるが、味方になってもはぐらかしてくるのか。困るので止めて欲しい。
「失礼。得難い同士を得られた事で、舞い上がってしまっているのです」
「……くだらんミスしなきゃそれでも良いさ」
「寛大な対応、感謝します。
演技臭かった忠誠がなおさら胡散臭くなってくるが、きっちりと頭を下げてくる辺り、こいつの忠誠心がどの程度のものか判別しづらい。
しかし、それを承知した上で飲み込んだ毒だ。甘んじて受け入れよう。
「家のセキュリティもフリーパスにしておく。単純に寝床とするなり、通信拠点にするなり、好きにしてくれ」
「なるほど。深夜に上がって夜這いを仕掛けても警報は作動しないと」
「だからお前はなんの話をしてるんだ!」
そうして厄介な半同居人を受け入れてしまった事に、俺は少し後悔の念を抱くのだった。
『篝の丘』に辿り着く周公瑾:十六夜の『付喪神』に触れた事で、十六夜のプシオンを微量でも摂取。その摂取した微量なプシオンが、本体である十六夜の下へ戻ろうとするに引力的な性質を発揮。その引力に気付いた周公瑾が、重しとなる肉体がない状態で、その力に逆らわなかった。結果、パラサイトのサイキック、テレポートを呼び起こした周公瑾は、『篝の丘』に居る十六夜の目の前に瞬間移動ができた。これは数々の偶然が重なった奇跡に他ならない。
月にサイオンレーダーを打ち上げない人類:ほぼ冷戦状態の現状、他国への牽制で軌道衛星を打ち上げる事はあっても、月にまで物を打ち上げている余裕は、物資的にも精神的にもない。おまけに、魔法という資源が見つかった今世紀、月の資源的価値は非常に低くなっている。また、地球から月を観測できるような超々遠距離サイオンレーダーを、人類は作れていない。
周妃:周公瑾本人の遺伝子を基に作られた調整体であり、周公瑾の乗り換え先。自意識のない調整体だったため、精神は完全に周公瑾のモノ。USNAに国籍を映した華僑の子孫という戸籍があり、また、24歳と偽る前の周公瑾と親子だった戸籍もある。その他にも色々な戸籍があるが、24歳と偽った後の周公瑾と養子縁組した、16歳という事になっている戸籍を現在使用している。
閲覧、感謝します。