「水波、どうした。……。光宣の様子が?」
達也の携帯端末が震えたのは、コミューターが最初の目的地である嵐山公園に着き、皆が丁度降りた時だった。
しかも、その通話の開幕にそんな不穏な言葉が添えられる。
おかげと言って良いのか、通話の相手とその内容は簡単に察せられた。どうやら、光宣の容態が悪化し、看病していた水波がその事で連絡を寄越したようだ。
達也は余計な事をしなくて良いという注意と、心配しなくて良いという慰めを水波に送り、その通話を終えた。それからすぐ、達也はとある相手に電話をかける。
「藤林さんですね?司波です。実は光宣が体調を崩しまして……」
かけた相手は藤林。達也はあらかじめ、光宣が体調を崩した場合に連絡するよう、藤林に言われていたのだ。
そのもしもの場合に備えた準備が功を奏し、特殊な虚弱体質にある光宣の不調でも慌てずに対処できている。
そうして通話している達也と藤林。達也の言葉しか聞く事ができなかったが、どうやら藤林が光宣の回収に来るらしい。最後に達也は「よろしくお願いします」と告げ、通話を切った。
「今の、響子さん?」
「光宣君の具合が悪くなったのですか?」
「司波、戻らなくて良いのか?」
用事が済んだところを見計らい、真由美、深雪、一条が一斉に達也へまくし立てる。皆、それぞれ通話の内容が気になっていたのである。
一気に話しかけられた達也は苦笑している。達也にはちゃんと全員の言葉を聞き分けられたのだろうか。
「九島光宣、九島家の末っ子であり、藤林響子さんの従弟である彼が体調を崩したと、看病に付けていた水波から連絡があった。それで、体調を崩したら連絡してくれと藤林さんに言われていたから、今そちらに連絡した。藤林さんは1時間前後でホテルに来てくれるそうだ」
聞き分けられてはいなかったが、真由美たちの訊きたい事は分かっていたのだろう。達也はわざわざ説明的な口調で、真由美たちの訊きたい事へ一気に答えた。
深雪や一条は状況をおおよそ把握したようだが、表情には不安が残っている。結局、光宣の体調が悪化し、回復していないからだろう。それでも、2人はそれ以上口にしなかった。
代わりに、真由美が口を開く。
「どうして光宣くんが同行しているの?彼は体が弱かったと思うのだけど……」
真由美が言葉にしたのは、何故光宣が協力しているかという事と、何故虚弱な光宣が協力しているのかという事の2点だ。
七草家は十師族の中で最も社交性がある故に、その長女たる真由美は光宣と面識があり、浅くとも光宣の体質を知っていたようだ。
「光宣さんは、京都に下手人が紛れ込んだ事を烈閣下に報告した際、協力者として遣わしてくれました。十師族の決まりがあるため、協力者は光宣さんだけですが」
「光宣は体が弱いと言っても、世間一般で言う虚弱ではないようです。体調にムラがあるような感じでしょうか」
前者には俺が、後者に達也が説明した。それでも疑問は尽きないようで、真由美は小首を傾げている。
「とにかく、光宣の事は彼をよく知る身内に任せましたので、俺たちは調査を続けましょう」
真由美の疑問を完全に晴らす事は難しいと断じ、達也はさっさと予定を進行した。真由美も調査が重要な事は承知しているらしく、素直に付いてくる。
調査のために最初に立ち寄るのは、名倉の遺体が発見された場所。渡月橋を臨む桂川の河原、嵐山公園中之島地区側だ。
すでに警察の現場検証は終わっており、一般人でも難なく立ち入れる。残念ながら、血の跡も物証も全部ない訳だが。
「ここで、名倉さんは何者かと戦ったんだな……。達也、周公瑾はこの辺りに潜伏していたって話だったよな」
「ああ、そうだ。話が真実なら、天竜寺以北に居たはずだろう。嵐山の一派が取り込まれているという事も真実なら、この付近に匿われていた事になる」
昨日達也が得た情報を、真由美にも聞かせるついでに俺が再確認した。
名倉を殺した犯人が周公瑾とするなら、その情報は非常に信憑性が高い。ただ、問題が1つある。
「名倉さんが呼び出したのか、偶然ここで襲われたのか。判然としないな」
戦闘場所が潜伏場所に近いからこそ、その問題が浮上してしまっている。名倉が周公瑾の潜伏場所を嗅ぎ付け、その場所に近付いてきたから消された。そう取る事もできるからだ。
俺は頭を悩めるも、その2択から絞り込めない。
「以前から四葉は周公瑾を追跡していたんだよな?失礼かもしれないが、四葉が見つけられなかった相手を、七草の手勢が見つけられるのか?」
「そう、ね。それは正当な評価だと思うわ。私も、四葉が見つけられなかった相手を、家が見つけられるとは考えられない」
一条が四葉と七草の捜索力に優劣を付ける意見を述べたが、真由美がその優劣を肯定した。2人とも、名倉では見つけられなかっただろうとし、名倉が呼び出した説を有力視している。
「まぁ、そうかもしれないな。けど、結局結論は出ないし、出したとしても意味はない」
「この場で得られる情報は、周公瑾がこの辺りに潜伏していた可能性が高いという事だけでしょう」
俺と達也は結論を急かなかった。もしくは、大局を鑑み、七草が不利となる結論を先送りにしたのである。
何にせよ、ここではそれ以上の情報がない。それが皆の総意だ。
「お兄様、これからどういたしましょう」
「もう少し情報の裏付けを取りたい。嵐山、竹林の小径も調査しましょう」
深雪より指示を仰がれて出した達也の目標。否を唱える者は誰も居ない。
満場一致として、達也はそちらへ足を進めた。
そうして、一同は竹林の小径へ。暫定敵地への道中であるために気合を引き締めていれば、異変が起きたのは目的地への案内板が見えた時だ。
「深雪、頼んだ!」
「ええ!」
俺が号令をかければ、深雪は意図を理解して干渉力を領域に広げる。深雪の干渉力を上回らねば魔法の発生が許されぬその領域で、飛んできた青い炎は打ち消された。
こっちに飛んできて、深雪の干渉領域に打ち消されたのだから、それが何なのかは考えるまでもない。敵が放ってきた魔法である。
俺や達也は当然、深雪、真由美、一条という優秀な魔法師たちもしっかりと魔法発生の兆候を感知し、敵の存在に気付いていた。全員が炎の発生元を睨んでいる。
そこから今度は風の刃が飛んでくるのだが、深雪の領域干渉は俺すら突破が難しいのだ。木端な魔法師がそれを突破できるはずもなく、先程の炎と同じように打ち消される。
「深雪と真由美さんを挿んで一条さんが後方、達也が前方を警戒!俺が突っ込む!」
「分かった!」
「任せろ!」
優秀とは言え、実戦経験が少ない深雪と真由美を守る陣形を俺が指示した。達也と一条は異論を唱えず、深雪と真由美も不満を漏らさず、その陣形を組む。
味方の守りが万全となったところで、俺はシルバーアーティラリー・アラヤとシルバーブレイドを構え、駆け出した。ただ、敵は準備万端だったようで、俺は次の一手を許してしまう。
敵のその一手は、左右の竹林から伸びる紐。青、赤、白、黒、黄の5色で編まれた組紐が、俺と、深雪を庇った達也、それぞれの腕に絡まる。俺はそれが何と言う魔法か知らなかったが、その効果はすぐに感じ取った。
(この流れ込んでくるサイオン、キャスト・ジャミングか!)
魔法師の魔法式構築を阻害するサイオンノイズ。それを領域に展開するのではなく、紐が絡まった対象にのみ注いでいる。対象を絞り込んでいる分、その効果は高いだろう。実際、シルバーブレイドの硬化魔法は式の構築が阻害されている。
しかし、対象選択を間違ったと言わざるを得ない。もし、この紐を達也に集中させていれば、少なくともこの亜種キャスト・ジャミングは成功していたはずだ。そうしなかったから、達也はあり余るサイオンで強行突破し、自身と俺に掛かっているキャスト・ジャミングを『分解』してみせた。これで、俺も達也もフリーである。
そうして、達也は組紐を掴んで術者を引っ張り出した。俺もそれに倣って、ただし自己暗示と偽装した超人の怪力で、術者を釣り上げる。意表を突かれ、空中で無防備を晒す釣り上げられた術者。俺は容赦なくその術者の鳩尾へ拳を捻じ込み、気絶させた。達也が引っ張り出した方は慈悲なく深雪によって体温を下げられ、冬眠に酷似した状態へと落とされている。
そんな敵2人を無力化している内に、他の敵が一条たちを狙う。だが、彼らを絡め取ろうと伸びる組紐は、一条が起こした突風であえなく押し返された。直接作用の魔法が効かないだろう組紐に対して間接的に迎撃するという、実に冷静な対応をしている。
相手の攻撃をしのげば、攻守交替。こっちの攻勢だ。まず動くのは真由美。彼女は竹林へと『ドライ・ブリザード』、広範囲に無差別でドライアイスの
俺は『ドライ・ブリザード』の巻き添えを食わないよう、竹林の出口で待機。そうすれば、思惑通り敵が炙り出され、俺は出待ちの如くその敵に一撃を見舞おうとした。予想外の事態が起こるまでは。
「カン!」
炙り出され、俺に出待ちされた敵の叫んだ一言。それが魔法詠唱だったかのように、その敵は魔法を発動したのだ。己の右腕を燃やし、炎の剣に変じさせる魔法を。
その炎剣を直視し、直感する。その炎は実物であり、この魔法もキャスト・ジャミングのような対抗魔法であろうと、俺の超人的思考がそう導き出した。
だから俺は覚悟を決め、久々に痛覚をオフにし、その燃える右腕を掴んだ。一瞬感じた熱さはすぐに痛みに切り替わったのか、炎剣を掴む俺の左手は感覚がなくなる。
このまま掴んでいれば、炭化させられてしまうだろう。そうなる前に、俺は相手の右腕を切り落とすため、右手に握ったシルバーブレイドを振るった。一応硬化魔法も行使したが、直感があっていたらしく、無効化されている。だが、俺は剣がしなるのも構わず振るい、難なく相手の右腕を切り落とした。
相手が残る片腕で同じ魔法を再度行使する事も考慮したが、右腕を切り落とされた術者は痛みに耐えかね、うずくまっている。
「十六夜!」
「気を付けろ!あの炎も対抗魔法だ!」
達也が何かの意図を以って俺に声をかけるが、俺はその意図が読めないまま、ただ皆に注意を促した。
俺が追加で無力化したのは1人。炙り出されたのは後5人。加えて隠れるのが無駄と判断したのか、自ら出てきたのが4人。彼らが同じ魔法を使えないとする証拠もないので、俺は一旦後退して様子を見る。
「カン!」
やはりと言うべきか、その9人も1人目と同じ一言で、己の右腕を炎剣へと変じさせた。
「うっ……!あれ……、本物の炎なの……?」
「ええ。触れるとこの通り火傷しますから、間違っても近付かないように」
「そ、そんな……っ」
生きたまま人を焼く嫌な臭いに吐き気を催しながら、その光景を幻術のモノと疑う真由美。そんな彼女に、俺は現実と証明できる左腕を見せた。あの炎に触れ、明らかに重度の火傷を負っている俺の左腕に、真由美は現実を直視して息を呑んでいる。
真由美が幻術を疑ってしまうのも仕方ない話だ。たかだか対抗魔法及び近接武器を得るためだけに、彼らは己の右腕を犠牲にしている。真っ当な人間の行動とは思えない。
そんな行動を是とする可能性は2択。魔法またはその他の手段で誰かに操られているか、右腕を犠牲にしても問題ない回復役が居るか。右腕を即時再生できるような魔法師は達也くらいなので、実質前者1択だ。
「達也!こいつらを操ってる奴が居るはずだ!」
「分かっている!」
達也も同じ結論に至っていたようだが、まずはこの9人を片付ける姿勢を取った。何か、多少焦っているような様子である。
達也の機微を推し量っている余裕はあまりない。俺は気にせず、炙り出された5人に駆け出した。性懲りもなく炎剣で対峙してくるが、所詮は近接武器。近接戦闘に長けた伐採系超人たる俺を、そう何度も捉えられるはずもない。
俺は体を捻って1太刀目を回避し、その1太刀目をかました者の顎に右フックを見舞う。それでワンダウン。
背後から2太刀目を狙われるが、身を屈めて回避。ついでに足払いをして横倒しにし、顎を蹴り上げる。これでツーダウン。
片足立ちになったところを狙う3太刀目。俺はシルバーブレイドを手放し、ホルスターに仕舞っていたシルバーアーティラリー・アラヤをトリガー。『マイセルフ・マリオネット』を『セルフ・マリオネット』として行使し、俺の体を無理矢理にでも左へ半回転させる。そうする事で伸びていた左腕が炎剣とかち合い、太刀筋を逸らした。左腕がまた炎に曝された訳だが、もう火傷しているので大丈夫。そうやって足を着くための一拍を稼ぎ、万全の態勢で顎に右フック。敵の顎しか狙ってないがともかく、スリーダウンだ。
(さて、次はっと……。もう居ないみたいだな)
残敵の有無を見やれば、頼もしい事に皆がとっくに倒していた。
炙り出された残り2人は、片足の
自ら出てきた4人は、炭化している右腕が氷漬けにされ、足首を押さえて悶えている。氷漬けは深雪、足首はアキレス腱でも『分解』した達也か。
揃いも揃って、対抗魔法を突破している。相手からしたら悪夢に他ならない。
戦闘は終了した状況で達也を視認できなかったが、なんの事はない。達也は竹林の方から1人引き摺ってきた。そいつが操っていた奴だ。
達也はそいつを道の真ん中に投げ捨てれば、その痛みでそいつは目を覚ました。苦悶の表情を一瞬浮かべたが、腰の辺りに長い針を刺して、息を漏らしている。達也に何処かを『分解』されていて、その痛みを針治療のように抑えたのかもしれない。
だが、痛みを抑えただけで根治はしていないらしい。抵抗する素振りはなく、されど固く口を閉ざして座り込んでいる。
「十六夜、今治す」
そんな敵の事など眼中に入れず、達也は俺の左腕を『再成』しようとした。でも、俺は少し考える。
「いや、達也。まだ良いよ。この火傷は過剰防衛の疑いを晴らすのに好都合だ」
痛覚をオフにしているから痛みなどないし、この傷害は相手に殺意があった証拠となる。警察に通報するとなれば、その証拠は必要だ。すぐに治されてしまっては、わざわざパラサイトの回復力を意図的に抑えていた意味もなくなってしまう。
「え……?十六夜くん……?」
「ん?だって、こいつらは逮捕してもらった方が良いでしょう?このまま何も得られず帰るのは惜しいから、情報の1つくらい吐かせたいですが。人払いは解けてるでしょうから、人が来てしまう。だったら、せめて警察の方で尋問してもらおうかと。ちょっと望み薄ですがね」
真由美が何か呆けているので、俺はしっかり自分の考えを言葉にした。それでも、真由美は顔色が青くなったまま変わらない。他の者も似たり寄ったり。達也なんかは睨んできているが、先程の焦った様子に続き、機微が読めない。
「……警察、通報しちゃって良いんですよね?」
「え、ええ……」
読めないモノを読もうとしても無駄だろうと一旦横に置き、通報の許可を真由美たちから得る。
誰も代わりにやってくれそうにないので、俺が責任を以って警察を呼んだ。十師族絡みの事件へあからさまに辟易とした刑事が来たのだが、俺が左腕の大火傷を見せ付ければ血相変えて真摯に対応してくれたのだ。
ここまでは思惑通りだったが、予想外だったのは親御さんへの連絡、つまり真夜への電話を強制された事である。まぁ、未成年が事件に巻き込まれたのだから、親への連絡は普通の事だろう。
でも、あの真夜への電話だ。どう見積もっても普通にならない。
〈十六夜!?いったい何があったの!?その傷はいったい誰にやられたの!〉
この通りである。盛大に身を案じられた。
結果として、俺は近くの病院に直行。その後、四葉お抱えの医師に診せるため、病院を移すという段取りが組まれる。ちなみに、四葉お抱えの医師に診せるという部分は、達也の『再成』による治療を誤魔化す方便である。
そういう理由もあって、近くの病院に向かう救急車の中、達也だけが付き添いとなった。深雪、真由美、一条の3人は警察の取り調べを受けているので、別に薄情という話ではない。
「十六夜」
「どうした、達也」
達也は担架に横たわる俺へ、急に重苦しい声をかけた。その表情も、怒っているのか、憂いているのか、判然としない。
「二度とそんな事をするな」
「……そんな事って言うのは?」
「己の身を省みないような行為。今回で言うと、その左腕の火傷を正当防衛の証拠に使った事だ」
達也の言葉を少し追求してみて、その禁止事項は明確になった。でも、達也が何故それを禁止にしようとしているのかは、依然不明確だ。
「別に問題ないだろ?俺は痛みを消せるし、この傷も跡さえ残らず消える。なら、俺の負傷に問題は―――」
「ふざけるな!」
俺の発言は、達也の怒声によって遮られた。兄妹愛しか激情が残っていない達也が、あからさまに怒りという激情を露にしている。
まさか怒鳴られるなんて予想もしていなかったため、俺は面食らう。
「痛覚を麻痺できるから、傷がなかった事になるから……そんな理由でお前は進んで傷付いていくつもりか!?」
「え……?」
「良いか、十六夜。確かにその傷は消せる。お前は痛みを感じない!それでも……。お前が傷付いたという事実は、俺の記憶に残るんだぞ!?」
俺には、達也が何を怒っているのか、全く分からなかった。ただ、よろしくない事態となっているのは分かっている。この救急車の中、救急隊員のすぐ傍で、冷静さを失わせなった達也が世間に伏せるべき秘密を口走ってしまうかもしれない。
「分かった、分かったから!己の身を省みないような行為はしない!だから落ち着いてくれ!」
「……本当に分かったんだろうな」
「もちろん。鉄火場に赴く際は、信頼できる人間を連れていく。万が一負傷した場合は、可能な限りすぐに撤退して、お前の助力を請う。それで良いだろ?」
達也よりきつく睨まれながら、俺は必死に弁明した。それから数秒して、やっと達也の睨みから解放される。
「……分かれば良いんだ」
達也は息を漏らすように緊張を解すが、刻まれた眉間の皴は解れていなかった。
まだ何か懸念があるようだが、下手に触れれば油を注ぐ結果となりかねない。だから、俺は何も言えなくなった。
ほんの数秒前と違って、救急車の中は静寂で満たされるのだった。