創価学会からの被害に耐え慈善活動で平和のために戦い抜かれた五井野博士                              
被害ファイル1:一念三千論盗作事件
被害ファイル2:ついに現れた予言の人が!
被害ファイル3:つけまわし・・そして脅し
被害ファイル4:講演会盗聴 内容盗用引用
被害ファイル5:メディア妨害
被害ファイル6:組織ぶち壊し
被害ファイル7:ふるさと村乗っ取り
被害ファイル8:美術展覧会妨害 国内編
被害ファイル9:美術展覧会妨害 海外編
被害ファイル10:出版社乗取り
被害ファイル11:暴力団へ暗殺命令



 
 

五井野 正博士が創価学会から受けた被害ファイル

被害ファイル1:一念三千論盗作事件
 
20代前半の五井野正青年が「一念三千論」の論文を書き上げ
池田大作に提出し、それが、池田大作が書いたと発表されてしまった事件

 

 この五井野博士が20代の前半に、

地球が悪道輪廻を繰り返す突破口となる一念三千論を書きシタタメられ、

創価学会の三代会長池田大作に昭和48年に提出がなされました。

これを見た秋谷栄之助や幹部たちが喜び

創価学会2代会長戸田城聖が目指してきた将来に

この創価学会から予言の人が現れるだろう!

という二代会長の戸田城聖氏の予言どおりの予言の人が

創価学会内部から現れた事態に幹部たちは湧き上がりました。

我々はこの予言の人(待ちに待った久遠の教主)によって救われるのだ!

という期待とこれからいよいよどうなっていくのだろうか!

という期待と輝きに満ちた瞬間が

五井野正青年から幹部たちが受け取った一念三千論に沸き立ちました。

戸田城聖氏が予言したとおりのことが

本当に起こった事を目の当たりにしたことで、

自分たちが信じて歩んできた道はいよいよ間違っていなかった。

そういう手に汗握る瞬間だったのです。

これから五井野正青年をリーダーとして

新組織の舵取りにより釈迦の悲願が叶えられるのだという喜びでした。・・

輝きに満ちた秋谷栄之助ら幹部の輝けるひとときがその時までありました。

そして、

新聞や広報についにあらわれた予言の人がと報じられ大反響となりました。

この反響の大きさに池田大作自分が書いたことにして

予言の人とは自分のことだった聖教新聞で報じ、幹部たちを征し、

池田大作が書いたことにするという偽のストーリー池田大作の命令の下、

作られてしまいました。

それからというもの創価学会からの
五井野正青年

リサイクルや七次元よりの出版やありとあらゆる活動に

妨害を受け始めました。

秋谷栄之助はその後、

五井野博士創栄出版より出版した、法華三部経体系総論を熟読し、

これこそ釈迦3千年のなぞと宇宙を解明した秘宝の秘法である

(宇宙の大イベントである)とこれこそ三大秘法であると大絶賛し、

それを周辺の学会教学幹部クラスにそのことを話し熱弁をふるいました事が

当時教学幹部(創価学会内部仏典研究)の脱会者の証言として、

今も語られています。

このことがこの画伯の書籍に対する秋谷の理解力に対して池田の怒りを買い

池田大作が後に秋谷栄之助を木刀で骨が折れるまで殴り続けるという

池田大作の暴行が秋谷に対して続けられます)

話は元に戻りまして・・・
大反響の当時、そういう流れに乗じて池田大作はまず

五井野博士を取り込み池田を拡大させようと行動にでました。
池田大作
五井野青年に持ちかけた条件は、

もうひとつの(SGIのような)創価学会の別部門を作るから

そこの代表をやってくれ!

そして大きな会館とその組織全部をすべて五井野青年に差し上げるから

この条件下で池田大作創価学会の別組織体の代表としてやってくれ!

という条件が池田大作からの五井野青年に贈られた

池田大作の都合による最高の条件での取引条件というものでした。




これは幹部たちにも期待と喜びの騒ぎになっている最中、

この五井野正博士という人物を池田大作

組織拡大に利用すれば影響は計り知れないと試算し、

池田大作のナンバー2として権限地位をあげるから来てくれ

という条件を池田大作五井野正青年に提示しました。

そんな卑劣な形で池田大作

これまでの戸田城聖などが悲願してきた久遠様の出現を予言をぶっ潰して

五井野正青年を自分の配下におさめてやろうこころみたのでした。

最初は・・地位名誉をすべて与えるというやりかた。
そして、次には・・それでだめだったら・・でどうだ。

というやり方を
とったわけです。

がしかし・・五井野博士に・・2年待ってくれ、動かないでくれ・・

と言う命令を勝手に池田大作からの伝言を押し付けて
それから、
五井野青年に対して
怒涛のストーカー行為から出版妨害から報道妨害など
ありとあらゆる妨害が始まりました。

日本は空き缶公害やゴミや水俣病やヒ素中毒問題や
いろんな環境問題に直面している最中で・・
五井野青年にとって時間が押し迫っているそんな気持で
いっぱいいっぱいの状況下であったと推測されます。・・・
そんな危機感を博士は心に抱いたまま・・2年待ってくれ・・と・・
そういう返事を受け取ることになりました。

2年待つとは、空き缶やゴミや工場の毒の垂れ流しが
毎日毎日汚染を深めていて日本国中がお金お金発展発展と
意識がゴミを育てるようなそんな気持ちが蔓延していた
高度経済成長期の日本では手遅れになるかもしれない。
そんな危機感を感じながら、
2年待てという意味不明の根拠無き命令をしてきたのです、

池田大作のために都合がよい条件をすべてを断った後に、

その直後から付回しや運動の妨害や新聞やテレビ局への圧力をかけはじめ、

五井野博士の論文をそのまま池田大作は自分が書いた

幹部や聖教新聞や学会員に宣伝し、

池田大作一念三千論の論文を書き上げた!

世紀の大発表と一念三千論の講演をして回る。

そして次には五井野博士をこの世から葬ろうと

さらに強行的に五井野博士

世間から知られぬように組織を動員して動き始めたのです。

これが今の今も続けられている

創価学会から五井野博士に続けられている妨害です。


 

これは僕が中学生の頃の昭和52年に

創価学会が主催する教学試験を受けたときの

事前の受験問題集を教学新聞で配布受けたものの復元図です。
池田大作
五井野正青年の論文を

そのまま自分が書いたとして創価学会に配布しました。

それが会員の教学試験の穴埋め問題に使われました。

新聞ではこの一念三千論の論文を池田大作が認められたと発表しました。

20年後に僕は15歳くらいのときに丸暗記していた一念三千論の論文を

五井野正博士ウイッピー文明17号

全く同じだった原文を目の当たりにして、

ショックは走馬灯のように天と地をひっくり返し

僕は思考停止の空白の時間に陥りました。

ショックでした。

池田大作が書いたのではなく、

五井野博士が書いたという事実に直面してしまったからです。
ウイッピー文明17号に掲載された原文は、

実にしっくりと本物の様相に光彩を放っているかのごとくであり、

何の飾り毛もない本物その物でした。
昭和52年に僕が創価学会からは配布を受けた丸暗記の論文は

池田大作が書いたのではなく、五井野正青年が書いたものだったのだと知り

長い間、池田大作にこうまで脳の中に

ひどいコントロールを受けさせられたことに怒りを覚えました。
絶対に池田大作を倒さねばならない!
そう、信念を統一しました。
僕のターゲットたる朝鮮人池田大作に狙いは定まりました。

必ず成就して見せます。


これが提出された原文(ウイッピー文明17号より)

被害ファイル1 : 一念三千論盗作事件