第四十五話 嘘吐きと大嘘吐き
2096年4月5日
「やぁ、よく来てくれた。十六夜君」
大人数が集まるパーティー会場にて、俺は北山潮の歓待を受けていた。潮の方は上機嫌だが、俺は気分が優れない。
「いえ、あの……。雫から家に呼ばれただけなのですが……」
「おや?雫がホームパーティーの事を伝えてなかったのかな?それはすまなかったね」
俺は「話したい事と見せたいモノ」についてだろうと何の警戒もなく雫の家に来たが、何故か招待された覚えのない雫の進級を祝うホームパーティーに参加させられていたのだ。
以前から言っているが、俺は人混みが苦手である。それについて潮も把握していたのだろう。だからあえてホームパーティーの事を伏せて呼び寄せたのだ。「すまなかったね」と言いながら浮かべている笑顔と、俺用に用意されていたスーツが何よりの証拠だった。
「……ホームパーティーなのでしょう?雫と姉妹みたいなほのかさんや親しい友人である深雪と達也、達也たちの親戚である桜井水波さんは百歩譲りますが。『四葉』である俺を招待するのはどうかと」
ホームパーティーと言いながら北山家親類縁者だけではない参加者に目を瞑るとしても、日本魔法師界の恐怖の象徴たる『四葉』、その直系である俺はさすがに場違いである感じが否めない。
「何、君が今何者であるかは問題ではないよ。雫と将来婚姻を結ぶのだからね。実質的にはもう北山の人間だろう?」
浮かべていた笑みに不敵さを混ぜる潮。俺は思わず溜息を吐いてしまう。つまり、俺をホームパーティーに強制参加させたのは、俺と雫の良好な関係を世に知らしめるためだったのだ。手始めに親類縁者から、という事なのだろう。
彼の顔を窺う限り、北山は四葉へのパイプを持っているというアピール、ではなく上記の意図しかないようだ。下心のない思惑なのは有り難いが、俺を苦手な場所に招いたのは有り難くない。
「……水を差すようで悪いのですが。まだ婚姻に関して確約はできませんよ。雫が俺の結婚相手に相応しい優秀さを周知してもらわないと。それまで俺もできる限り俺の婚姻は保留にしますが、それもいつまでできるか……」
四葉直系である俺にはいつか魔法師として優秀な人物が結婚相手として宛がわれるだろう。まだ見合いの話すらないが、そう遠い未来ではないはずだ。
俺としても四葉には優秀な魔法師を迎え入れたいが、数字持ち間による政略結婚まがいの婚姻は、正直夫婦として上手くやっていける自信がない。そういう意味で、純粋な恋心で俺を好いてくれている雫は現状最良なのである。だから俺も応援はしたいのだ。
「なら大丈夫だよ、雫は優秀だからね」
潮は雫の優秀さを微塵も疑っていないようで終始笑顔を崩さない。
「……雫の恋愛、潮さんはお認めになられたのですね」
「ああ、僕は大賛成だとも。何だったら、今からお義父さんと、呼んでも構わないよ?」
「……」
白い歯を覗かせる潮に、俺は苦笑を禁じ得なかった。そういう事を聞きたいのではないのだ。
「何故、僕が『四葉』を認めたか。君が訊きたいのはそれかな?」
「……はい」
潮は俺が聞きたい事を当てる。伊達に日本でも有数の企業を率いる人間ではない。分かっているなら最初から聞かせてほしいが。
「僕と紅音の結婚には、否定の声があったんだ。当時の世間は今以上に魔法師を忌避していたからね。それでも、僕は押し通した。否定の声なんて気にせず、僕は紅音と結婚した。そうして我を通した僕が娘の恋愛を否定するのは、筋が通っていないだろう?」
潮の姿には正しく一本の筋があった。男気、とでも言うべきか、彼の器は広いと感じられた。俺もつい感心してしまう男の姿がそこにある。
それに、彼は誇らしげでもあった。険しい恋路を進む雫を「さすが我が娘!」と自慢したいのかもしれない。
「僕はね、むしろ君の方が認めてくれないんじゃないかと思っていたよ。君は雫に対しても線を引いているようだったからね」
「俺には勿体ないと遠慮していただけですよ」
「はっはっはっ!十六夜君、世辞が上手くなったねぇ。……ああ、今の君になら雫を任せても良いだろう。これから宜しくね」
潮は何かを感じ入り、俺へ手を差し出した。
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします」
俺はその手を握れば、潮は両手で包むように握り返す。
「それでは、僕はこれで。パーティー、楽しんでいってくれ」
「いえ、ですから退出を……。もう人混みに紛れている……」
俺は一応の礼儀として潮に退出する許可を得たかったのだが、すでに潮は人混みの中、金持ちに囲まれていて話しかけられそうにない。
大変困った。再度言うが、俺は人混みが苦手だ。前世から人の視線が苦手だった上に、今は超人、ひいてはパラサイト憑依者。超人技能が人々の気配を明確に感じ取り、パラサイトのプシオン感知が人々のプシオンを感じ取る。この場は多大な精神的圧迫感を与える地獄と化しているのだ。
頭が痛み出した俺は手で頭を押さえつつ、壁に寄りかかる。
「十六夜さん、体調悪い?」
「……雫か。ああ、人混みは、ほんと駄目なんだ……」
俺の体調を気にしてくれた雫に、俺は虚勢を張らず素直に伝える。きっと青いだろう顔では見栄なんて張れない。
「変わってないね」
「……留学生には変わったか訊かれたんだがな」
雫も俺に心境の変化があった事には薄々感付いているのだろう。それが大きな変化をもたらしているか恐れていたのかもしれない。だが、この相変わらず人混みが苦手な俺に安心したようだ。
短い付き合いだった留学生であるリーナからしては、それが大きな変化だったのだろう。比較的長い付き合いの雫からは大差ないらしい。
「そう言えば。留学生と仲良くなってたって、エイミィから」
いらん地雷を踏んでしまったようだ。確かに俺はリーナと仲が良いかのように装った事が多々あるが。
というか、よりにもよってエイミィこと明智英美が密告者なのか。彼女だと話を盛っている可能性がある。下手な訂正は後が怖くなりそうだ。
「雫は、俺とたった三か月しか交流を持たなかった人に負けてしまうのかい?」
なので、俺は逆に訂正しない。あえて焚き付けた。雫もライバルありの方がモチベーションを維持できるだろう。
訂正は、後々リーナにしてもらおう。
「負けない」
「期待してるよ?」
「うん」
雫は俺の思い通りにモチベーションを上げてくれた。これでリーナとの関係については説明しなくて良いだろう。
「それより。退室して良いか?」
俺はいい加減人混みが辛い。
「駄目そう?」
「駄目そう……」
「じゃあ、こっち。ロビーで休んでて」
俺は雫に手を引かれ、パーティー会場を後にする。生暖かい視線を感じたが、体調不良による幻覚だろう。
「はぁー……。幾分かマシになったな」
ロビーの椅子に腰かける事十数分、ようやく俺の頭痛は引いてきた。それでも慣れない場所とあってか、まだ体が重い。
パーティーなどの人が集まる催しは今後も避けたいが、十師族の子息である俺がいつまで避けていられるか。考えるだけで気が滅入ってしまう。
「あの、顔色が優れないようですが」
急に声をかけられ、俺は内心驚きながらも顔を上げる。俺に近付く気配を逃していたとは、やはり本調子ではない。
それで、声の主を視認すれば、綺麗な女性が俺を心配そうに見つめていた。
綺麗と言っても深雪程ではない。初見の俺でも第一印象が綺麗な女性となる程度のモノだ。美容に気を使っているのが見て取れる。
「体調を崩されているのでしょうか」
「ああ、いえ。こういうパーティーは不慣れだったもので、少し気分が悪くなってしまっただけです。ご心配なさらず」
その女性が俺の敵か味方か判別できないので、とりあえず無難な返しをしておく。
「そうでしたか。ご無事なようで何よりです」
微笑んで細める彼女の目の奥に、俺を品定めするような瞳が一瞬見えた。しかし、それは言葉通り一瞬だ。見事に真意を隠し、人畜無害な一般人を演じている。素晴らしい役者ぶりだ。
その素晴らしい役者ぶりのおかげで俺はこの女性が誰か思い出せた。
「不慣れな場所で気分を悪くしてしまうのはよく分かります。私も演じた事のない役を任せられてしまった時は心配や不安で気分が悪くなってしまいますので」
「役、と言いますと役者の方でしょうか」
「ええ。有名なのですと、『真夏の流氷』で主演を務めさせていただきました。あ、そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。失礼しました。私は小和村真紀と言います」
会話の自然な流れに従っていた俺は小和村に誘導されていたと気付いた。この会話の流れだと俺も名乗らねば失礼になる。彼女は自然に俺の名前を聞き出す流れを作っていたのだ。
「なるほど、名前に聞き覚えはありますが。申し訳ない、俳優には疎いものでして。それで、えーと……。お、俺は十六夜。四葉十六夜です」
演技もさる事ながら、誘導も中々見事だったので、俺はおひねりの代わりとして彼女の演技に付き合う。俺が演じる役は、『四葉』の名を嫌う気弱な少年である。
「よ、四葉、ですか……?もしかしてあの四葉の?」
小和村は『四葉』の名に怯えて半歩引きながら、信じられないと言うように本物の四葉か確認する。四葉を恐れる一般人を彼女は的確に演じていた。
「はい、十師族の四葉で間違いありません……。俺は、十師族、四葉の直系です。だから、貴女も俺に関わらない方が良いですよ……?」
俺は項垂れて顔を逸らし、両手でスラックスにしわが付くのも気に留めず握り込む。第一高入学時の自身を想起しつつ、当時の憂う姿を誇張した。
実際、あの頃は友達などできないものと思っていた。どうやって達也一団に関われば良いのかと、頭を悩ませたものだ。全くの杞憂で終わったが、俺の中に孤独を憂う気持ちがあったのは確かだ。俺の中にあった気持ちであるならば、他人を騙せる程真に迫れるかはさておいて、それを演じるのは難しい事ではない。
「貴方は、自身に嘘を吐いておられるのですね」
優し気な声音を発すると共に、小和村は手を重ねてくる。俺は罠が成功した歓喜で笑い出さないように、歯を食いしばると同時に顔を顰めた。泣きそうな顔に見える事を祈りながら、彼女と目を合わせる。
「なんの、つもりですか……」
「本当は寂しいのでしょう?独りが嫌で、友達が欲しくて。だから、慣れないパーティーに参加してでも、雫さんと友達であるように振る舞いたかった。そうしないと、自身が孤独である事を思い出してしまうから」
「……っ!貴女にっ、何が分かるんだ!」
心を読んだ気になっているだろう小和村の手を振り払い、さも図星を突かれて取り乱したような少年を演じる。
「四葉でも、十師族でもない貴女に、俺の気持ちが分かってたまるか!」
「貴方と比べれば、私の辛さなんてちっぽけでしょうけど……」
癇癪でも起こしたように怒鳴る俺の手を、小和村は両手で包み込む。
「私は、貴方の辛さが理解できます」
「う、嘘だ……。どうせ、貴女も四葉直系に言い寄る一人なんだ……」
辛抱強く演技を続ける小和村。ちょっと面白くなってきたので俺もそのまま演技を続けた。
緩慢に首を振り、信じたいけど信じられない少年の様子を取り繕う。
「……私も、周りは敵だらけでした。誰もが、私を食い物しようとしていたんです」
小和村は嫌な事でも思い起こすように目を伏せる。どうやら言葉に説得力を持たせる演説をしてくれるらしい。
「駆け出しの時から、私にやっかみを言う人が居ました。私は大企業社長の娘ですから、親の七光りとか、金持ちの道楽とか。そういう私の夢を貶す人たちが居たんです。でも、私は夢を諦められず、努力しました。反発心もあったのかもしれませんが、私は挫けませんでした」
小和村は滔々と語っていく。おそらく、全てが嘘ではないのだろう。大企業社長の娘、というのは事実だっただろう。もしかしたら、やっかみを言われたのも事実かもしれない。
嘘の中に真実を混ぜる。そうして全てを真実と思い込ませる。詐欺師の手法だ、俺にも多少だが心得はある。
最早話半分で聞いているが、どんな手口で誘ってくるのか興味が湧いていた。俺は彼女の演説を静聴する。
「それで努力が報われて、今では主演を務めさせてもらえる程に認められました。ですが、敵は減りませんでした。目に見える敵は減ったのでしょうが、敵意を隠す者は増えました。陰口を似た者同士で吹聴し合うのはまだ良心的です。中には、事実無根の悪評を流す者も居ました。ですが、それもまだ道徳的だったと思います」
小和村は声のトーンを落とす。ここからが山場だと、良い演出をする。
「悪質な要求をする監督、法を犯しているような営業を強要するプロデューサー。女優の誇りすら、人道的な扱いすら投げ捨てられたような、悪夢を目にしました。そのせいで、私に近寄る人の手がヘドロのように感じて。誰も信じられない、誰もかも私の敵だと、ノイローゼに陥った事もありました」
小和村は抑揚が実に上手く、しみじみと聞き入るのは演技でするまでもなかった。俺は内心で語り部を勧めたくなる。
「ノイローゼは治りましたが、今でも周りが怖くて……。敵を作らないように、作らないようにと、八方美人を演じています」
「そうですよ……。周りは敵だらけで、嫌われないように良い顔をして、愛嬌を振りまくしかないんですよ……」
疲れたような笑みを浮かべる小和村。それが演説の締め括りだろう。俺はその演説の先を促すべく、同意しながらも泣きそうな顔で彼女を睨んだ。
「ですが。私たちなら、分かち合えると思いませんか?」
「分かち、合う……?」
「同じ傷を持つ私たちなら、分かち合えます。きっと」
小和村は暖かみを滲ませ、俺の手を包む両手に力を込めた。
「分かち合って、良いんですか……?この辛さを、他人に背負わせて、良いんですか……っ」
「良いんです。貴方は、私に背負わせて良いんです。一緒に、背負っていきましょう?」
「く……っ」
俺は下を向いて必死に堪える。
「く、ふふ……。ふははははは!」
しかし、堪えきれず、ついに笑い出してしまった。
「あ、貴方、まさか……!」
「いやいや失敬。俺の演技力も案外馬鹿にできないものだと、ついつい笑ってしまいました」
「演技だったのね!このパーティーにも私を嵌めるために……」
もう隠せるものでもないので、演技を終わりにして嘲笑する。小和村は俺の手を振り解くが、これもおひねりという事で放してやった。超人が本気で掴んでいれば魔法師でもない彼女は逃れられないだろう。
「いえ、それは偶然ですので。俺から話しかけるつもりもなかったのですが、貴女の方から来ましたからね」
「それで、私をどうするつもり」
俺が本性を曝け出せば、小和村も仮面を脱いでこちらを警戒した。その首筋には冷や汗が一筋伝っている。危機感はしっかり抱いているようだ。
「どうもしませんが?」
「……どういう事」
「魔法師を利用しようという人間は、それこそ掃いて捨てる程居ます。貴女のような小悪党に構っている暇は、あいにく四葉にもないのですよ」
身構え続ける小和村が可哀想なので、俺は事情を説明する。
実際に魔法師を利用しようとする人間がそんなに多いかは俺の与り知るところではなく、彼女が実際に小悪党なのかもまた同じだ。
だが、結局彼女は俺の原作知識にある限り処分されていない。それは四葉に対して直接的な害を及ぼさないという事であり、日本魔法師界に害はないという事である。だから、真夜は手を下さなかったし、四葉のスポンサーは処分を命じなかった。
つまり、やはり小和村はその程度という事だ。
「見逃してくれるのかしら」
「そもそも見咎めていないので。四葉の存続に関わらない限りはご自由に」
小和村が緊迫しているのに対し、俺は頬杖までついて余裕に応対する。
「個人的に、貴女の展望について関心はありますがね」
俺は関心、というより万が一のために彼女の目的を知っておきたかった。原作において、彼女の目的は具体的に描写されていないのである。もし真夜たちが見落としていて、実は危険な思惑だったら目も当てられない。
と言っても、魔法師とはいえ高校生を誑かしているだけだ。戦力を得たいという訳ではないのだろう。将来性を買うにしたって、高校生では悠長が過ぎる。
「それなら。今度ゆっくり、お聞かせしましょうか?」
「お断りですよ。言ったでしょう、構っている暇はないと」
小和村はここぞとばかりに蠱惑的なお誘いをしてくるので、俺は素っ気なく断った。彼女の目的は獅子身中の虫になってまで訊きたいものでもない。彼女は戦力を持っていないのだから、危険な思惑と判別できた時に捻り潰せば良い。
「あら、残念ね」
「俺の気が変わらない内に、何処へなりと行ったらどうです?」
相手にしていないと示した瞬間にこのふてぶてしさである。俺は興味関心が失せているのを表すために目も向けない。
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
小和村はスカートを摘まむような芝居がかった一礼をし、やっとパーティー会場へと踵を返した。
「あっと、一つ伝え忘れていました」
「……何ですか?」
これまた芝居がかったように振り返る小和村に、俺は面倒くさいが、耳を傾ける。
「私は自身に嘘を吐く質ですのでよく虚言を吐いてしまいますが。それでも、最初の言葉は本心から差し上げました」
「最初の言葉?」
最初の言葉と言われても、小和村との会話は無駄に長引いた。彼女がどれを指しているのか、無駄に分かりづらい。
「「貴方は、自身に嘘を吐いておられるのですね」。それでは、御免あそばせ」
満足したように、小和村は今度こそパーティー会場へ戻っていった。
「何かと思えば。そんな事か」
小和村の背中を見送った後、俺は拍子抜けして鼻で笑った。
「俺が自身に嘘を吐いているだって?そりゃそうだろ、他人を騙すならまず自分からだ」
他人に嘘を暴かれないようにするためには、自身が嘘を吐いている気配を消さなければならない。手っ取り早いのが、自身は嘘を吐いていないと自己暗示をかける事。だから、俺は嘘を吐く時にだいたい吐く言葉が嘘ではないと思い込むようにしている。時折自己弁護を挿むのはそれだ。
「嘘を吐きすぎて本当の自身を見失う、そんな馬鹿はしないさ」
事、虚言には自信があった。何故なら、前世は騙し通せたからだ。
「俺は、秘密を一度墓まで持ってったんだからね」
自己嫌悪を誰にも悟らせる事なく、俺は人生を終えた。知人を、友達を、家族を、俺は騙しおおせたのである。
「全く以ってくだらない仕返しだよ、小和村真紀。子供なら手玉に取れると思ったのかい?ああ、全く以って見当違いさ」
随分となめられた気がするが、そんな気がしても怒りが湧かない程には愉快だった。賢者を気取っている奴の勘違いは実に滑稽だ。故に、俺はその出来の良い喜劇に免じて小和村を許した。
そんな喜劇に笑い声を潜める俺へ、数名分の気配が寄ってくる。俺は笑みを消しつつ、その者たちを出迎えようとそちらに視線を移した。
「十六夜様、体のお加減は如何でしょうか」
「気分が悪そうだって聞いたわよ?」
心配を言葉にするのが水波と深雪。同行している達也も言葉にはしないが視線で俺の体調を観察している。『エレメンタル・サイト』まで使ってはいないか、薄ら寒い事だ。
ちなみに、水波は深雪のガーディアンとなったのだが、俺の使用人ではないというのに、俺の呼称を「十六夜様」に固定している。四葉家直系に不遜がない態度をとるため、そうしているのだとか。対外的には、四葉直系を必要以上に怖がっているからそう呼んでいるという設定だ。もし四葉の従者と露呈しても、非公式戦略魔法師である達也の監視に彼のメイドをさせている、という事にするつもりである。
「ああ、人混みはやっぱり駄目でね。でも大分休んだから調子は戻っているよ」
「そう、ただの持病だったみたいで良かったわ」
「持病って……。まぁ、そう変わりない、のかな?」
「回復なされたようで何よりです」
「ああ、心配かけたね」
深雪と水波はそれぞれ安堵したようだ。扱いに差があるのは、親密度によるものか。深雪からぞんざいな扱いされているのはそれ程親しいからだと思いたい。
「十六夜。小和村真紀が長くパーティー会場から離れていたが」
「彼女なら俺のところに来ていたよ」
「やはりか」
達也は目付きを鋭くする。小和村は達也と接触してから俺にも接触しに来たのだろう。それで達也に目を付けられてしまった訳だ。達也と俺の事をまだ学生と侮っているのか、随分と勇気のあるものだ。
「狙いは若い魔法師を引き込む事だろうけど。そんなに目を光らせる必要はないんじゃないかな?彼女は小悪党がせいぜいだよ」
「そこまで危険ではないと?」
「彼女自体は、あまり危険じゃないね」
「「彼女自身は」?」
達也はわざと強調した俺の言葉を拾い上げる。会話がスムーズで有り難い。
「立ち回りが危ういように感じられたよ。それこそ、俺や達也にまで節操なく声をかけてるんだから」
「悪目立ちしているのか」
「視野が広い人には分かりやすいだろうね」
活動が活発であればその分だけ動きが察知されやすい。それは俺も達也も理解するところだ。四葉直系である俺と最近噂の魔工師である達也、その二人をパーティー会場なんてどこに耳があってもおかしくない場所で誘ったのである。人の口に戸は立てられないのだから、小和村の動きは簡単に調べが付く。
「彼女の行動が反魔法師勢力の視界さえ邪魔しなければ良いんだけど」
「彼女が反魔法師勢力の餌食に?」
「なるかもしれない。でも、俺たちとは関係ないさ。勝手に自爆するだけなんだから」
「それもそうだな」
自身たちが無関係となれば、達也は小和村への注意を止めてしまう。さすがに不注意は困ってしまうので矯正を試みよう。
「だけど。さっきも言ったが節操なく声をかけているから、もう彼女の駒になっている奴も居るかもしれない」
「第一高校の中にも、か」
「無きにしも非ずだ。下手な事はしてこないだろうけど、その点だけは注意しておこう」
「分かった。留意しよう」
達也は丁度良い注意度に落ち着いたようなので、小和村に関する議題はここまでとする。
「さて。パーティー、どうしようかな……」
パーティーのマナーとしては、ロビーにずっと待機なんてあまり宜しい行動ではない。だからと言って、好き好んで戻りたくはないのだが。
「青い顔で居続けるよりは、ここで休んだままで良いんじゃないかしら」
「そういうものかい?」
「無理されても周りの迷惑だろう。大人しく休んでいた方が良い」
「十六夜様が体調を崩されるよりは良いかと。まずはご自身の体を優先してください」
深雪と達也、水波まで揃って待機を促してくる。パーティーのマナー云々より、俺に対する気遣いが大半を占めているようだった。
「そうか。なら、そうさせてもらおうかな」
大衆より彼女らを尊重するべく、俺は彼女らの優しさを受け取った。
四葉十六夜の見合い話:世にその存在が公表されてまだ一年。その実力は九校戦や横浜事変で見せていても、人となりについて広く知られてはいない。そのため、見合い話について周りは様子見している。真夜が握りつぶしている事実はない。ないったらない。
北山潮の決心:娘の恋愛を邪魔すまいと、応援したいと、そういう気持ちは元からあった。それでも、『四葉』に任せて良いのか、という心配も確かにあったのだ。十六夜個人から、危うさ、気弱さが窺えていたためであり、その『四葉』の後ろ暗い噂のせいである。だから、改めて見定めるために十六夜を呼び寄せた。彼から危うさや気弱さが消えているのを見て、雫への応援を改めて決心したのだった。その危うさや気弱さが、ただ仮面に包まれただけとも知らず。
小和村真紀:十六夜に対して少ない情報から受けた印象は、四葉の名前を必死に背負っている気弱な少年、というモノだった。だから、その気弱さを暴けば容易く手籠めにできると錯覚していた訳だが、見ての通り轟沈。しかし、四葉から敵視されていないという情報は彼女にとって福音でもあった。今後、手痛いしっぺ返しがない限りは自身の思惑を突き進めるだろう。
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