独りじゃない
楽しい誕生会が終わってリンが家に戻ってきた時には、すっかり夜も更けていた。
遅くなって心配させてしまったかもしれないと思いつつ家に入ったが、人の気配は無かった。
アーロンもローラも居ないらしい。
今日はローラの家で二人で過ごしているのかもしれない。そう思ってふと覗いた炊事場には野菜が転がっていた。料理途中のまま、放置されている。
リンはそれを見詰めながら、不思議そうに目を瞬いた。
その頃、アーロンは王都の酒場に居た。久し振りの酒は、予想通り、全然美味しくはなかった。弱くなっているのか、廻るのも早い。
ぼぉっとする頭でカウンターに顔を伏せた。
「お客さん、ほどほどにね」
主人に声をかけられて、アーロンは苦笑した。
「止めたら、商売にならないじゃん…」
「お酒はほどほどがいいんだよ。お金の使い道は他にいろいろある」
穏やかに諭す主人の言葉に、アーロンは「そう…?」と呟いた。
「これが一番、俺には合ってると思うよ…」
◆
夜中になってもアーロンは帰って来なかった。リンは心配で眠れず、用も無く起きていた。
今までアーロンが、リンに何も言わずに帰らないことなんてなかった。何かあったのかもしれないと思うと、どうしようもなく不安になる。
居間の長椅子に座って本を開いてはいるけれど、内容は全く頭に入らなかった。
不意に家の鍵が開けられる音で、リンはハッとしたように顔を上げた。慌てて迎えに出ると、ドアを開けて入って来たのは、やはりアーロンだった。
「アーロン…!」
安堵とともに呼びかけたが、アーロンは応えなかった。少しよろけて壁に手を突く。
無表情の目が、リンを映して止まった。いつもと違う彼の瞳に、リンの顔から笑みが消える。
「……なんで、起きてんの」
アーロンはそう呟くと、振り捨てるように靴をぬいで部屋に上がった。
横を通り過ぎる彼の体から、お酒の匂いが漂ってくる。リンは慌ててアーロンの背中を追った。
「アーロン、どうしたの…?」
「別に」
即座にそう返す。まるで跳ね付けるように。そして真っ直ぐ自分の部屋へと向かおうとする。
リンはとっさにその腕を掴んで引き止めた。
「ねぇ、どうしたの??!!」
その手が荒っぽく振り払われた。
「――うるさいな!!」
突然声を荒げたアーロンに、リンはビクリと体を震わせた。同時にアーロンの足も止まる。
束の間、二人の間の時が止まった。
不意にゆっくりと、アーロンが振り返った。その目がリンを映して止まる。リンは目を見開いて立ち尽くしていた。真っ赤に充血した目が、その衝撃を物語っていた。
「あ…」
冷水を浴びせられたように、一気に酔いが醒めた。
リンはくるりと背を向けると、自分の部屋へと走って行った。バタンとドアが閉ざされる。リンが消えたドアを、アーロンはしばらくただ茫然と見詰めていた。
今は何時なのだろうか。冷静になった頭が問いかける。夜中のはずだった。それなのに、自分を待っていたんだ。――1人の部屋で。
アーロンはふらりと一歩踏み出した。
やっと動き出した足で、ゆっくりとリンの部屋へ向かう。そしてそのドアの前に立った。開けようとして、手を止めた。代わりに拳で、ドアを軽く叩く。
「…リン」
ドアの向こうへ呼びかけたが、中から返事はなかった。激しい自責の念が、自分を苛む。
「リン、ごめん…」
情けなくて、苦しくて、アーロンはドアに額を預けた。そして目を閉じる。
「ごめん…開けて……」
目を閉じたまま、アーロンはしばらく待っていた。
やがてカチリとノブが廻る音が耳に届く。ハッとして顔を上げると、ゆっくりとドアが開かれた。
中から、目を真っ赤にしたリンが顔を出す。
そんな顔をさせたのは自分なのだと思うと堪らなくて、アーロンはリンと向き合うと、そっとその場に膝をついた。
床の上に正座をし、深く項垂れた。
「……ごめんなさい」
立っていたリンが、不意にアーロンの目の前に同じように座った。そしてアーロンと向き合う。
アーロンは頭を垂れたまま、顔を上げない。癖のある赤毛が、彼の顔を隠していた。
あまりに力無い、そんなアーロンの姿を、今まで見たことは無かった。
「…どうしたの…?」
振りはらわれたショックも忘れ、改めてリンは問いかけた。少しの間をおいて、アーロンが口を開く。
「……振られました」
想像もしなかった言葉に、リンは目を見開いた。言葉を失くして固まる。
アーロンは顔を伏せたまま自嘲的な笑みを洩らした。
「振られて…やけ酒飲んで…八つ当たりしました…」
また僅かに沈黙して、小さな声が続く。
「ごめんなさい…」
謝罪の声に、リンの胸が痛いほどに苦しくなる。アーロンの感じている痛みが、まるで自分に流れ込んでくるかのように。
「いいよ…」
思わず言っていた。
「八つ当たり、してもいいよ」
アーロンは何も言わなかった。
2人の間には、長い沈黙が流れた。動かないアーロンの前で、リンもただ座っていた。かける言葉など、何ひとつ見付からなかった。
「他に、好きな奴、いるんだって…」
不意にアーロンが言った。リンの目が見開かれる。それでも何か言う事も出来ず、膝の上で両手を握りしめた。
「それは、いいんだよ、それはさ。でも、最後にさ…”入学金は返すから”って言われてさ…」
リンは思わず息を呑む。アーロンはまたぎこちない笑みを洩らした。
「断われなかっただけなんだよ。結局」
小さく、ぽつりと呟く。
「俺が、あの子の弱いところにつけこんで、断われなくしてただけだったんだ…」
苦笑混じりのアーロンの声が哀しくて、リンの目には涙が浮かぶ。声が出せない代わりに、ふるふると首を横に振った。
顔を伏せたままのアーロンの膝に、雫が落ちた。
それを見ながらリンの頬にも、涙が伝う。
「でもさ…リン、違うんだよ…」
アーロンが苦しげに言った。震えながら、まるで絞り出すように。
「俺、そんなつもりじゃなかった…!そんなつもりじゃなかったんだよ…!」
「――知ってるよぉ!!」
とっさに出た声は、悲鳴のように響いた。
堪え切れず、リンはアーロンの体を抱きしめた。その目からいくつも涙が零れ出す。
リンの肩に顔を埋めたアーロンが、泣いている声が耳元で聞こえる。リンは小さく震えるアーロンの体を抱きしめながら、その赤い髪を撫でた。
かつてゴンドールで独りぼっちになった自分に、彼がそうしてくれたように。
「知ってるよ…アーロン…」
震える声でそう伝える。もっと何かを言いたいのに、とても言葉にならない。
どうしようもなく、涙が溢れてくるから。
どれだけの時間、そうしていたのか分からない。やがて2人の涙が落ち着いて、部屋には静寂が戻った。
けれども離れられず、リンはアーロンを抱きしめたまま目を閉じていた。
やがてその体をアーロンもそっと抱き返す。
「リン…」
アーロンが囁いた。
「なに…?」
リンが応える。アーロンがふっと笑った。
「お前は、誰にも嫁にやらない」
消え入りそうな声で、そう囁く。リンはその言葉に「うん、いかない」と応えた。
「……嘘だよ」
「いかないもん」
リンは繰り返して、またぎゅっとアーロンを抱きしめる腕に力をこめた。
抱き合った2人は、そのまましばらく離れなかった。
◆
翌日も仕事だった。
アーロンは酔いの醒めない頭に悩まされつつ、いつものように城に向かった。
”もう仕事なんてどうでもいい”と昨夜は思っていたはずだった。けれども不思議なことに、今朝はまた仕事に行こうと思えた。
自分は1人じゃない。それを嫌というほど実感する。
恋人を失ったのに、そんな風に思える今を幸せに思った。
アーロンの中で、リンの存在が誰よりも大きくなっている。自然とそう感じていた。
城でキースに会っても、不思議な程冷静だった。
かつてミーナに振られた時には喧嘩を売りに行ったんだと思い出して苦笑する。あの頃は、ただキースに対して腹を立てていた。家柄に恵まれ、容姿に恵まれ、地位に恵まれ、ただそれだけのくせにと、そう思っていた。
けれども今、自分と同じ地位でも結果は変わらない。
今なら分かる。目の前の男が持っているものが何なのかが。
自分を見るアーロンの視線に居心地の悪さを感じたらしい。キースは眉をひそめて「なんだよ」と問いかける。
アーロンはふっと苦笑を洩らすと、「なんでもない」と返した。
◆
その日の夜、キースはいつも通り夕食を食べるために食堂に行った。そこに居た自分の隊の兵士が「あ!隊長!」と片手を上げた。
何人かで集まって、食事をしているようだった。
「よかったら、ここ、どうぞ!」
屈託の無い誘いを素直に受け、キースは彼等のもとへ歩いた。
「隊長って、恋人いないんですか??」
誰かの問いに、隊員達の視線がキースに集中した。興味津々の彼等に、キースはあっさり「居ない」と返す。
隊員達は「えーー!!!」と驚きの声を上げた。
「なんで作らないんですか!」
「何故作る必要がある?」
逆に問いかけると、「おぉー」と意味の分からない歓声が上がる。
「――キース様」
不意に声をかけられ、キースは顔を上げた。目の前に座る兵士の後ろに、ローラが立っていた。
背後に立たれた兵士が不思議そうに振り返る。そんな彼に構う様子は無く、ローラは真っ直ぐキースだけを見つめていた。
その真剣な目に圧され、その場が静まりかえる。
「…なに?」
キースの問いかけに、ローラはしばらく何も言わなかった。周りの兵士達が緊張した面持ちで彼女を見守る。
ただならぬ雰囲気が彼等にも伝わっているようだった。
ローラは一旦目を閉じて軽く息を吸うと、改めて口を開いた。
「――好きです!」
「えぇぇぇ!!!???」
声をあげたのは周りの兵士達だった。つい先日彼女がアーロンの恋人であると認識したばかりなので、無理も無い反応だった。
キースの落ち着いた青い瞳が、ローラを映す。
ローラはまるで睨み据えるように、キースを見返していた。
「悪いけど」
キースがおもむろに口を開いた。
「きみに興味ない」
「――知ってます!」
即座にローラが言った。周りの兵士達は全員硬直している。
「それでも、好きです!覚えておいてください!!!」
愛の告白というより、宣戦布告のような勢いでそう言うと、ローラはまたキースを見据えたまま口を閉ざした。
兵士達はローラとキース、交互に忙しく目を動かしている。
「…分かった」
とりあえずそう言ったキースの言葉に納得したのか、ローラは「失礼します」と頭を下げると背を向けて去っていった。
キースは周りの兵士達の注目を浴びながら、やれやれと疲れたようなため息を洩らした。