対決
翌日、リンティア姫の部屋をいつものようにミーナが掃除していた。少し動いては止まってぼんやりする。そして1人で笑みを漏らす。傍から見ていたら何か悪いものを食べたのだろうかと思われそうな状態で、なかなか仕事もはかどらない。
「ミーナ」
「は、はいぃ!!」
背後から声をかけられ、我に返ったミーナは慌てて振り返った。そこには彼女が仕えるリンティア姫が小首を傾げて立っていた。今日は瞳の色に合う、若草色の可愛らしいドレスに身を包み、金色の長い髪は左右に分けて結われている。そうしていると、やはりまだ幼い少女だと感じる。
「昨日、あれからどうだった?」
ミーナの様子で何かを期待しているのか、興味深そうに目を輝かせて問いかけた。たかが侍女の色恋に、そんな風に興味を寄せる王女というのも変わっていて面白い。
「あ、あれから…えっと…」
答えに迷いつつもミーナの脳裏にはまた昨日の夢のような時間が甦る。知らず頬が上気した。
「お食事の約束とかしたの??」
リンティアが重ねて問いかける。そういう発想はやはり少女のものだ。”お食事というか、食べられました”とは流石に言えず、ミーナは曖昧に微笑んだ。そんな彼女の反応を良いように解釈し、リンティアは歓喜の声を上げた。
「すごい、頑張ってね!また2人の時間、作ってあげるからね!」
「有難うございます。是非、お願いします」
興奮気味のリンティアにミーナは素直にそう言うと「あ、そろそろお昼ですね。お食事取って参りますね!」と言って足取り軽くリンティアの部屋を出て行った。
◆
「――ミーナ!」
中庭に面した廊下を歩きながら厨房へ向かっている途中、ミーナは自分を呼ぶ声に足を止めた。声の主を確かめ、内心で”あっちゃぁ…”と呟く。彼女は呼んだのは一応まだ恋人である赤毛の兵士だった。
彼はミーナの姿を認め、笑顔でこちらへ駆けてくる。そして彼女の側で足を止めた。
「訓練中じゃないの?」
そう聞いたミーナにアーロンは「昼の休憩中」と答えた。そして申し訳なさそうに眉を下げる。
「昨日はごめん。来てくれたってカッシュから聞いてさ…」
ミーナは「あぁ…うん…」と曖昧に応える。
「何か、用事があった…?」
自分の顔色を伺うように気遣いながらアーロンが問いかける。そんな彼を見ていると、どうしてもキースとの違いを感じてしまう。上手にスマートに、そして少し強引に、自分をリードしてくれた彼。同じ歳のはずなのに、何だろうこの違いは。
「うん…。なんかこんな慌しく話すのもどうかと思うんだけど…」
ミーナ少し間を置いて言葉を探したが、結局回りくどい説明はいらないと判断し、思い切ったように口を開いた。
「他に好きな人ができちゃったの。ごめんなさいっ!」
そう言ってペコリと頭を下げた。しばらくそのまま動かずアーロンの言葉を待ったが、何の反応も無い。ミーナはゆっくり顔を上げ、アーロンの顔を伺った。当のアーロンは目を見張り、完全に固まっていた。
「…アーロン?」
小首を傾げつつ呼びかける。それでやっと我に返ったのか、アーロンは声を取り戻した。
「あ、そう…」
そう言うのが精一杯らしい。それっきりまた沈黙する。その茶色い瞳はただじっとミーナを見詰めている。
「ごめんね…」
ミーナは上目遣いに謝ってみた。
本当は前々からアーロン相手にあまり盛り上がれない自分を感じていた。アーロンの強い想いを感じれば感じるほど、冷めていく自分を自覚する。それでも騙し騙し今まで続けてきた。
本音は指輪をもらって別れたかったが、まさか憧れのキースと結ばれる日が来るなんて夢にも思っていなかったし、彼との未来のためにも早めに過去は清算しなくてはならない。キースのためなら指輪も諦められると思っていた。
2人の間に気まずい沈黙が流れる。そろそろ逃げちゃおうかなとミーナが思った時、不意にアーロンが「誰…?」と問いかけた。
「え?」
「好きな奴って…」
やはりそれは気になるらしい。キースに断りも無く伝えていいかは悩むところだが、どうせいつかは知れてしまう事だ。
「近衛騎士隊の…キース・クレイド様…」
その名前に、アーロンは一瞬目を閉じた。そしてまたゆっくりと開く。
「金髪のね…」
「うん…」
接点など無いはずなのに彼もキースを知っているらしい。やはり凄い人だと改めて惚れ直してしまう。
「ただの憧れのつもりだったんだけど、最近お話できるようになって…それで…」
言いながらまた昨日の甘いひと時を思い出して、意識が夢の世界へ羽ばたきそうになる。アーロンはそんなミーナをただ黙って見ていたが、やがてふと目を伏せた。
「分かった…」
言いながら一歩退がる。
「今まで有難うね」
アーロンはその言葉には応えずミーナに背を向けると、もと来た道を走り去って行った。
◆
昼の休憩時間はまだしばらくある。けれどもアーロンは食事を摂る気にはなれなかった。ただなんとなく1人裏庭を歩いた。
言葉にならない想いが渦巻く。自分を襲うどうしようもない苦しみと虚しさは、ミーナを失ったせいばかりではない気がした。
相手の名など、聞かなければよかった。
キース・クレイド。
貴族であり、騎士であり、そして近衛騎士隊の隊員であり、加えて誰もが羨む美貌。恵まれた家系、恵まれた地位。そんな物に嫉妬などしたくはない。そんな物を欲しがる自分にはなりたくない。それなのに…。
アーロンは大木の下で足を止めると、それに寄り掛かるようにして座った。広い裏庭はどこまでも続き、遠くで騎士達が稽古をしている。アーロンはそんな光景を、見るとはなしに見ていた。
ふと視線の先に居る金髪の騎士に気が付く。どうやらそこで稽古をしているのは近衛騎士隊らしい。なんというタイミングだろう。わざわざ見たくもないものを見に来てしまった。アーロンは思わず苦笑した。
遠目にも、彼の金髪はひときわ目立って輝いて見える。片手に握られている剣も、立派な物だ。高いんだろうな、と思った。
―――お前には、金貨2枚なんて朝飯前なんだろうな…。
アーロンは自嘲的な笑みとともに目を閉じた。よく考えたら、指輪はすっかり無駄になった。しかも意味も無くゴンドールに行く約束だけしてしまった。とんだ笑い話だ。アーロンは目を開けると、その場から立ち上がった。そして遠くの近衛騎士隊の方へと向かい、ゆっくりと歩き出した。
キースは近衛騎士隊の仲間であるクレオを相手に剣の稽古をしていた。
クレオはキースの2歳年上の先輩騎士である。癖の無いブラウンヘアは上品に切り揃えられている。騎士として入隊した当時は剣を教えて貰う立場だったが、いつの間にか剣の腕ではキースに敵わなくなっている。今日もクレオはキースに押され気味だった。
不意にクレオの目に、こちらに歩いてくる赤毛の男の姿が見えた。格好からすると、兵士らしい。クレオが動きを止めて遠くを見遣るのに合わせ、キースも自然に手を止め彼の視線を追った。
赤毛の兵士は真っ直ぐキースのもとへとやって来た。そして彼の前で足を止める。キースとクレオは怪訝な表情を浮かべ、目の前の兵士を見ていた。
「キース・クレイド」
男が言った。見も知らぬ男に名を呼ばれた事に驚きつつ、キースは「なんだ?」と返す。
「一度…俺と手合わせしてくれない?」
赤毛の男の言葉にキースは目を丸くした。隣のクレオも呆気にとられている。周りで稽古をしていた騎士達も、突然の兵士の登場に気付き、1人また1人と動きを止め、不思議そうに見物を始める。
キースは軽く周囲を見廻すと、また赤毛の男に目を向けた。
「悪いが、稽古中だ」
「兵士相手じゃ稽古にならないのか?」
挑むように問いかけてくる。その鋭い目には憎しみすら感じられる。
隣のクレオは仲裁する様子も無く、むしろ楽しそうに笑みを浮かべながら事の成り行きを見守っていた。周りの騎士達も同様である。騎士隊長が居れば当然止めに入ってくれるだろうが、今は不在だった。
キースはため息を漏らし、改めて赤毛の男と向き直る。
「お前、剣を持ってないじゃないか」
赤毛の男は丸腰である。剣の稽古をしている所に手ぶらできて”手合わせしろ”もなにもない。
「剣はいらない。いいよ、お前は使っても。騎士様は剣が無いと闘えないもんな」
男のあからさまな挑発にクレオが「おぉ~!」と愉快そうな声を上げた。
キースの青い瞳に鋭い光が宿る。キースは腰に着けていた剣を鞘ごと外すと、それをクレオに渡した。
「すみません、預かって下さい」
クレオはにやにや笑みを浮かべながら受け取る。そして身に纏っていた簡単な防具も、一つ一つ取り外す。周りの騎士達はすっかり稽古を中断し、目の前で起こっている楽しい事件の見物に興じていた。
やがてキースも赤毛の兵士と同じように完全な丸腰になった。そして兵士の前に立つ。
「お前、名前は?」
「アーロン・アルフォード」
「ふぅん…」
キースは一呼吸置くと、改めて口を開く。
「――いいよ、どこからでも」
その言葉を合図にするように、アーロンは土を蹴ってキースに向かって行った。