指輪の値段
ある日、キースはリンティアに呼ばれて彼女の部屋を訪れた。
兄弟の居ないリンティアにとって、キースは兄のような存在であり、母以外で気を置かずに話せる唯一の相手でもあった。実際はカーラとヨーゼフの間に産まれた2人の王子が兄弟と言えなくもないのだが、歳が離れすぎていることもあり、全く接点は無い。
そのため寂しくなると、キースに話相手になってもらうために部屋に招待する。キースはいつも嫌な顔ひとつせずにリンティアの招待に応じてくれた。
部屋を訪れたキースは、そこに新顔の侍女が居ることに気が付いた。リンティアが彼女を隣に立たせ、手で指して紹介する。
「ミーナっていうの。担当が変わって、これからは彼女が私のお世話をしてくれるの」
「へぇ…」
ミーナと呼ばれた少女はキースを前にカチコチに緊張している。その顔は耳まで真っ赤だった。
「可愛らしい子だね」
キースがそう言いながら微笑むと、ミーナはさらに赤くなりながら「み、ミーナと申します!よ、よろしくおねがいいたしますっ…」と体を二つに折った。
「こちらこそ。俺はキース・クレイド。リンティア姫の剣の稽古役なんだ。これからはたまに顔を合わせるかもしれない。よろしく頼むよ」
「は…はい!!こ、こちらこそ!!!」
ミーナは言いながら、また深々と頭を下げる。キースはその動揺っぷりに内心で苦笑しつつ、自己紹介するまでもなかったかなと思っていた。
◆
「やばい!やばい!すごかったの!すごかったのぉぉ!!!」
厨房で働くアンナのもとにやってきた大興奮のミーナを前に、アンナは目を丸くして話を聞いていた。
今日からリンティア姫付きの侍女となるという話にも驚いていたのだが、まさか初日からキース・クレイドと対面するとは、なんと運のいいことだろう。
「よかったわねぇ…。口をきける身分になるとは思ってなかったよねぇ…」
アンナは呆然としつつ呟く。ミーナの盛り上がりに、少し置いていかれている様子である。思い出したように止まっていた手を動かし、皿を洗い始める。
「どうしよう!アーロンなんか目じゃないんだけど!」
ミーナはまだ興奮状態だ。こっそり失礼なことを言っている。
「比べちゃ可哀想でしょぉ~」
そう返すアンナの発言も同じく失礼なのだが、一応彼女としてはアーロンの味方をした気になっている。
「だいたい比べる段階じゃないわよ。別に恋人になって下さいって言われたわけじゃないし」
ミーナはちょっと不満気に顔をしかめる。
「でも、私のこと可愛いって言ってくれたもん」
「へーえ」
誰にでも言うに違いないと思いながら、アンナは適当な相槌を打つ。
「じゃ、どうするの?アーロンとはさよなら?」
アンナの質問にミーナはちょっと考えるように視線を上へ向けた。本気で考えているらしい。アンナは思わずアーロンに同情した。
「なんかアーロン最近隙あらば体に触ろうとするの。もう下心丸見えってかんじ。こっちが冷めちゃうのよね」
ミーナは腕を組み、ため息混じりに不平を漏らした。
「男の人ってそういうものなんじゃない?」
アンナの言葉にミーナは「そうかなぁ」と首を捻る。そのまま数秒思案したようだが、結論が出たらしい。
「でもまだ別れないっ。誕生日に欲しかった指輪買ってもらう約束したんだ。とりあえずその日までは命をつないであげよう!」
アンナはその宣言に対し、苦笑とともに呆れた溜息を洩らした。
◆
その頃、噂のアーロンは休暇を利用して王都へ出てきていた。
当然ミーナを誘ったのだが、仕事があるから抜けられないと言われてしまった。同じ城で働く身だが、休みが合わないのが不便である。
ミーナから聞いた”欲しい指輪”の詳細な情報をたよりに、一軒の装飾品店を訪れる。とりあえずいくらくらいの物なのかを事前に調査する必要があった。
「…これがそうなの?」
店の店主に情報を伝えて出してもらった指輪を前に、アーロンは固まっていた。店主は軽く頷いて「そうだよ」と答える。
「青いシリウスの付いた最新作って言ったらこれしかないよ。10個しか作ってないから、早いもの勝ちだよ」
”シリウス”というのは宝石の名前である。青のシリウスは一番高級な石だそうだ。宝石などに疎いアーロンは、当然そんなこと初めて聞いたのだが。目の前に出された指輪に光るシリウスは、青く美しく輝いている。晴れた日の空を思わせる色だ。
いや、そんなことより大事なのはそこに示されている値段だった。金貨2枚の価値があるらしい。アーロンは思わず額に手を当てた。
「俺、金貨って手にしたことないんだけど」
アーロンの言葉に店主は「そうかい」としか言わなかった。それ以外に返しようがないといえば無い。
金貨1枚は銀貨100枚の価値がある。兵士として働いたお金はすぐに酒だの女だので使ってしまうアーロンは、まとまったお金を持ったためしが無かった。それに最近よくミーナに細々と贈り物をしていて、かつてよりさらにお金が消える速さが増している。この金額はカッシュをどれだけカモにしても巻き上げられるものではない。
「…考えさせてもらうわ」
言いながらその場を離れ店を出るアーロンの背中に、店主は一応「またのお越しを」と型どおりな言葉を投げた。
「金貨ねぇ…」
思った以上の金額にアーロンは1人酒場のカウンターに腰掛け、酒を飲みながらため息をついた。酒場などに来てしまうとまたお金が消えるわけだが、たまの休みの日の楽しみとしてこれは外せない。
「元気ないね」
頬杖をついたままぼんやりと考え事をしていると、カウンターの向こうから酒場の主人が声をかけてきた。アーロンは馴染みの客なので、主人とも顔馴染みである。アーロンは苦笑を返した。
「おやじさんさぁ。なんかすごい金になる仕事ない?しかも一日で終わるやつ」
言いながら自分でも無茶な要求だなと思ったりする。主人はグラスを拭きながら、ちょっと笑った。
「無くもないね」
「――え?!」
意外な言葉にアーロンは思わず目を見開く。酒場が情報の溜まり場ということは知っていたが、こんな無理難題にも答えてくれるのだろうか。アーロンは身を乗り出した。
「ある?!マジで?!」
勢いづいたアーロンに主人は苦笑した。
「いやぁ、まぁ、あるけどねぇ。誰もやりたがらないよ。危険な仕事なんだ」
「どんな?」
アーロンがすかさず問いかける。一日で大金が手にはいるのだから、危険なのは当たり前だろうと思える。
「ゴンドールへ行く商人の護衛だよ」
「…ゴンドール」
アーロンは思わず主人の言葉を繰り返した。ゴンドール大陸。当然誰もが知っている。巨大生物が棲むはずの地である。
「ゴンドールへ…行く奴がいるの?何しに行くんだよ…」
「そう思うだろう?そこは、説明されてない」
主人は言いながら背後の棚の引き出しを開け、紙を1枚取り出した。そしてそれをアーロンに手渡した。その紙にはゴンドールへの旅の護衛を募る内容が書かれていた。
主人はそれを食い入るように見るアーロンに、「それ、賞金稼ぎとか流れの傭兵とかが来たら見せるためにもらったんだけどさ。どうせ興味持たないだろうと思って見せてなかったんだ」と説明した。
アーロンがゆっくり頷く。
その紙にはゴンドール大陸へ行く船の護衛と、着いてからの護衛を行うだけで金貨10枚を払うということが書かれていた。上陸するのは日中だけだから、夜行性のゴンドールに襲われる可能性は低いとも書いてある。
”低い”ってなんだと内心思いながらも、”金貨10枚”の字にどうしようもなく惹かれてしまう自分が居る。
指輪が5個買える。いや、当然そんなに買う気はないが、ゴンドールに行って帰るだけで金貨10枚…。なんとおいしい話だろうと思えた。
「これ、もらっていい?」
アーロンが顔を上げて手に持っている紙を振りながら主人にそう問いかけると、主人は「いいけど…」と言って眉を下げた。
「命は大事にな」