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ゴンドールの大陸 作者:芹沢 まの

第一章

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リンティア姫

 城の居館に沿うようにして広がる庭園で、1人の小柄な少女が白く美しい馬と向かい合っていた。

 少女は乗馬用の服を身に纏い、足には編み上げのブーツを履いている。癖の無い長い金色の髪は首の後ろで一つに纏められていた。

 馬には特に鞍や手綱は付けられておらず、ただ甘えるように少女に顔を寄せて、鼻を鳴らしている。少女は小さな声で馬に語りかけていた。まるで会話をするかのように。


 キースはそんな少女の姿を少し離れたところで目を細めて眺めていたが、やがて近寄った。

 少女がその気配に気づいて振り返る。その顔に屈託の無い笑みが広がった。


「キース!」

「やぁ、リンティア。お話中に失礼」


 キースは笑みを含んだ声でそう言った。リンティアもつられて笑う。

 母親譲りの金色の髪と、父親譲りの綺麗な翡翠色の瞳をもつ彼女は、アイリスの面影を色濃く受け継いでいる。今はまだ幼いが、将来は輝くばかりに美しく成長するだろう。そんな彼女のいつもの明るい笑顔に、キースは安堵した。

 姉と同様リンティアのことも大事にしてきたヨーゼフ王が亡くなった後、今まで我慢を重ねていただろう王妃の攻撃が幼い王女に向く可能性は充分にあった。だが今のところその心配は杞憂に終わっているようだ。

 ジークフリード王が即位した今、王妃も特にリンティアに興味など無くなっているというのが本当のところかもしれないが。


「剣の稽古の時間だよね。今、アレクセイと遊んでいたの。アレクセイが遊んで欲しがっていたから」

「構わないよ。彼の気が済むまで付き合ってあげな」


 ”アレクセイ”とはリンティアと一緒に居る白い馬の名前である。立派な名馬なのだが、リンティア以外の者には懐かない。


「ごめんね。待っててね」


 リンティアはそう言うとアレクセイに駆け寄り、首を叩きながらまた声をかける。

 アレクセイはすっと膝を折ってその場に座った。そしてリンティアがまたがると、またすっと立ち上がる。キースはそんな姪っ子の姿をぼんやりと眺めていた。

 

 リンティアは不思議な少女である。

 彼女を見ていると、時々本当に動物と会話ができるのかと思ってしまう。

 彼女の手にかかるとどんな馬もああして彼女を乗せるために体を屈める。そして手綱も無いのに、リンティアの行きたい方へと歩いていく。

 あまりに不思議な光景に、かつて”馬と話ができるのかい?”と本気で問いかけたこともあったが、リンティアは”できないよー。アレクセイが私の気持ちを分かってくれるの”と笑って答えた。


 けれども実際リンティアの気持ちが分かる馬はアレクセイだけではない。調教しないと扱えないと言われている鷹を、いともたやすく手懐けてしまったこともある。

 そんな彼女の特技が特に日常に役立てられるわけではないが、とにかく凄い技だ。本人にしてみれば”なにもしてないよ”だそうだが。



「姉さんの部屋が変わったようだけど、きみはどうなの?」


 ひとしきり稽古を終えた後、キースとリンティアは庭園の長椅子に腰掛けて休憩を取りながら話をしていた。午後の風が少し冷たくなってきている。もうすぐ日が暮れる。


「私は…特に変わらない」

「そうか…」


 少し俯いたリンティアの顔に長い睫の影が落ちる。母に対する王妃の対応に胸が痛まないはずはないだろう。キースは気の利かない話題を出したことを後悔した。


「姉さんは気が楽になったと言っていたけどね。今後後宮の姫君達の妬みを買うこともないし、穏やかに暮らしていけるよ」


 キースの言葉にリンティアは微笑んで頷いた。そしてキースを振り仰ぐ。


「今のお母様の部屋、いいところもあるんだ。裏庭を回ってテラスから直接部屋に入れるから、いちいち取り次ぎがいらないの」


 キースは思わず吹き出した。


「曲者と間違われそうだ」

「あ、そっか!曲者が現れたら大変!お母様にはいつもテラスの窓は開けて置くようにって言ってあるから」


 リンティアの言葉にキースは楽しそうに笑う。2人はその後もしばらく談笑しながら、午後のひとときを過ごしていた。



 その頃兵士達は城の裏庭にある訓練場で実戦訓練中だった。

 1対1で武器は使わずに組み合う。大きな怪我の無いよう指導してはいるが、実戦訓練なので多少の怪我は仕方ないとされている。


「アーロン・アルフォード」

「――はい」


 隊長に名前を呼ばれ、カッシュと組み手をやる準備をしていたアーロンは、動きを止めて前に進み出た。隊長の目の前に立って指示を待つ。隊長はアーロンを通り越し、兵士達の方に向かって「3人誰でもいいから出て来い!」と声をかけた。

 兵士達は不思議そうに顔を見合わせつつ、なんとなく適当な3人が前に進み出てくる。3人揃ったのを確認すると、隊長は彼等に対して言った。


「こいつは1対1じゃ訓練の意味が無い。3対1だ。やれ」


 アーロンは目を丸くした。”こいつ”というのは自分らしい。兵士達は「はい!」といい返事を返している。


「…まず、2対1からじゃないんですか?」


 アーロンの素朴な疑問に、隊長は意地の悪い笑みで応えた。


「3対1じゃ、流石に無理か?」


 挑発するような言い方である。アーロンはちょっとムッとしながら周りの3人を見回した。


「手加減できなくなります」

「頼もしいな。やってみろ」


 隊長は楽しげにそう言うと、3人の兵士を見廻した。


「聞いたな。手加減はいらないそうだ。遠慮無く行け」

「――はい!」


 若干怒りの滲んだ3人の声が、綺麗に重なった。


 ざっと土を鳴らしながら、アーロンの周りを3人が囲う。そして”始め”の合図も待たずに、一気に襲い掛かって来た。

 アーロンは身を沈め、向かってくる1人の懐に素早く入った。兵士の腕と襟を取ってかつぎ上げ、跳ね上げるようにしてもう1人の兵士に向かって放り投げる。


「うわっ…!」


 仲間を投げつけられた男は声をあげたが、降ってきた巨体と折り重なって地面に倒れこんだ。そうしている間にアーロンは立っている男のコメカミを狙って蹴りを放つ。綺麗に決まると、兵士はあっけなく失神した。

 倒れた2人が慌てて起き上がる。

 先に起き上がった男が、アーロンに向き合った瞬間みぞおちを蹴り飛ばされた。続いて起き上がった男は横っ面を殴り倒される。

 全員一撃ずつ食らったところで、3人の兵士は仲良く地面に転がされる結果となった。


 顔を殴られた兵士は歯が折れたらしい。戦闘意欲を無くしてしきりに口を気にしている。みぞおちを蹴られた男は必死で止まった呼吸を取り戻そうとするように咳を繰り返している。そして失神した男は気持ちよく伸びたままである。


 アーロンはふぅっと息を吐くと、その目を隊長に向けた。


「――4対1にします?」


 その言葉に、隊長はやれやれというように笑みを浮かべつつ肩を竦めてみせた。


 ◆


 訓練の後、寄宿舎に戻る途中アーロンと並んで歩いていたカッシュが足を止めた。裏庭を歩く騎士達の姿が見える。アーロンもつられて止まると、揃ってそれを眺めた。


「キース・クレイドだ」


 カッシュが遠くを見ながら言った。アーロンが僅かに顔をしかめる。

 遠くを歩く騎士達の中で、ひときわ目立つ存在が目に入る。赤い夕日に照らされて、彼の金色の髪も銀色の鎧も、まばゆい光を放っていた。


「相変わらず、すかしてるな」


 アーロンの言葉にカッシュは苦笑する。


「そりゃそうだ。近衛騎士隊の身分であれだけの美形とくれば。侍女が騒ぐのも無理はない」


 2人のような兵士は騎士達との接点などほとんど無いのだが、彼の話だけは侍女の噂話として嫌でも耳に入ってくる。男達にとってはいけすかない存在である。

 アーロンはキースから目を背けるとカッシュを置いて歩き出した。カッシュは慌ててその後について行った。


「侍女があいつに端から食われてるらしいぞ」


 からかうような口調に、アーロンは苛立ちながら「馬鹿な女達だな」と言った。カッシュは人の悪い笑みを浮かべる。


「ミーナは大丈夫かな」

「ミーナは馬鹿な女じゃない」

「ふぅ~ん」


 楽しそうなカッシュの声にアーロンが足を止めた。鋭い茶色の瞳がカッシュを睨み据える。


「なんも言ってないだろ!」


 カッシュは慌ててそう言った。

 アーロンは黙ってカッシュから目を逸らすと、また寄宿舎に向かって歩き始めた。

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