赤毛の兵士
同じ頃、兵士寄宿舎の1室では男が2人向かい合って1つのベッドの上に座っていた。2人とも手にはカードを何枚か持っている。2人が向かい合って囲んでいる中央には、カードの山と数枚の銀貨が置いてある。明らかに賭け事の真っ最中である2人を、周りで数人の男達が見物していた。
「アーロン、次のカード引けよ」
片方の男が言った。体格のいい大男だ。天然の長めの巻き毛を後ろで1つに縛っており、真っ黒な髪に太い眉がいかにも男臭い。
「俺、もういい」
アーロンと呼ばれた男がカードから目を離さずに応えた。
緩いクセのある燃えるような赤毛が印象的な男である。まっすぐカードに向いている茶色の目は切れ長の釣り目で、向かいに座る男と同じく、よく日に焼けた褐色の肌をしている。
「お、アーロンもう交換無しか。カッシュ、お前はどうする~?」
周りの男が巻き毛の大男にからかうように声をかけた。
カッシュと呼ばれた男は野次に対して鬱陶しそうな視線を向けると、何も言わずに自分の手元のカードを3枚取り出して中央に捨てた。そしてカードの山からまた3枚取り出す。そして新しく引いたカードを確認すると、さらに表情を険しくした。
「よし、じゃ、これで終わりな」
アーロンはそう言って自分の傍らに置いてある銀貨を数枚手に取った。
「はい、俺はこれだけ追加」
言いながら銀貨を5枚中央に散らす。カッシュはぎょっとして目を見張り、周りで見ていた男達は「おぉ~!」と歓声を上げた。
「お前も賭け金追加する?」
カッシュはしばらく銀貨を凝視したまま固まっていたが、不意に顔を上げると首を振った。
「――この勝負、降りる」
勝負を逃げたカッシュに対し、周りの男達からは「なんだよ~」と一斉に不満の野次が飛んだ。
カッシュとアーロンは2人ともアリステア王国の兵士である。そして周りで見ている男達も、同様に兵士達である。城の兵士はほとんどが城内にある寄宿舎で寝食をともにし、毎日訓練と仕事を繰り返している。そんな合間の休憩時間にこうやってお金を賭けたカードゲームで盛り上がるのは兵士達の楽しみの1つである。
「あ、そう」
アーロンはそう言うと、カードを伏せて置いた。そしてカッシュの前に置いてあった賭け金に手を伸ばす。
「じゃ、半分もらうな」
「いや、ちょっと待て」
カッシュが慌ててアーロンが置いたカードに手を伸ばし、素早くそれを奪い取った。
彼等の遊んでいるカードゲームは、数字と絵柄の描いてあるカードを最初に5枚持ち、いらないカードを捨て、中央に積まれたカードの山から新しいカードを取って交換しながら、同じ絵柄、または同じ数字の組み合わせを作るというものである。
最終的にどちらかが”交換完了”となるまで交換は続き、完了した時点で手元にあるカードを公開し、より強い組み合わせを作れた方の勝ちとなる。
カッシュとしては1組だけ組み合わせができていた状態だったのだが、一番弱い組み合わせだったし、アーロンがやけに自信満々だったので勝負を降りたのだった。
どちらかが勝負を降りると、ゲームは一度お流れとなる。勝負を降りた方が責任を取って、自分の元の賭け金の半額だけ支払うことになる。
けれども負ければ全額もって行かれるので、それも逃げの手の一つである。
カッシュはアーロンが持っていた5枚のカードを開いて見た。周りの男達も覗き込むようにそれを見る。
途端に辺りは爆笑の渦となった。
アーロンの5枚のカードはバラバラで、同じ絵柄でも同じ数字でも、組み合わせは1つも出来ていなかった。
カッシュは恨みがましくアーロンを睨んだ。
「――騙しやがったな」
「当たり前だろ、ここが違うんだよ」
アーロンは笑みを浮かべて自分の頭を指差した。
「どっちにしろ勝負を降りたのはお前だ。半分いただきます」
アーロンは改めてカッシュの前から銀貨を持ち去る。
「このやろぉ~!」
真っ赤になりながらカードをベッドに投げつけるカッシュに、周りはただ楽しそうに笑っていた。不意にその中の1人が「そろそろ休憩終わりだ」と言った。アーロンもカッシュもその言葉に動きを止める。次のゲームを始める準備をしていたところだったが、時間切れのようだ。
「戻るか」
「そうだな」
片付けを始めた2人に、周りの兵士が「楽しかったぜ」と声をかけながら先に部屋を出て行く。カッシュは忌々しげに舌打ちした。アーロンは苦笑しつつ、ふと部屋の入り口に目を向ける。そこには外から顔だけのぞかせるようにして、部屋の中を覗き込む少女の姿があった。
彼女のクセの無い黒髪がさらりと揺れる。
「――ミーナ!」
アーロンは慌ててベッドから降りた。そして部屋の入り口へと駆け寄る。そこに立っていたのは彼の恋人ミーナだった。城の侍女として働いている、アーロンより2歳年下の少女である。
黒目勝ちの大きな瞳が、今日も可愛らしくてたまらない。
「邪魔しちゃった?」
「――まさか…!どうした?」
部屋の中のカッシュに見えないように廊下に出て、アーロンはミーナと向き合った。
「ちょっと休憩中。会いにきちゃった」
そう言ってにっこり微笑むミーナに、アーロンも微笑みを返すとその腰を抱き寄せた。
「アーロンったら…だめよ」
「なんでだよ…」
アーロンの胸を両手で押して彼を離そうとするミーナに、焦れたように囁きかける。
「人に見られちゃう」
困ったように眉を下げるミーナの表情に、アーロンの気持ちの方は却って昂ぶっていく。
「じゃ、部屋に入ろう…」
「――俺の部屋でもあるんだぜ!」
突然背後から声をかけられ、アーロンは顔をしかめて振り返る。カッシュが部屋から出てきたようだった。
「休憩終わりだぜ。行けよ」
アーロンの言葉にカッシュは「お前もだよ」と返しながら横を通り過ぎる。ミーナはそんな2人のやりとりにクスクスと笑った。
カッシュが去ったのを確認すると、アーロンはミーナの手を引いて部屋に入った。そして改めて抱き寄せる。
「アーロン、行かないといけないんでしょ…?」
「いいよ、少しくらい遅れても…」
そう言ってアーロンはミーナの唇を奪う。熱いキスを交わしながら、その体をベッドへと倒れこませた。唇が離れると、ミーナが改めて「だめだってば」と制する。
「私だってあんまり時間ないもの。それにここじゃ、ちょっと…。この続きはまた今度にしましょ」
「えぇ~…」
また逃げられてしまうようだ。城で出会ったミーナに一目惚れしたのはアーロンの方だった。せっせと口説き、やっと恋人同士になれたのはつい最近のことである。その後何度か2人の時間を過ごしてはいるが、寄宿舎暮らしの不自由さもあって、なかなか最後の一線は越えさせてもらえない。
最近、すっかり欲求不満である。
「今度の、私の誕生日、覚えてる?」
ミーナが問いかける。アーロンは体を起こしつつ、「当たり前だろ」と返す。
ミーナの誕生日は一ヵ月後である。その日のために今からお金を蓄えている。主にカッシュというカモによるカードゲームによって、だが。
「あのね、欲しいものがあるの」
ミーナも体を起こし、ちょっと小首を傾げながら言った。そんな仕草も可愛らしくて仕方が無い。
「なに?」
アーロンはすっかり見惚れながら問いかけた。
「指輪。すごい素敵なのがあるの。好きな人からあんなのもらえたら、幸せだなぁ~って思って」
「へぇ…」
”好きな人”という言葉に気をよくして、アーロンは「いいよ。買ってあげるよ」と安請け合いした。
ミーナは「きゃぁぁ~!!」と喜びの声をあげると、「いつもありがとう、アーロン!」と言いながら彼の首に腕を回して抱きついた。柔らかい体を抱き返しながら、アーロンは一瞬、”もう一度押し倒してみようかな”と思ったりしたが、なんとか思い留まった。
あまりしつこくして嫌われてしまっても困る。
「その日は私の家に招待するわね。家族、誰も居ないから…」
耳元で囁くミーナの声に、アーロンは目を見開いた。
「いいの…?」
思わず問いかける。ミーナは体を離してアーロンと目を合わせた。
「指輪の、お礼…」
潤んだ瞳でそう囁いたミーナに吸い込まれるように、アーロンは再び彼女の唇に自分の唇を重ねた。