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ゴンドールの大陸 作者:芹沢 まの

第一章

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金髪の騎士

 前国王の国葬、そして新国王即位の後、アリステア王城にはいつもの日常が戻っていた。

騎士や兵士は鍛錬に励み、女官や侍女は忙しく動き回る。活気に溢れた光景である。

 

 日差しの照らす王城の渡り廊下を、2人の侍女が歩いていた。2人とも腕に洗濯物らしき衣服をつめた籠を抱え、楽しそうに談笑している。

 そんな2人の会話が、ふと止んだ。

 目の前から歩いてくる騎士の存在に2人同時に気付いたためだった。

 2人のことなど意に介さず、騎士は悠然と歩を進める。王族の生活する居館へと向かうようだ。2人はまるで存在を隠すように息を潜め、歩調を緩めて騎士の姿を盗み見た。


 銀色の簡単な防具に身を包んだ背の高いその騎士は、耳にかかる長さの癖の無い輝くような金色の髪に、晴れた空を映したような青い瞳をもつ、美しい男である。まさに”美しい”という表現にふさわしい端正な顔立ちは騎士としての猛々しさを一切感じさせない。けれども彼が騎士であることは、腰の立派な剣が表していた。

 侍女達の隣を通り過ぎる一瞬、彼は自分の顔にかかった前髪を気にして軽く顔を振った。艶やかな髪がサラリと揺れる。そんな仕草ひとつに、2人の侍女は揃って息を呑んだ。


 侍女の横を歩き去る間、騎士は一度も2人に目を向けなかった。一定の歩調でやがて渡り廊下の向こうへと去っていく。2人はいつしか歩みを止め、その背中を見送っていた。


「…す、て、きぃ…」


 騎士の姿が消えたことを確認し、侍女の1人がため息混じりに呟いた。


「本当に…。いつ見ても素敵ねぇ、キース・クレイド様」


 隣の侍女が賛同する。そしていつまでも足を止めたまま渡り廊下の向こうを見つめる彼女を見て、苦笑した。


「ちょっと、ミーナ。心奪われすぎっ!アーロンがヤキモチ妬くわよ」

「え~?」


 ミーナと呼ばれた少女は、視線を騎士の歩いた跡へ向けたまま眉を歪めて笑った。真っ黒なクセの無い髪を肩まで伸ばし、同じ色の瞳はくりくりと大きくて愛らしい。どこか小動物を思わせる、童顔の可愛らしい少女である。


「アーロンとキース様とじゃぁ、世界が違うもん。もともと比べ物にならないから」


 そんな無垢な顔立ちには似合わない辛辣な物言いに、隣の少女は呆れたように肩を竦める。


「ひどいわねぇ」

「だって、あれでアーロンと同じ歳だなんて、信じられないもん。あの風格、落ち着き、洗練された物腰…。貴族だわ!さすが、貴族だわぁ~!!」


 ミーナは頬を上気させ、興奮気味に語る。隣の少女が「今の言葉、そのままアーロンに伝えとこうかな」と、とぼけた調子で言うと、ミーナはやっとその目を少女に向けた。


「どーぞどーぞ。アンナがそうやってあいつを焚き付ければ、私いろいろ買ってもらえるしぃ」

「悪い女~!!」


 アンナと呼ばれた少女は大袈裟に驚いてみせる。そして2人はまた楽しそうに笑いながら、洗濯場へと歩いて行った。


 ◆


 その頃キース・クレイドは居館の中の1室に辿り着いていた。前国王ヨーゼフの側室であった、アイリス姫の部屋である。

 部屋の前で見張りをしていた衛兵は、キースの姿を確認すると一礼で挨拶し、すぐに部屋の中の侍女に声をかけた。

 目的を聞くまでもなく、キースはアイリス姫の部屋に入ることを許されている。それには当然、訳がある。


「お入り下さい」


 侍女の案内で、キースは部屋の中に入った。そしてすぐにアイリス姫の存在を認識し、足を止める。

 彼女は自分を扉近くまで迎えに出てきてくれていた。


「いらっしゃい、キース」


 優しく微笑んでそう言ったアイリス姫は、いつものように輝くばかりに美しかった。

 刺繍の無い質素なドレスを身に纏っていても、彼女の持つ華やかさを隠すことは出来ない。長い金色の髪は華奢な肩を覆って胸まで流れ、透き通るような白い肌に輝きを添えている。その28歳という年齢を感じさせない完璧な美貌は、15歳で王の後宮へ迎えられてから現在まで全く衰えることが無かった。

 キースは自分と同じ彼女の青い瞳に向かい、微笑みを返した。


「久し振りだね、姉さん」

「本当に、久し振り。少し見ないうちにまた立派になったみたい。――どうぞ入って」


 歳の離れた姉はいつものように少し眩しげにキースを見上げると、背に手を添えて奥へと促した。


「姉さんがなかなか呼んでくれないからさ。俺は流石に自分からここへは来れないんだ」


 キースは姉と並んで歩きながら辺りを見廻し、ふと苦い笑みを洩らす。


「部屋が変わったとは聞いてたけど、なんかずいぶんな落差だ」


 アイリスは王の崩御にともなって部屋を変えられていた。今までは広く豪華で良く日の当たる部屋だった。部屋の裏口から出た先にはアイリス専用の花園が用意されていて、花を育てるのが好きな姉の憩いの場となっていた。

 けれども新しい部屋はずいぶんと暗くて狭い。後宮の隅に追いやられ、当然花園にも行けなくなってしまった。


「今までが恵まれすぎていたのよ。ここは私の身分に丁度いい部屋なの。他の姫君達に申し訳ないといつも思っていたから、ほっとしたわ。あまり広いと落ち着かないし…」


 姉らしい言葉だと思った。どのような特別扱いを受けても奢ることなく感謝の気持ちを忘れない。そんな彼女だからこそ、キースとしては王という盾を失ったこの先に、幾ばくかの不安を感じずにはいられないのだが。


「まぁ確かに、気楽になったかもな…」


 弟の言葉にアイリスは微笑みで応える。そして思い出したように「そういえば」と話題を変えた。


「あなたの噂、最近よく耳に入るのよ。侍女や女官を何人も泣かせてるって本当なの?」


 突然自分に話が振られ、キースは目を丸くした。どうやらアイリスの周りを世話する者達の質も変わったらしい。今までは口数の少ない高位な女官だったはずだが、おしゃべり好きな侍女が周りをうろつくようになったに違いない。

 キースはやれやれとため息を洩らした。


「泣かせるようなことした覚えないな。”泣いて喜んだ”の間違いだよ」

「――まぁ…!」


 アイリスは絶句しその場に足を止めた。涼しい顔の弟を信じられない思いで見詰める。


「じゃぁ、本当なの?何人もあなたの毒牙にかかったって…」

「ひどい言われようだ」


 キースは苦笑した。


「俺が無理やり手を出してるみたいじゃないか。全く女は卑怯だよな。自分から熱心に寄ってきておいて”毒牙にかかった”なんてよく言うよ」


 弟の悪態にアイリスがまた目を見開く。少しの間声を失くしていたが、やがて力が抜けたようにため息をついた。


「いつからそんな子になっちゃったのかしら…」


 悲しげな呟きにキースは思わず吹き出した。


「姉さん、俺もう18だよ?!いつまでも子ども扱いされても困るんだけど」

「なんだか寂しい…」

「なんでだよ!」


 10も下の弟であるキースは、アイリスにとっては弟というよりわが子のように可愛い存在だった。けれどもどうやら知らないうちに、ずいぶん成長してしまったようである。


「ちょっと姉さん」


 物思いに耽ってしまった姉に、キースは苦笑しつつ声をかけた。


「お茶用意してくれてるんでしょ?そろそろ座らせてくれない?」


 言いながらテーブルを指差す。確かにそこにはお茶とお菓子が用意されていた。


「あなたにリンティアを預けておいて、大丈夫なのかしら…」


 弟の言葉を無視してアイリスは独り言のように呟いた。


「姪っ子に手出すわけないだろ!」


 リンティアはアイリスの娘である。現在12歳なのだが10歳の頃から本人の希望もあって、キースから剣の指導を受けている。アイリスによく似た、愛らしい姫君だ。


「おかしなこと、教えないでよ?」

「なんだよ、おかしなことって!」


 2人はそんな会話を交わしながら、テーブルに向かって歩き始めた。

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