皆様、たくさんいいねやコメント、反応して頂いてありがとうございます。
私には、もうお金も仕事も夢も希望もありません。
ので、残ったこの想いを伝えさせてください。
私は、インフィニットゲームになる前から持病をもっており、通院しながらゲーム制作をしていました。
おわかりのとおり、私はゲーム会社やゲームの学校に行っていません。そんな体力も知力もないからです。
ですが、ゲームを作ってあの時楽しかったゲームの体験をみんなに届けたいと思って精一杯生きてきました。
私はゲームが好きな平凡な人でしたが、持病のため友達がおらずゲーム制作ばかりしていました。
そんな中、細々と続けていた仕事(アルバイト)の職場で居場所がなくなり、失業保険をもらいながらゲームを制作していました。
このときできたのが、「アインズソード」。アインは、ドイツ語で「一」の意味です。
一番初めの時の楽しかった時を忘れないように、一人でも負けないようにと、この名前をつけました。
ソードは、私にとって誓いの印です。
アインズソードでこの苦しい現実の世界を変えたかったから、ソードを選びました。
ゲームを制作している時に、アインくんにこの現実を変えてくれるヒーローであってほしいと思っていました。
アインズソードが初めてまともにできた作品です。他にも講談社様や集英社様の企画に応募して、落選を繰り返した当時が懐かしいです。
そのアインズソードは、始めDLsiteとSteamでリリースしましたが、数個売れただけでした。
というのは、自分の中ではアインズソードは自分の全てなので、もっと反響があると思ったからです。
それで、2022年のビットサミットで、パブリッシャーの方にアインズソードを見てもらうように突撃しました。
しかし、誰も良い顔をしませんでした。
その前から、Nintendo Switch™の開発者に審査をしていました。
任天堂様から1か月程審査の返事が来ていなかったので、お問い合わせに電話したりした結果、直訴することを決意しました。
それで、任天堂ブースでスタッフの方に「アインズソードを見てください、お願いします」と言い、その後間もなくして、審査が通りました。
それが9月。そこから最適化作業した後、提出して、11月10日にNintendo Switch™にリリースしました。
この時は、私は何も考えていませんでした。ただ、自分の作品を遊んでくれてありがとうの意味で、390円という風になりました。
その日から私の人生は私の想像を外れました。
たくさんの方に実況していただき、たくさんの方に遊んで頂きました。
あの時は自分の人生で一番楽しかった瞬間です。
それから、色々な方と出会いました。
皆が「アインズソード」が好きなのが伝わりました。
でも一部の方が「クソゲー」と言うようになり、当時の私はそれに耐えられませんでした。
私の人生を懸けて作った作品を嘲笑うことが許せませんでした。
私は、1人で、周りの人が幸せそうにしているのを見て、どうして自分は違うのか、とか、そういう我慢をしてきて、自分のすべてだったんです。
今、冷静になると、すごく失礼なことをしたと思っています。
その批判を止めたくて作ったのが、「ルミエルマグナ」です。
東京に行ったけど、結局自分一人で制作することになりました。
共同制作では、アイデアを出したりする人はいますが、それを有言実行する人ではないとしたくない、そう感じて関西の実家に戻ってきました。
このときの費用が50万円です。
お父さんとお母さんに土下座して、帰ったら働くからお願いしますと言い、頂きました。
でも、帰ってきてしまって、そこから近くのプログラミングの講師のアルバイトをしました。
ゲーム制作をして、働いていて、早く完成させたいと無理をして、コロナになったこともあります。
2023年10月26日に、「ルミエルマグナ」がリリースされて、それからアルバイトの方は体調不良のため退職しました。
私は、Nintendo Switch™やSteamでリリースする中で、とても苦しかったのが価格です。
本当は390円がよかったですが、専業でしていたため、価格が高くなりました。
そんなこんなで、年末にはもう失業保険で頂いたお金の底が見えてきて、閉店セールみたいに安くセールしました。
そして、1月2月3月と経ち、クラファンも考えましたが、お金が無くなり、終わりました。
2月の確定申告の時に、年収が4万円でした。これには、東京に行った50万円やパソコンや開発機などの40万円は入っていません。
私が、個人事業主になったのは失敗と思えるのは、楽しいゲームを作ろうから売れるゲームを作ろうという風に考えが変わったためです。
どうして、副業でも続けられるじゃないの、と言われますが。
本当の理由は、ゲーム制作をすると吐き気と震えで涙が出てきて苦しいからです。
私は、大好きだったゲーム制作が嫌いになってしまいました。
ただ、ここまで苦しんでまで、ゲーム制作をしてきたことだけはよかったと思っています。
大阪のイベントで、直接遊んでいただいた方から「応援しています」と言われて、全て報われました。
私は、このためにゲーム制作をしていたんだと感じました。
これが、私のゲーム制作のすべてでした。
皆様、ここまで読んで頂きありがとうございます。
関わって頂いた方が幸せでありますように。
インフィニットゲームより。
