私、樺澤潤の祖母、一二三富美子は間違いなく、群馬の名物おばあちゃんでした。
私が、この祖母と一緒に過ごしたのは、浪人時代、1995年の群馬県の前橋市です。
私の故郷は渋川市という前橋と車で30分位の距離にある場所ですが、予備校が高崎であったことと、親には言ってませんが、当時、失恋のツラさで(若いなあww)地元から逃げ出したくて、親元を離れ祖母と暮らしていました。
祖母は、
樺澤潤の祖父「一二三九兵衛」はスパイ?戦後最大のミステリー?樺沢潤の都市伝説 _ 樺澤潤_公式ブログ
でも記載しましたが、祖父が厳格であった反動で亡くなった後はまるで祖父のような岩のような性格でもありました。
朝からずっととにかく近所から猫まで悪口の嵐ww
それを朝ごはんを食べながら永遠と話していました。
とにかく変わっている、私にとっては、群馬のがばいばあちゃんw
失恋とか考えている場合ではないw
そんな悪口は、私の友達が来ると、私の悪口に変わりましたw
「もううるせーな、ババア、黙ってろよ!」と言ったら、、私の友達に祖母が「今、聞きました?この子、私のこと、クソババアって言いましたよ」と、話を大きくしたりww
「おばあさんに向かってなんてことを言うんだ!」と自分が連れて来た、金髪ロン毛の友達に叱られたもんですww
そんな祖母を懐かしむ理由があり、祖母は、2013年に90歳で亡くなったのですが、お葬式の時に私が孫代表として、話させてもらったことがあります。以下、原文で
お祖母ちゃん、久しぶりです。長く、群馬県に戻ってきていなくてすみません。
もう20年近く前になります。浪人時代、二人で暮らしていた時に、しょっちゅう喧嘩でしたw
でも、僕が大学が決まり上京する前日に近くの食堂で、僕はヒレカツ定食、お祖母ちゃんはミックスフライ定食を注文しました。
これが二人で外食した最初で最後でもありました。
その時に、お祖母ちゃんは、『潤がいたらいたらで毎日、喧嘩だったけど、いなかったら1人寂しい、私は、これから先、どうしていいか分からない』と言われました。
19歳の自分は、どうしていいか分からず、その夜、真剣に悩んだ結果、一度しかない人生、東京に行ってみようと思いました。
素敵な思い出ありがとう!
浪人時代は、金も無かったり、隣の市とはいえ、人生ではじめて、親元から離れたこともあり、貧乏で自由で粗野ででも卑では無かったのは、この、
群馬の名物おばあちゃん であり
私、樺澤潤のお祖母ちゃん であり
群馬のがばいばあちゃん である、一二三富美子さんのおかげです。