第四十三話 編輯黙示編・一片~彼女の目は彼を垣間見た~
2096年3月31日
「十六夜、私……初めてなの」
「母さん」
真夜の自室にて、彼女はまだ誰も招き入れた事のない領域へと十六夜を誘おうとしていた。しかし、羞恥心が大きな躊躇いを生み、その誘いはとてもぎこちない。
「照明は、消して……。恥ずかしくなってしまうわ……」
「母さん……」
それでも真夜は必死に誘い入れようとする。羞恥心はあるが、それは真夜が十六夜に願った事、十六夜への我儘なのである。
「お願い、いきなりは……しないで。ゆっくり、ゆっくりお願い……」
「いや、母さん。ただの添い寝だよ?なんだってそんな初夜みたいな……」
「男の人と添い寝するのは初めてなのよ!」
十六夜が真夜の大げさな対応に呆れるが、彼女にとっては大げさにせざるを得なかった。初めての異性との添い寝は、真夜に今まで感じた事のない、嬉しさと恥ずかしさが混ざったような感情を味合わせ、胸の鼓動を早めていた。
そう、真夜は男性と就寝を共にした経験がないのである。父親に添われた記憶はあるのだが、その記憶は姉である深夜に弄られ、自身の経験に感じられない。つまり、体感的には本当に初めてなのだ。例えその相手が実の息子として見ている十六夜であっても、取り乱してしまうのは無理からぬ行為であった。
「……ごめん、配慮が足らなかったよ」
「い、いえ、私の記憶については構わないわよ?私ももう気にしていませんから」
十六夜は真夜のその記憶について改めて気付き、自らの浅慮を悔いる。真夜としては、十六夜という実の息子がいる時点で深夜に対する嫌悪感と世界に対する復讐心がなくなっているから、本当に気にしていない。その事について悪気を抱かれると逆に困ってしまうくらいだ。
「ありがとう。でもね、母さん。……さすがに一時間くらいこんな状態なのはどうなのさ」
「だ、だから!私は初めてなのよ!」
かれこれ添い寝を遂行しようと始めてから一時間。十六夜はベッドの横に立っているところから進展がない。真夜の記憶について加味しても、情状酌量の余地が僅かに足らない。十六夜は呆れ果てる他なかった。
「十六夜、女性には心の準備というのが凄くたいせ―――っ~~~~~~~~~~~~~!!!???」
真夜は高説を説こうとしたところ、痺れを切らした十六夜に抱擁され、ベッドに押し倒されるように添い寝を強制された。心の準備が間に合っていなかったがため、彼女の叫びは声にならず、その顔は熟した林檎のように赤い。
「母さん、俺との添い寝はそんなに嫌かい?」
「いっ十六夜!嫌じゃないからっ、お願いだから離れてっ!こ、こんな、吐息が耳にかかる距離なんて、心臓がどうにかなってしまうわ!」
真夜が初心な乙女のように慌てふためくものだから、十六夜もさすがに揶揄いすぎたかとすぐに身を離す。それでも添い寝のままであり、距離も人の温もりが感じられる程度の近さだ。
「も、もう、十六夜ったら……。悪戯が過ぎれば、さすがに母も怒るのですからね」
「ごめんよ、母さん」
真夜の心臓の鼓動はまだ早いが、添い寝を強制された一瞬よりはマシになる。そうして落ち着き始めた彼女は、二度とあんな危険な行為(?)を十六夜がしないように釘を刺した。悪戯が過ぎた際、本当に怒れるかどうかはさて置いて。
今回は十六夜が素直に謝ったので、彼女はこれ以上彼を諫めなかった。おそらく、本当に悪戯が過ぎた際も素直に謝れれば許してしまうのだろう事もさて置いて。
「でも、俺は母さんがどんな我儘を言ってくれるのか楽しみにしていたし、こうして母さんの我儘を叶えられるのも楽しみにしてたんだ」
「貴方の親孝行は嬉しいのだけど。あのまま代案も出さずにキスを求めていたらどうするつもりだったの」
十六夜が無茶ぶりすら叶えそうな雰囲気に、真夜は一抹の不安を抱いた。彼が病的なまでに母に報いようとしているのは真夜も感じ取っている。生みの親に捨てられたから愛に飢えているのか。それともまた捨てられるのが怖いのか。とにかく、十六夜は自身を省みないのだ。これでは不安を抱かない方が無理だろう。
「その時はキスするよ?むしろ今後は頼まないの?」
「だ、だから、十六夜。貴方は……」
このように、十六夜は自身の意思など度外視する。真夜の幸せを第一に行動する。真夜は十六夜からの好意に騙され、ついつい不安を忘れてしまいそうになるが、どうにか改善したい彼の一面だった。
「十六夜?貴方こそ、何か私に聞いてほしい我儘はないの?」
「そうだね。今後も俺の勘を信じてほしい、くらいかな」
「それは、親として子供を信じるのは当然の事でしょう?」
「……そうなのかな」
「……十六夜?」
真夜が見た十六夜の顔は、とても悲しげだった。
「ごめん、母さん。俺、まだ母さんの事を信じきれてないのかもしれない……。怖いんだ。いつか、信じてもらえなくなんじゃないかって……。いつか、俺は無能を晒して捨てられるんじゃないかって……」
いつも落ち着いていて大人びた少年が、年相応に怯えていた。十六夜は他人に嫌われるのを恐れ、怯えていた。
最近は鳴りを潜めていたが、彼は自己を低く評価してはそんな被害妄想をしていたのだ。
「十六夜」
真夜は暖かく呼びかけ、十六夜を自身の双丘へ埋めるように抱きしめた。
彼女はこの抱擁の仕方が一番好きである。この抱擁の仕方はお腹の付近に息子の存在を感じる。まるで、できなかった身籠りをしているかのようで、真夜は好きなのだ。
「私は貴方を捨てたりしません。貴方を疑ったりしません。貴方を嫌いになったりしません。私は、貴方を世界の誰よりも、何よりも、愛しているのだから」
真夜は自身が身籠ったかのような息子へ愛を語る。十六夜を慈しみ、愛する。信者が神を愛するように、真夜は十六夜を愛していた。
「ごめん……ごめん、母さん……。今だけはどうか……このまま……」
「ええ、このまま」
ようやく聞き出せた十六夜の我儘を、真夜は聞き届けた。
程なくして十六夜の寝息が聞こえてくる。彼のその安らかな寝息は、真夜の耳には心地良かった。
◆◆◆
■日
光が真夜の瞼を貫く。ベッドに違和感があったのと十六夜の温もりがないのも合わさって、真夜は目を開ける。
「え……?ここは……」
真夜が目を覚ました場所は自身の寝室ではなく、何処かの一室。畳十畳もなさそうな部屋の中、彼女は安価なベッドに横たわっていたのだ。
だが、彼女は誘拐されたと勘違いしなかった。四葉の里の現当主が住まう家から、その現当主を攫えるような者は居ないだろう。おまけにすぐ隣に十六夜も居たのだ。彼が真夜への悪意を逃すはずがない。
それに、この一室には男性が居るのだが、その男性は真夜の覚醒に気付いた素振りがない。机に備えられたパソコンへ向かい合ったまま、真夜に一瞥もくれない。
「夢、なのかしら……」
そう思うしかない現状に、真夜は周りを見回す。
真夜の寝室に比べれば狭いその一室。狭いながらもスペースを上手く使った家具配置に、一室の主だろう男性の整頓意識が窺える。
その見て分かる整頓意識故か、同じく整頓意識の高い十六夜の私室に何処となく似たような趣があった。
真夜はその似たような趣に理由不明の違和感を覚え、意識的に家具を観察していく。
真夜が今座っているベッド。マットレスは安価な中古品なのか、二十一世紀末で普及している物より質が悪い気がする。ベッドソムリエではない真夜には詳しく判別できないが。
大きさが違う二つの本棚。大きな本棚はスライドする棚を引き出す仕組みのため、その内容物は分からない。だが、本がむき出しの小さい本棚が収納スペースのほとんどを潰されている事から察するに、大きな本棚の方も本で埋められているだろう。
それぞれ置物の傾向が違う二つのシルバーラック。一つにはディスプレイとゲーム機が並べられているが、どれも見るからに古い機種だ。もう一つには美少女フィギュアが並べられ、いくつかはケースに、いくつかは箱に入ったまま飾られている。美少女フィギュアに関して、真夜はそういう趣味には理解がある方なので蔑視する事はなかった。
余談だが、並べられているゲーム機は
木製の机。セットの椅子に座る男性がノートパソコンを操作している。今時ノート型の端末を使うのは物好きであり、そんな骨董品まがいで何をやっているのかと真夜は注視する。しかし、古典的ながらも覗き見対策に有効なフィルムにより、如何なる操作をしているかは視認できなかった。
代わりに、そのノートパソコンの横に積まれた紙束が目に入る。封を切られた封筒と封入されていただろう手紙の束だ。整頓意識の高そうな男性らしからず、その紙束は雑に積み上げられていた。
アンティークさが滲む一室ではあるが、古めかしい雰囲気を好む男性の私室と捉えられる程度の、変哲もない一室だ。
そこに、
縄は一際頑丈に設置された天井のフックへ執拗なまで縛り付けられ、垂れ下がる先は人の頭が通る大きさの輪を形成している。その縄の元には質素な踏み台がある。力を籠めずとも蹴飛ばされれば倒れてしまいそうな弱々しい踏み台だ。
ここまで入念に準備されていれば、その設置物が何のために設けられたかは考えるまでもないだろう。
「首吊り縄……?これは、自殺志願者の夢?」
何を意図する設置物か、どういう夢なのか理解した真夜はまだパソコンのキーボードを叩く男性に目を戻す。
しかし、その男性を見返したところで違和感の正体が分からなければ、こんな夢を見る意味も分からない。寝て見る夢の内容に意味がある訳はないのだが、真夜は現状がただの夢と思えず、何かしら意味がある映像に思えて仕方がなかった。
そうして男性を見つめていれば、男性はノートパソコンをシャットダウンし、椅子から腰を上げる。丁寧に椅子を机の下へしまった後、男性は縄の方へと歩き出した。ベッドに腰かける真夜の前を、男性が横切る。
「いざ、よい……?」
その横顔に、真夜は十六夜の面影を見た。本当に微かな面影だ。
似ていると評するなら、『四葉十六夜』となる前の名も無き少年兵の方が似ているだろう。最愛の息子である『四葉十六夜』の顔の方が印象強いため、真夜は名の無き少年兵の顔など覚えてはいないが。
それでも、真夜はその成人男性から十六夜の面影を感じ取った。
真夜が呆然としている内に、十六夜の面影がある男性は踏み台を登って輪に頭を通す。
そして――
「待って!!」
真夜はベッドから飛び上がり、男性を止めようとした。しかし、真夜の声は届かない。伸ばした手も、まるで存在する層が異なるかの如く、男性を擦り抜ける。
その擦り抜けた手が男性の存在する座標に重なった瞬間、真夜の脳裏に何かが押し寄せてきた。
理解しないでくれ 期待しないでくれ 信じないでくれ 頼りにしないでくれ 抱きしめないでくれ 頭を撫でないでくれ 背中を押さないでくれ 目を見つめないでくれ 馬鹿にしてくれ 突き放してくれ いらないと言ってくれ 殺してくれ
答えられない 応えられない 堪えられない こたえられない コタエラレナイ
許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して
■して
それは意思の奔流。そして、高次であり高密度である言葉。
真夜の脳はその言葉を処理しきれず、強制切断された。
◆◆◆
2096年4月1日
「十六夜!」
真夜の第一声はそれで、すぐ横で座っていた十六夜は腰が浮きそうな程驚いた。
「ど、どうしたんだ母―――モガッ」
言葉の途中で十六夜は真夜の双丘に埋められる。
「十六夜、十六夜!生きてる、生きてるのね!?」
「生きてるよ、母さん!ほら、俺の体は冷たくないだろう!?」
混乱している真夜をどうにか落ち着かせるべく、十六夜はまず彼女の言葉を肯定する。体温も感じるだろう密着具合を利用して、血の巡る体温を感じさせる。
「ああ……、生きてる……。生きてるのね……」
人肌の温もりも相まって真夜は心を安らかにしていく。固い抱擁も徐々に緩まった。
「大丈夫、大丈夫だよ。母さん、俺は母さんを置いて死んだりしないよ?」
「ええ……、ええ……っ」
十六夜は抱擁を返し、真夜の背中を摩る。
しばらくその状態を続ければ、真夜の方から抱擁を解いて離れた。頬は少し赤い。
「ごめんなさい、取り乱してしまって」
「構わないけど、悪夢でも見たのかい?」
最近キャラが壊れてきている真夜であっても、先程のは異様だった。寝起きであるし、十六夜は悪夢が原因だろうと当たりを付ける。
「そう、そうね……。あれは、悪夢だったのよね……」
真夜も自身が見た映像をただの夢だったと認識をすり替えようとする。それでも、あの違和感と現実感を拭い去る事ができなかった。
「……内容を訊いても?」
「いえ……、もう問題ないわ」
どれ程酷い夢だったのか気になった十六夜に対し、真夜は夢の内容に口を噤む。できれば、思い出したくなかったのだ。
「そう?無理してない?何かしてほしい事があればするよ?」
「……じゃあ、十六夜。一つだけ聞かせて?」
胸に募る不安を取り除きたくて、真夜は一つだけ十六夜へ問う事にした。
「貴方は今、幸せ……?」
もし、十六夜が不満を抱えていれば。誰にも不満を漏らせず、ただただ十六夜の中で堆積し続ければ。
そう頭に過った真夜は、そうでない証拠が欲しかった。
「俺は幸せだよ?母さん」
十六夜は即答した。
「……安心したわ」
それでも、微笑みながらそう口にしながらも、真夜の不安は晴れなかった。
何者かの夢:十六夜はパラサイト憑依者でありながら、そのパラサイトを完全に掌握している。そのためか、プシオンの生成も他人と比べて効率よく行われ、プシオンをコントロールできている。しかし、それは覚醒時のみであり、睡眠時はプシオンのコントロールが十全ではない。睡眠時の十六夜は自身の感情を垂れ流しているような状態である。
その垂れ流された感情を間近で浴びた者は、果たしてどうなるだろうか。
閲覧、感謝します。