ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

10 / 32
かのゲラート・グリンデルバルドは、獄中にて実に興味深い著書を出している。

『魔法使いの定義』、そう題名された本には既存の魔法使いの常識を覆す内容が記されていた。

曰く、魔法を使う素質に血筋は関係なく、高度な知性ある生き物全てが持っている感情にこそ、その壮大な可能性は秘められている、と。

無論、その話には何の根拠も検証もない。

荒唐無稽な内容に賛否両論が入り乱れ、血を重んじる純血の貴族達によって禁書として扱われるようになったその本。

そもそも何故、マグルを憎んでいるとまで言われたほどの差別主義者が後世になってこんなものを書くようになったのか。

その謎は今も解けていない。



#009 みぞの鏡

 クリスマス休暇を翌日に迎えたある日。

 明日の朝一番の汽車で帰る予定のミリセント・ブルストロードは、セオドール・ノットと共に談話室で荷物を纏めていた。

 

「そういやさ、メルムってこういう休みの日って何してんのかね?」

 

「何さ藪から棒に」

 

 いやさ、と一旦手を止めたセオドールが口篭る。

 

「今日とかもそうだけど、あいつ度々ふっといなくなって、半日くらい帰ってこない日があるじゃん。まぁ主に休日なんだけどさ」

 

「確かに。休暇前のお別れぐらいさせて欲しかったが。まぁ女の子には秘密の1つや2つあるくらいがミステリアスで丁度良いのさね」

 

 そんなもんかと納得した様子のセオドールは再び荷物を纏める作業に戻る。

 

「やれやれ最近はロクなことが無かった」

 

「まったくだねぇノット。マルフォイの馬鹿が懲りずにメルムにちょっかいをかけたのも、私としては最悪の出来事の1つさね」

 

「あぁアレか……」

 

 簡単にいうと、クリスマス休暇が間近となりマルフォイ坊ちゃんが再びやらかしたのである。

 先週、スネイプ教授がクリスマスに寮に残る生徒のリストを作った時のことだ。

 リストに名前を書いたのはメルム以外に誰もいなかった。

 それはまだ良い。

 本人も気にしてなどいなかったし、彼女の家族が何かしらの事情でいないことはミリセントもセオドールもうっすらと気づいてはいた。

 

 ────かわいそうに。帰る家も家族も無くて、クリスマスなのにホグワーツに居残る子がいるんだね

 

 そんな中、マルフォイは止めようとするゴイルやクラッブを無視して、メルムにちゃんとした家族が居ないことを嘲ったのである。

 あっという間だった。

 マルフォイの気障っぽいプラチナブロンドの髪を掴んだメルムは、その何も入っていないであろう空っぽの頭を机に思いっきり叩きつけた。

 

 ────マルフォイ。お前の両親は悲しむかな?お前が死んだら

 

 飛行訓練の悪夢の再来だ、メルムの杖はしっかりとマルフォイの首に食いこんでいた。

 咄嗟にスネイプ教授が妨害呪文をメルムに放たなければ、確実に何かしらの報復行為を彼女は行っていたであろう。

 

「生徒に呪いを放つ寮監も寮監だけど。察知してアレを避けるのもバケモンだよな」

 

「確かにねぇ」

 

 スネイプ教授の放った妨害呪文は結局不発だった。

 完全なる死角からの不意打ちにも関わらず、メルムはまるで最初から分かっていたかのように、呪いを紙一重で避けたのだ。

 顎に手をやり天井を見上げるミリセント。

 

「もしかしたら本格的な格闘術は齧ってるかもだ」

 

「……マジで?」

 

「あぁ、マジさね」

 

 メルムが誰かを徹底的に攻撃したのは、あの飛行訓練の一回こっきりだった。

 しかし、印象に深く残る一回でもある。

 まず、人数的に不利な状況下でのメルムの立ち回り。

 同い年にしては驚くほど冷静だった。

 普通ならあぁはいかない。喧嘩慣れしている証拠だ。

 

(あの動きは高度な訓練をしてなきゃ身につかない)

 

 それに男子であるセオドールやマルフォイは知らないが、スリザリンの女子生徒は全員知っている。

 ミリセントほどではないが、メルムも小柄な体躯の割に意外と筋肉がついている方であることを。

 

(私と身体の鍛え方がそもそも違う……もっと実践的な状況で身体が動くように鍛えているねぇ、あの身体は)

 

 だからこそのあの動き。

 とはいえそれでも普通なら体格で勝り、性別も違う男子を相手に肉弾戦になっては女子が敵うべくもない。

 

 ────だが勝った。

 

 それは純粋に戦闘行為における心構えが違ったからだとミリセントは考えている。

 

(よく父様が言ってたっけねぇ。初手から自分のフルスピードを叩き込めって)

 

 自分よりも体格やスペックが高い相手と戦う事など格闘技でも実践でもままある話だ。

 そんな時はどうするか? 

 答えは、相手のボルテージが上がり切っていない間に自分の全力を叩き込むこと、だ。

 スポーツでも格闘技でも最も重要なのは試合の立ち上がりである。

 早々に相手の出鼻をくじいてしまえば、格付けは済み此方に一気に流れを呼び込める、と前に父親が言っていた。

 

「でも、それって玄人の考え方なんだがねぇ……」

 

 それを何故あの少女が知り、また実践しているのか。

 我が友ながら謎が多すぎる。

 

「まぁ何はともあれクリスマスだ。一時じゃあるが、私もあんたもこの忌々しい学校から解放されて、麗しの実家に帰れるのはいいことだ。休日は楽しまないとねぇノット」

 

「お前は楽しい休暇だろうさミリセント、ドMのお前にゃあの親父のキッつい訓練も極楽に思えるんだろうよ。こちとら教会で朝から夜までお祈りさ。帰ってくる頃にゃ聖書1冊分を丸暗記してるかもな」

 

 荷物を纏め終えて、ため息を吐く。

 家系が特殊だと、その子孫も苦労する。親には逆らえないのが子供の悲しい性であった。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

「今日はクリスマスか……」

 

 一人ぼっちで過ごすクリスマス。実にいつも通りの年内行事。

 冬休みに学校に残る奇特なスリザリン生はボク以外にはおらず、現在この広い談話室をボクが独り占めしている状態だった。

 でも寂しくはない。

 この誰もいない休日は、ボクとしてもいつもよりかは自由に動けるから。

 

「というわけで始めますか。休日の日課」

 

 学校が休みの日は、日が昇る前に起きだし、準備運動を終えたら走り込み。

 まずは学校の周りを五周、ぶっちゃけこの時点で大分キツい。

 広大な城の周りを走り込むのは、大人でも結構辛い筈だ。

 

「でも体を温めるにはちょうど良いんだよね」

 

 十二月も半ばになると湖はカチコチに凍りついて、城が雪まみれになる事も多々ある。

 暖炉がある談話室や大広間と違って、外は身を切るような風が吹雪いているのだ。

 白い霧のような息を吐きながら、走り終えたボクは糖分を補給する為にロリポップを頬張る。

 ちなみに師匠のアラスター・ムーディ曰く、元々ボクの基礎体力は同世代の子供達のそれと比べて高いんだとか。

 ホグワーツ入学前に再会した時も、動体視力や反射神経に空間把握能力、それらがずば抜けていると褒めてくれた。

 

「はぁ……つぎつぎ」

 

 小休憩した後は、禁じられた森に移動。

 この森の中は実に複雑な地形となっており、起伏が激しい。

 坂が急なのは当たり前、木々が入り組んで鬱蒼とした森の中はすぐに方向感覚を狂わしてくる。

 時には危険な魔法生物に追っかけ回される羽目になることも。

 ケンタウルス達に槍や弓矢を向けられることなどザラだ。

 禁じられた森の守護者を気取る彼らは、森の侵入者に対して問答無用である。

 とはいえ、それでもアクロマンチュラの巣にぶち当たった時ほど最悪ではない。

 

「あの時は割と命の危機を感じたよ。熊より大きい蜘蛛なんて悪い冗談だ」

 

 ただでさえ苦手な蜘蛛。

 しかも、木の葉の上にうじゃうじゃしている細かい蜘蛛とはモノが違う。

 馬車馬のような、八つ目八本脚の黒々とした毛むくじゃらの巨大な蜘蛛だ。

 おまけに彼らは魔力を持たない普通の蜘蛛とは対照的に、狼のように社会的な動物であり、百匹以上の群れで行動する。

 それが人を襲う本能を持っているのだ。たまらない。

 訓練の一環になるかと思ったボクは、アクロマンチュラの群れを魔法で撃退しながら校舎を目指す羽目になった。

 

「当分、カシャカシャって音は聞きたくないかな」

 

 そんなことを愚痴りつつも、昼前には自分で決めた森のルートを踏破する。

 森番であるハグリッド以外には滅多に人が入り込まない森なので、道らしい道はなく獣道さながらではあるが、それでもボク自身の足でもって安全を確認したルートだ。身体が覚えている。

 

「さてと。日課も終えたし、お風呂に入ったらご飯たーべよっと」

 

 うーんと背伸びをしたボクは、取り敢えずやる事はやったので校舎に戻ることにした。

 入浴し身体を清めて昼食を食べ終えたら、疲れを癒す為に暖炉の前で寝っ転がり三時間の昼寝。

 何故自分のベッドで寝ないかというと、ふっかふかの絨毯や炎が勢いよく燃える暖炉の前で寝る心地良さを知ってしまったからに他ならない。

 率直にいってしまえば、少し冷える自分の部屋のベッドで寝るよりもずっと気持ちよく寝れる。

 

「……ふぁ〜あ……良く寝た」

 

 適当な時間に起きた後は、飽きるまでひたすら借りてきた本を読み漁る。

 暖かい談話室で小難しい本と睨めっこは、幸いなことに嫌いじゃない。

 

「魔法省もそうだけど。大きい施設は資料が揃ってるから良いよね」

 

 暖炉に一番近いという理由でボク専用と化した広いテーブルには、図書室から借りてきた本が山のように積んである。

 不真面目でノートも取らないボクが冬休みにこんなことをしていると知ったら、ミリセントやセオドールは口を半開きすること請け合いだ。

 ボクは積み上げられた本の上で、腹を出して寝ているペットの二フラーを撫でる。

 

「ゴールディ、お前のお陰で本来なら読めない本も読める。ありがとうね」

 

 図書室の奥には閲覧禁止の棚、通称”禁書の棚”がある。

 先生の許可証がなければ、持ち出しはおろか閲覧することも出来ないその本棚には、魔法省直々に指定した発禁本や生徒達が閲覧するには危険な本が所狭しと並んでいるという。

 

 ────本物の文化はいつだって迫害される。

 

 思考の自由を縛った所で、四角四面の馬鹿が量産されるだけだ。

 自由な思考と博識な頭脳にこそ想像力は宿るというのに……とまぁ愚痴はそこまでにしておこう。

 今回、ボクがこっそりゴールディに持ち出して貰った本は”魔法使いの定義”と”最も邪悪なる魔術の驚異について”だ。

 特にこの”魔法使いの定義”は、爺様が著者なだけあってよく出来ている。

 少し引っかかったのは、マグルの世界の超能力者であるユリ・ゲラーすらも引き合いに出して、古来から存在する魔法族のルーツを探る彼の本気ぶりだ。

 何せ、爺様が掲げてきたであろう純血魔法使いの痒い所を擽るイデオロギーを、この本では完全に否定している。

 恐らくこの本が発禁本に指定されたのも、著者が理由というよりかは書かれている内容に寄るところが大きい。

 今の魔法界の構造上、あまりにも不都合なのだ。

 

「確かに楽しんで読めるけど……これを読んだ人はさぞビックリしただろうなぁ」

 

 元々、真実に嘘を混ぜた話で人を惹きつけるのは、詐欺師たるゲラート・グリンデルバルドの専売特許。

 しかし、この本には根拠や検証といった部分があまりにも少なく、殆どが憶測や推論で成り立っている。

 

 ────まるで神話を読んでいるようだ。

 

 そして、だからこそ読んだ人々の心を捉えて離さない。

 もしかしたら……という空想を掻き立てるのが絶妙に上手いのだ。

 一通り読み終えたボクは、パタンと本を閉じる。

 

「いやぁ楽しいね。くだらない学業にさえ目を瞑ればここは天国だよ。何せ古今東西の発禁本を実質、自由に閲覧できるんだから。疲れたら六・七年生の教科書で気分転換もできるし」

 

 折角の冬休みだ。

 有用に使わなければ、わざわざ学校に残ってじっとしている事すら馬鹿らしく思えてくる。

 

「それに今日は他のお楽しみもある事だし。悪くはないかな」

 

 席からぴょんと飛び上がったボクは昨日、校内で発見した気になる物の元へと向かうことに決めた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 本来、火急の案件の時にしか開かれない開かずの会議室。

 しかし現在、その場には大勢の魔女と魔法使いがいた。

 皆それぞれが魔女や魔法使いにふさわしく、ひっきりなしに早口でおしゃべりをしている。

 そんな中、初老の女性が口を開いた。

 

「静粛に、静粛に。黙らせ呪文を使わせるつもりですか?……結構、臨時総会を開催します。今回は魔法大臣コーネリウス・ファッジに変わりまして私、魔法法執行部部長アメリア・ボーンズが主催を務めさせて戴きます。若輩者ですがどうぞよろしくお願い致します」

 

 ぺこりと行儀よく頭を下げる仕草一つ見ても彼女の所作は清廉としていて隙がない。

 最近の若い魔法使いが忘れてしまったかけがえのないものの一つだ。

 そして、そんな彼女は偏見なく公平な判断をする人物ということで知られている。

 

「さて、これほど大勢がお集まりくださったことを嬉しく思います。魔法界はここ何年にも渡って平和に暮らしてきました。”第1次魔法戦争”から約10年。あの残酷な時代から平和を知る世代が育ちつつあることを喜ばしく思います」

 

 しかし、とボーンズは続ける。

 

「ここ1年の間に、我々イギリス魔法省は水面下にて発生する幾つもの不穏な動きを確認致しました。手元の資料をご覧下さい。まず、世界各地に存在する様々な魔法生物達の活動がこれまでに類を見ないほど活発化しております」

 

 配られた書類の一枚目には、ここ数ヶ月に起きた各地での魔法生物達の異変が事細かに記されていた。

 ハンガリーにいた山トロールが群れを成して欧州を横断中。

背中に竜の刺青を入れた巨人の大群が巨船を引いてギリシャの海を歩き回る。

ペルーに生息していたペルー・バイパースーツ種が一斉に飛び立った……などと大事件のてんこ盛り。

 地下四階にある魔法生物規制管理部は、徹夜を何回する羽目になったのやら。

 

「えー……この書類に書かれているのは、10年前に例のあの人に加担した闇の勢力も多々含まれております」

 

 ボーンズの後を引き継いだのは、二年前にアラスター・ムーディに変わり新しく闇払い局長に就任した男だった。

 

「それだけではありません。ここ最近はナリを潜めていますが、8月から9月にかけて頻発した純血の貴族の方々を狙った連続殺人事件も迷宮入りとなり、最近の情勢は非常に芳しくないと言えるでしょう。現在、我々はかつて闇の勢力に組した狼男達の動向を探りつつ、何らかの動きがあるまで静観するしかないのが現状です」

 

 魔法省の弱気な姿勢に辺りから一斉に罵声が浴びせられる。

 仕方のない話だ、と総会の末席に座っているルシウス・マルフォイはため息をついた。

 現状イギリス魔法省内で起きた事件は迷宮入り、動き出している魔法生物に関してもイギリスの外で起きた事件である以上、他国の魔法省の管轄だった。

 如何に怪しくとも、他国に口出ししてまで調査を進めるには圧倒的に材料が足りない。

 警戒しようとも先手が取れないのだ。

 

「やれやれ、図体がデカい組織も考えものだな。火急の時に限って動きが鈍い」

 

 ルシウスの隣で笑うのはコーバン・ヤックスリーだ。

 魔法省の権力争いに度々加担してきた彼もまた、この総会の末席に呼ばれていたのである。

 

「部屋を出ようかルシウス。どうせこの後は野次や罵声が飛び交うだけで何の進展もない。もうこの席に座っていても旨みは無いよ」

 

「……では、お言葉に甘えさせて戴きましょうか」

 

 促されるままに席を立つ。

 かつて死喰い人としてはルシウスよりも低い立ち位置だったヤックスリー。

 彼はこの十年で魔法省での地位を確立し、今や表の立場はマルフォイ家よりも上にまでなっていた。

 騒がしい会議室を出た二人は、廊下を歩きながら彼らにしか分からない内緒話(・・・)を始める。

 

「最後の被害者はジャグゾン、その前はエイブリー。彼らは全員何かしらの拷問を受けたあとがあった。魔法省の愚図共は単なる純血貴族を狙った凶行としか考えていないが……ルシウス、お前なら分かると思うが狙いは我々(死喰い人)だ」

 

「それは幾らなんでも話が飛躍し過ぎだと思いますが……まぁ少なくとも、ただのネジが外れた通り魔ではないでしょうな。犯人はその場にいた人間を尽く始末している。顔を見た者は1人として逃さない、生まれたての赤子も含めて。修羅場に慣れている証拠ですな。容赦がない」

 

「あのお方が突如いなくなってから10年。ようやく後ろめたい経歴が過去のものとして扱われ始めている矢先にコレだ」

 

「過去のものとして?おかしな話ですなヤックスリー卿。私の耳には未だに貴方の黒い噂が入ってくるのですがね? 政治に口出しをしてまで吸う甘い汁は大層美味なのでしょうな」

 

 ルシウスの吐いた毒に、ムッとするヤックスリー。

 この男を捜査をしていた闇払い達や政敵が不審な死を遂げるのは有名な話だ。

 そして、それらの事件は瞬く間に迷宮入りとなる。

 ヤックスリーが魔法省でも上の人間と密接な関係にあるというのは間違いない。

 

「何事もクリーンにはいかないものさ。少しの濁りはどの場にも必要だ。生き物が生きていく為にはね」

 

「少しの、ねえ」

 

「……ルシウス、お前とて例外じゃないだろう。でなければあのウィーズリーに尻を追っかけ回されて、ボージンの店に通い詰めにはならない筈だ」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすヤックスリーに、ルシウスは語気を強める。

 

「勘違いして貰っては困るが。神に誓って息子が産まれてから、私は人の生き死にを左右する事柄には関わってはいない。君と違って」

 

「……今さら善人ヅラかね?」

 

「どうですかな。慈善事業に精を出した覚えはありませんが。とはいえ個人的にはその台詞のチョイスは鼻につく」

 

 己の私利私欲の為、あっさりと子供まで殺せるこの下衆に同族と思われていた事は恥と言ってよかった。

 昔からそうだったが、ルシウスは”例のあの人”が率いる下品で粗野な他の死喰い人達とは気が合わない。

 頭を働かせず、面倒なら殺せば済む。

 そうやって短慮を起こす輩のせいで何度アズカバンに送りかけられたことか。

 

「悪かったよ。身内の葬式にこう何遍も呼び出されると、どうにも気が滅入ってしまってね」

 

「ほう、貴方がそんなにも仲間思いであったとは意外ですな。闇の帝王が身を隠した際、いの一番に日和った人間の中には貴方の姿もあったと記憶しているのですがねえ」

 

 ルシウスが本気でイラついているのが分かったのだろう、ヤックスリーは肩を竦めておどけた。

 

「カリカリするのはよせ。私が言いたいのはだ。天秤を動かそうとしている者がいる。そしてお前には息子やナルシッサがいる。身辺には充分に気を配っておいた方が良いということだ。人間、守る物があると何かと動き辛くなるからな」

 

「その御心遣いだけ受け取っておきましょう。幸いなことに、ナルシッサもドラコも私の足枷となるほど愚鈍ではない。貴方こそ背中に気をつけた方がよろしいのでは?闇の帝王がいなくなってからは、随分と”安全な貴族の遊び”をしているようだが、自分だけは絶対に死なないというその自信が隙となる。まぁ十代にありがちな誇大妄想ですが、私は、世の中の仕組みがそんなに甘くできているとは、とても思えないのでね」

 

 人の命の心配するということは、裏を返せばまだ自分は大丈夫だとタカをくくっているという事に他ならない。

 そんな彼の驕りをルシウスは痛烈に皮肉った。

 

「……そうかね。なら好きにするといい」

 

 ピクリと眉を動かしたヤックスリー、しかし意外にも彼はそれ以上言い返すことはしなかった。

 此方に手を振って簡単な別れの挨拶を済ませると、ヤックスリーは姿くらましをしてルシウスの前から姿を消した。

 消えた残滓を憎々しげに見やったルシウスは、重いため息を吐く。

 

「娑婆で息をしている死喰い人(デス・イーター)の大半は、私や貴方も含めて保身ばかり考えるしょうもない小悪党ばかりだ。今さら誰が殺されようと関係はない。どうせあの御方が舞い戻れば私達は全員皆殺しだ」

 

 ルシウスは右腕を覆っているローブを捲る。

 少し前まで掠れ消えそうであった闇の印がまた濃くなっていた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 その日、ハリーは浮かれていたのだろう。

 

 何せ、今まで生きてきた中でも最高のクリスマスだ。

 ハグリッドからは梟の声がする粗削りな木の横笛。

 ウィーズリー家からはウィーズリー家特製セーター。

 ハーマイオニーもちゃんと忘れずに蛙チョコを贈ってくれていた。

 今の今まで、クリスマスプレゼントを貰った事など無いに等しかったハリーは天にも昇る思いだったのである。

 

「はぁっ……はぁっ……ッ!!」

 

 そんなハリーは現在、真夜中の校内でフィルチに追っかけ回され、絶賛疾走中。

 持ち出したランプはひっくり返してしまった拍子に灯りが消えてしまい、使い物にならない。

 お陰で真っ暗な視界の中、出来るだけ息を殺しながら走るという器用なことをする羽目になっている。

 ちなみに、ハリーがこんな行動に出てしまったのにはちゃんと理由があった。

 

 ────君のお父さんが亡くなる前にこれを私に預けた。君に返す時が来たようだ。上手に扱いなさい、メリークリスマス

 

 名前も分からない誰かからのクリスマスプレゼント。

 纏った者の姿を隠す透明マント。父の形見。

 このマントを着ていれば、ホグワーツ中を自由に歩ける。

 そんなバカなことを考えてしまったのがそもそもの始まりだったのである。

 

「先生、誰かが夜中にも歩き回っていたら直接先生にお知らせするんでしたよねぇ。誰かが図書館に、しかも閲覧禁止の所にいました」

 

「閲覧禁止の棚?それならまだ遠くまで行ってはいまい。捕まえられる」

 

 直ぐ近くから聞こえてくる憎らしいフィルチの声。

 最悪な事に、いつの間にかスネイプの猫なで声まで追加されていた。

 彼らが前方の角を曲がって、こちらにやってくるのが足音で分かったハリーは血の気が引く。

 もちろんハリーの姿は見えないはずだが、如何せん狭い廊下だ。

 もっと近づいてくればハリーにまともにぶつかってしまう。

 そう、透明マントはハリーの身体そのものを消してくれるわけではない。

 

(頼むからこっちに気づかないでくれよ……)

 

 ハリーはできるだけ静かに後ずさりした。

 左手のドアが少し開いていたので、それが最後の望みの綱。

 息を殺し、ドアを動かさないようにして、ハリーは隙間からそっと滑り込む。

 

「……ふぅ……」

 

 危なかった。危機一髪だった。

 数秒後、ハリーはやっと自分が今隠れている部屋を見回す余裕が出来る。

 

「何だろう……ここ」

 

 昔使われていた教室のような部屋だった。

 机と椅子が黒い影のように壁際に積み上げられ、ゴミ箱も逆さにして置いてある。

 フィルチやスネイプの足音も聞こえなくなり、落ち着きを取り戻しつつあったハリーは、息を潜めながらも透明マントをバサッと脱ぎ捨てた。

 極度の緊張と全力疾走したせいで、いい加減暑苦しかったのだ。

 

「……」

 

 部屋の中は、どこまでも広いようで狭い。

 何より異様なのは、部屋の端にある大きな鏡だった。

 それは、天井まで届くような背の高い見事な鏡で、金の装飾豊かな枠には二本の鈎爪状の脚がついている。

 そして……

 

「ッ!?」

 

 遅ればせながらハリーは、この部屋に自分以外の人間がいることに気がついた。

 鏡。その正面の椅子に跨った女の子がロリポップを咥えながら、ぼうっと鏡を見つめている。

 その背中は魂が抜けているかのように力が篭っていない。

 

「えーと……メルム?」

 

「……どうしたポッター、こんな夜更けに。お前も冬休みはひとりぼっちか?」

 

 ハリーに向けられる目はどこか濁っている。

 鈴のように良く通る声も、今は少し擦れていた。

 改めて見回すと部屋の中は真っ暗だった。

 窓から外の景色を一切遮断するように覆う無骨なカーテン。

 闇に包まれた部屋は、まるで呼吸をするかのようにその質量を膨らませている。

 

「何を見てるの?」

 

「私の望みだよ。未来でもある」

 

 意味が分からない。

 だが、彼女はそれ以上説明する気はないらしく、再び視線を鏡へと戻す。

 正直に言うと、部屋の不気味な雰囲気も相まって今のメルムはどこか近寄りがたかった。

 

「望みというモノは酷く曖昧だ。目先の物欲や恋慕、上昇欲に野心、挙げればキリがない。幾つもの願いを人という生き物は常に秘めている。その中で最も強い望みとは何か。多くの人間は薄っぺらい欲望を己の本当の望みと錯覚している、心の奥底ではまったく違うものを欲しているのにな。ヒトの心は複雑なものだと実感させてくれる良い例だよ」

 

 いよいよおかしい。

 いつもの彼女とはどこか違う気がする。そもそもこんなにハキハキとした口調だっただろうか。

 なんとも説明し辛い。だが今の彼女からは嫌な感じがするのだ。

 一体今、目の前で鏡を眺めている少女はなんなのか。

 空気が生ぬるい。

 息苦しさを覚えたハリーは、部屋の端までいって窓を開ける。

 けれど新鮮な空気が室内に流れることはなく、滔々と夜空に朧月が浮かぶだけだ。

 

「どうした? お前もこっちに来ればいい。魔法省でも滅多に見れない骨董品だ。実に珍しいものだぞ、これは」

 

「いや、僕は……」

 

「いいから、こい」

 

 力の籠った言葉に、誘われるように体がフラフラと動いた。

 

「なんだって言うのさ……もう」

 

 言われた通りにメルムの傍らに立つハリー。

 恐る恐る横から鏡を覗き込むが、別段変わったものは映っていない。

 どんな恐ろしいものが映っているかと思いきや、いつものパジャマ姿の自分が映っているだけだ。

 確かに夜中に鏡に映った自分の姿は不気味ではあるが、それだけの話である。

 困惑したハリーの様子に満足そうに頷いたメルムは、むくりと席を立ち上がると顎で鏡の方を指す。座って見ろということだ。

 

「……え?」

 

 席に座った途端に、鏡の中の景色がガラリと変わった。

 先程までハリーしか映っていなかった鏡の中には現在、少なくとも十人くらいの人が映っている。

 慌てて肩越しに後ろを振り返ってみた……誰もいない。

 皆、透明なのだろうか? それとも、この部屋には透明の人が沢山いて、この鏡は透明でも映る仕掛けなんだろうか? 

 

「驚くのも無理はないか。上に刻まれた文字を見るといい。賢ければ、この鏡が何を映しているのか直ぐに分かる」

 

 鏡の上に刻まれた文字を指さしメルムは口の端だけで笑った。

 

 ────すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ

 

 ハリーはもう一度鏡を覗き込んで見た。

 すぐ後ろに立っている女性が、ハリーに微笑みかけ手を振っている。

 とても綺麗な女性だった。

 深みがかかった赤い髪で、ハリーと形がそっくりな瞳は明るい翡翠色をしている。つまり瞳の色すらもハリーと同じだった。

 

「……ママ?」

 

 ハリーはその女の人が泣いているのに気づいた。

 微笑みながら、泣いている。

 痩せて背の高い黒髪の男性が傍にいて、腕を回して女性の肩を抱いていた。

 その男の人は、メガネをかけていて髪がクシャクシャだ。

 そしてハリー同様に後ろの毛が立っている。

 

「……パパ、なの?」

 

 後ろに手を伸ばしてみても空を掴むばかりだった。

 もし本当に二人がそこにいるのなら、こんな傍にいるのだから触れることが出来る筈だ。

 なのに、何の手応えもなかった。

 女の人も他の人達も、鏡の中にしかいなかった。

 

「『私は貴方の顔ではなく、貴方の心の望みを写す』。なるほど、お前の望みは失われた家族と共にいる自分か。なんとも分かりやすい悲劇だな、これは」

 

 メルムの言葉に、ようやくハリーは上に刻まれた文字が鏡写しになっていることに気がついた。

 

「鏡とは古来から境だった。日常と異界を繋ぐ通路として。鏡の歴史は意外にもかなり古い。鏡を使った魔術の歴史も。これはその応用だよ。それこそ鏡がない時代は、湖や川の水面を代用していたという話もあるくらいだし、こんな趣味の悪い物が実存していたとしてもおかしな話じゃあない。つまりそれだけ重要なのさ。己の姿を映すという事は」

 

 ぞくぞくした。メルムの話に。

 鏡に映った、この世ならざる者達に。

 それと同時にハリーは暖かい気持ちにもなった。

 この鏡に映るのは今はもう戻っては来ない人達だ。

 それを映し出すことで仮初とはいえ、ハリーは顔も覚えていない家族と再会出来た。

 

「なるほど……望みを映す鏡。この鏡は見た人を幸福にしてくれる鏡なんだね」

 

 ポッター家の人々がハリーに笑いかけ、手を振っている。

 ハリーは貪るように皆を見つめ、両手をピッタリと鏡に押しつける。

 恥ずかしい話だが、鏡の中に入り込み皆に触れたいとさえ思った。

 そんなハリーの姿を眺めていたメルムは、実に的外れな発言だと失笑する。

 

「幸福にしてくれる鏡?違うよ、これは自分がどれだけ不幸か確認する為のおまじないだ」

 

「……どういうこと?」

 

 こんな素晴らしい鏡を、メルムはまるで溝で這いずり回る鼠を見るかのような目をして眺めている。

 どうしてこの銀の少女が、そこまでこの鏡を嫌悪しているのか理由が分からないハリーは首を傾げた。

 

「簡単な話さ。幸福か不幸かを形にして外から見ないと安心出来ない時点で、この鏡の虜になった者達は幸せなんかじゃあない」

 

 うんざりしたようにメルムは、バリボリバリリッッ!! と口に咥えたロリポップを噛み砕く。

 なんとなく気まずくなった空気。

 ハリーは話題を変えようと、鏡とは違う話を振る。

 

「そういえばメルムはいっつもその棒飴をしゃぶっているよね。よほど好きなんだね」

 

「……いいや。別にこれが好きなわけじゃない」

 

「ならどうして?」

 

「妹が買ってきてくれたんだ」

 

 メルムは少し寂しげに微笑む。

 遠くを見つめるような、もう帰らない列車を見送るような、そんな顔だ。

 

「昔の話だよ。妹に比べて不出来で魔力の制御が覚束無い私は、滅多に外に連れ出しては貰えなかった。そんな私を可哀想に思ったんだろうな。妹が一緒に食べようと言って、よくお菓子をお裾分けしてくれた。それがこのロリポップだった。それ以来、これをよく買っている」

 

 意外だった。

 どこかぼんやりとしていて、しかしスイッチが入ると手がつけられないのがメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドという少女だ。

 まさに自由奔放。心の何処かでハリーはメルムが一人っ子であると疑いもしなかった。

 

「優しい妹さんだね。その子も来年か再来年にはホグワーツに入学するのかい?」

 

「それはないな。妹は死んでしまったから」

 

「……え?」

 

 予想もしなかった返答にハリーは凍りつく。

 

死喰い人(デスイーター)に殺されたのさ。私がちょうど6歳の誕生日を迎えた日だった。あれだけ厳しかった両親もあっさりと殺された。生き残ったのは私だけだった」

 

 そういえば、ハリーはこの少女から家族の話を聞いたことは一回もなかった。

 てっきりハリーに気を使ってくれているとばかり思っていたのだ。

 クリスマスなのに家にも帰らず学校に居る。

 その意味を深く考えもせず、自身が馬鹿な質問をしてしまったことに遅まきながら気づく。

 

「ちょッ……え?……ごめん、無神経な話を振っちゃって」

 

 若干どもりながら謝るハリーに、気にするなとメルムは笑った。

 

「皆、何かしらナイーブな過去を持っている。お前だって両親をヴォルデモートに殺されているだろう」

 

「そりゃそうだけど……」

 

 何せ身内が死んだ話だ。

 話を振った側としては気が気ではない。

 とにかく、と話を切り上げるようにメルムは言う。

 

「鏡が見せるのは心の一番奥底にある一番強い望みだ。それ以上でもそれ以下でもない。お前は家族を知らないから、家族に囲まれた自分を見る。私だって例外じゃない。誰だってそうなる。しかし困ったことに、これは知識や真実を示してくれるものではない」

 

 パジャマの襟を掴まれてハリーは無理矢理席から退かされる。

 どかり、と代わりに席に座ったメルムが鏡を眺めながら話を続けた。

 

「分かるか?ぬか喜びのような幸福だけを与えて、都合の悪い現実から目を逸らさせるのがこの鏡だ。こういうのは見るだけで人に害を与える。夢に耽って、現実から逃避するのは破滅の始まりなんだ」

 

 それっきりメルムは黙りこくってしまう。

 もっともらしいことを言いつつも、鏡を独占するその姿は鏡の中の光景にハリー以上の執着を抱いていることに他ならない。

 頭では分かっていても、鏡から離れることが出来ない。そんな様子が退廃的で気味が悪かった。

 

「ねぇメルム。君には、鏡の中に何が見えているの?」

 

「……見たいか?」

 

 ハリーの問いに、メルムはニィと口の端を歪めた。

 此方にスっと伸ばされる小さな手。何か嫌な予感がした。

 潤んだ暗い瞳が、ハリーを見ている。

 

「いや……やっぱり遠慮しておくよ」

 

 咄嗟にその言葉を絞り出せたのは僥倖だった。

 誰だって見え透いている地雷を踏み抜こうとは思わない。

 メルムに背を向けると、ハリーは元来た道を引き返すべくドアの方へと爪先を向ける。

 いつものハリーならば、きっと鏡の中に映る家族達を飽きずにずっと眺めていただろう。

 だが、眼前の少女の放っている異様な雰囲気がハリーの熱を冷めさせていた。

 

「帰るのか?」

 

「うん。僕はもう寝るよ」

 

 そうハリーが答えると、目を閉じたメルムがふっ、と息を漏らす。

 それはまるで何かのスイッチを切り替えたようだった。

 彼女は目を開き、ハリーをまっすぐに見つめる。

 

「言うのが遅れちゃったけど。メリークリスマス、ポッター。今日は話せて楽しかったかな」

 

「……うん、そうだね。メリークリスマス、メルム。僕も楽しかったよ」

 

「まぁボクが言えた義理じゃないけど、あんまり夜更かしも校則違反もしないようにしないとね。皆に怒られちゃうからさ」

 

 クスクスと笑うメルム。

 柔らかめの口調にぼんやりとした雰囲気。

 それは至っていつものメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドだった。

 

「おやすみポッター。夜も遅いから、帰る時には気をつけてね」

 

「分かった、帰りは透明マントを使うよ。それじゃおやすみ」

 

 別れの挨拶も早々に、透明マントを被って部屋を後にする。

 寮へ帰る足取りは自然と早くなった。

 先生に見つかったりフィルチに追っかけ回されたりする可能性もあったがハリーは気にしなかった。

 

 それだけハリーはあの異様な部屋から……いやメルムから、なるべく早く遠ざかりたかったのだ。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

「ボクには何が見えている、か」

 

 ポッターが去り際に投げかけていった言葉を反芻し、ボクはドアから鏡へと視線を戻す。

 

 鏡の前には、ボクの姿が映っている。

 

 その周りには瞳から光が消えた男女が無数に倒れており、彼らが事切れているのは一目瞭然だ。

 青黒い業火に照らされた、幾つもの骸が転がる凄惨な光景。

 その中心で鏡の中のボクは、杖を振り回し未だに何かと戦っている。

 ふと、鏡の端でそれを見守る少女の姿を見つけて、現実のボクはふっと笑った。

 

「君はいつも笑ってくれないよね、ルシア」

 

 鏡の端に映り込んだ、髪と瞳の色以外はボクと瓜二つの女の子。

 快活によく笑っていた彼女の顔は、今はとても曇っていて物凄く悲しそうだった。

 

「しょうがないじゃないか。これがボクの望みなんだから。鏡の中と違うのは、君が居ないことくらいだ」

 

 鏡の中の少女は必死で首を横に振って、鏡を眺めているボクに何かを訴えかけている。

 だが、その声が届くことはない。鏡に映っている少女は幻想なのだから当然だ。

 本物の彼女は灰になってゴドリックの谷の墓の下。どうしようもない現実。残念無念。

 

「こんなことは間違っているし、誰も幸せにはならない。もし今でも君が生きていれば、そう言ってこの不甲斐ない姉を叱ってくれたんだろうか」

 

 そして二人で楽しく好きな国々を旅して毎日を過ごす。

 一つの棒飴を取り合いながら、それでも最後には笑って半分こに分け合って。

 そんな未来があったとでも? 

 

「本当に残念だけれど、そうはならなかった。そうはならなかったんだよルシア」

 

 私のせいで君は死んで、愚かな私はひとりぼっちで孤独に生きている。

 IFの話はどこまでいっても夢物語、鏡の中の話でしかない。

 如何に夢想しようとも、どうしようもない現実は日常に横たわっているのだ。

 

「冬休みで話す相手がいなかったからかな?ムシの良い夢を見てみたいと思って来たけど、そんなに良いものでもないね。未練が再確認出来ただけだ」

 

 席を立ち上がり、新たに取り出したロリポップをボクは咥える。

 

 ────幼い頃から右目には未来が映っていた。

 

 妹が死ぬのも両親が死ぬのも知っていた。私が一人取り残されるのも。

 知っていても、どうにもならなかった。

 だから未来に期待はしないし、さしたる希望もない。

 だって確定している未来に突き進むだけの人生なんて、河原に転がる石ころと変わらない。

 全てはno fate、必然、まったく悪い冗談だ。

 

「さてと。ボクも帰るかな。子供はもう寝る時間だし」

 

もうここに来ることはない。

 近くにいる誰か(・・)にそう聞こえるように言って、ボクは部屋を後にするのだった。

 

 

 

 




感想に誤字報告いつもありがとうございます( ◜ᴗ◝)و
今のところ亀更新となっていますがなるべく早く話数を増やせるように頑張って行きます!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。