私より出来がいい妹を贔屓するお母さん。
魂まですっからかんにされた二人。
全てが終わった後、奥の部屋に用意されていたケーキを見て、今日が私の誕生日だと思い出した。
◇◇◇◇◇◇
結局、ルシウス・マルフォイが学校に乗り込んで来ることはなかった。
ダンブルドア校長が水面下で何とか諌めてくれたらしい。
とはいえ無傷なのかといわれればそうでもない。
ジェマ先輩からお説教を喰らったのだ。
────やり過ぎよ。スリザリンでは皆兄弟。嫌いな人間とまで仲良くしろとは言わないけれど。話を聞く限り他にやりようが幾らでもあったわ
────どんなに嫌な奴でも、スリザリン生同士で助け合わなくちゃいけない事は沢山あるの。軽はずみな喧嘩はいざという時に第三者まで巻き込むものよ
協調性なんてクソ喰らえだ、馴れ合いは好きじゃない。
そう伝えたら、ジェマ先輩は肩を竦めてため息を吐いていた。
お陰様で寮内での人間関係は悪い方に固定。
我らが同胞たるスリザリン生は、ボクとの関わり方を”遠巻きに見る”で完全に決めたようだった。
しかし、悪い事ばかりでもない。
そんなボクは見ていて憐れだったらしく、見かねたセオドールやミリセントが、また連みだしてくれるようになった。
他にも良い事が一つ。
ポッターが飛行訓練の授業中に視察に来ていたマクゴナガル先生の目に止まって、百年ぶりの一年生シーカーに収まった。
「遅くなったけどシーカー就任おめでとうポッター。マクゴナガル先生からニンバス2000貰ったんだって? 凄いよね」
「ありがとうメルム。マクゴナガル先生も粋な計らいをしてくれたよ。素晴らしい箒さ!まぁマルフォイやクラッブが少しばかり五月蝿かったけど」
「あんなの蝿や蚊だよ。気にすることないと思う」
あれ以来、ドラコ・マルフォイは一切ボクに近寄って来なくなった。
他人の感情の機微に疎い彼でも、流石に嫌われている事が分かったのだろう。
手酷く痛めつけてやった甲斐があるってもんだ。
ポッターやウィーズリーへの嫌がらせは相変わらずだが、彼らも彼らでマクゴナガル先生から貰ったニンバス2000を見せびらかしたりしているので、どっちもどっちだろう。
「マルフォイはともかくとして、やっぱり運動と勉強を両立させるのは大分キツいよ。毎日たっぷり宿題がある上に、週3回の練習まである。お陰であっという間の1ヶ月さ」
「なら今日はお祝いだね。ハロウィンだから先生は宿題を出さないって前の授業で言ってたし」
今日はハロウィンだ。
今までは、祝うどころか気にしたことすらあんまり無かったけど、どんなものか楽しみだ。
現在は、”妖精の呪文”の授業の帰りに一緒になったポッターやウィーズリー達と次のクラスに向かっている。
ミリセントとセオドールは、ハロウィンくらいゆっくりすると言っておサボりの最中だった。
最近は三人で授業を交互にサボるのをルーティンにしており、実習以外の座学は出席している人間がノートを取って、後で見せるという形にしている。
三日くらい前に、ボクが禁じられた森の散歩に丸一日費やしたお陰で、今日は一人で出席する羽目に陥っていた。
「そういえばウィーズリーは最悪な機嫌だけど、何かあったの?」
「おーメルム!聞いてくれよ!あの長出っ歯ときたら!五月蝿くてしょうがないんだよ。何があったかと言うとさ……」
ウィーズリーの話は実にくだらないものだった。
浮遊呪文を上手く唱えられなかった彼に対して、小馬鹿にした口調でハーマイオニーが浮遊呪文の唱え方を教えたという。
それっぽい理由ではあるが、何かと自分達のやる事に茶々を入れてくるハーマイオニーへの不満が爆発したようにしかみえない。
(ハーマイオニーもハーマイオニーだ。別に言っても無駄なんだからほっとけば良いのに)
ウィーズリーとポッターがやや校則無視な傾向にあるのは恐らく治らない。
これはネビルから聞いた話だが、彼らはネビルやハーマイオニーを引き連れて、なんと禁じられた四階の右側の廊下の部屋に入ったらしい。
幻覚かそれとも夢を見ていたのかは分からないが、ネビルはそこで部屋いっぱいのデカさの犬を見たと言っていた。
それも頭が三つもある犬を。
可哀想に。ネビルはガクガク震えていた。
「レヴィオーサよ!レヴィオーサ!貴方のはレヴィオサァァァー!まったく大した優等生だよ。だから誰だってあいつには我慢出来ないんだ。まったく悪夢みたいなやつさ。メルムもそう思うだろう?」
廊下の人混みを押し分けながら、ウィーズリーがボクに同意を求める。
「確かにちょっと我が強いところはあるけれども。まぁ探せば良いところはあるんじゃない?」
流石にハーマイオニーとは付き合いが浅い為、決めつけて言うのは憚れる。
彼女のクセが強いのは確かだが。
そんなことを話していると、誰かがボクにぶつかり急いで追い越していった。
「……見たか?」
「ハーマイオニーだ。今の聞こえたみたい」
「泣いてたね」
ジトーっとした目でウィーズリーを睨むと、少しバツの悪そうな顔をする。
「追いかけないのロメオ?」
「それ傑作。今からでも遅くない、ジュリエットを追いかけるんだロメオ」
「へ……へッ知るもんかい! 誰も友達がいないってことはとっくに気づいてるだろうさ」
そういう割にウィーズリーの顔は若干引き攣っていて、自分の言ってしまったことを少しは気にしているようだった。
◇◇◇◇◇◇
ハーマイオニーは次のクラスには出てこなかったし、その日の午後は一度も見かけなかった。
突如として行方不明になった彼女だが、意外なことにその行先を知っていたのはミリセントだった。
同じく学校をサボったセオドールやパンジー、ダフネをカモにして談話室でポーカーに興じていたミリセント。
そんな彼女が催して地下牢の近くのトイレに行った時の出来事だった。
ハロウィンのご馳走を口いっぱいに頬張りながら、ミリセントがその話をしてくれた。
「まったく、あの時ほどたまげたのは久しぶりさね!授業中のトイレに先客が居るってだけでも驚きなのに、力む声の代わりに泣き声が聞こえてくるときた!」
「ミリセント、そりゃきっと聞き間違えだ。いよいよもってあの”嘆きのマートル”が我らが地下牢のトイレにお引越ししたに違いねぇ」
「そう思うだろう?だから私も言ってやったのさ。『マートル!ここに引っ越されると、女子生徒達がトイレでクソをする度に憂鬱な気持ちになるからとっとと出ていけ!』って。そしたら凄い声で『一人にしてちょうだい!』って叫び声が返って来たのさ」
聞き覚えのあるその声の持ち主が、グリフィンドールの
そして心優しき我が友は、何が理由で泣いているのかは知らないが彼女をそっとしておこうと別のトイレを使ったんだとか。
「珍しいな。お前なら背中を叩いてウジウジすんな!くらい言いそうなもんだが。どういう風の吹き回しだ?」
「男関連の面倒臭い匂いがしたのさね。ああいうのはカウンセリングに限る」
なるほど、ミリセントは面倒事への嗅覚も野生並みらしい。
セオドールが肩を竦めて笑った。
「もうグレンジャーのことはいいだろ。どうせ時間が解決する。それよりハロウィンだぜ。パーティの時くらい楽しい気分でいたい。違うか?」
「そうだね」
いつもより飾りつけが派手な大広間を、ボクは見渡す。
千匹ものコウモリが壁や天井などあちこちでで羽をバタつかせており、もう千匹がくり抜いたカボチャの中のロウソクの炎をチラつかせている。
確かに、今までこんな凄いパーティは見たことがない。
(それにしても……)
テーブルに広がるカボチャ料理の群れが目に入り、ボクはため息を吐いた。
「これ全部カボチャ料理にする必要あるのかな……」
「しょうがないだろ、ハロウィンなんだから」
そういうものなのだろうか。
カボチャジュースやカボチャグラタンは分かる。
だけどカボチャスパゲティはやり過ぎだと思うのはボクだけなんだろうか。
見渡す限り全てがカボチャ!カボチャ!カボチャ!
胸焼けしそうなしつこさである。
「でもこの皮ポテトは美味い」
「んだよバッチリ楽しんでんじゃねぇか」
皿によそった皮ポテトをもにゅもにゅと咀嚼する。
甘い、素晴らしい甘さだ。
上手に揚げられているお陰で味もくどくない。
ミリセントがパンプキンパイを差し出してきた。
「皮ポテトの後ならやっぱこれに決まりさね」
「ほう?」
少々早いデザートだと思ったが、そこは数少ない友人の言葉。
ボクはパンプキンパイを口に放り込む。
……うん、美味い。天才的な組み合わせである。
バタービールがあれば尚のこと良し。
ボクの満足そうな様子を見て、カボチャグラタンを頬張りながらセオドール達がグッと親指を立てた。
────そんな時だ
青い顔をしたクィレル先生が、大広間に遅れて来たのは。
「と、トロールが……地下室に……!お、お知らせしなくてはと思って」
そう言って騒動の種だけを残し、クィレル先生はバッタリと倒れて気を失ってしまう。
一瞬場が静まり返った後、動揺した生徒達から一斉に悲鳴が上がった。
驚くことに気の早い奴は席から立って逃げる準備までしている。
「……最低のジョークだ。並の頭にゃこいつは考えられない」
「むぐむぐ……ピーブズかな。まったくハロウィンの日に本物の怪物連れて来るなんてさ」
「あぁまったくだ。なぁメルム、トロールってのはどれくらいデカいんだっけねぇ?」
「種類にもよるから何とも。最大身長は4メートル、体重は1トンってところかな」
スキャマンダーさんと一緒に魔法生物の世話をしていたから分かるが、野生のトロールは危険だ。
凶暴で破壊的、悪ければ生徒が何人か死ぬだろう。
ワクワクした顔をしているミリセントには悪いが、戦うのはお勧めしない。
ごほッごほッ!とセオドールがカボチャパイを喉に詰まらせて咳き込んだ。
「ちょっとした建物くらいあるじゃねぇか!メルム、お前こんな時によく食えるな!?」
「食事をこんな乱癡気騒ぎで邪魔されたくないもんで」
カボチャグラタンをかっ込むボクを見て、セオドールは理解出来ないという顔をする。
「ミリセントもだ!デカさなんて聞いてどうする!?他に言うことないのか?」
「あーそうさねぇ。ま、こりゃ普通じゃないな」
「その頭、そんな言葉しか出ないのか!?」
残念ながらミリセントは戦闘狂だ。
感想を聞く方が間違っている。
絶句したセオドールは他の人間を探そうとして、親しい仲間がボクら以外いないのを思い出したのか項垂れた。
「しっかしルートはどこだろうね。まさか正門?人間とそれ以外の区別はつけてくれなきゃ困るんだけど」
「まさか。それなら地下室に辿り着く前に分かる。そんなデカい城じゃないんだしな」
セオドールの言う通りだ。
ホグワーツは何重にも魔法がかけられているから、他所者が迷い込んだなら直ぐに分かる。
それが見当もつかないということは、匿っていた魔法使いがいるという事に他ならない。
「し・ず・ま・れ・えッ!!!」
未だかつて聞いたことのないような大声を張り上げたのは、事態を重く見たダンブルドア校長だった。
目を怒らせ、杖から紫の爆竹を鳴らして強制的に混乱を鎮める。
「監督生よ。それぞれの寮の生徒達を率いて、比較的速やかに寮に戻るのじゃ。スネイプ先生、スプラウト先生、マクゴナガル先生、フリットウィック先生は道中の安全の確保を。ハグリッドとフィルチさんはトロールの探索をお願いしようかの」
流石はダンブルドア校長、指示が的確で迷いがない。
こういう場合、本来なら闇祓いを呼ぶのがセオリーなんだろうが、生憎魔法省は忙しい。
絶対に初動が遅れて被害が出る。
「スリザリン生!私についてきなさい!」
スリザリンの監督生であるジェマ先輩が生徒達を纏めるべく声を張り上げる。
「トロールにはなるべく出会いたくはないけど、出会ったら我々の団結力を見せる時ね!さぁ早く自寮に戻るわよ!」
おっと馬鹿かな。
トロールに出会いたくないという割には、一つ大事なことを忘れている。
「ジェマ先輩、ジェマ先輩」
「む。どうしたのかしらグリンデルバルド? 今から皆を連れて寮に……」
「寮には戻らない方が良いです」
頭から?が浮かぶような顔をしている。
監督生というからにはおツムは優秀な筈だが、気が動転しているのだろう。
冷静を装っていても足が震えている。
「先輩、トロールが見つかったのは地下室なんですよ?そしてボク達の寮は地下牢です。このままじゃトロールと鉢合わせになります」
「あ……」
顔が真っ青になったジェマ先輩に、近くにいたスネイプ先生が怒鳴りつける。
「冷静沈着のスリザリン生がそんなことでどうする!スリザリンの生徒達は今回限り、グリフィンドールの寮部屋を借りること!この件についてはマクゴナガル先生にも許可を貰っている、以上だ!」
尻を蹴り上げるようなスネイプ先生の怒声に弾かれて、ジェマ先輩もスリザリン生も一斉に階段を上り始める。
とてもではないが、グリフィンドールが嫌だと言える雰囲気では無い。
ミリセントもセオドールも渋々とついていくようだ。
「とばっちりはごめんさね。こんな日に癒者の世話にはなりたくない」
「賛成。先生達が何とかするのをクソのついでに祈るしかねぇわな……ん?メルム、どうしたんだ?俺らは先に行ってるぞ」
訝しむセオドールの声に手を振り返しながら、ボクは顎に手をやる。
ボクも彼らのようにさっさと寮に戻りたいのだが、さっきから何か忘れていないか、と引っかかっているのだ。
「そう。なにか忘れてるような……あ、」
ようやく思い出した。
さらに愉快でなくなった状況にポンと手を叩く。
「ハーマイオニー、地下にいるじゃん」
◇◇◇◇◇◇
「あぁそうだろうねぇ、コレやアレや……そうそうソレも必要だよミセス・ノリスや」
闇のような黒で統一された現代的な調度品。
棚に並ぶ黒光りするフォルムや立てかけられた刀剣の数々。
そしてそれらの中から必要な物を必要なだけ取り出しているのは、白髪混じりの偉丈夫であった。
「珍しいこったな。
「あん時は撃ったら粉になっちまったがね。今回は大物だ。そうはならないことを願うよ。まぁどっちにせよ獣狩りにはもってこいだ。そうだろう? ハグリッド」
所狭しと並ぶ物騒な品々の中から、とびきりデカいブツを担いで男は笑った。
彼の知識では、トロールはとても狂暴で、生半可な呪いでは分厚い肌に防がれてしまう。
そして、何よりあの怪物は縄張りに侵入した者を絶対に見逃しはしない。
「本当にトロールを相手に、マグルの武器なんぞが通用すると思っちょるんか?」
「最強なのは杖だけかい? それは思い上がりも甚だしいというものだぞ……コイツならお前のおふくろだって撃ち殺して見せる」
魔法より強い武器はないと思っているのが
そして、薄ら笑う男は自分の魔力の無さについて理解している。
男は己の非力さを理解し、そして牙を研いできた。そう、己に出来るやり方で。
「象撃ち用だ、マグルは違う物を撃つらしいがね。正確に急所を撃てばドラゴンですらコイツの前には膝をつく」
バレットM82。
強力かつ長射程であるその対物ライフルは、実戦において約一キロメートル先の敵兵の身体を
それ以外にもまだまだある。
腰に巻き付けた敵の視界を奪う為のスタングレネードや、バックに入っている地上に敷設して起爆すると一基で広範囲に殺傷能力を発揮するクレイモア地雷。
魔法使いではない非力な男は、厄介事に対してとにかく用心深かった。
「さぁ可愛い可愛いミセス・ノリスや。久しぶりのハンティングのお時間だ、楽しんでいこう」
──────……
「おえっ……汚れた靴下みたいな匂いがするよロン」
「違うよハリー。これは掃除をしたことがない公衆トイレの匂いに瓜二つさ。しかも100年もの」
ハリーと一緒にクンクン鼻を使ったロンはうんざりとした表情でそう言う。
酷い匂いだ、おまけにブァーブァーという豚のような鳴き声まで聞こえてくる。
音からしても、もうそう遠くはない。
「トロールを招き入れるなんて、まったく脳ミソがどっかイカれてるよ」
「とっととハーマイオニーを回収して、グリフィンドールの寮に戻ろう」
そう言ってハリーは杖を引き抜いた。
幸いなことに、錯乱はしつつもクィレルの報告は間違ってはいなかった。
トロールは地下から這い出でることもせずに、未だに周辺をウロウロしているらしい。
怪物が歩くことで生じる地響きがここまで届いている。もしかすると階段の存在を知らないのかもだ。
とはいえ、それが安心材料になるかというとそうではない。
囚われのお姫様が地下にいる限り、ハリー達から出向かなければならないのだから。
「ハーマイオニーもどうして今日に限って地下室のトイレなんだ?あいつの性格なら泣くのは図書室だろ。本の虫がトイレで泣くなんてどうかしてるよ」
「ロンそれはあれだよ……あーそう。図書室は私語厳禁だ」
「盛大に泣き散らかしても文句を言われない場所を選んだワケだ。まったくマーリンの髭!」
泣き言を言ってもしょうがないし、始まらない。
結果的にハーマイオニーを泣かせて想像だにしない窮地に追いやったのは自分達だ。尻拭いはしなければならない。
「きゃあああああああああああッッッッ!!!!!!」
凄まじい悲鳴がトイレから聞こえてくる。
ハリー達も結構急いで駆けつけた方だが、遅かったようだ。
ロンが薄暗い天井を仰いで大袈裟にため息をつく。
「参ったな。完全に出遅れた」
「野獣と美女って感じだね」
「聞いた事あるよそれ。映画?っていうんだっけ。パパが言ってた……あとハーマイオニーは美女なのかな」
前歯が大きく、手入れをしないため乱れている縮れ毛な髪。
魔法薬学の授業で毎回、鍋から発生する蒸気を吸って髪を膨らませるハーマイオニーは、確かに美人とは言い難い。
だが今そんなことはどうでもいい話だ。
「どうする?野獣の方はなんでか知らないけどカンカンになってるけど」
「きっとハーマイオニーのキンキン声が気に触ったんだろ。でもまだ何とか出来る。悲鳴が聞こえているうちはね」
「確かに。生きてれば大抵のことは何とかなる」
「それ最高。君が言うと説得力が違うよハリー」
いっせーのーせで地下室のトイレのドアを開ける二人。
トイレの室内は笑えるぐらい悲惨だった。
まず視界に入ったのは、洗面台を次々に薙ぎ倒しているトロール。
墓石のような鈍い灰色の肌、岩石のようにゴツゴツのずんぐりした巨躯。禿げた頭は小さく、ココナッツがちょこんと載っているようだ。
トロールは物凄い汚臭を放っていることから、先程から地下に漂う不快な匂いが、フィルチがトイレ掃除をサボった事によるものではないことも分かった。
そして今一番重要なのは、奥の壁に張りついて縮み上がっているハーマイオニーである。
「こっちに引きつけろ!」
無我夢中でロンにそう言うと、ハリーはそこらに散らばった蛇口を手当り次第に拾っては、力いっぱい壁に投げつける。
甲高い金属音が連続して地下室のトイレに鳴り響く。
トロールはハーマイオニーの一メートル手前で立ち止まると、いかにも鈍そうな目をぱちくりさせながら、首を傾げた。
「おーいウスノロッ!!」
反対側から叫んだロンが金属パイプを槍投げのように投げつける。
真っ直ぐ飛んでいった金属パイプは、幸か不幸かトロールの下腹部……恐らく金玉に当たって地面に落ちた。
「ぶぉぉおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
驚いたことに急所は人間と同じだったようで、トロールは股間を片手で抑えて蹲る。
「ヒュー!流石は僕、狙いバッチシだね!!」
「さぁこっちに来るんだ。早く!!」
トロールを大きく迂回してハリーはハーマイオニーの手を引っ張ってドアの方に避難しようとしたが、彼女は動けなかった。
恐怖で口を開けたまま壁にぴったりと張り付いてしまったようだ。
見たこともないほど血の気の引いた顔をしている。
「あぁ、もう!」
いつまでもトロールが蹲っているわけがない。
一刻を争う状況にハリーは、ハーマイオニーを背負って急いでロンの所へ駆け寄る。
ハーマイオニーがやっとこさ口を開いた。
「ありがとう二人とも!貴方達が来なかったら今頃私どうなってたことか……」
「ヤバいぞハリー!!」
ハリーの背後、つまりはトロールの方を警戒していたロンが悲鳴にも似た大声を上げる。
恐る恐るハリーが振り向くのと、トロールがむくりと起き上がるのは同時だった。
「
咄嗟の行動で早かったのは驚くことに腰を抜かしていたハーマイオニーだった。
彼女はトロールが起き上がったと分かるや、ハリーに背負われながらも杖から呪いを放った。
「ぶぉぉぉぉッ?!」
怪物が悲鳴を上げて顔を押さえる。
火炎放射器のように杖から噴射された炎が、ハリーの髪とローブを若干焦がしつつ、トロールの顔へと直撃したのだ。
燃え散る火花と充満する肉が焼けた嫌な匂い。
ハリー達は、全力でトイレのドアへと向かう。
「熱いよ!髪が焦げちゃったじゃないかハーマイオニー!」
「また生えてくるわよ!」
「そうだぜハリー!棍棒でどつき回されて、ぐちゃぐちゃになるよりゃマシだろ!」
多少のアクシデントはあったものの、ハーマイオニーのファインプレーのお陰で、とりあえずはトイレから脱出に成功出来た。
しかし油断はできない。既に女子トイレのドアというドアは破壊され、トロールを閉じ込めることすら出来ない状態だった。
息を整えて、再び走り出す。
────ぶぉぉぉぉッ!!!
豚のような鳴き声、だというのに生命の危機を感じさせるケダモノの声。
直後に破砕音、どうやら人間用に作られたトイレの入口は怒り狂ったトロールには狭かったらしい。
「見ろよ!あいつカンカンだぜ!」
「そりゃそうさ!自分のプリティなフェイスがローストしたんだから、そりゃあ誰でもそうなるよ!」
大声で叫び合いながら、三人は上へと通じる階段を探して廊下を爆走する。
「逃げれたのは良いけど!これからどうするんだい!?」
「そんなの決まってるわ!私達は逃げる、先生達に知らせる、以上!!」
「Oh!分かりやすくて良いね、それ!」
────ぶぉぉぉぉッッ!!!
それでも音は背後から徐々に近づいている。
鳴き声の主はつい先ほど三人が通ってきた通路を進んでいるのか、軽い地響きを伴ったて重い足音が鳴り響いている。
「ヤバいぞ、きっとアイツ鼻が効くんだ。確実に僕たちを追ってきてる!上の階に逃げるのは無しだよロン!」
「冗談よせよハリー!じゃあどうするっていうのさ!?皆の命を守って僕ら三人はアイツの餌になれって?絵にはなるけどしまらない話だ!」
「違うよ!上の階に通じる階段、そこでヤツを迎え撃つんだ!」
その言葉にロンの足がピタリと止まる。ちょうどそこは上の階に通じる曲がり角だった。
そして呆気に取られた彼の顔からは、ありありとハリーの正気を疑っているのが見てとれた。
「いいかいハリー?アレはトロールなんだぜ?」
「うん」
「あー……もう一度言うよ?アレはトロールなんだ、トロールなんだよハリー。いつも相手しているおためごかしのマルフォイじゃない」
「うん」
うんって……と絶句したロン。
ハーマイオニーに至っては、何がなんだか分からないというような顔をしている。
それだけハリーの言っている事は異常だった。
ホグワーツに入りたての一年生、それがトロールを迎え撃つ。
言葉にすれば美談だが、無謀極まりない。
「射程距離に関しては僕達の方が有利だよ。遮蔽物を使いながら先生達が来るまで呪文で牽制するくらいは出来る筈だ」
「おいおい冗談キツいぜ……ハグリッド並に太い棍棒でぶん殴られるのがオチだ」
「そうよ無謀すぎるわ。私の呪文だってさっきは効いたのはたまたまなのよ?トロールの皮膚は分厚くて半端な魔法は効かないって本に書いてあったわ」
議論している暇はない。
こうしている間にもトロールは確実にこっちを目指している。
杖を抜いたハリーは一足先に階段の上へと駆け上がっていく。
どちらにせよ、上の階に行かないことにはお話にならない。
「ほら早く!」
急かされた二人も怪物の接近を知らせる大きな足音に、慌ててハリーの元へと走り寄った。
そして階段を上りきった二人は、ハリーがそうしたように杖を抜いてその切っ先を階段下へと向ける。
なんやかんや言いつつも覚悟は決まったらしい。
「よし! それじゃトロールが姿を見せた瞬間、三人で一斉に顔に向けて呪いを放つ。上手くいけばノックアウト、悪くても怯ますことは出来る筈だ」
「二人とも狙うなら目よ。皮膚は強くても粘膜面まで硬くない筈だから」
階段下から獣臭い風が吹いてくる。
恐怖のせいか、暗闇は呼吸をするかのように膨らんで見えた。
濃厚な生き物の気配、次いで陰からのっそりと出てきた四メートルを超す体躯。
その様子は解き放たれる寸前の檻のようで、ハリー達をぐちゃぐちゃにしようと鼻息を荒くしてる。
「見ろよハリー。アイツ笑ってやがるぜ」
「中々に愛嬌があるね……ブルストロードも笑ったらあんな感じかな」
歯を剥き出しにしてハリー達をじっと見つめるトロール。
威嚇でもなく怒りでもなく、怪物は笑っていた。
人間を、魔法使いを完全にナメきっている。
それを見たハーマイオニーがぼそりと呟いた。
「まるで人間みたい……」
怪物は悠々と杖を向けるハリー達に近づいてくる。
子供の魔法使いを何ら脅威として見なしていない動作だ。
その距離、約五メートル。
人間からすれば少し長いように見えるが、トロールが棍棒を振るって突進するには一息の距離。
────そんな時だった。
かつん、と背後の廊下から足音が聞こえたのは。
幽霊の足音でも耳にしたかのように、ビクリとトロールの肩が飛び上がる。
「やあ、さっきぶり。探したよ」
鈴を鳴らしたような声が、ハリー達の背後から聞こえた。
威圧感も何もない、ぼんやりとした女の子の声。
しかしトロールの表情は劇的に変わった。
余裕の笑みは掻き消え、焦りと緊張で歪んでいく。
「何をやってるの?」
振り返った先にいたのは、メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドだった。
彼女は自然体そのままといった調子で、ハリー達の方に歩いてくる。
トロールの姿が見えていない筈もないが、警戒する様子はまったく見受けられない。
「ぶおぉ……ぶおおおおぉぉ……」
トロールが怯えたように後ずさる。
その視線は、獲物であるハリー達を通り越して、メルムただ一人を注視していた。
◇◇◇◇◇◇
次の試練へと続く長い階段を半ばまで降りた辺りで、”彼”はある力を感じ取った。
立ち止まり、顔を上げる。
地層の分厚さを易々と通り抜け、それは確かに漂ってくる。
足元から震えが伝わってくる。
”彼”は立ちすくんだ。
この魔法力が意味するところを熟知していたが故に。
────”並ぶ者なきヴォーティガン”か……
”彼”は今までに二度、全てを失いかけたことがある。
それも一度目は、予言に記された英雄の赤ん坊とは違う形で。
まるで嘲笑うかの如く、遊び半分で甚振るかのように。
────……あの血筋が現れるという事は……再び、俺様の邪魔をしに……?
実際の所、その存在は一度として”彼”の前に現れてはいない。
かの存在を示したのは、マルフォイ家の奥深くに隠されるようにして眠っていた古文書の中にある名前だけだ。
しかし、いざ”彼”がその歴史を探ろうとした途端にそれはするりと手元を離れてしまう。
凄まじい災禍だけを呼び込んで。
────ふん……
ここにあるのは不安だけだろうか。
彼は黒衣に包まれた己の胸に掌をあてた。
答えは、否。
薄っぺらな布の下の痩せた身体の奥深くから、震えがこみあがってくるのを感じる。
────プロセルピナ・ヴォーティガン……神を自称し、全ての魔法を使う闇の生き物の中で……尤もその叡智を穢し尽くした者、か
一度として顕現することなく”彼”の栄光に影を落とした歴史の
けれども”彼”はどこかで、己がそれを待っていたことに気がついた。
身体が歓喜で震える。
────急げクィリナス……アレはお前の手には負えないだろう……早く俺様も元の体を、取り戻さなければ……
天井から垂れた水滴が、”彼”の禿頭からこめかみを伝って流れ落ちる。
深く吐き出す息は白い。
裸足の足先は下へ続く道の泥に塗れている。
────早く、早く、見つけるのだ……かの錬金術師が拵えた賢者の石を……
かの”傲慢なる天”には、全盛期の”彼”が放つ闇の秘奥も運命論を捻じ曲げる呪いも通用しなかった。
古文書に掛けられた呪いすらも”彼”が打ち破ることが出来なかったことからも、それは証明されている。
────グリンデルバルドも……厄介な者と契りを結んだものよ……
己の抱えている畏れにも似た感情を抑えつけ、ようやく拳を解くと”彼”は再び歩きだした。
ハロウィン編は前から気にはなっていたので一から編集し直しました……