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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

追憶

作者:山野辺りり

「ごめんね。」

それが母の最期の言葉。




父は母を溺愛していた。

それはもう異常な程。

母の全てを把握し、掌握したがった。

それでも足りず、果ては塔の一室に閉じ込めた。


それは彼女を守る為でもあったけれど、理解した者は殆ど居なかった。

少なくとも、本人はまるで伝わっていなかったと言わざるを得ない。


彼女――母は、それにより更に追い詰められていったのだから。




父と母は種族が違う。

母は人族。

父は魔族。

ふたりは元々分かり合えるはずも無い、憎み合う間柄だったのだ。


長い戦乱の末、大地は荒れ果て両者共数が激減し、最早いがみ合っている場合ではなくなった。


そこで成されたのは、婚姻による協定。

人族の姫と魔族の王との。

本人達の意思など関係なくそれは纏められ、まるで生贄として差し出される様に母はこの世界にやって来た。


漆黒の闇だけが続く永遠の夜の国に。


乗り気でなかったはずの父は、一目母を見て心奪われたという。

黒の世界には無い輝く金の髪に、新緑の瞳。

瑞々しい果実の様な唇と滑らかな白い肌。

清楚な花の様に儚い少女。

それら全てに魅力されて、喜んで母を迎え入れた。


―――けれど、母は違った。

国に恋しい相手が居たのだと噂する者もあった。

真実は知らない。

あながち出鱈目でもないと思うが――仮にそんな相手が居なかったとしても、母にとっては苦痛以外の何物でもなかっただろう。


つい昨日まで人類の敵、憎むべき存在悪しきモノ――として教え込まれた存在に嫁がねばならなかったのだから。

それも、その象徴である王に―――


その恐怖たるや如何程のものか。


碌な侍女を連れる事も許されず、ほぼ一人きりで右も左も分からぬ異界に放り出された年端もいかぬ少女の胸中たるや、想像するにあまりある。

その上周りには今だ人族と手を取り合う事を善しとしない者も少なくない。

中にはあからさまに侮蔑の言葉をぶつけたり、命を狙う者も居た。勿論そんな輩は、例外無く父の怒りに触れ処刑されたが。


気の休まらない日々。

太陽の下花を愛でるのが好きだったという母が少しずつ壊れて行くには、充分過ぎる環境だった。



それでも、父は母を愛した。


魔族は様々な姿形をしている。

角の生えた者。

鱗に覆われた者。

獣形の者。

実体を持たない者もある。


父は比較的人に近い姿だった。

背中の翼を除けば。

ただしそれでも、母には異形に映ったらしい。


「化け物」という声が今も耳に残っている。



父は一体どんな気持ちだったのだろう。

己の姿を見るだけで怯え、触れれば泣き喚いて抗う妻に対して。


私達魔族は皆少なからず嗜虐性を秘めている。

だからそこに全く喜びを覚えなかったというのは嘘になるかもしれない。

けれど、どれ程愛を囁いても届かない、想いを込めた贈り物にも喜ばない愛しい人……それは苦しみに違いない。


愛すれば愛する程、離れていく女。

伝わらない心。


手に入れようと足掻く程に壊れていく妻―――……



私には母の胎内での記憶が有る。

魔族にとってそれは珍しい事じゃない。

人と違い、我々は母親の胎内に三年宿る。

そしてその間に得られる知識も多い。

私は正確には人と魔のハーフだが、どちらかと言えば魔族の血が色濃く出ている。

つまり母は、人としてなら考えられない長い妊娠期間を味わったのだ。

望まぬ相手の子供を腹に抱えての日々はどんな地獄だったのか。


「産みたくない」

「化け物が私の中に居る」

「助けて 助けて 助けて……」


悲痛なそれらは日増しに狂気を帯び、切羽詰まったものになった。


そんな歪んだ闇の中でさえ、父の母に対する執着は増すばかりだった。

変わらず溢れる程の愛情を注ぐ。

何一つ、母に受け入れられる事はなかったけれど。



私が生まれ、母の精神は完全にバランスを崩した。

愛していないどころか、ただ恐ろしいばかりの夫。

敵意に満ちた異形の群れ。

暗闇だけの世界。


そして生まれた夫に生き写しの子供―――……



「嫌あぁぁっ!化け物が…っ誰か助けてぇ!!」

何度そんな叫びを聞いただろう。

ただ、抱きしめて欲しかっただけなのに。


母が狂乱する度、父は母を慰め抱きしめた。

それは大抵逆効果にしかならなかったけれども。

叫び続け疲れ果てて眠る母を、愛し気に見詰める父を見たのは一度や二度ではない。


その都度父が隠れて涙を流していたのも知っている。


そんな母は極稀にではあるが、正気を取り戻した様に穏やかになる事があった。


その時ばかりは年相応な華やぎを纏い、見る者を魅力する微笑みを浮かべ、私にも優しく接してくれた。

父が傍に寄っても取り乱す事なく、むしろ安心した様に落ち着いて見え、蕩ける様な笑みで父は母を見詰めていた。

年に数回しか無かったけれど、間違いなく幸せな時間だった。

家族である事を実感出来る、満たされたひと時。



けれど幸福な時は長くは続かなかった。

私が生まれて10年程経った頃。

母は塔から落ちて死んだ。

自分の部屋の窓から真っ逆さまに。

普通なら開かないはずの窓。

事故か自殺かそれとも誰かに殺されたのか―――……


真相は結局闇の中だった。


突き止めるべき父が抜け殻になってしまったから。

母を失い、父もまた壊れてしまった。

何も食べず、眠らず、国を治める事に意欲を失い、そして程無く眠る様に生を放棄した。


父は母を愛し過ぎて狂った。


魔族と言えど、情は有る。

むしろ人のそれより重く盲目的だ。



私は父の様にはなるまい。

どれ程求めても得られないものに囚われて、自分を見失う様な事だけは。


…………あぁけれど、私も所詮闇の生き物だと思い知る。

紛れも無く父の子だと。

狂う程に一人を想い、相手を壊してでも手に入れようと形振り構わず手を伸ばす。


出会ってしまったのは必然。

そして皮肉。


その女は、魔族討伐隊の一人だった。


母の犠牲による和平も虚しく、未だ人と魔の間には拭いきれない憎しみが横たわっている。

魔族には気紛れに人を喰らう者が後を絶たなかったし、人は無差別に魔族を狩る者があった。


休戦とは名ばかりの危うい均衡。


表立って対立し合う事は無くとも、いつ何があってもおかしくない。


自衛の為、人族は対魔族用の武装集団を作り上げていた。

父が死に、新たに王となっていた私にとっては頭の痛い問題だ。


そしてその中に―――彼女が居た。


健康的な小麦色の肌に、鮮やかな赤い髪。勝ち気な色を宿す大きな瞳。生命力に満ち溢れた俊敏な身体。


一瞬で世界は変わった。

全てが彼女一色になる。


この女だと―――直ぐに分かった。


これが私の半身。

命を掛けて愛する者。


この時初めて、父の狂気を理解した。

理屈ではない。

理性など何の役にも立たない。

ただこの女が欲しい。


その唇から発せられる悲鳴はどれ程耳に心地好いのだろう。

輝く瞳から零れる涙は何物にも替えがたい甘露に違いない。

暴れる身体を組み敷いて、己のもので何度も突き上げてやりたい。


しかし狂暴な欲望と同時に、優しくし笑顔が見たいと願う自分も居る。


愛らしい唇から紡がれる言葉はどれ程耳を擽るだろう。

美しい瞳が私を捉え穏やかに細められたら、心から酔ってしまうに違いない。

震える身体を抱きしめて、喉が潰れるまで愛を囁きたい。


全て奪い、心も身体も自分のものに―――……




幼い頃、目の前で両親を魔物に食い殺された彼女の憎しみは凄まじいものだった。


一度両者の間に諍いが起これば、真っ先に飛んで行き、率先して最前線に立つ。

嬉々として我が同胞の血を浴びる。

己が傷付く事も厭わずに。


それは痛々しくあり……同時に酷く魅惑的だった。



私は父の様にはならない。絶対に。

望まぬものを自分勝手な想いの為に縛り付けたりしない。

愛しい者を追い詰め、壊したりしない。


あぁけれど、日増しに強くなる彼女への気持ち。

憎悪に煌めくあの眼に見詰められる度、奥底から込み上げるどす黒い何か。


欲しい欲しい欲しい。あの娘が欲しい―――


いつまで耐えられるだろう。

例え彼女が目茶苦茶に砕けてしまっても、傍に置きたいという欲求に。

次に会った時が限界だろうか。

いやもう少し先か。

それともずっと?



『愛している』


父が想いを込め、幾度告げても届かなかった言葉を、私が今噛み締めている。


『愛している。誰よりも、何よりも。』




死の少し前、母は正気を取り戻した。

そして私に言った。

「ごめんね」

何が?誰に対して?

それが私の見た最後の姿。

悲しそうで儚げな美しかった母。


父は母の遺体を誰にも触れさせず、まともに見る事さえ許さなかった。

最上の宝物の様に抱きしめ、何度も何度も口づけていた。

人目も気にせず涙を零し、名を呼び続けて。


最期の瞬間まで分かり合えなかった父と母。


私はああはなるまい。

大切な者を壊したくない。


それなのに―――


内なる欲望に、彼女が視界に入っただけで今日も屈服しそうになっている。




お読み下さり有難うございました。

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