~剣術無双?~
2096年3月26日
「取った!」
「取っていない。取られたんだ」
「は?―――うぐっ」
死角から切り込んできたレオの竹刀に俺が左手に持つ竹刀を添わせ、横から少し力を加える事で軌道を逸らし、空を切らせる。そうしてがら空きとなったレオの胸倉を右手で掴み、巴投げの要領で背後へと投げ飛ばした。
「攻撃を当てる前から命中を確信するのは止めた方が良い。そういうのは油断に繋がって後の対処が遅れるからね」
「肝に、銘じておくぜ……」
顔だけ向けてアドバイスをする。レオは床に寝そべったままだが、一応聞き入れてはくれたようだ。
それからレオは立ち上がる素振りも見せない。受け身は間に合ったようだが、それでも剣道場の床だ。痛いだろうし、ここに至るまでの疲労が蓄積されてもいるだろう。立ち上がる気力はなさそうだ。
「油断しているのはそっちもよ!」
「これは油断じゃないさ。強いて言うなら、余裕だよ」
真っ正面から攻めてきたエリカと俺は鍔迫り合いを演じる。相手が両手で、俺も両手に持ち替えたが、演じるという言葉通りに俺は全力を出していない。如何に剣士として秀でる人間でも、超人の力に勝てるはずはない。
「それがっ、油断だって言ってるのよ!」
全力で鍔迫り合いしてない事をエリカは肌で感じていたのだろう。あえて一歩下がって竹刀を引き、突きを放った。突きの鋭さ、次の行動へのスムーズな移行。一門の師範代としてなら十分すぎる技量だ。
しかし、相手が悪い。俺は伐採系超人、剣で戦う事に関して達人の域にある者だ。
俺は体の向きを90度変える事で突きの矛先から逃れ、彼女の至近距離まで詰める。
「首に刃が触れてれば、さすがのエリカさんも文句ないだろう」
「くっ……」
俺の竹刀が首に触れているエリカは悔しそうにしながらも腕を下げ、降参を示すように後退する。
「ゼェイアアアアアアアアア!!」
威勢の良い声が後ろから響く。俺はそちらに勢いよくバックステップした。
「がっ」
背中での当て身という思わぬ反撃を受けた声の主である男性。彼は力の抜けた両腕を俺の右肩に振り下ろし、俺はその両腕を抱えて背負い投げのように床に叩きつけた。もちろん、加減はしている。
「桐原さん、大丈夫ですか?」
「これがっ……大丈夫に、見えんのかよっ……」
男性、桐原武明は叩きつけられた背中を摩りながら蹲っていた。
前述のとおり、剣道場の床、木製のフローリングだ。おまけに彼は両腕抱えられて投げられたから受け身も取れていない。痛い事は分かりきっているので、俺は肩を竦めた。
そうしてかかってくる気配がもうないと
「それでは、ここまでとしよう。……というか、いつの間に
感じた攻撃の意思に条件反射で身をかがめる。自由落下の間に合っていない俺の総髪をもう一人混ざっていた女性の竹刀が叩いた。
驚くのは一瞬。俺はすぐにかがんだままの姿勢で足払いをする。
「きゃっ」
飛び退くのがわずかに遅れた女性の片足を俺の足払いが捉え、彼女を横倒しにした。受け身はしっかりできているようだが、俺はその受け身をした隙に竹刀の矛先を向ける。
「わ、私の負けね……」
不意打ちを試みた女性、壬生紗耶香は両手を上げて降参した。
「うぅ、今のは上手くいったと思ったのに……」
「いえ、実際上手くできていましたよ?俺が気を抜いた瞬間に、足を潜め、息を殺す。実に見事な不意打ちでした」
落胆する壬生に手を差し出して引き上げつつ、俺は彼女を褒める。
お世辞抜きで、彼女の不意打ちは上手かった。その攻撃が繰り出されるまで、俺は彼女の攻撃の意思を感じられなかったのである。近接戦闘の達人である伐採系超人や警戒心の強い獲物を狩る狩猟系超人なら行えなくもない芸当だが、彼女は身体機能を強化した汚染系超人でありながらそれをやってみせたのである。素晴らしいものだ。
「えへへ、そうかなぁ」
「髪とはいえ、攻撃を当てたんです。あれは壬生さんが才能に胡坐をかかず、努力し続けた結果でしょう。ぜひこれからも頑張ってください」
「ええ!これからも頑張るわ!」
下級生である俺からの称賛を壬生はとても嬉しそうに受け取った。彼女は俺を師のように考えている節があるので然もあらん。
だが、その花が咲いたような顔は止めてほしかった。彼女の恋人である桐原からの視線が痛い。
「それで、なんで四対一になっていたんだ?」
壬生の不意打ちで中断されていた話を続行する。
そもそも、俺はエリカの憂さ晴らしもとい約束を果たすために千葉道場へ来ていた。それで、来てみればエリカだけではなく、レオ、壬生、桐原の三人まで居たのである。
人が多い事に対して、俺は何も言わなかった。レオはエリカに呼ばれたらしいし、壬生はエリカから誘われたらしい。何故か桐原まで壬生に付いてきたそうだが、エリカがその事に言及しなかったので俺も言及しなかった。
それから一対一による一本先取の試合が始まったのだったが、誰も俺から一本を取れず仕舞いだった。四ループくらいしたあたりだったか、桐原が複数戦を申し込んだのだ。それでも、二対一という話であり、これで二ループくらいした。一本も取られず次の試合に入ったら、いつの間にかグループではないエリカが不意打ちを仕掛け、レオまで果敢に攻め込んできたのである。
「だって、勝ちたいじゃない」
エリカが何食わぬ顔で本音を漏らせば、他三人が頷く。四人とも同意見らしい。
「スポーツマンシップは?」
「千葉は剣術。剣道じゃないわ。なら、戦場における鉄則は、勝てば官軍。でしょ?」
「仰る通りで」
不機嫌になられたら困るのでエリカの言葉を肯定したが、却ってそれが彼女を不機嫌にさせた。
勝てば官軍、負ければ賊軍。つまり、四対一という卑怯な手を使っても負けてしまった彼女らは賊軍であり、卑怯な手に屈せず勝った俺が官軍である。彼女からすれば、官軍である事を誇られたも同義だ。
「アンタがどうしてそんなに強いのか、とか野暮な事は訊かないから。あたしたちの反省会に付き合いなさい」
しかし、エリカは賊軍である事を弁えているのか、怒りを爆発させなかった。その仏頂面は、もしかしたら敗北の怒りより無力に対する嘆きを表していたのかもしれない。
そして、俺は壬生の期待の眼差しやレオと桐原の向上心漲る雰囲気に流され、反省会に付き合う事を決めた。
反省会は遅めの昼食を取りながら行われた。
「レオさんと桐原さんは、無駄な掛け声が多いです。掛け声は気迫で場を呑むには良いかもしれませんが、格上相手にはほぼほぼ無意味です。格上は大きな声出した程度で怯んでくれないですから。なので、掛け声を出さないと場に呑まれてしまうようでしたら、そもそも戦わずに逃げた方が良い。それだけ腕に差があるという事ですので」
「エリカさんは、おそらく魔法を前提とした動きになってるんじゃないかな?鍔迫り合いの時もそうだったが、力を籠め過ぎていた。だから、俺に避ける隙を与える程度には追撃にタイムロスが生まれてしまったんだ。桐原さんは逆に、超振動ブレードで弾くもしくは切り裂く前提だから、力を抜き過ぎている場面が多かったように思います。剣術勝負専門なら直すべき弱点ですが、魔法剣術勝負もするなら直さない方が良いかもな。今度は魔法剣で加減を間違えるかもしれない」
「壬生さんは、俺から一本取るとなると、もう体が勝手に動くくらいでないと駄目かもしれませんね。俺レベルを相手にするならば、次の行動を頭で考えている時間が惜しい。最後の不意打ちも次の行動を迷ったから回避が遅れてしまったんでしょう?更なる上達を目指すなら、迷わない事です。一応再度言いますが、俺レベルを相手にするなら、の話ですからね?」
俺が師範代の真似事をした反省会は長く続き、何故か途中から千葉道場門下生も交えた練習が始まり、夕食の時間まで千葉道場に入り浸った。
師範を務めたお礼として、俺は千葉家一同から夕飯が振る舞われるのだった。
◆◆◆
~女三つで姦しい~
2096年3月28日
〈やってくれたわ、あの陰険サングラス……〉
ヴィジホンには今、真夜の義憤に塗れた顔が映し出されていた。
「母さん、他所様にお見せできない顔してるよ?」
〈だって仕方がないでしょう!あの男、十六夜の自宅近辺の土地を私から強奪した上に貴方の自宅の隣に別荘建てようとしているのよ!?貴方を監視するために!怒らずには居られないわ!〉
形相はなんとか他所様に見せられる程度になったが、代わりに真夜は怒りを吐き出した。
そう、陰険サングラスと元許嫁から呼称された七草弘一は、真夜に脅迫まがいの条件を突き付けて土地を買い取り、俺の自宅の隣に家を建てている最中なのである。
ちなみに、五月には建築が終わるそうだ。二世帯住宅くらいの大きさでも、現在は二か月かからずに建てられるらしい。技術の進歩には感心してしまう。
「まぁまぁ。俺がパラサイトに憑依されてしまった事実を伏せてくれてるんだから、多少譲歩するくらいはしないと」
〈それもただの脅迫でしょう〉
俺は真夜を宥めようとするも、彼女の怒りは静まらない。実際、脅迫みたいなモノであるので、俺はそれ以上弁護できなかった。
弘一は俺がパラサイトに憑依されている事実を公表しないと約束し、その代わり土地の譲渡を願ったのだ。俺がパラサイトに完全に乗っ取られていないのか、監視するための拠点を設けるために。約束というか、本当に脅迫まがいの取引である。
しかも、この取引内容に落ち着いたのは十文字和樹の異論があったおかげだ。聞き及ぶパラサイトの生態から同族殺しはしないだろうと判断し、俺の働きも加味した上で、俺はパラサイトに乗っ取られた様子はなく、下手に混乱を招きかねない事実を公表するべきではないと彼は論じてくれた。
それでも、弘一は、今後乗っ取られない可能性はないのかと、監視に関しては強情にも必要性を語った。可能性がないと言える証拠はあるのかと、乗っ取られない自信がそんなにあるなら俺の自己暗示の魔法式を開示しろと、彼は頑なに監視を止めようとはしなかった。
和樹も監視の必要性については異論を唱えられず、真夜と俺も自己暗示と偽ったリライト能力を開示できないので、監視については妥協せざるを得なかった。
「それこそ仕方ないよ、母さん。俺がパラサイト憑依者と露呈するのはリスクが大きい。良くて監禁、悪くて処分。最悪は、実験動物かな?」
パラサイトの憑依が判別できるのは古式魔法師か、美月のようにそういう目を持っているか。それで判別できるのも憑依されているか否かであり、乗っ取られているかどうかは不明瞭だ。故に、監禁もしくは処分され得るだろう。
さらに、乗っ取られていないと判別できたとしても、それはそれで俺をパラサイトの乗っ取りに打ち勝った貴重なサンプルに仕立て上げてしまう。パラサイトの能力をデメリットなしで得られるのだ。その術を欲しがる連中は多く居るだろう。単純に力を得たい連中が欲しがるのはもちろん、妖魔に対抗できる術として古式魔法師も欲しがるかもしれない。なんだったら、絶賛パラサイドールを開発中の九島と七草も欲しいだろう。
すぐに思い付くだけのリスクでもこれだけあり、俺が憑依者である事実は一騒動起こしそうな爆弾なのである。
〈十六夜を実験動物になんてさせません。監禁も処分もです。もしそのような思惑を抱く者が居たならば、その者の脳裏に『アンタッチャブル』の意味を刻み付けてあげましょう〉
真夜は真面目な顔で、何の虚言も虚勢も混ぜていないように淡々と述べる。脅しでもなんでもなく、確実にやるだろう事が俺にも伝わった。
「俺だって、四葉ならまだしも、他の集団に捕われる気はないよ。そのための『紅炎』、戦略級魔法師という箔なんだから」
事実とはいつまでも伏せておけるものではない。いつかは俺がパラサイト憑依者だと露呈してしまうだろう。だから、俺は戦略級魔法を作ったのだ。
『紅炎』は『付喪神』、パラサイトの能力を使っている点から俺以外使える者が居ない。それは、『紅炎』を使っても技術が盗まれず、『紅炎』が模倣されない事を意味する。
言うなれば、使っても技術を盗まれない戦略兵器だ。軍や政府は魅力的に感じる事だろう。だから戦略級魔法師という箔はパラサイト憑依者と露呈した時の消火剤になる。戦略兵器を確保するためなら、軍か政府が火消しくらいやってくれるだろう。
暴走の危険があるくらいで軍や政府、国家が得られる利益を捨てるはずがない。それができるなら、人類は疾うの昔に原子力発電も核爆弾も廃絶させている。
〈『紅炎』、十六夜の戦略級魔法ね。達也さんからデータを見させてもらいました。独力で戦略級魔法を生み出せるなんて、十六夜は凄いわ〉
真夜は我が子の優秀さを我が事のように喜ぶ。俺も喜んでもらえて嬉しい限りだ。
そんな真夜の喜びに水を差すようにインターホンのベルが鳴る。ようやく機嫌を直せたのに、真夜は顔をしかめてまた不機嫌に戻ってしまった。
〈七草の監視員ね〉
怨敵を思い浮かべるが如く、真夜は怒りを滲ませる。早くも送り込まれてきた俺を監視する者たちに、彼女の堪忍袋ははち切れんばかりだ。
弘一は拠点を設けている時間にも俺の自宅に滞在させる事で監視しようとしている。真夜は大反対だった。俺も赤の他人が自宅に上がり込むのだったら反対していただろうが、監視員は俺の知人が選ばれていたので許容する事にした。余談だが、真夜を説得するのに一苦労二苦労、なんだったら三苦労したのだった。
「大丈夫だよ、母さん。彼女は弘一さんに反抗心を抱いているから、真面目に監視なんてしないだろうし、反抗心を煽ればこっちに引き込めるかもしれない」
〈……それは分かっていますが。くれぐれも、くれぐれも!七草の娘なんぞに絆されないようにね〉
当時の説得の一部を再度言うが、真夜は納得しきれないようで俺に念を押してきた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うように、弘一が嫌いならその子供も好きではないのだろう。
「了解。それじゃあ、今度は実家の方で。母さんの我儘、楽しみにしてるよ?」
〈え、ええ……。わ、私も楽しみにしています……。それでは、また今度〉
真夜は朱に染まる頬で恥じらうように通話を切った。
俺は来客をこれ以上待たせまいとすぐに玄関へ向かう。
玄関を開けた先にいたのは、それぞれ羨望の眼差し、仏頂面、俯きをする三人の女性だった。
「十六夜お兄さま!お会いしとうございました!」
羨望の眼差しをしていた女性、泉美が俺の顔を見るや否や至近距離に詰め寄る。しばらく会っていなかったせいか、彼女の羨望はお兄さま呼びが復活するくらいには膨れ上がっている。
「泉美、その呼び方はせめて私たちの時だけって話だったよね」
仏頂面をしていた女性、香澄は呆れも混ぜて泉美を諫める。何度言い聞かせても止めなかったのか、香澄は泉美のお兄さま呼びを人目がない時だけに限らせたようだ。人目がない時も限らせてほしい。
「泉美さんも香澄さんも、久しぶり。真由美さんも、卒業式以来ですね」
「ええ!お久しぶりです、十六夜お兄さま!」
「……お久しぶりです」
「……」
「あの、真由美さん?」
泉美は相変わらず大げさに、香澄は多少不愛想にしながらも挨拶を返したというのに、真由美からは全然挨拶が返ってこない。俯いたままで顔も窺えない真由美の様子に、さすがの俺もおかしさを覚え始めた。
「どうして……」
「……ん?」
「どうしてこんな事になったのかしら……」
やっと言葉を発したと思ったら、真由美は俯いた状態からさらに手で顔を覆って隠してしまう。だが、監視員という役を急に任せられた、その理不尽さに憂う気持ちは如実に窺えた。
そう、監視員として拠点が出来上がるまでの期間に俺と同居しなくてはならないのが真由美一人である。急に知人と同居するように言われてすぐに受け入れられるかどうかというと、彼女のその様子を見れば一目瞭然だろう。
監視員でもない他二人が付いてきている訳だが、理由は察しが付く。泉美は俺に会える機会を逃したくなく、香澄は姉と妹が心配だったのだろう。
「まぁ、その。すみません」
「十六夜くんは何も悪くないわ!悪いのはあの狸親父よ!実の娘を家から放り出した挙句他人の家に泊まれってどういう了見なのかしら!」
この現状に至った原因たる俺が頭を下げれば、真由美は俺を弁護して父親に矛先を向ける。
元許嫁である真夜には「陰険サングラス」、実の娘である真由美には「狸親父」。弘一はろくな呼ばれ方をしない。俺は少しばかり憐れんでしまう、ほんの少しばかりだが。
「えーと。とりあえず、玄関ではなんですからダイニングの方へ。腰を落ち着けて話をしましょう」
このままでは真由美がヒートアップしそうだったので、まずは落ち着かせるために家に招き入れた。
真由美をこの家のセキュリティがフリーパスできるように設定しつつ、香澄と泉美には虹彩と指紋を取る面倒くさい入室手順を踏んでもらった。
真由美たちに来客用の紅茶(高級な茶葉)を出して、幾ばくか。興奮が冷めてきた真由美の面持ちに俺はほっとしていた。
「ごめんなさい、落ち着いたわ」
真由美は冷静になったせいで取り乱していた自身を振り返ってしまったのだろう。まずは申し訳なさそうに謝罪した。
「いえ、気持ちは分からなくもないので。しかし、それ程嫌でしたか?俺との同居は」
「もし嫌でしたらお姉さまの代わりにわた―――もがっ」
「はいはい泉美は黙ってようねー」
身を乗り出した泉美の口を即座に塞ぎ、香澄は大人しく座らせる。漫才のようなものとして俺は微笑むだけに留めた。
「べ、別に十六夜くんが嫌いって事ではないのよ?心の準備と言うか……。十六夜くんは良いの?その、女の子と同居するのよ?」
真由美は慌ただしく手を振ったり、目を右往左往させたり、とにかく情緒が不安定だ。
「はぁ……。赤の他人ならまだしも、真由美さんとは知らない仲ではないですからね」
赤の他人と同居する事になれば俺もさすがに精神が応えるだろうが、相手は一年間学び舎を同じくした真由美である。同じ十師族として交流が多かった彼女と同居するのに然程の抵抗感はない。
別に同衾する訳でもなければ致さないと出られない部屋に閉じ込められた訳でもないのだ。自身の個室があり、真由美にも個室は与えてある。最低限とはいえ自身のプライバシーと人間の尊厳は守られているのだ。家の中でも彼女を気遣わなければいけないが、突っぱねたい程の気苦労はしないだろう。
その答えを受けて、真由美の目は何故か疑念を纏っていく。
「十六夜くんって、朴念仁とか言われた事とかない?」
「ヘタレ、優柔不断、女の敵とは言われましたね。ですが、なるほど。真由美さんには恥じらいがあると」
朴念仁のニュアンスがどうにか真由美の心情を解き明かす材料となった。
「このくらいの恥じらいが世間一般ではないかしら」
「世間一般、ですか……」
真由美くらいの恥じらいが普通らしいが、なら俺がそんなに恥じらっていない理由は何なのか。前世の享年と前世の彼女いない歴が
「普段から女性を近くに置いているとかしてないと、有り得ないんじゃない?」
「実家ではメイドさんを侍らせているとか、身に覚えはないんですか?」
「……ああ、そうか。合点が行った」
「侍らせてるの!?」「侍らせてるんですか!?」
「いや、侍らせているとかではなく……」
俺が真由美の提示した可能性について思考している最中、どうやら香澄からいらん一言が挿まれていたらしい。俺の口を突いた合点はその香澄の言葉を肯定するものとして真由美と泉美に受け取られてしまった。
普段から女性が近くに居た事について、俺は合点が行ったのはもちろんメイドを侍らせているからではなく、また、今世の話でもない。それは、前世の話だ。
俺の前世には姉が居た。薬剤師になれるくらいには優秀な姉だ。姉は薬剤師を目指し、課題や勉強に追われていながらも、俺をよく構ってくれた。薬剤師となった後も変わらず、姉は落ち込む俺をよく慰めてくれた。姉は物理的にも精神的にも俺の傍に居続けてくれたのだ。
その経験が俺の女性と同居する事に関しての免疫となっているのだろう。姉ではあるが、普段から近くに居た女性である事に変わりない。それに、弟である俺へのスキンシップは激しい人だった。そのせいもあって女性が苦手なのだが、真由美のような奥ゆかしい女性への耐性にはなっているのかもしれない。あの姉に比べれば接しやすい人だと。
恥じらいが薄い事について、俺の中では合点が行ったが。その理由は前世由来であるために他人に明かせない。俺は必死に言い訳を考える。
「侍らせてはいないのですが、実家での俺の付き人は年の近い少女でして。その少女がいつも傍に居たから女性との同居に恥じらいが薄いのかと」
説得力は欠けるが、強いて言うならそれしかないだろうと、俺は理由をでっち上げる。ちなみに、実家に帰るとだいたい桜井水波が俺の専属メイドのようになるので、この理由も嘘とは言いきれない。
「十六夜くんにそんな幼馴染の少女が……」
「幼馴染……?いえ、もうそれで良いです」
水波が俺の専属のような立場になったのは去年の事であり、幼馴染ではない。だが、理由とするなら幼い頃から傍に居たとする方が説得力は増すだろう。ボロを出したくもないので訂正しなかった。
「お姉さま、そんな覇気のない事でどうしますか!恋敵の登場ですよ!これではお姉さまが十六夜お兄さまと結婚なさる事で十六夜お兄さまを私の本当のお
「恋敵ではありません!それはただの泉美ちゃんの妄想でしょう!」
泉美は遠大な夢を持っていたようだが、それは真由美に赤い顔されながら切り捨てられる。実の姉をそんな意味不明な計画に利用しようとしていたら、そうもなるだろう。
「なんか、家の泉美がすみません」
「いや……」
香澄がいがみ合い始めた真由美と泉美の横で、あまりにもあんまりな泉美の暴走に謝りだす。俺は迷惑を被っていないと言い繕いたかったが、それ以上の言葉が出てこなかった。
「お姉さま!このままご自身の心に蓋をし続けましたら、お父様が勝手に婚約相手を見繕ってしまいますよ!?そんな自身の思いを騙し続ける人生で良いのですか!」
「まるで私が十六夜くんへの思いに蓋をしているような言い方は止めなさい!十六夜くんは良き後輩だけど、そ、そんな、頼れる異性としてなんて見てはいないわ!」
俺と香澄を他所に繰り広げられる姦しい言い争い。俺は神妙な面持ちで成り行きを見守るしかなかった。
若干俺を避けているだろう香澄とも、この時ばかりは近しい心境だったに違いない。
壬生に付いてきた桐原:恋愛感情がないとはいえ、別の男の元へ向かう事について快く思える男性というのは少ないだろう。おまけに自分より腕の立つ男の元へ、だ。恋人としては気が気ではない。
十六夜の自宅近辺:弘一に譲渡されるまで、真夜がかなりの範囲を所有していた。もちろん、合法的に所有権を得た物であり、以前の所有者からは高値で買い取られていた。現在はその半分の土地が弘一に買い取られ、真由美が住むための別荘を十六夜宅の隣に建築中である。
監視員・七草真由美:十六夜がパラサイトに憑依されている可能性を伝えられ、十六夜の監視を任されたが、真由美はもちろん納得がいっていない。それでも、弘一が下手な人を差し向けて十六夜に迷惑をかけぬよう、仕方なく監視を請け負った。弘一への反抗心と四葉への嫌がらせだろう本任務に対する抗議として、真面目に十六夜を監視するつもりはない。
実は弘一も真由美が真面目に監視しないだろう事を察している。この監視の真意は、真由美と十六夜の距離を近付ける事。あわよくば、真由美に恋心を抱かせ、十六夜を分捕る布石とする事である。
十六夜お義兄さま計画:泉美の十六夜に対する羨望が暴走した結果。自身が結婚相手ではなく姉を結婚相手に仕立て上げようとする辺り、本気で十六夜の妹になろうとしている。
図らずも父親と近しい思惑を持っているとは、この泉美を以てしても見抜けまい。
『
穏やかで明るい性格。容姿も十人中六人は振り返るだろう美人である。しかし、深雪程ではないとは言え、ブラザーコンプレックスの気があったために異性との交際経験は、少なくとも十六夜の知る限りではない。
閲覧、感謝します。