2096年1月22日
日曜日である今日。普段だったら俺は家で怠惰な生活(鍛錬場で成人男性も音を上げるような運動はするが)を送るが、パラサイトという目前の事件があればそんな日常を謳歌できるはずもない。
午前の内に七草・十文字・四葉の三家で情報共有と対処チームの編成について話し合われた。まだパラサイトの所在は分かっていないものの、その素性はほぼ洗い出されていた。パラサイトに寄生されていたのが軍人以外にも居ることが判明し、USNAの対応が適切でなかったことが予想される。その事実に気付いた和樹はUSNAへの情報共有が必要であると憂慮していたが、反対に弘一と真夜はこれでUSNAをどう
俺はサイキックなる魔法に類似した力とその再生力など、パラサイトの戦闘力を開示した後に一つの役割を請け負って話し合いからは離脱した。
〈十六夜、来たよ〉
来客のチャイムが鳴った我が家での午後。インターホンには珍しく幹比古を先頭にしたレオを除く達也一団が映る。まぁ、呼び出したのは俺であり、一番重要な用件は幹比古であると伝えてあったから故の幹比古先頭だろうが。
俺は彼らを快く家に上げ(家の面倒臭いセキュリティのせいで物理的な快さは皆無だろうが)、ダイニングへと招いた。
「十六夜、体調は大丈夫なのか?」
腰を落ち着けてから口を開いたのは達也で、平静な声音の中にも俺への気遣いが伝わってくる。周りも心配そうに俺を見つめているので、達也が代表して訊いたのだろう。彼らの心配は当然で、俺はパラサイトに襲われ、同じく襲われたレオはまだ入院中であると聞き及んでいる。
「安心してくれ、俺は大丈夫だ。多分、レオより幽体を吸われなかったんだろう」
「だけど、意識不明で四葉に引き取られたって……」
「ああ、その後すぐに起きはしたんだ。大事を取って休まされたけどね」
幹比古の追及にも嘘を挿みつつ何事もないように返す。それでも真に受けて心配を解消する面々ではないようだ。
「まぁ、俺が万全かは横に置こう。体は動き、事はひっ迫している。なら、鞭打ってでも対処しなきゃ、だろう?」
俺はその言葉と共に紙をテーブルの上に置く。差し出す先は、まずは幹比古だ。
「これは……」
「契約書さ。七草・十文字、そして四葉が正式に吉田幹比古の助力を嘆願するためのね」
書かれている内容は事細か。経費と責任は
弘一・和樹・真夜の署名もあるのでドッキリでも何でもない正真正銘の契約書。その本気さに幹比古も周りも息を呑み、達也と深雪が険しい顔を浮かべる。
「現状、十師族にパラサイトへの対抗手段はない。対人戦闘を目的とした家々だからね、妖との戦いなんて想定外だ。だからって日本の魔法師が標的にされている現状で狸寝入りしていたら沽券に関わる。そこで、俺の友人である君に白羽の矢が立ったわけだ」
「な、なるほど……」
幹比古は多少たじろぎながらも契約書を読み込んでいく。
「十師族もパラサイトが犯人だと気付けたのか」
「ああ。どうにも現代魔法だけで行える事態とは思えなくてね。九島家に知恵を借りたら「そういう妖が居る」という助言を貰えたよ。達也たちも、どうやら同じ見解に至っているみたいで助かる」
達也は現代魔法師の集団である七草・十文字・四葉だけでパラサイトと断定できるのか疑問に思っていたようだが、俺は唯一十師族で古式魔法に縁のある九島家の名を出せば納得して眉間のしわを伸ばしてくれた。
「ちょっと待って。今回の用事ってミキだけ?私たちは?」
「僕の名前は幹比古だ」
エリカは今回の事件に関与できない不満を分かりやすく表す。幹比古の書面を読みながらのツッコミは俺からはノーコメントだ。というか皆ノーコメントだ。
「「学生は危険だから大人しくしていろ」、なんて言わないさ。君たちの気持ちを汲み取れない程馬鹿になるつもりはないからね」
そうしてエリカたち用の契約書をそれぞれに差し出す。エリカはご満悦そうに笑顔で、ほのかと美月は少なくない不安で暗くなり、達也と深雪は真剣に紙面を見つめている。
「そっちは四葉、というか俺個人の署名だ。一応他の家からも許可は取ってあるから、学生が現場に出しゃばるのを咎められたりはしないよ。まぁ、俺の指揮下ということになるから、度が過ぎる独断専行や無茶な行動は俺の顔に泥を塗ると思ってくれ」
「うっ……」
「上手く封殺したな」
「いい加減この付き合いも九カ月以上だ。扱いには慣れてくるさ」
苦く呻くエリカ。さすがのエリカも知人に不名誉を被せてまで突出する気はないのだろう。言ってなかったらされていた気もするが。とりあえず、達也からの称賛は素直に受け取った。
「あの、これ、私は力になれるんでしょうか……?」
「美月さんにはその目の力を貸してほしいと思っている。君のプシオンの知覚は恐ろしく優秀だ。憑依者から剥がれたパラサイトを精確に捉えられるのは君だけだろう」
この中で一番の無力であることを自覚している美月は今回関与することを恐れているだろう。確かに、遊撃としては無力であるが、索敵としては有力なのだ。
「もちろん辞退してもらっても構わないし、その選択を尊重する」
俺の言葉に揺れる美月は周りを窺い、特に幹比古を注視する。幹比古はしっかり目線を合わせて頷く、「力を貸してほしい」と言うように。
「……私の力で、協力できるなら」
そうして美月はこの面子の中で最初に、強い決意を以ってサインした。
「ありがとう、美月さん。ほのかさんと深雪は、もし参加してくれるなら美月さんの守りを頼みたいんだが」
「ええ」
「分かりました」
深雪とほのかが調和を重んじてサインする。
「達也とエリカは俺と前衛、任せられるか?」
「ああ」
「どんと来い、よ」
達也は然も当たり前のように、エリカは意気揚々とサインする。
「で、ミキが一番最後なんだけど?」
「エリカたちのより分厚いんだから読むのに時間が掛かるんだよ!それと、僕の名前は幹比古だ!」
エリカのいちゃもんに幹比古は過剰に返す。幹比古の言う通り、十師族三家からの正式な書類なので契約事項が並べ立てられていて紙の重なりが厚い。隅から隅まで読解するなら時間が掛かるだろう。最後のページを捲っている辺り幹比古には速読の才がありそうだ。
「えーと、基本は十六夜の指揮下、で良いんだよね?」
「ああ、他から応援要請されればそっちに向かってもらうけどね。同行は達也かエリカになるだろう」
「そうか、分かった。これで問題なしだ」
最後に幹比古がサインし、ここに居る全員が事件対処に加わった。
「危険を承知で参加してくれてありがとう。この事件をさっさと解決して、最後には俺の奢りでパーティーでもやろう」
俺は感謝の言葉を打ち上げ祝いの予定で絞め、朗らかな雰囲気で解散した。
◇◇◇
達也一団がサインした契約書のスキャンデータを、幹比古のは七草・十文字・四葉に、その他は四葉だけに送信した夜。
パラサイト捜索は明日から開始となる。大人たちは朝から動くだろうが、学生である俺含む達也一団は夜からだ。今更考えると、学生に夜更かしを強いることになっているのだが、まぁ致し方ない犠牲だろう。
俺は前回の失態を二度と侵さないためにも、一人で夜の町へ繰り出すなんてことはせずに大人しく家で英気を養っていた。
「ん?雫さんから?」
鳴動する携帯端末に表示されるのは「北山雫」という文字列。俺は特に躊躇いもなく端末をヴィジホンに繋いで応答した。
〈十六夜さん、大丈夫!?〉
画面に映し出された雫は
「雫さん、そっちは「おはよう」で合ってるかい?まだ朝早いと思うが、そんなに焦ってどうしたんだ」
USNAは時差で早朝。しかも着ているのは寝間着。雫の焦りは顕著だった。
〈吸血鬼に襲われて倒れたって。それで昨日目を覚ましたって〉
「そうか、心配を掛けてごめん。だが、この通り無事だ。後遺症も何もない」
俺は雫へ笑顔で返す。少しでも無事な様子を見せれば、彼女も落ち着くだろう。
〈……そう、良かった〉
俺の身体を隅々観察した後、絆創膏の一つもない姿を確認して雫は安堵の息を漏らす。俺としては恐ろしく心労を掛けてしまったようで申し訳ない気持ちになった。
「ところで、それは誰に教えてもらったんだ?達也たちか?」
俺は情報伝達が早すぎるように思える。それに、雫は「昨日」と述べた。達也たちには「すぐに目覚めた」と俺は伝えたのだから、「昨日」ではない。さらに、俺が目覚めた正しい日は「一昨日」。そして、俺が弘一たちと通話し、目覚めたのが確認できるのは「昨日」。つまり、昨日の通話、少なくともその履歴を捉え、雫に俺の覚醒を伝えた者が居る。
〈僕だよ〉
雫が口を開こうとした時、通話に新たな映像が表示される。それはもう一人の通話参加者である少年の姿だ。今まで映像も音声もオフにしていたのだろう。
〈レイ、「紹介するまで待って」って言ったのに〉
〈ごめんって、ティア。憧れの人を前にして抑えられなかったんだよ〉
呆れ果てる雫にレイと呼ばれる少年は謝罪するが、高揚感が先走って謝意が全く感じられない。
〈ごめんなさい、十六夜さん。彼はレイモンド・クラーク。USNAで出来た友人で、十六夜さんのファンなんだって〉
〈九校戦での活躍、特にスピード・シューティングは感動したよ!あれこそ、日本で言う「他の追随を許さない」だね!〉
「あ、うん。なるほど?」
「雫に情報を伝えた」という時点で原作知識より十中八九レイモンド・クラークだとは予想していた。レイモンドは「フリズスキャルヴ」という電子情報傍受システムで情報を覗き見し、その情報を与えたら面白く動きそうな相手に与える享楽的な人物だ。少なくとも俺はそう認識している。
そんな奴の接触だから、俺は「ファンは演技で、とりあえず四葉直系と面識を持っておきたかったのだろう」と考えていたが、どうにも演技に見えず困惑してしまう。割と本気で俺のファンなのだろうか。
〈レイ……〉
〈ティア、僕が熱心に九校戦の録画を何度も見返してるの知ってるだろう?君も一緒に見てたじゃないか。彼のことを共に熱く語り―――〉
〈レイ〉
〈あ、いや、うん……。コホン。初めまして、イザヨイ・ヨツバ。僕はレイモンド・クラーク。失礼を承知でティアに仲介を頼んだんだよ。さっきも言ったが、君の大ファンなんだ〉
雫に凄まれて頭を冷やしたレイモンドは話を無理矢理に軌道修正する。脱線させたのもレイモンドだったが。
「初めまして、一応俺が四葉十六夜だ。「ファンだ」と面と向かって言われるのはこそばゆいが、嬉しいよ」
〈十六夜さんは色々凄いから、ファンは多いと思う〉
〈それこそ、ワールドワイドにたくさん居るだろうね〉
我が事のように胸を張る二人。どうやら俺という存在が二人の仲をより親密にしてしまったらしい。どういうバタフライエフェクトなのだろうか。
「しかし、俺が昨日目覚めたのを知っているなんて。レイモンドさんは中々のハッカーみたいだな」
俺に関する話題など恥ずかしくて訊けたものではないし、このままでははぐらかされそうなので、俺は今まで温まっていた温度を一気に下げた。
〈ハッカーなんてとんでもない。僕はちょっと、
レイモンドは意味深長な言葉に真意を潜める。どうやら隠す気はあまりないようだ。
〈十六夜さん、レイを怒らないで。私が暗い顔をしてるのを気遣って調べてくれたの〉
雫は、火花は飛んでいないまでも、何か睨み合う俺とレイモンドに不安を覚えたようで、場の空気を改善すべくレイモンドを弁護する。
「もちろん、それについては感謝しても良いくらいさ。だけど、四葉の情報が握られたかもしれないとなれば、俺は危機感を覚えざるを得ない」
〈安心してよ、僕だって『アンタッチャブル』を知らないほど物知らずでもなければ怖いもの知らずでもないさ。自身の力量は弁えてるとも〉
「そうかい?それなら、君の火遊びが過ぎないことを祈っているよ」
〈……ああ、ありがとう〉
今一瞬だけレイモンドの眉間に皺が寄ったのが見えた。「火遊び」と過小評価されて癪に障ったのだろう。そうなるように言ったのだが。まぁ一瞬だけに留めたのは褒めても良いかもしれない。
「ところで今更なんだけど。何で雫さんが「ティア」なんだ?」
〈……〉
雫の顔が「触れてほしくなかった」と語っている。いや、あんなに呼ばれておいて訊かないのはおかしいだろう。
〈ティアは最初「雫」の意味を問われて「
〈レイ、そういうのは言わなくて良い。それに、私はあの時「
〈いや、だからティア。このティアって言うのは「
〈それもわざわざ十六夜さんの前で言わないで!〉
雫が頬を染め、レイモンドは愉快そうに笑う。穏やかなそのやり取りを、俺は暖かく見守っていた。
〈十六夜さん、真に受けないでね。レイは私をからかってるだけだから〉
「いや、いいんじゃないか?涙の雫であり、真珠のティア。雫さんをよく表していると思うよ」
静かで儚い涙の雫と美しくも佇む真珠というのは俺が雫に受ける印象からそう外れてはいない。中々のネーミングセンスだ。
〈……お休み〉
「〈え?〉」
雫が一瞬硬直したかと思えば、そちらは朝だろう雫が夜の挨拶をする。そんな場違いな言葉に俺とレイモンドの素っ頓狂な声が重なり、雫は通話を切った。
〈おや、これは弄り過ぎてしまったようだね。それにしても君は人が悪いなぁ〉
「……今の俺のせいかい?」
レイモンドが半笑いで俺に責任を押し付けるが、今の何処に俺の責が有ったかは思い至れない。
〈片思いの人に「真珠のようだ」なんて言われたらああもなるさ〉
「『片思いの人』?」
〈……まさかとは思うが、ティアが君に恋心を抱いてることに気付いてない?〉
「……」
〈……〉
「気付いてない」とは言葉にしなかったが、沈黙こそが答えだろう。レイモンドの笑顔は悪戯好きなそれから苦笑に変わっていた。
雫が俺に恋心を抱いているという可能性を俺は思考する。確かに、思い返せば彼女一人で俺に関わってくることは多々あった。他の達也一団は大体誰かを介して接触していて、その例外が幹比古と雫だったように思える。
(幹比古は恩返しってことなんだろうが、雫は?)
雫が何故頻繁に俺に接触するのか。その理由が、恋心というのであれば、一応動機としてはおかしくない。では、その恋心に至った理由は何だろうか。
(四葉に玉の輿、なんて富豪の娘がすることじゃないな。そうすると、一目惚れ、とかか?)
俺の内面はともかく、四葉家の遺伝子が混ざった状態である
とにかく、俺の前世や今世の真実を考慮しないものとするなら、見た目が整っていて日本のために動く愛国心の有る少年だ。一人二人、そのステータスに惚れても無理はないのではないだろうか。
(そこに原作メインキャラクターが引っ掛かるとは、全く予想できなかったが)
予想はできなかったが、とりあえず雫の恋心について信憑性があるものと判断した。
〈君は、日本で言うところの「朴念仁」だったり?〉
「恋愛模様は案外蚊帳の外から見ないと正確に捉えられないものだろう?」
〈まぁ、そういうことにしておこうか。じゃあその蚊帳の外から恋愛模様を見た僕としては、雫が君に恋してると思うよ〉
レイモンドは少し呆れた後に気を取り直し、まるで神託でも降すようにニッコリと笑っていた。
「そうか。それが事実だったとしても、俺から歩み寄ることはできないんだが」
〈なんだい?ティアとは遊びなのかい?〉
非難めいた視線がレイモンドから注がれる。
「逆さ。雫さんとの関係に俺は真剣だ」
〈ほう。と言うと?〉
「十師族は政略結婚まがいのナンバーズ同士の婚約が多いという日本の常識を踏まえて考えてほしいんだが。四葉直系の俺が、優秀とはいえ魔法師の家としてはまだ日が浅い者と結婚できるとでも?」
そう、雫も雫の母親も優秀だが、雫の家系が魔法師として優秀で知られるのはその2代だけだ。もしかしたら雫の母方の祖父母も魔法師の素質は有ったかもしれない。しかし、世に名声を残していないということは非才だったことの証明に他ならない。
そんなまだ魔法師として歴史がない雫の血筋は次の代も優秀な魔法師である可能性を低く見積もられる。それは、十師族直系と結ばれるのは適当と言えないことを指し、北山雫が四葉十六夜の正妻に適していないことを示す。
「愛人の存在は優秀な魔法師だと暗黙の了解になるが、そんな関係に縛り付ければ雫さんが傷つくのは目に見えてる」
〈そうかい?僕はそう思わないけど。ティアなら愛人だろうと、好きになった人に寄り添うんじゃないかなぁ〉
こちらは真面目だというのに、レイモンドは何処か飄々としている。
「本人が居ないのに、男二人が女性に対する決め付けを語り合うのは下世話じゃないか?」
〈本人の目の前でする話じゃないだろう?恋愛話は夜に同性で語らうのが花じゃないか〉
日本の合宿の夜みたいな文化がUSNAにもあるようだが、正直俺は興味がない。
「はぁ……。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるよ」
〈へぇ、日本にはそんな慣用句があるんだね。興味深いが、僕は邪魔じゃなくて応援してるのさ〉
「そんな話をするために四葉家直系の連絡先を手に入れたのか、レイモンド・
この話題にいい加減飽きてきた俺は、そうやってレイモンドが
〈これは驚いた!四葉真夜のフリズスキャルヴにはそんな履歴はなかったのに、僕がザ・セブン・セイジだとどうやって探り当てたんだい?〉
「ヒントは君自身が散りばめていたじゃないか。雫に吸血鬼のことを吹き込んだのが君と断定した推測だけど、USNAの情報規制を擦り抜け、四葉の通話も覗き見して未だ五体満足なんて、母上と同じフリズスキャルヴのオペレーターとしか考えられない。なら、後は本人に鎌をかければ良いだけだ」
実際のところ原作知識によるものだが、俺はあたかも名推理をしたかの如く語る。原作知識がなければ、そもそも俺はフリズスキャルヴなんてチートアイテムの存在を嗅ぎつけられないだろう。まだ俺は真夜からフリズスキャルヴなる物を聞かされていないのだから。
〈なるほど、一杯食わされたってことだね〉
鎌にかかってしまったというのにレイモンドは楽しそうで、予想外の展開に感動しているようだ。
〈僕はね、魔法師としての君のファンでもあるけど、面白い役者としての君のファンでもあるんだよ。君はいつだって未来を知ってるかのように動く。
どうやら映画の観客者、いや、千里眼の賢者気取りで行く末を観覧していたらしい。だからこそ、ここで俺がレイモンドを七賢人と言い当てるのは映画の一シーン程度に捉えているのだろう。表舞台一歩手前で暢気なものだ。
〈そうだね、見事的中させた君にとびっきりのファンレターを贈ろう。本当はもうちょっと後に贈ろうと考えてたんだけど、特別だよ?〉
レイモンドは上機嫌に何やら教えてくれるようだが、教えられる俺は全く喜ぶ気が起きない。
〈十一月にダラスで、余剰次元理論に基づく
「生成・蒸発実験……」
原作知識に引っ掛かるそのワードに俺は考えを巡らすが、そう深く知識を掘り起こす必要はなかった。その実験が原作を読んでいた当時も結局良く分からなかったことが鮮明に記憶されているからである。頭が悪いとかは言ってはいけない。
(ブラックホールにより質量から変換されたエネルギーを取り出せないか、とかそんな実験だった気がするけど。まぁ重要なところはそこじゃないか)
理解したところで役に立たないと言うか、どう使えば良いのか分からん理論だ。それに、後々その実験が原作で全く話題に上がらなかったせいもあり、俺が関心を持つ話題ではなかった。
〈実験の詳細は不明だけど、その実験の直後から吸血鬼の発生が観測されてるんだ〉
「その実験がパラサイトを呼び出した原因だと?」
〈
レイモンドは拍手して俺を褒め称える。
〈さて、この情報をどう使うかは君に任せるよ。下手に僕が誘導するより、自主的に動いてもらった方がワクワクするからね〉
「ああ、そうさせてもらおう。情報提供ありがとう」
俺はそれがあまり有益な情報と思えず、口だけの感謝を述べた。レイモンドは気にしていない以前にこっちを気に掛けていないようだ。一方的に情報を開示して満足したらしい。
〈じゃあ、ファンレターはこの辺にしておこうか。
俺の挨拶を待たずに通話は切られる。お別れまで一方的なのはまさにファンレターである。
「この情報、原作ではもう少し後で出てきたような……。展開が早くなったのか?」
俺はレイモンドへ割いていた頭のリソースを完全に切り替え、原作との相違点に頭を回す。
俺の覚えている限り、この情報が出るまでに確か達也がアンジー・シリウスに扮したリーナ(アンジーはリーナ本人だが)と一度衝突しているはずである。しかし、一度の戦闘もなく話が展開しているということは、話の進みが原作より早くなっているのではないだろうか。
「そもそも、この情報はUSNAが吸血鬼の発生元と決定付けるものだったか。ああ、もう母さんがそこらは調べてあるから半分くらいは意味がなくなってるんだ」
パラサイトがUSNA軍の脱走兵だというのは既に真夜が判明させていた。故に、原作でのそのレイモンドの役割は奪われている。
「まぁ、念のため達也の方に伝えておこうか。元々は雫さん経由で達也に伝わるものだったんだし」
最早ズレが明確になっているが、最低限原作に沿わせるべく俺は達也へ電話を掛ける。
〈十六夜か〉
スリーコールもしない内に達也の声が聞こえ、達也と深雪の姿が映し出された。何だが慌てさせてしまったかもしれない。思えば俺から電話を掛けたことがなかったから、緊急の連絡だと勘違いさせてしまったか。
「ああ、達也。それほど重要でもない情報がとある筋から回ってきたんだが、今は忙しいかい?」
〈問題ないが。とある筋?〉
〈四葉や他の十師族からではなく、ですか?〉
達也も深雪も俺の変な言い回しを聞き逃さずに掘り下げる。
「
的確な説明を放棄した俺は隠喩を交えて抽象的に伝える。
〈何故凄腕ハッカーがわざわざ十六夜に情報を?〉
「いや、俺もよく理解できてないが。ファンレターだと言っていたよ」
〈ファンレター?それで何でUSNAの情報を提供してきたの?〉
「俺に訊かないでくれ。短絡的な愉快犯だから、そのあたりの動機は不明瞭なんだ」
達也・深雪・俺と揃ってそんなことをしたレイモンドに頭を捻っていた。いや、達也と深雪は俺がしっかり説明できていないせいもあるか。
「とりあえずだ。パラサイトが現れた原因と思われる実験の話を聞かされたよ」
まさかこの流れからこんな情報が飛んで来るとは予期していなかったようで、達也と深雪は身を乗り出していた。
〈USNAがいったいどんな実験を?〉
「余剰次元理論に基づくマイクロブラックホール生成・蒸発実験、だそうだ」
〈あの実験をやったのか……〉
達也の鉄面皮が少し崩れ、その少なくない衝撃が感じ取れる。
「おそらく、マテリアル・バーストの原理解明に功を焦ったんだろう。それ程に達也の戦略魔法はUSNAにとって脅威に映ったんじゃないか?」
〈なるほど。マテリアル・バーストの質量をエネルギーに変換する性質は、一見するとブラックホール蒸発時に起こる質量を熱エネルギーに変換する性質と似ているからな。それに余剰次元理論か……。質量エネルギー変換にほとんどロスがないことまで見抜かれていたんだな〉
達也は独り言のようにワードを連結させていって理解しているようだが、俺には特にそこにどう余剰次元理論が繋がっているのかがさっぱりだった。深雪も難しい顔で固まって居る辺り、全部は理解していないようだ。
「余剰次元理論は確か、その余剰次元、魔法的エネルギーで満たされている次元の存在を仮定し、重力はこの俺たちが存在する物質的な次元とその次元を隔てる壁の役を担っている。という理論だったか」
〈おおむね合っている。重力が壁を担っているかはまだ確証がないが、少なくとも重力自体が物質的な次元に対する影響が小さく、何処かに漏れているのは有力な仮説であり、その漏れている先が余剰次元かもしれないということだ〉
俺は今世で得た知識でどうにか噛み砕いた解説を組み立て、達也の長い解説を省くことに成功した。
〈お兄様、それがパラサイトの出現とどう関わっているのでしょうか〉
この中で小難しい話に混ざれていなかった深雪は、「恥ずかしながら」といった様子でパラサイト出現の原因に有りうるかを問う。
俺も原作知識がなかったら深雪のようになっていただろうことを考えると、「原作知識が有って良かった」と見えない所で冷や汗を流した。
〈余剰次元理論に基づいて計算されたエネルギーでマイクロブラックホールを生成すると、その次元の壁を担っていた重力が消費されてしまう。消費され、壁としての重力が減ればそれだけ壁は薄くなってしまわないだろうか〉
〈薄くなると、どうなるのでしょう……?〉
「余剰次元の存在が、こちらに漏れ出してしまうかもしれない。そういうことだろう、達也」
〈ああ。その実験がパラサイト出現の原因とするなら、そうして漏れ出てきたのがパラサイトということだな〉
未知の次元からの侵入。達也と俺は平静で語れるが、深雪は恐怖心を抱いてしまったようで達也の腕を強く握っていた。
「まぁ、今回の事件はほとんどUSNAが悪いと分かったということで。お開きにしようか」
これ以上この情報から割り出せることもないので、俺はここで通話を切り上げる提案をする。
〈そうだな。それじゃあ、お休み〉
〈お休みなさい、十六夜〉
「お休み」
達也たちの快諾の後、夜の挨拶で通話が終了した。
レイモンド・クラーク:本作主人公が好きになれないキャラ枠筆頭。レイモンドから十六夜に対するファン精神は本物であり、「四葉じゃなかったら頻繁にファンメールを送って翻弄してやりたい」と思う程。その熱狂のせいで四葉直系とコンタクトを取ることについてのリスクを考慮せず、今回連絡を取った。ちなみに、休日に十六夜の九校戦映像を雫と一緒に見合って、十六夜研究考察まがいを語り合うことが多い。現地では二人の関係を「恋人」とは誤認されず、「イザヨイ・ヨツバのファンクラブ会員」と正確に認識されている。レイモンドも雫に対する恋愛感情はない。
極小ブラックホール生成・蒸発実験:ただ、何か凄い実験だったのを覚えている。(作者も正直最初に読んだ時の認識はそんなもん。読み返してみてもよく分からん。頭が悪いとかは言ってはいけない)
閲覧、ありがとうございました。