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里山の風景に思う

 かつてとある里山に、一人で桜の木を植え続けた男性がいて、地元の人からは「花咲か爺さん」との愛称で親しまれていたという。その山はこの季節、土地特有の気候も相まって種類もさまざま、色とりどりの花を咲かせているそうだ。過去に起こしたひとりの行動が、現在多くの人を癒していると知り、麗らかな気持ちになった。

 

 私は桜が咲く頃、気持ちがしぼむ。始まりを迎えた人たちが眩しく、羨ましくもあり、生活のモチベーションを保てなくなってしまう。だが多くの場合、始まりを迎えた人というのは「花を咲かせる」ためにこれまで努力してきたのであって、いきなり陽光が差してキラキラしはじめたわけではない。だからこそ、いま咲いている花だけをみて、あれこれと思うのではなく、咲くまでの過程にも思いを馳せられる人になりたいと考えを改めるきっかけを、与えられた気がした。

 

at 05:29, philo, つぶやき

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