サニーサイドアップグループがこだわる「ソーシャルグッド」 ホワイトバンドから「推進室」まで
PRコミュニケーション会社のサニーサイドアップグループ(東京)は、2005年の貧困撲滅キャンペーン「ホワイトバンドプロジェクト」を皮切りに、PRのノウハウを生かした社会課題解決に力を入れてきた。21年7月には社内に「ソーシャルグッド推進室」を設け、取り組み強化を図る。創業者の次原悦子社長とソーシャルグッド推進室の谷村江美室長に、ソーシャルグッドの原点とビジョンを聞いた。(聞き手 編集部・竹山栄太郎)
1985年、次原悦子社長がPR会社サニーサイドアップを設立。PRを中心に、セールスプロモーションやスポーツマーケティングビジネスなども手がける。2018年に東証1部上場。20年1月に持ち株会社体制に移行し現社名に。20年6月期の売上高は140億円。スローガンは「たのしいさわぎをおこしたい」。次原社長は経団連のダイバーシティ推進委員長も務める。
貧困、放っておけず
――2015年にSDGsが採択される前から、社会課題解決のために世論に働きかける「ソーシャルアクション」に注力してきたそうですね。
次原 17歳で会社を始め、ひたすら目の前のハードルを跳び続けているうちに37年目になりました。私たちは生活を変えるような画期的な商品をつくれる会社ではありません。でも、人の心を動かすことで、人がリアルに動いて世の中が変わっていくという局面をずっと見てきました。会社が大きくなり自分も歳をとるにつれ、私たちならではのやり方で「ソーシャルグッド」なことをしたいという気持ちが、大きくなってきたんです。
――その原点とも言える「ホワイトバンド」の運動は、どういう経緯で始まったのですか。
次原 SDGsの前身である「ミレニアム開発目標」(MDGs)の達成に向けて、世界の貧困撲滅を訴えるキャンペーンでした。
次原 インターネットでたまたま、海外のキャンペーン映像「クリッキングフィルム」を見て衝撃を受けたんです。白いリストバンドをした著名人が代わる代わる画面に現れ、指をぱちんと鳴らす。「かっこいい」と思って見るうちに、「世界では3秒に1人の子どもが貧困のために亡くなっている」という真実を知りました。
次原 キャンペーンを始めたのはミュージシャンのボブ・ゲルドフやバンド・U2のボノ。彼らはかつて「ライブ・エイド」(注)で多額のお金をエチオピアに寄付するのですが、アフリカ諸国が抱えた債務の1週間分の利息にしかなりませんでした。貧困を生んでいるのは寄付ではどうにもならない仕組みだったわけです。
(注)1985年、エチオピアの飢餓救済を訴え、著名アーティストが集結して開かれたチャリティーコンサート。ロックバンド・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの人生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年公開)のラストシーンで知られる。
20年後、彼らは仕組みそのものを変えようと、アドボカシー(政策提言)に乗り出しました。05年7月に英グレンイーグルズで開かれる主要8カ国首脳会議(G8サミット)に向けて、白いリストバンドを身に着けて声を上げようとしたわけです。
かっこいい映像と、かっこいいファッションアイテムで興味を引く。そして知らなかった事実に気づかせる。PR一筋でやってきた私も「こんな方法があるんだ」とびっくりしましたし、「どうしよう」といてもたってもいられない気持ちになりました。
日本でも展開できないかと思い市民団体の方たちとお話ししたら、思いは持ちながらも、コネクションも資金も必要最低限のなかで活動されており、大きなムーブメントを起こすには時間がかかると感じました。そこで、仲間のデザイナーやクリエーターに声をかけて集まってもらいました。また、中田英寿(元サッカー日本代表で、サニーサイドアップがマネジメントを担当)をはじめ多くのセレブリティーが賛同し、日本版のクリッキングフィルムに参加してくれました。
批判受けても歩みは止めず
――当時は街でホワイトバンドをつける人の姿も目にし、大きな社会現象となりました。
次原 1個300円で販売し、3カ月ほどで約600万人が身に着けてくれました。私自身は、ほっておけない気持ちでとりつかれたように動いていただけで、まさかここまで広がるとは思いませんでした。世界的なキャンペーンによってこの年、アフリカへのODA(政府開発援助)の増額や貧困国への債務帳消しが決定し、当時の日本円にして約11兆円の効果をもたらすという、大きな成果を残せました。
次原 ただ、キャンペーンの後半では私自身が世間から激しい批判を受けました。もともと「寄付ではどうにもならないこの世の貧困をどうにかしよう」という思いで始まったのですが、動画では必要最低限しか説明していない。趣旨が伝わらないまま買われた方も多く、売り上げがワクチン代になるとか、寄付されるといった誤解もありました(注)。しかし、初めからロジックだけを固めて啓発活動資金と寄付の違いについて説明しすぎていれば、人々のアクションも喚起できず、ホワイトバンドがあそこまで広がることもなかったとも思います。
(注)サニーサイドアップグループによると、300円の内訳は、原価が3割、流通経費が4割、貧困をなくすための活動資金が3割だったという。
この経験から、会社をステップアップさせてもっと信用力や影響力を持ち、きちんと社会課題に取り組めるようにしたいと思うようになりました。
――ホワイトバンドの後も、ソーシャルアクションを続けてきました。
次原 歩みは止めたくなく、私たちのPRの力やノウハウで何か参加できることがあるかもしれないと考えました。たとえば07年には、PR戦略を担当していた日本郵政グループに「カーボンオフセット年賀」の企画を提案し、実現しました(注)。また14年からは、4時間以上のボランティア活動をするとライブイベントに参加できる「RockCorps」(ロックコープス)という音楽フェスを、日本に初上陸させるかたちで開催しました。
(注)通常1枚50円の年賀はがきを55円で販売し、上乗せ分の5円は地球温暖化防止のプロジェクトに寄付する仕組み。
世の中のたいていの不幸の原因は、人の無関心にあると思います。世の中に出ないまま置き去りにされている問題にスポットライトを当て、事態を好転させる――つまり、無関心なことを関心ごとにさせるのは、PR一筋でやってきた私たちの得意とするところです。
――この7月にはソーシャルグッド推進室を新設しました。
次原 上場会社である以上、成長して利益を上げつつ、私たちならではのソーシャルグッドなことをサステイナブル(持続可能)にする。そのための部署をつくろうと考えました。
谷村 企業が社会問題を解決するときに要になるのは、熱量を感じ取って賛同してくれる仲間を見つけることだと思います。推進室は社内外の窓口を担い、伴走や共創というかたちで、アイデアを大きなムーブメントにしたいと考えています。
ソーシャルグッドはSDGsとつながりの深い意味合いですが、「私たちはSDGsだけをきっかけに取り組みを始めたのではなく、『ほっとけない』という小さな気づきから行動に移してきた」という思いもあって、ソーシャルグッドと言っています。「いいね」と願うだけでは、次の一歩にはつながりません。アクションは誰かが起こさなくては。そのきっかけをつくる役割に私たちがなれたらと思います。
いま始動したてのプロジェクトに、企業横断・産官学連携で女性に関わる課題を解決し、女性活躍をデザインしていく「W society」があります。これも「女性が自分自身のカラダを知ったり、キャリアを考えたりするきっかけがつくれないか」という気づきから生まれたプロジェクトです。
また、スタートアップなどに出資や支援をするコーポレート・ベンチャーキャピタル「ソーシャルグッド・ベンチャーズ」も今回新設しました。当社にはスタートアップのクライアントも多いのですが、これまでのように「つくり上げました→知ってください」という順序ではなく、私たちも一緒に事業を育てながら世の中を変えていきたいと考えています。
そしてこの秋には、ソーシャルグッド推進室の活動を拡充するかたちで、新たなグループ会社である「株式会社グッドアンドカンパニー」も始動。私たちの新しいアクションのひとつです。
――SDGsに取り組んでいても、アピールに苦戦している企業もあります。最後にアドバイスをお願いします。
次原 「知らせる」ってすごく大事なことです。日本はものづくりがすばらしく、いいものさえつくれば必ず売れると信じてきたところがあると思います。でも、すばらしいものも伝えなければ存在しないのと一緒です。だから伝える努力って、すばらしいものをつくる努力と同じぐらい大事です。たくさんの人にちゃんと発信する努力をしていくことが必要だと思います。