21 騒乱の前に夏休み
九校戦が終わったのは一昨日の事。まだ夏季休暇であるため、学生はその長期休暇の残りを堪能しているだろう頃。十六夜はとあるオフィスビルのロビーに足を踏み入れていた。
「御曹司!お待ちしてましたよ!」
「……止めないっすか?その『御曹司』呼び」
そのオフィスに現れた十六夜を出向かれる男性の、毎回行われる大仰な出迎えに、十六夜はただでさえ元気がない顔から元気を薄れさせていた。
その十六夜を出迎えた男性とは、ノーザン・ウィッチ・クラフトの社長、
『ノーザン・ダンサー』のソフトウェア担当であり、社長としての業務よりソフトウェア組んでいる方が好きであるため、いつか誰かに社長業をぶん投げようと思っている。ちなみに、その第一候補は十六夜である。
とかく、そんな人物であるため、来客がない時の身だしなみはだらしなかったりする。長髪は跳ねまくっており、顎髭もボサボサだったり、ジャケットはどこかに放置されてしわくちゃだったり。これが来客時には長髪も顎髭もジャケットもピチッとしたダンディー小父様になる。自社の人間には七不思議の1つに数えられているし、他社の人間には社長とソフトウェア組んでいる人は別人(双子)だとしばしば思われている。
要らぬ情報だろうが、とあるカードゲームを愛好しているらしく、そのカードゲームのとあるカードから引用して会社名を付けたとか。
「いやいや、御曹司以外の何者でもないでしょう。貴方がいなかったら、我が社はとっくに廃業だ。貴方のアイデアあってこその我が社ですよ。むしろ、この会社は貴方の物と言っても過言ではない!」
「……俺のアイデア実現できる技術力は元々あったからこそでしょ。……後、社長業ぶん投げるのは大学卒業まで待ってください」
8割本気で2割よいしょの如月の賛辞を、十六夜は構っている元気もないとテキトーにいなした。
「……ふむ、いつもよりツッコミのキレが悪い。何やら元気がないようですね。何かありましたか?」
「……雫が、しばらく近付くなって、話しかけるなって」
如月から元気のなさを読み取られてしまう程元気がない十六夜。その原因は九校戦後夜祭でのあの出来事から続く、雫から遠ざけられている事である。
十六夜はどうして良いか分かっていないから、まだ雫と関係修復に乗り出せていないのだ。
「なんと!それでは仕事をしている場合ではないでしょうに!」
「雫に明らかに避けられてるのがもう辛いから、しばらく会社に泊まろうかと……」
「それは、まぁ。我が社は泊まり込みできる設備も整えておりますが……」
少年少女の青春に、如月はどう助言するべきか迷った。迷った挙句、泊まり込みを推奨するような発言をしてしまう。
ちなみに、本当に泊まり込みのための設備が設けられている。まだまだ小さい企業であると同時に、社員が労働に精力的なので泊まり込みが頻発したため、作業効率の低下を憂慮して設けられた物だ。シャワーもあればカプセルホテルのような個室もある。さすがに社員全員が泊まれる程の規模ではないが。
たまに取り合いになっているとかいないとか。
「む、御曹司。来ていたか」
そんな微妙な空気の中、そんな空気だとは露知らずに、ツナギ服を着た無精髭の男性がロビーに姿を現す。
「あ、どうも。有澤さん」
「お疲れ様です。並列接続CADの方、進捗は如何ですか?」
「ああ、問題ない。お嬢*2がくれた試験データのおかげだ」
十六夜と如月が親しく仕事の会話をする男、
ちなみに、『ノーザン・ダンサー』という開発グループ名を付けたのはこの人である。競馬が好きで、とある偉大な競走馬の名前を貰ったとか。
「御曹司、さっそく色々手伝ってほしい……んだが。何かあったのか」
「……まぁ、しばらく会社に泊まり込むってだけっす」
「……根を詰め過ぎんなよ」
「はぁい……」
十六夜の色々を察した有澤。仕事中は嫌な事を忘れられるだろうと深く追求はせず、十六夜の泊まり込みを止めないのだった。
「あ、そういえば。御曹司、フォア・リーブス・テクノロジーとローゼン・マギクラフトからご連絡を貰ったんですが。身に覚えはあります?」
「……ローゼンの方は九校戦の時に日本支社長と会って、俺の使った技術は全部
「ほう、支社長が。ふふ、我らが御曹司に声を掛けるとは、お目が高い。……それで、FLTの方は?」
「……身に覚えがないっすねぇ。ま、九校戦見て、
さりげなく達也とFLTの関係に素知らぬ顔をしつつ、十六夜は仕事に取り掛かっていくのだった。
そうして、NWCで泊まり込み続ける事10日間。硬化魔法を用いた武装一体型CADのアイデアをFLTに正式に提供したり、ローゼン・マギクラフトのお偉いさんが来訪するのを見届けたりして過ごしていた夜の事である。
「沓子ちゃぁん。俺、どうすりゃ良いだろう……」
〈まだ仲直りできておらんのか〉
十六夜はNWCのカプセルホテル的設備でベッドに寝ころびながら、電話で沓子に相談していた。
ちなみに、沓子は明言した通り地元に到着したところで連絡を送ってきて、それから十六夜の相談を受ける形で頻繁に連絡を取り合っている。雫が聞いたら憤慨ものである。
「この前しっかり家に帰ったんだぜ?でも、まだ全然目を合わせてくれないし、口利いてもくれなくてさぁ……。こんなんじゃ俺、生きてられない……」
〈儂の家はいつでも大歓迎じゃぞ〉
「それはマジで恥曝し過ぎて生きられない」
相談に乗りつつあわよくば引き込もうとする沓子だが、そういう話をすると十六夜は泣きそうだった顔も潜めて真顔になる。
十六夜は本気で恥を曝すくらいだったら死ぬ気なのだろうと察した沓子は、今はあくまで冗談という体でそういう勧誘話をしている。それは十六夜も分かっているようで、真顔で拒否するが、怒るまではしていない。
〈ま、それはともかく。……本気でおぬしの事を嫌っている訳ではないじゃろ。嫌っとったらもう家の敷居も跨がせないはずじゃ。今はちょっと意固地になっとるだけじゃよ。その内自省するじゃろう〉
「そうかなぁ……。そうだと良いなぁ……」
沓子から述べられる同じ女性としての意見を、十六夜は信じたくても信じきれずにいた。十六夜は、良くも悪くも、『好き』の反対が『無関心』である事を知っているのだ。この前北山邸に帰った時にされた無視が『無関心』になった故かもしれないと、十六夜の中で恐怖が渦巻いている。
「……ん?……なっ、しっ、雫からメール!」
〈ほらの。今丁度自身の意固地を反省して動いたところなんじゃろ〉
「お、お別れを告げるやつだったり―――〈はよ、文面を読め〉―――あっはい」
急なメールに怖気づく十六夜を沓子は急かし、そうしてメールを開かせる事に成功する。
「……っ」
〈……どうじゃった?〉
「……『3日後にプライベートビーチで友達と遊ぶから、クソボケも来なさい』って」
〈『クソボケ』……。まだ意固地を解消しきれてないようじゃのぉ……〉
「で、でも、雫も仲直りがしたいって事で合ってるよな……!」
〈そうじゃろうな〉
プライベートビーチへのお誘い。それは間違いなく雫からの歩み寄りであり、関係修復のきっかけを得ようとしているモノであると、十六夜も沓子も感じた。まだ希望はあったのだ。『ないかも』と脅えていたのは十六夜だけだが。
〈行ってくると良い。何にせよ、おぬしはそこで気持ちをしっかりぶつけるべきじゃ〉
「ああ!行ってきます!」
こうして十六夜は沓子に背中を押されつつ、関係修復のきっかけへと手を伸ばすのだった。
時は流れ、旅行当日。神奈川県葉山町のとある港が集合場所に指定されており、そこから北山家所有のクルーザーでプライベートビーチのある別荘へ向かう予定だ。
ちなみに、その別荘とは小笠原諸島にある
閑話休題。
「なんで買い物に呼ばれてないのかと思ったら。アンタ、雫と喧嘩してたのね」
集合場所に集まったエリカに、十六夜と雫の仲違いが即座に見抜かれていた。
「で、何したの」
「違う、違うんだ。俺はただ雫を異性として見てない的な事を言っただけなんだ」
「何も違くないじゃない」
十六夜は弁解するも、何も弁解になっていなかった。その後はエリカにちょっと蔑視されたり、美月に憐れみの視線を向けられたり、深雪に少し説教されたり、ほのかにも放っておかれたりと、女性陣から散々な扱いを受ける事となる。
そんな悪い居心地のまま、クルーザーでの船旅を過ごしたのだった。
美月とほのかの名誉のために一応捕捉するが、彼女らは十六夜を弁護しようとしたが、どう弁護して良いか分からなかっただけである。
時は別荘に着き、ビーチで遊ぶ段にまで至った頃。
当然、男女共に水着に着替え、思い思いに楽しんでいた。達也と十六夜以外は。
達也と十六夜はプライベートビーチなのだから誰かにそれを奪われるはずもないのに、砂浜に刺したパラソルを守るように、2人してその日陰に鎮座していた。
2人揃って会話はなく、時折声を掛けてくる友人たちにテキトーな対応をしながら、達也はただ水平線を見つめながらくだらない思索にふけり、十六夜は足元に視線を落としながら仲直りの方法を思考していた。
そんな全然海を楽しんでいない2人の下に、女性陣が寄ってくる。
「達也さんも十六夜も、何か考え事ですか?」
「お兄様も十六夜君も、せっかく海に来たのだから泳ぎませんか?」
「他の男どもは無駄に沖の方まで泳いでるって言うのに、アンタたちは上着まで着込んで何してんのよ」
ほのか、深雪、エリカがそれぞれの言葉で達也と十六夜を海へと誘う。美月は声を発しないまでもその3人の後ろに控えているが、雫は十六夜を避けるように波打ち際から動いていない。
「いやー何。俺こんな肌だから直射日光に弱くてさー」
「紫外線常時反射してるって言ったの、あたしが忘れてると思う?それとも何?そんなわざとらしい嘘までついて、肌を露出したくないの?傷だらけって訳でもないでしょ?」
「実はそういう訳なんだが」
「……マジ?」
「あれ?そう言えば話してなかったっけ」
十六夜は自身が傷だらけだから肌露出を控えたいと改めて明言すれば、エリカはそんな事予想していなかったような意外な反応をする。
それで、十六夜は自身の身の上を雫とほのか以外の達也一団に話していない事を思い出した。
「逆にどこまで話したっけ。
「……全然聞いてないんだけど」
そう。十六夜は全く話してないし、エリカは一切聞くどころか訊ねもしなかったのだ。初対面でアルビノであるかどうか訊いた彼女でも、それ以上踏み入るのは不躾だろうと訊かなかったのだ。
「ま、じゃあ最初の方から話すと、家族に魔法師がいない
「そ、そうなのね……」
『色々あったんだよ』という言葉に、まるで虐待があったかのようにミスリードする十六夜。エリカも、そして深雪も美月もそのミスリードに引っ掛かり、虐待で傷だらけなのだと勘違いした。それで、その傷を見せたくないから肌の露出はしないのだと。
事情をより深く知っているほのかと達也は、自身が知る事情との相違点を指摘しなかった。少年兵にして脱走兵だという過去を伏せたい気持ちは2人とも分かっているし、達也はそれに合わせて事情を知っていると露呈したくないので、そうしなかったのだ。
「じゃ、じゃあ、達也君は?」
「……すまない。俺も、見せたくない傷があってな。子供の頃の無茶で付いた傷跡が残ってるんだ」
「そ、そうなんだ……」
エリカは空気を換えようと達也に話を振ったのに、達也も傷だらけというオチ。
「……ああん、もう!2人とも脱げ!あたしたちは傷だらけなんて事気にしない!それに、友達ならそういうの受け入れとくべきでしょう!?」
冷え切った空気で一周回って熱くなったエリカは、無理矢理でも達也と十六夜を脱がす事にした。
「……それもそうか」
十六夜はエリカの無茶苦茶な論に一理を見出し、いつまでも隠し通せるモノでもないと脱ぐ事にする。そうして勢いよく、ラッシュガードのトップスを脱ぎ捨てた。
「……っ、いやもう虐待ってレベルじゃないでしょ!?」
突然露になった切り傷、火傷、銃創の数々。一応気を張っていたエリカも、その予想外の傷にはやけっぱちでツッコむ。
「HAHAHAHAHAHAHAHA」
「何笑って誤魔化そうとしてんのよ!アンタの元の家族ってヤクザか何か!?」
「HAHAHAHAHAHAHAHA」
「クソッ、こいつもう何もしゃべる気がないっ……」
何もしゃべる気がなくて笑って誤魔化す十六夜と、真面目に嫌気が差してきたエリカ。そのお互いの本気さにシリアスな空気がギャグじみたモノになる。おかげで、エリカ以外からは笑みがこぼれた。
「という事で。お前も脱げ、達也」
「……俺が先に脱ぐべきだったな」
十六夜にまで促された事で逃れられなくなった達也。こうなるならば先に脱いどけば良かったと、このギャグじみた空気をまたシリアスに戻すかもしれない事を憂いていた。
彼も仕方なく、ヨットパーカーを脱ぐ。
「……なんかもう。……ツッコむ気力が湧かないわ、達也君。アンタら、多分第一高の二大謎経歴よ?」
「……十六夜に先に脱いでもらって良かったよ」
達也も十六夜と似たように傷だらけの体を晒した訳だが、二番煎じ(?)だったからインパクトが薄れたのか、エリカはもう傷だらけの理由については流そうとしているし、ほのかや美月の視線も興味深げに見るそれへ変わっていた。ほのかの方はやや熱視線だが。
達也は予想が良い方向に外れた事を喜びながらも、扱いが少し雑な気がして喜びきれない。
「よぉし達也、レオたちにも見せに行こうぜぇ。あいつらの反応を楽しもう。次は先手を譲ってやるからさぁ」
「……いや、もうお前が先で良い」
達也はシリアスな雰囲気をぶち壊してくれた十六夜に感謝しつつも、その十六夜の暢気さに、感謝する気が薄れるのだった。
それで結局、レオと幹比古に傷だらけの体を十六夜も達也も見せ付けた訳だが。
「うおおお!俺も負けてらんねぇ!」
「ナイスマッスル!上腕二頭筋、チョモランマ!」
謎にレオと十六夜が筋肉で張り合いだし、細マッチョ同士なのにボディビルみたいなポーズを取り合いだして、雰囲気をまたシリアスからギャグにするのだった。
そうしてこの一団からわだかまりがなくなりつつ、これでようやく達也と十六夜も含めた全員が海を堪能する。
この後、達也がほのかのトップレスをラッキースケベ(達也本人にとってもほのかにとってもアンラッキーだっただろうが)するイベントが起こったのだが、原作通りなので割愛する。
ちなみに、十六夜はその間、隣の島まで泳ぎ渡っていた。
達也がほのかのトップレスを拝んだ罰として、ほのかのお願いを聞く事になり、そうして達也がほのかに輪から外れて連れ出されていたのだが、ここも原作通りなので割愛する。深雪が嫉妬してフルーツに八つ当たりしていた事実も同じく。
夕食のバーベキューに舌鼓を打った後。達也の三角関係で微妙に空気が張りつめているのを感じつつ、皆が雫の別荘で思い思いにくつろいでいた。
そんな中、雫が深雪だけを連れ出す。それが計画開始の合図だったのか、ほのかも達也を連れ出した。
(ほのかが達也を連れ出すのは告白イベントだって覚えてるんだが、雫が深雪を連れ出すのはどういうイベントだっけ。ただ、深雪と達也を引き離すだけだっけ)
十六夜は幹比古と将棋を指しながら、原作イベントを想起する。いくつか抜けがあるのはご愛敬だ。
ちなみに、雫が深雪を連れ出したのは、十六夜の予想通り司波兄妹を引き離す計画でもあるが、それとは別に、深雪の達也に対する思いを雫が確認するイベントでもある。深雪が達也を兄妹として以上に、あまつさえ異性として以上に愛している事を、雫が聞かされるイベントだ。『魔法科高校の劣等生』読者ならそんな事とうに知っているだろうから割愛する。
割愛してはいけないのが、この後のイベント、本作独自のイベントだ。
「十六夜君、ちょっと良いかしら。雫が呼んでいるわ」
「ま、マジか……」
雫と外に出たはずの深雪が1人で帰ってきて、雫の呼び出しを代行する。『ついに来たか』と『もう来てしまったか』という思いが十六夜の中で渦巻く。
ただ、自身も機を窺っていたので、これを逃す手はない。
「……行ってきます」
胃がきゅっと締まるのを感じながら、十六夜は腰を上げた。深雪含めそこにいる皆が内心エールを送りながら、彼を雫の下へと送り出すのだった。
別荘を出て波打ち際を左に。別荘の明かりが届かなくなる所。そこが、雫の待つ場所だ。十六夜は深雪の伝聞と雫が腰から下げるランタンの光を頼りに、その場所へ辿り着いた。
雫は、寄せ来る波を見つめている。
「……雫」
十六夜が声をかけるも、雫は振り向かない。十六夜は、それ以上近付かない。
ランタンの光が、雫を光に、十六夜を影に別つ。まるで、そこに境界線があるかのように。
「……半径3ⅿ、律儀に守ってるんだね」
「……そりゃあマイ・プリンシパルの言い付けですからね。言い付けも守れない飼い犬なんていらんでしょ?」
「十六夜」
自身がテキトーに言った言い付けを守る十六夜に、この期に及んでふざけた物言いをする彼に、雫は怒りを禁じえなかった。
その怒りが滲み出た顔を、ようやく十六夜に向ける。
「今から私がする質問に対し、一切の嘘偽りなく答える事。さもなくば、私は貴方を一生嫌い続ける」
嘘を吐いたら嫌いになる。あまりに幼稚な脅しだ。
しかし、その脅しが十六夜に対して最も効果的であるのを、雫は知っていた。
本心から嫌いになる事はできなくても、そういうポーズだけで十六夜には効く。
それは、この口をきかなかった2週間にも満たない期間で証明されている。
「……っ、……雫。俺の過去は知ってるだろう?雫に聞かせたくないモノが、たくさんあるんだ。それこそ、聞かせたら雫に嫌われてしまいそうなモノも、あるんだ」
「……うるさい。私の質問にだけ答えて」
関係を修復したいけど嫌われたくないと、脅えて震える十六夜。そんな彼の様子に心を痛めながらも、雫は強硬姿勢を取った。この機を逃せば、十六夜が自身との関係に対する執着が強くなっているこの時を逃せば、おそらく永遠に聞き出せないから。
「貴方が、私をどう思っているか。答えて」
「……」
「答えなさい」
十六夜に、いや、口を噤む目の前の『●●』に、雫は迫るように一歩近づいた。それに合わせ、男は一歩退く。まるで、光を避けるように。まるで、雫と同じ領域に立つ事を恐れているかのように。
そこには壁があった。埋められぬ、空白があった。
「答えろっ、名無しの少年兵!」
埋められぬ空白を、雫は無理矢理踏み潰す。逃がさぬようにと、『●●』の胸倉を両手で掴む。
超人たる怪力を持つ『●●』が、雫の細腕から逃げられない訳はない。
しかし、『●●』はその場に縫い留められた。受け入れてもらえるかもしれないという期待と、嫌われるかもしれないという恐怖が、彼を縫い留めている。
「……お、俺は、君の事を――」
期待と恐怖がせめぎ合う。どちらの感情が勝つかは、彼が言葉を紡ぐまで、彼自身にも分からない。そしてその勝敗は――
「――好きな、『キャラクター』だと思っている」
――期待の辛勝、である。本当に、期待が恐怖にわずかばかり上回ったのだ。
ただ、そうして紡がれた言葉に、雫は涙を滲ませる。
『愛している人』なんて答えは望み過ぎだと分かっていた。だが、『キャラクター』というのは、望みからあまりにも遠すぎる。
「……どうして、『キャラクター』なの?」
「……現実感が、ずっとないんだ。
「……っ」
雫は、悔しかった。
本当に、『●●』は目の前の雫を捉えているのに、何処か遠い目をしている。
どこまでも『キャラクター』としての北山雫を見ているだけで、『人間』としての北山雫を見ていない。
それが、雫には、悔しかった。言葉では表現できない悔しさがあった。
だから、彼女は抵抗する。微塵でも人間として見てもらうために。
だから、北山雫は、彼の急に引き寄せて、無理矢理唇を重ねたのだ。
「っ!?ちょっ、雫!?」
「……ファーストキス。……これされても、何も感じない?」
「……雫、別に何も感じてない訳じゃないんだ。ただ、酷い表現になるが、俺が操る『北山十六夜』というキャラに、『北山雫』というキャラが好意を寄せてるとしか感じない。君が、
「愛してるんだ、貴方を!」
雫は吠える。届けと、ゲームしている気どりの奴に届けと。彼の心に響けと。
「貴方が『北山十六夜』のロールプレイで『北山雫』を助けたのだとしても、そのロールプレイを選択したのは貴方で、貴方に私が救われたという結果に変わりはない!だから、私は貴方が好きなんだ、愛してるんだ!」
「……そうか。……ごめんな、雫」
届かない。雫の思いは、届かない。
『●●』の鼓膜は揺らしている。心を振るわせてはいる。
でも、所詮はゲームの中の出来事だ。ゲームの主人公を操作して、その物語に感動したとしても、「ああ、面白かった」と、感想1つ零して現実に帰るだけだ。
「……私は、諦めない。絶対、貴方をこの世界に引きずり降ろして、貴方を愛して、貴方に愛させてやる」
誓いを立てた。高次元にいるつもりになっている彼を、私たちの次元に引きずり降ろすのだと。
北山雫は、そう、傲慢な愛を、傲慢な恋を誓ったのだ。
「……ごめんな、雫」
『●●』は、涙を溢れさせる『北山雫』を優しく抱擁する。涙を拭きとってあげはしないが、服で拭う事は許す。
いつか彼女が、本当に『●●』を愛してくれるかもしれないと、期待を込めて。
「十六夜、私と一緒に寝なさい。どうせ何も感じないんでしょ」
「いや、だからな……」
その後、激しくなったスキンシップに手を焼く事となるのだった。
※ちょっとストックが足りてないので、来週の毎日更新は確約できませんが、ストックが尽きるまでは毎日更新しようと思います。ストックが尽きた際は、また後書きでお知らせします。