「……。ここ、は……?」
雫は目を覚ます。いつの間にか横たえられていた彼女の目が映すのは、清潔感溢れる真っ白な天井と一定の空間を仕切るようなカーテンレールだった。
それだけで、自身が何処で寝ているのか、彼女は理解する。同時に、思い出す。自身は、魔法の使い過ぎで倒れたのだと。そうして、病院に運び込まれたのだろうと。
それを示すように、左側には点滴とそこから自身の腕に伸びるチューブがあり、そして、右には穏やかな表情で見守り続ける十六夜の姿があった。
「おはよう、寝坊助さん。後1時間くらいで丸々2日眠る事になってたぜ」
十六夜は寝起きの雫に、少しの心配を込めた揶揄いで、彼女がどれだけ寝ていたのかを端的に表した。
そう。今は雫が倒れてから約47時間後。九校戦は8日目を迎えており、本日行われている競技、モノリス・コード新人戦も決勝戦が行われている頃である。
ちなみにだが、原作同様、7日目のモノリス・コード新人戦で第一高出場選手が事故(意図されたモノだから事件の方が正しいか)に巻き込まれ、正規の選手は続行不可能に追い込まれた。それにより、特例として選手の交代が認められ、達也が、それと幹比古とレオがモノリス・コード新人戦に駆り出されている。
何故十六夜の出場が認められなかったかについて捕捉すると、選手1人の出場は2競技までというルールがあるためだ。特例を出しておいてその原則を守る事には疑問を覚えるだろうが、九校戦運営委員会側も十六夜のスペックが異常すぎる事を加味しての判断だった。
ついでに、十師族側からちょっと圧力がかかった事も明言しておこう。モノリス・コード新人戦に出場している一条将輝に十六夜をぶつけるのは、十師族も危険視したのだ。もし将輝と十六夜がぶつかったら一条が敗北し、十師族の面子に泥を塗るやもしれないと。
まぁ、おそらくは、そんな圧力をかけなくても、1選手の3競技目が許されても、十六夜はモノリス・コード新人戦には出場しなかっただろう。原作知識で自身が出なくても優勝するのを知っている上に、十六夜にとって新人戦優勝あるいは九校戦総合優勝などどうでも良いのだ。
十六夜はただ、雫が無事なら、北山家に報いられればそれで良いのだから。
閑話休題。
「……ずっと、看ててくれたの?」
「馬鹿言え。食事・睡眠・排泄という生物的な欲求に抗えるはずもないし、病院内に不潔な状態でいるのは拙いから入浴が不可欠だ」
「……それ以外は、居てくれたんだね」
「~♪」
十六夜は答えず、わざとらしく口笛を吹いた。その黙秘が何よりの答えだと、雫は分かっている。
彼女の中に嬉しさはあった。でも、その嬉しさでも覆い切れない悲しさもあった。
「さて、みんなに伝えないとな」
「待って」
十六夜は雫が目覚めた事を伝えるべく携帯端末を取り出したのだが、雫は彼の腕を掴んで制止する。
「少し、2人だけで話そう……?」
「……ああ、そうだな」
雫の泣きそうな顔を見て、十六夜は携帯端末を懐へと戻した。
そうしてから、どちらともなく俯く。
「……私、負けちゃったんだね」
「……ああ、負けちゃったな」
お互い、深雪と達也に負けた事を再認識する。
自身らは、今持てる全力を出した。雫自身が万全な状態でなかったとはいえ、負けた。
もし万全だったらと、頭に過る。それでも勝てなかっただろうと、深雪と相対した当の本人である雫は結論を出した。
雫は意識を手放すその瞬間に、気付いていた。『ニブルヘイム』で防御に徹していたのは、そういう演出だと。だって、深雪は防御しつつ、液体窒素を生成していたのだから。
深雪は『ニブルヘイム』で防御しつつ、空気中の窒素を冷却して液体化させていた。その液体窒素を『インフェルノ』ないし適当な振動系魔法で熱すれば、気体へと戻る窒素の爆発的な膨張で、自陣の氷柱は薙ぎ倒されていただろう。
つまりは、雫が万全だったとしても、あれ以上長く試合を続けられたとしても、深雪のその液体窒素を用いた作戦により、負けていたのだ。
雫は、悟ってしまった。自身に、万の一つも勝ち目はなかったのだと。
「……十六夜、ごめん。ごめん、なさい……っ」
雫は自然と涙が溢れ出て、嗚咽を堪えきれなくなった。
自身は、十六夜に勝利をプレゼントできなかった。十六夜は、試作品CADを持ち出してくれたのに、新魔法を作ってくれたのに。
十六夜はあれだけ自身に尽くしてくれたのに、自身は十六夜に何も返せなかった。
その事が雫にとっては何よりも悔しく、何よりも悲しかった。
「雫、良いんだ。お前が謝るような事は何もない。謝るべきは、俺の方だ。随分と無理をさせた。消耗の激しい戦いを二度もさせた。消耗の激しい魔法を使わせた。……達也だったら、もっとうまくやれたんだ。俺に達也くらいの技術力があれば、きっと勝たせてやれたんだ」
「いざ、よい……っ」
雫は悔しくてたまらない。
『達也だったら』、『達也くらいの技術力があれば』。そんな、己を卑下させる言葉を、彼に吐かせてしまった。自身が勝っていたら、こうはならなかったはずだ。深雪たちに勝利できていたら、彼に自信を付けさせられていたはずだ。
結果は、このザマ。
悔しくて、悲しくてたまらなくて、嗚咽が漏れるばかりで、自身は『違う』という一言も告げられない。
負けたのは貴方のせいじゃないと、貴方は誇るべき力があるんだと、教えてあげる事もできない。
「ごめんな、雫」
病室には十六夜のその一言と、雫の嗚咽が響くばかり。
彼女の嗚咽は、モノリス・コード新人戦が終わり、もうすぐ見舞いがくるだろうという時間まで響き続けた。
そうして見舞いに来たほのかたちに、泣き腫らした目を晒しながらも毅然と笑顔を浮かべ、深雪と健闘をたたえ合って握手を交わした。
その光景を、十六夜は病室の入り口に背を預けながら、見守る。最後まで、雫の手を握りさえもせず。