01 一雫
ただの、沖縄旅行の予定だった。会社で忙しい父が、娘である私のためにどうにか暇を作って、慶良間諸島で家族と夏を満喫する予定だった。
なのに――
「会社の応援は!国防軍の救助もまだなのか!」
――ボディーガードがヘッドセットへ怒声を発し、その声もかき消すような銃声と爆発音が外から響いていた。
今慶良間諸島は、他国からの侵攻に曝されているのだ。
「お、お父さん……」
「大丈夫。大丈夫だ、
脅える私の体を、父が抱きしめる。感じる震えは、私のものなのか、父のものなのか、判別がつかない。
横では似たように、弟の
そこに、一筋の希望が差し込む。
「皆さん!我々は国防軍です!これより、恩名基地のシェルターまでお連れします!」
国防軍が、救助に来た。
「慌てないで!この人数なら全員乗れます!」
国防軍の輸送トラックは大きく、また、自身らのホテルに避難している者は少なかったため、ここの避難者全員を乗せられる容量が確かにあった。救助に来てくれた軍人たちも、しっかりそう明言している。
だが、この非常事態に冷静でいられる人間はいない。我先にと誘導に従わない者が続出した。避難者全員の乗車に、想定以上の時間ロスとなっている事は想像に難くない。
その時間ロスが、一筋の希望を遮ろうとする。
国防軍とは違う軍服を着た集団を、遠目に望んだ。
「敵がもうこんな所まで!」
「雫、行くよ!」
国防軍の焦りが父に伝播し、急いで私を引いて行こうとする。その走りが子供の自分には速すぎて、今にも転びそうだった。父の手を支えにして、やっと転ばないくらいだ。
だから、その支えを失えば、私は当然転ぶ。
トラックの荷台に乗り込んだ父が私を引き上げようとした。その時、お互いの手が、不安と焦りでかいた汗によって、滑ってしまったのだ。
不幸は重なる。丁度父と私が避難者の最後尾で、トラックの運転手は私たちが乗った瞬間に走らせるつもりだった。そして、父が私を引き上げるのを見て、私も乗り込めたと勘違いしてしまった。だから、私が滑り落ちた瞬間にアクセルを踏んでしまった。
転んだ私とトラックに、小さく間が生まれる。
「雫!」
父の叫びに反応した軍人たち。ブレーキを踏むのも早かったし、私を助けようと動き出すのも早かった。
でも、敵の攻撃を防ぐのには、遅かったのである。
「ぐ、がっ」
私を抱き起そうとした軍人は、すぐそこまで来た敵の銃撃によって、不幸にも首を撃たれ、静かに横たえた。おそらくは頚椎を撃ち抜かれたのだろう。即死できたのは、その軍人にとって最期の幸福だったかもしれない。
他の軍人は敵に応戦し、トラックを守っている。しかし、私には手が回らない。そうして運転手は、1人でも犠牲を減らすべく、トラックを走らせた。私を見捨てるように。
「雫ぅぅぅ!!!」
父の悲鳴、トラックの発車、敵の歩み。私には、全てがゆっくり感じられた。
だから、敵が私に向かって放った銃撃、そして、私を助けようと立ち塞がる少年の姿も、全て如実に感じ取れたのである。
私の前に立った少年は、凶弾に倒れた軍人の死体を盾に、敵の銃撃をどうにか防いだ。
軍人は防弾チョッキを着ている。でも、盾にしているそれが、長く保つはずもない。
その保つわずかな時間に、少年はこちらを窺う。その表情を、容貌を、私はしっかり見る事ができた。
苦々しく歯噛みしている少年。肌はアジア人らしい、俗に黄色人種と呼ばれるそれで、髪は黒体、虹彩は焦げ茶。体躯は、私と年が変わらないだろう少年のモノだった。だが、着ている服は、敵の着ている軍服と酷似していた。
ただ、恐怖感はなかった。状況が状況だけに麻痺していたのかもしれない。でも、その少年の背中に、安心感を得ていたのは確かだ。
「……どうして。……いや、そんな事を考えている場合じゃない」
少年は何か小さく呟いてから、覚悟したように目を瞑る。
敵はまだ目の前にいる。なのに目を瞑った理由は、私には分からない。
私に分かるのは、少年の髪と肌が白く塗り替わった事だけだ。
一瞬で白髪になった少年は、盾にした軍人の死体を労うように、また謝るように、静かに寝かせた。
そうしてから、少年は敵を睨む。
「……悪いな。こっから先は一方通行だ!」
切った啖呵で口火は切られ、銃弾が雨あられと少年を襲う。
だが、少年に銃弾が届く事はない。
銃弾は、まるで持ち主の元へ帰るように、敵へと撃ち返された。
いや、撃ち返された、では語弊がある。正確に言えば、
移動ベクトルを反転させる魔法を少年が使ってからは、いわゆる無双だった。少年の魔法は銃撃だけでなく、打撃斬撃区別なく反転していたのだ。
おまけに、少年は肉体的に強かった。拳1つで敵を屠り、途中から銃器と刃物を奪っては、銃器で敵の急所を的確に射抜き、刃物でも急所を穿っていた。
敵に対してではあるが、一方的な殺戮だった。なのに、私の目はそれを殺戮と映さない。
「……すごい」
私の目には、私を救ってくれる少年の、英雄の姿が映っていたのだ。
幾ばくかして、辺りの敵兵は一掃された。敵兵を一掃した少年は、私の下へ悠然と舞い戻る。
「あ、あの……!」
「仕方ないとは言え、血生臭い物を見せた。代わりと言っては何だけど、君を家族の下へ送り届ける」
私はお礼を言いたかったのだが、その前に少年に横抱きで抱えあげられてしまった。
「スピード出すから、舌をかまないようにな」
私を抱えた後、人の足によるモノか疑わしい速度で少年が走るものだから、私のお礼を言う機会はその時失ってしまうのだった。
補足するが、私は後にちゃんとお礼を言えた。
重要参考人として国防軍に捕虜として保護されていた彼を、私の両親が引き取った時に。
◆◆◆
「おーい、起きろー雫ー。二度寝したらアレだぞー、トースト咥えながら登校する事になるぞー。今時二次元でもそんな事しねーぞー」
「……んん、……んん?」
悪夢を見ていたような、綺麗な思い出を想起していたような。そんな微睡みから、少年の声が私を引き上げる。
「おいおい。ほのかさんも待たせるんだからな?おまけにダッシュもさせる事になるぞ?」
「うぅん……。トースト咥えて、ダッシュ……。曲がり角で
「うーん、ベタ通り越して古典だな。というか、一緒に登校するんだから曲がり角でぶつかる事はねぇよ。そろそろ頭も覚醒させろー」
少し(?)朝に弱い私を、少年がどうにか起こそうとする。掛け布団を引っぺがされる。さすがの私もここまでされれば目が覚める。
「……おはよう、十六夜」
「ああ。おはよう、雫」
焦げ茶から赤に変わった少年、いや、
「……ところでさ、雫。男の俺が女の子であるお前を起こすってのはどうなんだ?しかも当たり前だけど、そのためにお前の私室に入らなきゃいけない訳だが?」
「……十六夜なら構わない」
「…………そうかい」