1977-1993 スクーターCM集
多少発売時期と動画の流れは
前後するが、時系列を追って
のスクーターCM特集動画。
ホンダがロードパルを出して
日本の原付ブームに火が付い
た。
ヤマハはホンダ追撃モデルで
ステップスルーのスクーター
を国内で10数年ぶりに復活
させた。それがパッソル。
これは世間の度肝を抜いた。
ホンダ、スズキもやがては
ステップフロア式のいわゆる
スクーターを出さざるを得な
かった。ホンダはカレンで
試み、タクトで本腰でスクー
ター投入となった。
だが、どうしてもモペッド感
がまだ強かった原付スクーター
に本格的スクーターを投入して
きたのがスズキだった。
その名はジェンマ。イタリアの
風。盟友のジュリアーノ・ジェ
ンマまで起用してのCM作戦に
出た。
ホンダはソフィア・ローレン
起用で1976年に初めて女性向け
原付のセンセーションを起こし
たが、ヤマハは日本の名女優の
八千草薫をあてていた。
ホンダは次には大衆的に親しま
れる路線で当時新人の大竹しの
ぶをCMに採用して展開した。
ホンダとヤマハのこのCM路線
は「女性参加型」バイクのイメ
ージ戦略の魁となった。
そこにスズキが「本格派スクー
ター」としてジェンマをぶつけ
てきたのだ。イタリアロケで。
正直、その車両のイタリア風味
ぶりに二輪乗りたちはぶったま
げた。それまでの日本風味は
一切無く、まるでベスパのよう
なテイストを出していたからだ。
これほどまでに本格的なデザイン
のスクーターは存在しなかった。
一気に他の国産メーカーの原付
スクーターがチャチに見えた。
ホイール片持ち機構まで採用した
スズキジェンマは、1981年に登場
した。
ホンダとヤマハのいわゆるHY戦
争の火種は原付50だった。
それは1976年に開始された。
激化するのは1980年代だ。
1980年代は空前絶後のバイク
ブームが巻き起こったが、実は
それは原付の主婦・学生・通勤
者層をいかにユーザーとして取
り込むかにかかっていた。
日本のバイクブームを支えたの
は、自動二輪オートバイではな
く、間違いなく原付販売数だっ
たのは確かな現実だった。
原付使用者層からも自動二輪層
に移行する人たちも増え、原付
隆盛と相互作用でさらに二輪人
口が増加の一途を辿ったのが
80年代だ。
原付50は、スクーターを中心と
して、アイドル歌手たちもCM
にどんどん起用してPRが展開さ
れた。それは1980年代の国内の
超絶バイクブームにさらに拍車
というよりもブーストチャージ
ャーのような推進力をかけたの
だった。本当に「爆発的」とい
うバイクブームが1980年代だっ
た。
二輪は自動二輪まで含めて、下
りたら歩行者扱いで、歩道に
駐輪しても法的に違法ではなく
取締りもされなかったという
時代性もかなり大きく影響した。
喫茶店だろうが百貨店だろうが
街の買い物スーパーだろうが、
バイクでどこにでも行けたのだ。
熾烈なHY戦争の間隙を縫って、
スズキは虎視眈々と狙いを定め
て1981年に原付界にジェンマを
投入してセンセーショナルを
起こし、さらに1983年には大革
命オートバイであるガンマ250
を登場させて更に世の中の度肝
を抜いた。それ以前に輸出向け
カタナを出した時からのスズキ
の一発撃破路線は、やがてスズ
菌と呼ばれる熱烈なファン層を
発生させる事になった。スズキ
は原付と自動二輪の双方におい
て抜かりの無い戦略を固めてい
た。
1980年代末期にカワサキが二輪
製造そのものを廃業するかと
重工で検討されるに至った背景
は、カワサキは原付ファミリー
バイクを一切手掛けなかった
からというのは確実にある。
自動二輪だけでは二輪車メーカー
としては不十分な時代に入って
いたからだ。それはもう1976年
から。
カワサキは1981年にスポーツ
原付のARを出したが、その時期
にはスクーターは手掛けなかっ
た。かつて大昔のカワサキの
1号機はスクーターだったのに。
たかが原付、ではない状況が
当時は存在し、実質的にホンダ、
ヤマハ、スズキの収益の多くは
原付ファミリーバイクに頼って
いたし、それが軸線の基盤とし
てあって、初めて自動二輪の
販売促進も大々的に展開できた。
カワサキは背水の陣のゼファー
がヒットしなければ現在はカワ
サキという二輪メーカーは消滅
して存在していない。重工本社
決定で二輪部門廃止が俎上に上
げられる寸前だった程にカワサキ
のオートバイが売れていなかった
からだ。
原付こそが日本の二輪普及と二
輪文化を支えて来たというのは、
大げさな事ではなく、経済産業
の歴史を振り返ると事実として
存在したのである。
2025年。原付50ccの新車は世界
から消滅する。
そして、事実上、黄色ナンバー
(50ccから~90ccまで)の原付
2種車両も制度上は残っていても
現実的には消滅するだろう。
旧50と同じ程度のエンジン能力
にされた新原付(桃色ナンバー)
と旧原付125機種のみが存在す
る世の中になるだろう。
実につまらない。
スズキジェンマは50、90、125と
ラインナップがあった。
それぞれに意味のある需要があっ
たからだ。
実のところ、実際のニーズには
変化はない。
ユーロ排ガス規制により、ニー
ズ等の実情とは別次元の外力で
車両規制が実行されるのだ。
勿論、排ガス規制が環境保全の
為などというのはまやかしだ。
だったら、1970年代から今の
ような厳しい措置を取ればよい。
なぜトラックも含めて排ガス規制
は小出しにちょくちょく出すのか。
それは排ガス規制のすべては「政
治経済操作」を主目的としている
からだ。国際政治駆け引きの中で。
そして、使用者の側のニーズや
要望や運行実態を一切勘案せず
に実施されるのが排ガスおよび
各種規制だ。
世界の権力者がそれをやる。
ニセエコクリーンキャンペーンで。
原発推進の構造と全く同じ。
つまり、現実に生きている下々
の事などはどうでもよく、一切
考えていない。
そうやって、その流れの中で日本
の原付50は消えて行くのである。
日本では警察庁が主導して法改
正を実行した。
国家の手先の警察がすべてを
掌握しているのだ。
日本は警察国家なのである。
なお、与野党においても、排ガス
規制とそれに連動した国家警察
主導型の法改正等の問題性につい
て審議を呈する政治家たちは一切
いない。
日本は民主主義の国ではないから
だが、あまりにも分かり易いの
が笑える。