~第2回 共同親権制度導入に対する葛藤 それでも共同親権制度に賛成する理由~
神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。
一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。
本日は、一人の弁護士として、
"共同親権制度導入に対する葛藤 それでも共同親権に賛成する理由(2)"
です。
前回(1)では、現在の共同親権導入の議論状況を見守りながら、筆者自身が経験した、子どもを連れ去られたお父さんの事件の経験から想うことなどをつぶやきました。
前回はこちら
↓
筆者が、共同親権制度の導入、さらに共同親権を原則とすることに賛成するのは、このような事件の経験の影響がとても大きいのです。
ただ、他方で、葛藤が全くないか、というと、そういうわけではありません。
離婚に至る夫婦の方達のケースは、本当に千差万別です。
本当にいろいろなケースがあって、中には、
“これは、共同親権って言っても・・・。難しいだろうなあ”
とか、
“これで共同親権になったら、(一方配偶者が)可哀想すぎる”
と思わずにはいられないようなケースがあるのも現実と認めざるを得ません。
私自身の経験でも、例えば、
①夫が、浮気して(外に女性を作って)、妻子を置いて家を出て行った、というケース。
これで、離婚後、共同親権を妻に強制するのは、本当に妻のメンタルが心配で仕方がありません。
なお、妻が浮気して出て行く場合には、多くのケースで子どもを連れ去って行くことが多いため、むしろ、夫が望むならば共同親権にするべき事案となりやすいのですが。
次に、
②夫婦双方が、互いをものすごく憎み合って離婚に至ったものの、実情としては、どちらかの浮気やDV等の決定的落ち度がない(或いはその主張が困難)ようなケース。
このようなケースは、共同親権になった場合に、一体どうなってしまうのか?やっていけるのか?という不安は拭えません。
なお、③夫が(妻が)、妻を(夫を)、肉体的・精神的に虐待していた、正真正銘のDV事案や、夫婦の一方が子どもを虐待していた、というようなケースでは、共同親権が原則の制度とされたとしても例外的に除外される、という仕組みにはなると思われます。
ただ、このDVや虐待を証明する手段がないケースが保護されなくなる、ということで、共同親権反対派の方達は、懸命に反対している状況にあるわけです。
共同親権導入賛成派の方達は、この反対派の方達に反発される方も多いと思います。子供に会いたい親の立場からすれば、子供を愛する自分を真っ向から否定してくる、人情のかけらも無い悪徳弁護士、悪徳人間に見えてしまうのも無理はありません。
ただ、実際のところ、DVや虐待事案を理由に反対している方達(弁護士にしろDV被害者保護関係の方達にしろ)は、このような事件を、それこそ命懸けで扱ってきた方達がほとんどです。
反対派の弁護士達は、特にその傾向が強いといえます。
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(通称「DV防止法」)が施行されたのは、2001年10月のこと。
反対派の弁護士達は、DV被害者からの深刻な相談を、多くは法テラス(やその前身である法律扶助)の通常よりも低額の弁護士費用で受任して、被害者の代理人として矢面に立ち、他方配偶者からの時に恐ろしい脅迫電話にも耐えながら、裁判所に保護命令申立を行う等して、DV被害者を正真正銘命懸けで守ってきたといえます。
時に過酷なこのような業務を彼らが行うことができたのは、基本的人権の擁護と社会正義の実現、という弁護士としての使命のため。
彼らは、これらの業務の正義性を確信し、まさに、正義のために、このような業務を行ってきています。もちろんただでやることは通常できませんが、お金を儲けるためにやる、という関係にある業務ではないといえます。
だから、共同親権反対派(特に弁護士)に対して、自分達の食い扶持がなくなるから反対している、みたいな批判は全く妥当しませんし、正直、ひどい誹謗中傷とすら思います。
ただ、彼らに全く問題がないとは、私も思いません。それは、第1回で述べた、私自身の事件の経験からです。
痴漢事件にも冤罪事件があるように、DVにも冤罪事件があるといえます。自分の不貞を棚に上げて他方配偶者の暴力モラハラ等を主張するケース、さらには、本当はどっちもどっちのケースでも出て行った後に相手のDVを主張するケース等々が、「DV事件」の中に紛れ込んでいます。
そして、冤罪のDVで子どもと引き離されて全く会えなくなった他方配偶者は、それだけでも辛く苦しいのに、その上に、行政からDV加害者というレッテルを貼られ、子どもの居場所は分からない、という、本当に
“泣きっ面に蜂”
“踏んだり蹴ったり”
の状況に追いやられます。
(もちろん、このような状況になることは、正真正銘のDV加害者については、自業自得と言えますが、本物の加害者がいるからといって、冤罪事件が許容されるべきだ、という話にはなりえません。が、現状そのようになってしまっています)
共同親権反対派の論陣の方達は、自分達の過去の闘いの正義性を信ずるあまり、こういったDV冤罪に苦しむ方達の存在と苦しみを直視することができていないのではないか、とは思わざるを得ません。
ただ、彼らがそのようなスタンスにあるのは、お金のためではなく、彼ら自身の経験に基づく正義を確信しているからなのです。
そう、正義であると確信しているのです。
正義の確信というのは、時に、恐ろしいものがあるのも現実で、ただ、こういうことは、人間の心情としてよくあることでもあります。
そして、そのことを非難することも容易ではないものがあります。筆者自身、前回(1)で述べたような辛い事件の経験がなければ、彼らと同じ立場にいたかもしれない、とも思うからです。
(続く)
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