守秘義務というパワーワード
このところパワーワードという言葉が流行っているが、着眼点のいい言葉だと思う。われわれを刺しに来る強い表現についてのモヤモヤをひとびとが感じていて、パワーワードという言葉で輪郭がクッキリしたのである。「人権」「差別」などが典型だが、それ以外の事例でいうと、守秘義務というのもパワーワードだとわたしは思っている。都合の悪いことを言わないインチキ臭さが、あたかも正義のように変換されてしまう。プラス点だけ列挙してマイナス点は言わない詐欺師で世の中は満ち溢れているが、マイナス点を言わない大義名分として「守秘義務」がよく使われる。職業的に義務付けられていることもあるだろうが、たいていは個々人の民事契約でしかない。法律上の守秘義務という文脈では、かつて西山事件というのがあった。毎日新聞の西山記者が外務省の女性事務官と肉体関係を持った上で情報を聞き出した。女性事務官は情報漏洩の罪、西山記者は教唆の罪を問われた。この事例からすると、「情報を教えろ」というのは教唆の罪となるリスクがあり、守秘義務という言葉がパワーワードとなるのだろう。外交上の機密情報と民事契約の内容は次元が異なるはずで、詐欺師同士が「これは秘密だぞ」と仲間内で約束している内容など知ったことではないが、そのあたりの混同を解きほぐすのも難しい。詐欺師がもっともらしく守秘義務といえば、なんか正義のようになってしまう。都合の良いことは言う、都合の悪いことは言わない、それも人間として、当たり前といえば当たり前であるから、何でもかんでも開示せよ、ということではないが、インチキ臭いのも確かであり、決して立派なことではない。都合が悪いことは言わないというのは仕方ないにしても、後ろめたさの裏返しなのか、守秘義務というパワーワードで刺しに来るのはやめていただきたい。