日本ユニセフ協会からの抗議に対する「虚構新聞」の態度と対応と言動の問題点についての話。

 もともと、巷の日本ユニセフ叩きに問題が多いということは前のエントリで色々と書いてる通りなのだけど。http://blog.livedoor.jp/akindoknight/archives/7411844.html

虚構新聞:『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告』
 http://kyoko-np.net/kenkai1311.html


 今回は、しばらく前の事になるけれどこのろくでもない日本ユニセフ叩きの勢いに乗っかった「虚構新聞」による性質の悪い主張と言動が見られた件について、さらにそれを肯定し後押しするような人も少なからず現れて更なる迷惑をかけている状況が目に余ったので、この虚構新聞の主張等のどこがどう悪いのかを私なりに提示しておきたい。

 書きたいこと書いてたら説明がとてつもなく長くなったため、後にを設置しておいたので普通の人にはそちらを推奨。



 まず最初に言っておくと、私がこのエントリで主な批判対象とするのは「虚構」ではない。
 現実のものである「日本ユニセフ協会の抗議」に対する、現実に虚構新聞を構成する人間の現実の言動や説明や主張についてである。


    1.事のあらましなど

私が問題にする対象は、主としてこの記事。

『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告』
 http://kyoko-np.net/kenkai1311.html


『日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ』 
 という既に削除された 虚構 としての記事自体よりも、その後の
『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告』 
 という、虚構新聞がご報告と銘打って事実の説明として提示した記事から読み取れることについての批判が主となる。


 まず今回の虚構新聞と日本ユニセフ協会の間の事件について、事の経緯を大雑把に書き出してみる。


この虚構新聞というサイト(http://kyoko-np.net/)がジョーク記事として、嘘を含んだ記述による「「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」」というエントリを出す

ネタにされた日本ユニセフ協会が当該記事について虚構新聞に抗議し、削除を要請した。

虚構新聞自身がその記事を削除。

虚構新聞がその経緯説明としての記事(http://kyoko-np.net/kenkai1311.html)を公開。
その中で、虚構新聞は「全面削除を求めるのは言論に対してあまりに暴力的ではないかと思います」日本ユニセフ協会が全面削除を要請したことを非難。

https://twitter.com/kyoko_np/status/414379586579730432
その後さらに虚構新聞はその経緯説明エントリについてこのように公言。
『これはそもそも謝罪文ではありません。「じゃあ削除するなよ」というご指摘もあるかもしれませんが、「あえて削除するからこそ、この件を強く提起できる」という判断に基づいてのものでした』


    2.この件で日本ユニセフ協会の行為を非難しようすることの根本的な問題その一

 そもそも日本ユニセフ協会側の「要請」は事実上一回で虚構新聞側に受け入れられて削除が達成されてほぼ円満に終了している。

 大事な事だから繰り返すけど、日本ユニセフの要請は既に虚構新聞に受け入れられ達成されて解決した

 私は、単に「とにかく削除されたから日本ユニセフ協会の勝ちだ日本ユニセフ協会が正しい」と経緯を無視して言っているわけではない。
 他でもない虚構新聞自身の記述によれば『記事のどの部分が信頼失墜につながるかについて協会側に問い合わせることもできたが、本紙のような些末な存在にこれ以上お手を煩わせるのは、協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思ったので、指示通り即時削除をおこなった。』と、虚構新聞側から問い合わせて仔細を改めて確認する機会も不要だと放棄して、明確な「協会と募金者に申し訳ない」という虚構新聞側が自分の非を受け入れた認識のもとで日本ユニセフの要請の通りに削除している。

 だから本来、もうここで一旦終わっている話なのである。 

 にもかかわらず。
 虚構新聞は最初に「問い合わせることさえもはばかられ協会関係者に申し訳ないと思ったので記事を削除した」という謝意を含む殊勝な態度で削除した旨の説明を述べながら、舌の根も乾かぬうちにその同じ記事の中で(またその後のツイッターなどでも)、「実は問題提起のために削除してみせただけで削除する必要なんてなかった・おかしいのは日本ユニセフの方である」という、先に述べた理由とは矛盾して両立し得ない主張をしだして、自分の側が正当だと主張し日本ユニセフを非難する態度を見せている。



『本紙のような些末な存在にこれ以上お手を煩わせるのは、協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思ったので、指示通り即時削除をおこなった。』

    
『「抗議と削除のメールが来た」という事実を公にすることが、この問題を考えるうえで最も効果的であると判断したためです。』

『「じゃあ削除するなよ」というご指摘もあるかもしれませんが、「あえて削除するからこそ、この件を強く提起できる」という判断に基づいてのものでした』
(https://twitter.com/kyoko_np/status/414379586579730432)


 同じ「記事の削除」の理由説明が矛盾していて明らかに破綻している。
 これは説明の文章であり「虚構新聞だから」という言い訳ができるところではないはずだ。
 じゃあ私は「矛盾した事が書いてあって本文を最後まで読めば 内容が支離滅裂 であることが明白だから、虚構新聞は経緯説明として出す文章も虚構でネタでデタラメで大嘘だってことだねww」って厭味でも言えばいいのか?

 虚構新聞による日本ユニセフ協会への非難は、その中身の論理的正当性を検証する以前の問題として、まずこの時点で既に本人の中でさえ話が一貫していないデタラメなのである。
 おおかた、虚構新聞の中の人は、自分のやることに配慮も誠意も覚悟も持とうとせず卑怯に逃げ回ってるくせに自分が負けてないようなポーズを取り繕おうとして、とってつけたその場しのぎの言い訳を並べてるからこんな腐った事態が起こるんだろうよ。


 そしてこの記事は『記事掲載から削除に至る経緯について』の説明文だと本人が書いている。
 その直球ど真ん中の本題である「削除」の理由についての説明で文章中に複数の矛盾する「理由と経緯」が書いてある時点でこれ自体が説明文として破綻している。
 それもただ単に本人が勝手に一人で自滅してるだけならまだしも、さらに醜悪なことに虚構新聞はその破綻した不当な言い訳を用いて手前勝手に日本ユニセフ協会を攻撃しようとしているのだ。


    3.嘘を嘘と見抜けているつもりの人たちも実際はあまり見抜けていない

 そして 「あくまで虚構だ・ネタだといって嘘の文章を書くこと」 が抱える問題点のひとつがここにある。

 虚構新聞もそれを擁護する人の多くも、安易に「はっきり虚構だと書いてある」「最後まで読めばおかしいと分かる」と言う。
 それはつまり、だいたいこういう主張であろう→「だから誤解するような人の性質・性能の低さが悪いだけ。頭のいい俺たちはそんな低レベルで迷惑な馬鹿とは違うから虚構による問題は発生しない。そんな一部のダメな馬鹿がいるというだけで問題ない俺たちの楽しみまで邪魔をするのは不当だ。」

 しかしそう言いながら、かなり多数の人が現実には文章に目を通してもその話の整合性・真実と虚構の区切りを正確に理解・把握できてはいない。それぞれ部分的に何個かには気付いていたとしても、見落として誤解するようなこと、把握できなくなり把握できていないようなことがいくらでもある。

 現に、先に挙げたように、読者どころか虚構新聞の中の人自身さえこの体たらくだ。虚構新聞は記事のメインテーマ、それも他でもない自分自身の事についてすら矛盾して破綻していて成立していない文章を説明として提示して平然としている。そしてこの破綻して成立してない説明として価値のない代物を、見事だ誠実だと誉めそやし拍手喝采する程度の能力を持った人たちが、批判の中身と筋道も把握せずに「ネタなのに批判するな」などと言っている。

 こんな破綻した説明をする時点で、またこんな破綻した説明を読んで肯定してしまう時点で、彼ら自身こそがまとめて「真実と虚構の区切りを理解も把握もしきれていないダメな側の人」だということであり、この虚構新聞においては「ダメな人がデタラメを書いて、ダメな人がそれを誉めそやしてデタラメを受け入れる」構図が現に存在するわけだ。


 まあ、ダメな人ダメな人と書いてるけど別にそれらの人が特別致命的に酷いわけではなかろう。一部例外を除いては普通に社会生活を送れてる人たちも決して少なくないはず。
 なのに何故うまくいかずにこれを見落としたり誤解したりするのかというと、一つにはその話の前提である「虚構部分にははっきり範囲を示して明確に虚構だと書いてある」「虚構の部分はすべて一つ残らず最後まで読めばおかしいとはっきり分かるようにしてある」という条件が実際には全然守れていないからである。安易に『虚構と明記しているだろ』と言うけど、実際それはかなり雑にしか示されていなくて、そう書かれている文章の中にも結局は虚構部分とそうでない部分が混じっていて区切りが逐一明記されてはいない。

 そしてさらに言えば、日本ユニセフ協会絡みの案件では特に顕著なことだが、そもそも嘘や虚構を一つも混ぜなくたって、ただ事実を偏った抽出して並べるだけで(意図的にでも無意識にでも)人を誤解させることはいくらでもある。そこへ虚構と確定できない虚構が混じればなおのことだ。

 加えて、最後まで読む、完全に読解する、ということも皆が常にできるわけではない。
 そもそもが「最後まで読めば分かるから途中にいくら嘘があろうと問題はない」というのは「読みだした記事はつまらなく感じても興味がそそられなくても急用が入っても最後まで読まなければならない」という無茶な前提に立たないと満たされない主張だ。途中まで読んだ状態で離れれば、その途中までの文章の情報だけが保存される。偏った事実情報による誤解ならまだ残りの事実を知る事でバランスのとれた理解に導けるが、嘘はその嘘自体を是正できないとひたすら誤解を生むだけ。
 あと現実にソースを逐一確認せずに信じる人はいるし信じることはある。100%疑いなく信じるところまでは行かなくとも、100%確定できない状況の物事に対して判断材料のひとつにすることは珍しくない。これは一部のダメな人ではなく、多かれ少なかれ、私自身も含めた我々みんながそうなのだ。そんな厳密で手間のかかることを常にあらゆる場面で一切欠かさずやっていたら生活に支障が出る。

 確定ソースの確認できない半端なナナメ読みの情報を判断材料にするというのは、奇しくも虚構新聞自身が件の記事で事例を自ら示している。
 記事本文に「本人に取材を申し込もうとしたが、1回100万円とも言われる講演料のため取材を断念し、コメントを勝手に捏造した」と、念には念を入れてこのような但し書きまで入れました(ちなみに講演料100万円については確定的なソースが見つからなかったため「とも言われる」と伝聞調にしてあります)。

 よく知りもしない「確定的なソースが見つからなかった」ただ誰かが言っていただけで最後まで確認したわけでもない情報を判断材料にする、というこれと同じようなことはどこにでもある。
 虚構新聞を楽しむ人は「虚構新聞というニュースページのような外見を装って嘘を書くサイトがあること」を既に知っていて、警戒している虚構新聞だけには騙されにくいという程度のことでしかないと思う。巷の「虚構新聞かと思った」みたいな物言いにもそれが現れている。ここで虚構新聞を知らない人の立場を考えると、その「予備知識なしに虚構新聞的なものを警戒する状態」をありとあらゆるサイトで求められているわけだ。安易に言及して恥をかく人はまだ可視化され指摘もされうるが、途中まで読んだ人の中に嘘が保存された状態は把握しがたい。それもまた「記事が誤解を招いている」という場面の一つであろう。

(邪推する人が絶対いると思うから書いておくけど、私は「虚構新聞に騙されて恥をかいた」ことはないし、「自分が虚構新聞に騙された事に憤った」こともない。私は虚構新聞が虚構を使って発信する現実の実在の記事のいくつかについて、その「内容に憤って」いる。)


 よって虚構新聞やそれを擁護する人たちの「虚構だと書いているから悪くない」「嘘だと明記しているから普通に読めれば誤解を生むはずがない」というような思い込みは複数個所で誤っており、その誤った思い込みを根拠にして日本ユニセフ協会の対応などを非難するのは不当な言いがかりでしかないわけだ。


 私は、虚構やネタやジョーク自体を、別に全否定はしない。
 しかし問題は発生しうるし、今回実際に問題が発生していると思うし、その問題を発生させうる程度に「ダメな人」は虚構新聞の中の人を含めて虚構新聞を擁護する人のほとんども含まれるであろう。
 本当にそれで問題が発生しないような「話の整合性・真実と虚構の区切りを正確に理解・把握できる人」なら、今回の事案においては、虚構新聞の破綻した説明記事を受け入れて肯定するわけがないのだから。


    4.虚構新聞による削除の意図と説明のおかしさ

 「本紙のような些末な存在にこれ以上お手を煩わせるのは、協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思ったので、指示通り即時削除をおこなった。」
 『あえて削除するからこそ、この件を強く提起できる」という判断に基づいてのものでした』


 何度も繰り返しているがこの虚構新聞が提示した二つの理由提示はどちらかが真実なのかそれとも両方嘘なのか、これは「読めば誰にでも明白に分かる」ものではない


 さらに、だいたいこの説明自体があれだ。そもそもふつーに論理的におかしい。

 今回当該記事の削除に応じたのは、「削除に応じることなく徹底的に争う」から「頭を丸めて全面的に土下座謝罪」までを含め、さまざまな選択肢が考えられる中で、「抗議と削除のメールが来た」という事実を公にすることが、この問題を考えるうえで最も効果的であると判断したためです。嘘・フィクションであることを明示し、なおかつ本文を最後まで読めば内容が支離滅裂であることが明白であるにも関わらず、個々の記述に含まれた事実も含め「記事全体として誤解を招く」という理由で、協会が全文削除要請という対応を取るのだということを明らかにしたほうが一層議論が深まるのではないかと思ったからです。事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。

 「お前は抗議と削除のメールが来たという事実を公にするために『記事を削除すること』が必要だと思っているようだが……別に削除しなくても事実と経緯は公表できる。」(画像略)


 『「抗議と削除のメールが来た」という事実を公にすることが、この問題を考えるうえで最も効果的であると判断したためです。』って削除する理由になってない。

 で、まあ文章とか文脈とか文意自体の誤りはさておき「ただ単に意見を言うよりも削除した方がインパクトがある」と考えること自体は分かるけど。虚構新聞は、インパクトがあるというだけで、そのインパクトのために、そんなもののために「記事を残す」=「検証と議論のための事実と情報を残しまた提示する」という選択肢を投げ捨ててるように思える。

 さらに言えばそれって深めるどころかむしろ、誤解を生じやすい、誤解を誘発するばかりのインパクトだと思う。
 ちょっと憶測含むことを言うけど、ここで虚構新聞が記事を削除してみせた理由は単に自分を被害者っぽく見せて同情を買って有利にしたかったという本人の下世話な願望によるもの、程度のこととしか思えない。
 あまり頭使わずに反射的に反応する人がそれで騒いで暴れて罵って虚構新聞を批判する人たちを疲弊させて虚構新聞にとって都合のいい方へ作用してくれるのが活発になりそうなだけで、ここでこんな理由で削除することで議論が「深まる」とは到底思えない。その下世話な狙いを「議論の活発化」「深まる」という話で粉飾しようとしてるだけだと思う。

 自分の意志で問題の元記事を削除して自ら他人の検証をしにくくさせているし、相手方への問い合わせによってどこが問題だったか検証して抗弁する事も自ら放棄している。基本的に日本ユニセフとの関係や日本ユニセフの行動を考えるための要素において、虚構新聞側は議論の中身を深めるのに寄与することをほとんどしておらずむしろリソースを削り中身を薄めてマイナスになる選択と行動ばかり取っている。


 繰り返し確認するけど、虚構新聞は自ら主張しているように、虚構新聞は虚構新聞自身のために自分の意志と自分の判断で問題の元記事を削除したはずだ。


 「凸)財団法人「日本ユニセフ協会」の「虚構新聞」への言論弾圧について」
 http://togetter.com/li/592914


 ↑頭使わずに暴れてたどうしようもない人の記録の代表例たるこの電凸のまとめを虚構新聞の中の人自身が宣伝してたけど、その中にもこんな場面がある。

 https://twitter.com/FiliciaHeideman/status/402670731261005824
 『~ 「内容は読まれましたか?」と聞いてくる、「消去させた張本人が何を言う」と当職は返答。』


 やっぱりこういう人を誤解させてしまっている。あの記事は虚構新聞が自身の意志で削除したんだと書いていても、削除というインパクトに流されて周りが見えないこういう人を動かしてしまっている。虚構新聞によれば、内容を読めなくしたのは虚構新聞の意図による行為のはずだし実際そうであろうに。


 特にここらへん、虚構新聞は自分に都合よく二枚舌を使っているように思う
 「自分は悪くないし削除する必要なんてない・議論を深めたいから削除した」と言いながら、その議論を深めるにあたって重要な「日本ユニセフ協会に対する問い合わせや抗弁」を放棄した理由には「申し訳ないと思ったので」を持ち出す。そして発端の記事も残さない。

 削除は「騒ぎを大きく」するだけで、議論が「正確で深まる」こととは逆行する。



    5.虚構新聞は「日本ユニセフ協会の対応」について問題らしい問題をほとんど指摘できていない


 今回当該記事の削除に応じたのは、「削除に応じることなく徹底的に争う」から「頭を丸めて全面的に土下座謝罪」までを含め、さまざまな選択肢が考えられる中で、「抗議と削除のメールが来た」という事実を公にすることが、この問題を考えるうえで最も効果的であると判断したためです。嘘・フィクションであることを明示し、なおかつ本文を最後まで読めば内容が支離滅裂であることが明白であるにも関わらず、個々の記述に含まれた事実も含め「記事全体として誤解を招く」という理由で、協会が全文削除要請という対応を取るのだということを明らかにしたほうが一層議論が深まるのではないかと思ったからです。事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。


 特に赤字にした部分から確認できるが、この事態のそもそもの発端、虚構新聞が自ら記事を削除した根本の理由・動機は、日本ユニセフの組織の問題の話などではなく「日本ユニセフが削除を要請してきたことを非難したかったから」となる。
 しかし、日本ユニセフ協会の削除要請を非難したくて行動に出たというわりに、虚構新聞はこの説明記事のうち大部分をただ延々と自分の事情・自分の都合を並べたり要請の是非と直接関係しない日本ユニセフ協会の悪口を並べることに費やしていて、その肝心の「日本ユニセフ協会の削除要請」の非難すべき要素をほとんど提示できていないように思う。
 「虚構新聞側の事情や都合や願望がある」というのはただ「ある」というだけのことであり、虚構新聞が何かしら苦労してたり哀れだったりミジメだったりしたとしてもそれは別に「理由があって日本ユニセフ協会が虚構新聞へ何かを要求すること」が正当ではない理由にはならない。削除要請という行為を悪いと言いたいなら、選択・行動として「その行為は悪いものだ」とする直接の理由を提示できなければならない。

これらの指摘を「風刺でも何でもなく単なる悪口」を解釈する人もいるかもしれませんが、「アグネスは中国共産党のスパイだ」といった何の根拠もない誹謗中傷ならともかく、悪口であろうが上記が全て事実である以上、全面削除を求めるのは言論に対してあまりに暴力的ではないかと思います。

 結局、肝心の「虚構新聞と日本ユニセフ協会の間の関係・やり取り」で要請自体の是非について虚構新聞が主張としてはっきりと提示できているものは『全面削除を求めるのは言論に対してあまりに暴力的ではないかと思います』という、「全面削除ではなくもっと優しい・ゆるい要請をしろ」程度の内容でしかない。

 そしてそれも、虚構新聞の側が迷惑を掛けている加害者なのに(争う余地はありうるとしてもこの時点での日本ユニセフ側の立場からは虚構は加害者だという認識だしその後も虚構新聞から異論が提示されることもないまま終わった)「加害者の負担が最も少ない妙案を被害者である日本ユニセフの側が考えてこい」という方が無理がある。

 だいたいそれならそこで日本ユニセフ協会がとるべきだった行動として虚構新聞が想定している代案の「暴力的ではない範囲の削除要求」とは具体的に何なのか?
 『事実である以上、全面削除を求めるのは言論に対してあまりに暴力的』と言っているが、虚構新聞なのに「じゃあ事実は全部残していいから虚構だけは全部消しなさい」みたいな話にできるわけでもなかろう。外部からの削除要請なんだから普通に記事そのものを削除する=全面削除ということくらいしか言わないのは何の不自然もない当たり前のことだし、他の妥協案を提示して被害者と交渉するのは加害側の虚構新聞自身がやるしかないことであり、単に虚構新聞自身がそれを放棄しただけだろう。相手方が削除(=全面削除)を要請するのは何らおかしなことではない。
 この「加害者に対する全面削除要請」が不当だとあくまでも言い張るなら、逆に虚構新聞側が考える「日本ユニセフ協会がその時点で選択可能で選択する義務があった正当で妥当な要請内容」を提示できなければならない。


 とまあ、辛うじて主張の体をなしていた「全面削除を求めることは暴力的だ」という記述も全然妥当だとはいえない。なので結局虚構新聞は記事の本題である「日本ユニセフ協会の対応」について問題らしい問題を指摘できていないと私は評価する。

 また、その周りにも「但し書きを入れた」だの「そもそも虚構新聞と名乗っている」だの「最後まで読めば内容が支離滅裂であることが明白」だの、自分の都合で情報をつまみ食いして並べてたりするけど、それが最終的にどう繋がって虚構新聞自身がどういう論旨で日本ユニセフの行為と見解を否定して非難するのか、という話が、無い。

 『それでは具体的に記事のどの部分が信頼失墜につながる内容だったのでしょうか。』という記述はある、が。

 「どうやらこれのようだがこれによって信頼失墜はしないので要請は誤りだ。」とか
 「どうやらこれのようだ。確かに信頼は失墜させるけれど記述には一切非はないので削除要請はすべきでない。」とか
 「これこれこういう理由から信頼の失墜するような内容は文中のどこにもないと判断できる。」とか
 そういう、相手を非難する根拠と理由に辿り着いておらず、偏った印象を与える情報を並べて雰囲気だけを作ってその実は「どの部分だったのでしょう」とただただ呆けているだけ

 別に「分かるまで研究しろ」とか言う気はないが、分からないうえに自分で研究することも相手に聞いて確認することもしないのであれば、それはもうロクに中身があることを言えやしないし言えていない。


 ましてや虚構新聞は自ら記事を削除して他人からの検証も困難にさせている。
 それこそ「消去した張本人が何を言う」と言いたいぞ私は。
 明確に自分の意思で削除しといて、自分で「分からない」と言ってるくせにその「分かってない」パープーな自分の一方的な判断でピックアップした一部分の引用をチラ見せするだけで、議論や話を真っ当にさせたがってるかのようなポーズを取るのはとんでもなくくだらない欺瞞か救いがたい無能だろう。


    6.「議論を活発にする」「広く世に問う」「議論を深めるため」という空虚な主張

『事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。』的なものについて。

 まず「渦巻けばいいってもんじゃない」のが一つ。
 先に述べたとおり、「抗議内容には文句を垂れるのにこれ見よがしに記事を削除して被害者アピールはする」というのはダメな馬鹿を暴れさせて正当な批判のリソースを削る活動を活発にさせるわけで、そんなゴミが渦巻いてようとむしろ害ばかりなので質が大事。質が伴うという話でなければ効果として意味がない。


 そしてもう一点。
 


 『 世に問うて議論を深める・活発にする!! 』 



 あなたは、そこにいますか?



 その「深めたい」議論において、それを深めさせようとしている、その当事者筆頭で代表格たるあなたは何をしてるんですか?
 そこであなた自身の「議論」はどんな風に展開していますか?
 そのネット上の議論の結果を受けて具体的にあなたの考えはどう深まったんですか?


 それが伴わない、巷に丸投げしただけの「議論を深めたい」なんて物言いは、ただ自分自身のことを棚上げして話をすりかえようとしてるだけの寝言だ。


 『本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています』

 私に限らないその本紙さんのやり方への否定意見も渦巻いていることを内容含めてきちんと深く把握したのなら、それを受けて反省して謝罪するなり抗弁意見を提示するなりしないのかね。どうせしないしできないのだろうな。


 『一層議論が深まるのではないかと思った』みたいな物言いがどれもこれもしょーもないのはこの点なのだ。
 言い逃れに便利そうなそれっぽいフレーズだから使ってるだけで、実際には深めたいなんて思ってない。自分で深める気がない。そして深める気がないから削除なんていう手段を選ぶ。被害者のように見せたら自分が同情を買ったり安直に暴れてくれる馬鹿を煽動したりできる、という願望に沿っただけの行動をこうやって選ぶ。
 現にこれ。『事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。』という言葉で終了。投げっぱなし。

 その中身がどうとか掘り下げようとはせず、「賛否がある」→「俺を擁護する勢力もある」→「だから完全に俺が負けたという結論にはなっていない」と非を認めないまま話をうやむやにする言い訳を欲しがってるだけ。
 検証もしにくい状況で、自分がかわいそうな弾圧の被害者であるかのようにセンセーショナルに削除を演出して、それにコロッとやられて感情に流される層をつついて余計に場を混乱させ、収拾のつけがたい状況に持っていって、当人は「賛否が渦巻いています」でしれっと話を終わらせようとする。


 「私は議論を深めさせるために貢献したが、この議論はもう功労者である私の手を離れて、これからは私のあとに続く者たちが自分自身で深め切り開いていくのじゃよ、ふぉふぉふぉ。」

 みたいなメタな立場に逃げ込んで都合の悪いことを拒絶しようとするな。一番の当事者は虚構新聞自身だ。

 まして自分が深めたいなら自分が論じるんだよ。巷の議論が深まったらそれを助けとして自分が深まった議論をするんだよ。
 だいたい肝心の論点にしてるはずの「日本ユニセフの対応」からして、その要請の原文という唯一のソースを虚構新聞の中の人しか持ってないじゃないか。さらにわざわざ発端である自分の記事すら自分の意志と意図で削除して検証をさらに困難にしようとするおまけつきで。
 だから日本ユニセフの行動をソースを元に批判できるのは他の誰でもない虚構新聞自身しかいないし、「日本ユニセフの対応」の方を叩いているのは元ソース無しで実質ほぼ虚構新聞の受け売りしてる人しかいないようなものだ。その当時者がこんな姿勢でまともな議論なんぞになるものか。


    7.《【第074号】虚構新聞友の会会報》の話

 【第074号】虚構新聞友の会会報
 http://ch.nicovideo.jp/kyoko-np/blomaga/ar395555


 後に虚構新聞がこの事件に言及したこの会報においても「理にかなった批判は真摯に受け止めていますが」とか「今回の件について、社主本人に対する批判には耐えますが」とか書いているけど、やはり結局はその肝心の「日本ユニセフ協会の要請の是非」についての議論を深めることをしないで、下らない罵詈雑言の方ばかりをわざわざ相手にしている。
 

 (2)「俺は間違っていない」という自己弁護を繰り返すだけで、謝罪文になっていない。

  →そもそも今回掲載した内容は「ご報告」であって、「お詫び」ではありません。今回の炎上によるアクセス過多で記事が読めなくなったり、批判の矢が本紙読者にまで飛んでしまったことについては「申し訳ない」と思ったのでお詫びしましたが、これは裏表のない協会に対して謝罪した記事ではありません。謝罪文として読めば、謝罪するには中身があまりにふざけているということになりますが…。

 にもかかわらず、テレビにも多く出演されている某有名ネットジャーナリストの方が、「普段からおもしろくないうえ、謝罪文がクソ」とつぶやいておられて、「謝罪文と誤読したのか…」と思うとともに、そこまでの著名人が「クソ」という品性をかなぐり捨てた言葉をオープンな場で躊躇なく使っておられることに少し驚きました。


 そして多少(やはり全然本題じゃないけど)意味がある話になったらまたこれだ。
 何が「謝罪文と誤読したのか…」だよ。

 1.「協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思った」と日本ユニセフ協会側にも申し訳ないという言葉を提示し表明している。
 2.「まずは多くの読者のみなさまをお騒がせしたことについて、この場にてお詫び申し上げます。」と読者に向けて謝罪している意味でも「謝罪文」である。

 という複数の意味と理由で「謝罪文」というカテゴリに分類できるものだからその文が「謝罪文」と呼ばれて、その上でその中身が「クソ」と評価されているだけ。相手もその謝罪を向けてるはずの「読者」だろうに、逆になんでそれだけのつぶやきですぐに「謝罪文と誤読したのか…」なんて発想が出てくるのか。実際は読者にも謝る気持ちは無いんじゃないかなこの人。
 何度も繰り返すけど、自分で協会へ向けて申し訳ないと書いていることすら自覚せずに違うことを言い出すあたり、この人の「お詫び」やら「申し訳ない」って言葉はどれもこれもただ自分が責められる事に怯えて殊勝なように見せることでそれから逃げたがってるだけで中身の無い虚構のように思える。


 次にこれ。
 (日本ユニセフ協会に対する)『謝罪文として読めば、謝罪するには中身があまりにふざけているということになりますが…。』

 ああ「ふざけている」という認識はあるわけだ。そう、ふざけている。
 その文章と「ふざけ」が機能する相手は日本ユニセフだけじゃない。読者に対する謝罪もしていて、経緯に対する説明をしている文において、虚構新聞は「ふざけている」のだ。読者は説明を読もうとしたら、虚構新聞から説明の機能を阻害するレベルでふざけられているんだよ。ふざけるな。


 そしてこれ。

 今回の会報では、この後の閲覧有料パートで現在ネット上で飛び交っている本紙批判に対する反論を片っ端からやっていこうと思ったのですが、それを有料の売りにするとまた商業批判が出てくるかもしれず、さらには「自分をたたえる信者だけを相手に言い訳を連ねるクズ」などとも言われかねないので、多くのご要望をいただいた削除記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」の全文を掲載するに留めます。


 うん、「自分をたたえる信者だけを相手に言い訳を連ねる」行為は非常にくだらないと思う。

 「本紙批判に対する反論を片っ端からやっていこうと思ったけど有料で金回収する手段にはしない方がよさそうだ」という結論に至ったのはわかった。私も「有料メルマガだけで反論する欠席裁判」とかクズの所業だと思うし。あと虚構新聞がそれをやらないのは「言われかねないから」であって、「虚構新聞の見識としてそんな欠席裁判は卑怯だし健全な議論になっていないという判断をしたのではない」ことも分かった。

 で?
 それで?

 どうした、反論しないのか。
 「反論を片っ端からやっていこうと思った」はずなのに、公開の説明で「反論をやっていこう」とは思わないのか。
 メルマガへの掲載を断念した理由とは関係ない「金の回収ができない」という別の新たな理由でやらないのか。

 まあ人が人に何かを行動として強要するのは、基本的にあまりできることでもすべきことでもないけれども。

 『理にかなった批判は真摯に受け止めていますが』というのなら。
 その「理にかなった批判もある」という事に対して、「個人的な好き嫌いだけを理由にした罵詈雑言」ではないものに対して、金が取れるなら反論をやると言うけどそうでなければ抗弁も反省の弁もなくだんまりを決め込んでおくのが虚構新聞にとっての「真摯に受け止めた」態度だということになる。
 自分自身こそが当事者である事に対して、「あえて削除する事で強く提起」「議論を深める」と他人の動きを求めて煽り立てておいて当の自分はそこから起こる議論もその反論も投げ出す。これのどこが真摯なんだよただのゲスじゃないか。


 そしてこれは単に「自分が深めたいと言っていて深めるためにやるべき議論を他人に任せている」というだけの話ではない。
 より大きな問題はその「虚構新聞の対応の是非」「虚構新聞が暴力的だと言って非難している日本ユニセフ協会の対応の是非」について起こった議論において、虚構新聞が自ら主張したり支持を表明したりして虚構新聞が責任を負う主張が何一つないということだ。
 虚構新聞は『事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。』と、「自分の対応への賛美とか相手への非難」もあるということを提示して「自分への非難」を減殺しようとし、正当化するための要素として使おうとする。現に虚構新聞はそれら「自分の対応への非難」を「自分が謝罪したり釈明を提示したりしなくていい内容のもの」として扱っている。

 虚構新聞が自ら明確に釈明したり反論したりして主張を提示すれば、その主張の間違いを指摘される事になる。
 そこでこうやって『それぞれ賛否が渦巻いています』とだけ言うことの最大の問題は、虚構新聞は「巷にある相手への非難」の全体を自分側の正当化と相手への非難に使っていながら、その中のどれだとも特定していないので、何に反論して誤りを指摘しても「それは俺が言ったり俺が支持したことじゃない」で逃げるということだ。

 念のためにいうとここでの責任とは「廃刊しろ」とか「腹を切れ」とか言いたいのではない。まあするのは勝手だが、責任をとるというのはそれよりも、不当に迷惑掛けてる状態の解消や、誤りを是正する情報の周知の努力をする方向に向けられるものだと思う。
 もひとつ言えば「責任から逃げてる」といっても、ここで虚構新聞の個人がその責任を取る取らない自体は、まあ小さくはないけど一番重要なことではない。肝心なのは、そもそも虚構新聞が責任持って主張してる事が何もない・中身が何もないのに、「日本ユニセフ協会」あるいは「虚構新聞の行為を批判する人」が、虚構新聞などから不特定で何も具体性のない「賛否として渦巻いているもの」を根拠として「この根拠があるから虚構新聞は正しい→正しい虚構新聞を非難するお前らが間違っている」という理不尽な非難を向けられている状態だということだ。

 それがこの手法の特に悪い点。
 自分で言ったらその話のすり替えに気付いた人からその卑劣さを指摘されるが、気付かずに受け入れてしまう人もいるようなすり替え論法、というものが往々にしてある。自分で明示して主張してしまえば誰かに指摘されてすり替え論法の破綻とそれを主張する自分の誤りは露見するが、自分では言わないことで指摘を避けつつそれを利用して影響を与えることができる。そういった卑劣なものまで含めて、自分の責任を避けながら自分の正当化に利用している状態なのだ。

 これは本来「虚構新聞の主張してることは実質的に中身がなくて根拠にならないから破綻している」で終わるべき問題なんだけど、そうなっていない。これは「滅茶苦茶なことを主張している虚構新聞が悪い」のと同時に、それ以上に、この破綻した主張を有効であるかのように機能させている人たち、虚構新聞の破綻した主張による不当な非難にそのまま乗っかって、論になっていない罵詈雑言の再生産量産体制を確立して迷惑をかけている周りの人たち、虚構新聞のいわゆる信者あるいは(ツイッターとは違う意味での)フォロアーの問題だと思う。
 誰でも間違いをすることはあるし、どこかにダメなものがあるのは仕方ない。間違いの根絶なんてできやしない。それよりも、個人のそれを是正してあげないで、あまつさえ乗っかって迷惑行為をさらに広げてしまうダメな人の大群こそがより重大な駄目ポイントだと思う。


    8.日本ユニセフ協会に対する虚構新聞の見識のおかしさと、抗議を受けた元の記事の問題点。

 何度も指摘している通り、元の「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」という記事が削除されていて確認にも検証にも障害があり、元の記事の妥当性(ひいてはそれに対応した抗議の妥当性)を論じること自体はかなり困難である。
 ただ虚構新聞の記事と中の人については、当の虚構新聞の中の人が語ったこの記事から直接読み取れることがいくつかあるのでそれについても書いておきたい。

 『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告』
 http://kyoko-np.net/kenkai1311.html


 この中で虚構新聞は元の記事についてこのような記述をしている。

「最も批判の的とされる寄付金の『中抜き』あるいは『ピンハネ』については、組織として活動する以上、無償でやっていくことが不可能なのは十分に理解できることなので、記事でも『子どもがペットボトルにためて送り付けてきた大量の1円玉や、1つ1円にもならないペットボトルのふたを数える手間などを考えると、無償のボランティアとして継続的に活動していくのは難しい』というかたちで協会側の立場を尊重した紹介をした。ちなみに協会ではペットボトルのふたを集める活動は行っていないが、ボランティア活動には金額に見合わぬ労力が伴うことを分かりやすくするための事例として紹介した。この種のピンハネ批判に関しては、協会の主張の方に分があると思う」


 《『子どもがペットボトルにためて送り付けてきた大量の1円玉や、1つ1円にもならないペットボトルのふたを数える手間などを考えると、無償のボランティアとして継続的に活動していくのは難しい』というかたちで協会側の立場を尊重した紹介をした。》
 《協会ではペットボトルのふたを集める活動は行っていないが、ボランティア活動には金額に見合わぬ労力が伴うことを分かりやすくするための事例として紹介した。》


 だそうだ。
 「1つ1円にもならないペットボトルのふたを数える手間など」「金額に見合わぬ労力が伴う」
 これを見て私は、そりゃこんな意識と認識で書いた記事なら確かに迷惑もかかるよなぁと思った。

 基本的な、本当に基本的な、日本ユニセフ協会に限らない話でもあるのだが、日本ユニセフ協会が募金活動に経費を掛けるのは、その活動に、かけた経費の金額以上の増収が見込めるからである。集金事業についてはかけた金額に見合うどころか、かけた金額以上の効果があると考えるから経費を掛けるのだ。
 にもかかわらず、日本ユニセフ協会などが「見合う成果の出る経費」として募金に使っている金額・金銭に対して、虚構新聞は「金額に見合わぬ」という真逆のイメージを塗りつけ、そのとんでもない勘違いを「分かりやすくするための事例として紹介」などと宣言してしまっている。金銭を回収できない広報や政策提言にも経費は使われてるけど、そちらはもう「子供への教育効果:PRICELESS」な話とかなので見合う見合わないではない。


 虚構を使うこと以前に、その虚構を使って発信しようとする本人の見識自体が間違っている。最後まで読めばどころか、そもそも書いてる本人すら誤解して誤解をそのまま広めようとしてるんだからどうしようもない。加えて虚構などという危険物まで持ち込んで情報をさらに歪ませているんだから手に負えない。とりあえずこの記事はできそこないだということが、本人が自ら引用しているところでさえ分かってしまった。
 そしてそれにすら気付かないでいるような人が「虚構」という扱いの難しい危険の大きい道具を自分の能力もわきまえずにイキがって話題の範囲もわきまえずに乗り回すという、いわばネットにおける珍走DQNみたいな行動をとるのは控えた方がいいと私は思う。「俺は自由だ、禁止なんておかしい、俺はちゃんと判断できるし事故らないからいいだろ。」といって強行した結果がこの記事のこの有様なのだから。
 『記事内での表現や事実関係の裏付けなど、毎回細心の注意を払いながら虚構記事を執筆しています。』と言ってるが、本当に虚構新聞なりに細心の注意を払ってもそれがこんな欠陥だらけで論理もガタガタな自爆テロまがいの出来損ないになるんであれば、それはもう完全に能力が足りてないということだ。
 別に一切微塵も使うなとは言わないけど、そういうのは人に迷惑がかからないところを選んでやりましょう、と。




 特に本文最後のアグネス・チャンさんのコメントは大変デリケートな領域であるため、記事本文に「本人に取材を申し込もうとしたが、1回100万円とも言われる講演料のため取材を断念し、コメントを勝手に捏造した」と、念には念を入れてこのような但し書きまで入れました(ちなみに講演料100万円については確定的なソースが見つからなかったため「とも言われる」と伝聞調にしてあります)。

 それとこれ。まず「取材」と「講演」料は対応するもんじゃない。そしてこの記述は「アグネスは“100万円とも言われるクラスの講演料”を『取材』に対して要求してくる相手である」という評価・判断を提示してしまっている。そして取材は相手を拘束する以上金を要求されても不思議ではないのでその虚構新聞の評価・判断はどこまでが虚構なのか確認ができない。「虚構新聞らが『アグネスは取材でも100万くらい取る人間だ』と評価している」というのも一つのれっきとした情報であり悪評である。しかもそれを根拠とともに自分の見解として言明するならまだしも虚構の中に混ぜ込んで虚構でないとも断定できない状態で中途半端に悪い印象だけを撒き散らしているんだから迷惑な話だ。


 そしてそれを『そもそもその配信元は「虚構」新聞です。』と、個別に問題がありうる点について一つずつそれぞれ配慮せねばならないところなのに全体として虚構記事であることを自ら言い訳にする態度と意識でいるのなら、「じゃあ全体としてのその記事が迷惑なので全面削除してください」となるのがやはりどのみち適切な結論であるように思う。



    9.「説明とネタ」「事実と嘘」の境目が見えにくい

 http://kyoko-np.net/kenkai1311.html
 この「説明記事」を読んでいると特に、また別の角度で非常に気持ち悪いところがある。
 それは「虚構新聞という組織の構造」と「意思決定プロセス」について、先述のような明らかにネタと言い逃れのできない理由説明の矛盾以外にも、おそらくネタと称する嘘が多分に混じっていて、さらにそれが「文章を最後まで読んでもどこまでが本当かを断定しにくい」「実態を覆い隠す機能を持った嘘である」ということだ。これはとりわけ「記事を削除したのは虚構新聞の中の人自身の意志である」という点を誤認させる面で機能している。


<聞き取り調査結果>

 当該記事の掲載と削除について、記事執筆を担当した社主UKへの聞き取り調査を行いました。判明した事実は以下の通りです。


 初っ端からの「記事執筆を担当した社主UKへの聞き取り調査を行いました」って何なんだ。

 虚構新聞の「会社概要」ページを開くと「社員数 1名と1匹」とあるけどそれはまあ虚構ページで嘘なのだろう。
 しかしそれならば、虚構じゃないネタじゃない実際の姿は一体何なのか。
 たとえばこの虚構新聞による説明記事は、「社内に別にいる人間の誰かが社主から聞き取って書いた」のか、「外部の記者が社主から聞き取って書いた」のか、「別人格と称して一人で脳内聞き取りごっこしてるだけ」なのか、「聞き取りごっこすら存在せずやり取りにあたるものは全部完全な捏造」なのか。文章を最後まで読んでも断言ができない。これまでの虚構新聞をずっと追っていたり記事のすべてを読めば把握できるのかもしれないが、そんな前提がなければ事実関係を判断しかねるような「虚構」を「事実説明」の中に混ぜ込んでいる。

 これは虚構記事ではなく本当のことを説明するための「ご報告」であり、虚構新聞は「最後まで読めば虚構であることが分かるから害が少ない」という理由で虚構を使っているはずなのに、報告・説明の文に嘘を書いているのでは道理に合わない。

 この状態では話が進まないのでここは便宜上、私の憶測で話進めることにする。まあ違ったらその時だ。
 この説明文、社主を名乗る本人が書いてるんだろう。
 間に人が挟まって報告をまとめたり社主に他者の立場から処分を下したりしたという実態は無いのに、それを偽って「聞き取り調査」とか書いてるんだろう。
 これ「虚構記事」なのか「虚構のない報告」なのか、どっちなんだ。
 事実・経緯を把握するための報告に虚構を混ぜるならそれはもう報告の体をなしていない。

 「最終的にそれによって社主の見解が変わるわけではないから報告でもこの程度の害のないネタ入れてもいいだろ」って人がいそうだけど、私は害があるネタだと思う。まず、この表現がごまかして曖昧にしてるもののひとつが、本件の核心のひとつである「記事の削除の経緯」だからだ。

 文章の一部分をネタにしたりジョークを入れたりするのは、虚構新聞とそれを欲する人だけの都合だ。その都合ために説明に嘘を混入して説明の機能を損なわせるのであれば、それは別の都合を優先して説明の方は放棄したということだ。
 どうしても説明文にも入れてネタとしてのクオリティを確保したいのであれば、害がないように配慮して、自分たちが言うように「最後まで読めばネタと真実が明白に区別と把握できる」ようにしておけばいい。できるものなら。


<処分内容>

 検討会議の結果、本紙編集部では当該記事の執筆を担当した社主UKに対し、以下のような処分を発表しました。

 (1)3か月間減給50%
 (2)記事執筆禁止処分1週間
 (3)政治カテゴリに関する記事執筆の禁止(13年12月31日まで)
 (4)今後日本ユニセフ協会とアグネス・チャンさんを記事として取り上げる場合は、必ず接頭辞に「裏表のない」をつけること


 これとかも、説明報告なのに、実際には実態としてのペナルティをどこまで負っているのかがはっきりしない。
 2の執筆禁止(停止)とかは実行しているし、本人がブロマガに『友の会のみなさん、こんにちは。減給処分を食らったうえ、記事執筆まで禁止されて手持ちぶさたな社主UKです。』とも書いている。全部が虚構ということでもない。

 そして特に1はお金の話であり、しかもまさに虚構新聞の組織構造の不明瞭さが直接関係していて虚構と実態の判別がつかない。
 またさらにお金の話はその後にも関わってくる。

 本紙読者のみなさまへ、広告収入寄付のご報告
 http://kyoko-np.net/kenkai131102.html


 そこで本紙編集部では、今回の一連の騒動によって得た過剰な収入の使い道について検討を重ねた結果、18日から24日までの1週間に得た広告収入から平常時の収入(=前月分)を差し引いた剰余金全額(期間中の広告収入総額の66%に相当)を、昨日Yahoo!基金を通じ、フィリピン赤十字社に寄付いたしました。


 具体的な金額についてはGoogleの規約のため公表することができませんが、会議に出席した本紙社主UKが「それだけあったらプレステ4買ってもお釣りがくるだろ!プレステ4買おうぜ!」と発言したところからご推察いただければと思います。また余談ではありますが、会議の席でただ一人寄付に反対しプレステ4購入を強く主張したUKについては、現在反省の態度を見せるまで、本社ビル地下3階の地下牢に勾留したうえ、おやつと晩御飯抜きにしています。


 さてここで虚構新聞の会社概要ページに再び目を向けてみよう。
 http://kyoko-np.net/data.html
 ●資本金  280円
 ●営業収入  0円
 ●社員数  1名と1匹

(参考:ニコニコブロマガの「虚構新聞友の会会報」の会費は会員一人あたり月額630円)
(参考:出版物『号外!虚構新聞』1冊500円)
(参考:出版物『虚構新聞2013』1冊680円)


 まあ虚構新聞の「虚構ネタとしての会社概要ページに嘘を書いている」ことが必然なのは分かる。
 しかし問題はそれに代わる情報が提示されていないということだ。それとて、まあ日本ユニセフ協会の組織を不透明だと主張することとの整合性を除けば、別に虚構新聞が内部情報を開示していないということそれ自体はそこまで大きな問題だとは思わない。
 しかし、会費収入も出版収入もPS4買ってお釣りがくるような広告収入もある状態でのお金の話で、「(1)3か月間減給50%」のように簡単に無視できるものではない事柄を報告として提示するものの中に入れるのであれば、それが実態と虚構との識別の困難な情報になっているのはおかしい。

 まして「寄付すること」をアピールして自分の姿勢として見せるのに利用するならなおさらだ。

 実態があるのかないのか分からない状態で報告として出していて、それがネタだった、実態が無い、なんていうのであればそれはもう「ネタとして虚構だと明示している」という建前すら完全に蔑ろになっているということだ。


 虚構新聞のこの「虚構」は、ネタだと主張する事で免罪を乞いながら、実態を隠し、議論を阻害し、人に迷惑を掛ける方向に使われている。

 虚構という手法ゆえに作れる面白さというのはあるし、そういうネタ手法それ自体を全面的に否定したいとは思わない。私は別に、虚構新聞がそうやって自分を守るために「虚構」というネタ手法をわざわざ選んでいるとか言うつもりはない。
 しかし、実際の今の問題として、虚構のように危険な道具をきちんと害が無いように使いこなしたりデリケートな問題で公に正当で健全な言論を展開したりするにはこの虚構新聞の中の人ではそのために必要な配慮も誠意も情熱も思想も理念も頭脳も気品も優雅さも勤勉さもそして何よりも覚悟が足りていないという現実を直視することをその「虚構ネタ」自体が阻害して誤魔化して覆い隠す機能を果たしてしまっていると思うのだ。

 際どいラインを攻めることの面白さ、というのはあるし、それが結果として成功し「際どいけど問題は起こらないところで済んでいる面白いネタ」として成立するならそれは別にいい。「事故らなければどうということはないし、事故らないことをサーカスのような芸にする。プロとして事故は起こさない。」という姿勢なら全面的に否定はしない。
 しかしそれは事故らない、迷惑や影響のかかりうる相手に許してもらえるラインに収められたから成り立つのであって、虚構という危険物を乗り回した挙句そこで相手が迷惑だと認識して問題が起こる許容ラインを踏み越え、抗議と削除要請まで発生させる大事故を起こしてもなお開き直って反省すら拒絶するのであればそれはもう見境のつかないただのならず者でしかない。


    10.虚構であると同時に言論であるということ

 『~「アグネスは中国共産党のスパイだ」といった何の根拠もない誹謗中傷ならともかく、悪口であろうが上記が全て事実である以上、全面削除を求めるのは言論に対してあまりに暴力的ではないかと思います。』

 何度も引用するこれだが、虚構新聞自らも「言論」であると言っている。
 言論だ。当然の何の変哲もない普通の話として、批判を拒否できる言論などない。
 「虚構のネタにマジレスは滑稽」「ネタとして扱って大目に見るのが当然」みたいな反応もやたら多くて、どうもネタとか虚構というものを誤解している人が非常に多いと思うんだけど。言論が批判される、ということにおいて虚構新聞は全く特別な存在ではない。たまたま虚構やネタを使っているというだけで、言論を提示しているという点においては他の誰とも変わらない。虚構・嘘・冗談を使うこと自体を全否定はしないという前提でも、その行動や表明している事の内容が問題にされているのだ。

 偏向した言論で迷惑をかけている事が虚構を入れさえすれば「ネタだから」で免罪されるなんて道理はない。だいたい先ににもちょっと触れたけど、虚構どころか嘘をまったく入れずに事実だけを使っても偏向報道がいくらでもできる。事実だけで組み立てたものでさえ偏向報道にあたる言論は迷惑だと非難できるのに、「一部だけは事実が含まれる」なんて理由で抗弁するのは無理がある。

 虚構新聞を批判することを「ネタをネタとして扱えないのは滑稽だ」と揶揄する人は、それら自身が「ネタという肩書きを見ただけで思考放棄して言論を言論として適切に扱えていない滑稽な人」だと思う。
 私は特に「これは風刺だ」系の物言いに対して「それが風刺か否かの定義はどうでもいい。風刺であろうとなかろうと、どのみち風刺というのは品性下劣な事の免罪符じゃない。」といつも言ってるんだけど、これも同じ事で、別に肩書きが虚構でもネタでもジョークでもギャグでも風刺でも、言論として主張として行動としてやってる事の内容事実は変わらないし迷惑な事があればそれは迷惑だ。
 別に、程度によらず迷惑が一切微塵も許されないと言うつもりはないし、ネタにしろ風刺にしろ「他人にいくらか迷惑をかけるしやめてほしいとも言われるけれどそれでも自分はやりたいことなので司法で裁かれて強制停止でもされない限りはやる」というならそれはその人の判断だし、まあそもそも私や他人がどうこうできることじゃない。しかしネタだから風刺だからとそれを持ち出して特別扱いを求めて「ネタに対して、迷惑だと口にする・やめてほしいと表明する・削除要請をすることは悪だ」というのは、まあ間違っていても主張すること自体は言論の自由だけどその主張の中身はおかしいし、それは不当な内容で不当な圧力をかけていると評価され批判される、ということだ。



    0.(有)今北産業用の3行では収まらないまとめ。

 超長くなったのでまとめ。

1.
 日本ユニセフ協会をネタにした虚構記事が迷惑だと削除を要請された虚構新聞は言われた通りに削除したが、その後に『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告(http://kyoko-np.net/kenkai1311.html)』という記事などで「削除する必要は無かった」と主張しだすとともに日本ユニセフ協会の削除要請を「言論に対して暴力的」などと非難しはじめた。

2.
 虚構新聞は『協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思ったので、指示通り即時削除をおこなった』と自分に非がある旨を受け入れる形で削除要請に従ったと表明をしているのに、同じ記事の中で自分を正当化するために日本ユニセフを非難する段になると、削除した理由について『一層議論が深まるのではないかと思ったからです』と言いだした。
 また後には『「じゃあ削除するなよ」というご指摘もあるかもしれませんが、「あえて削除するからこそ、この件を強く提起できる」という判断に基づいてのものでした』と、最初の「申し訳ない」とはまったく異なる説明をしている。
 虚構新聞による日本ユニセフ協会への非難は、この時点で本人の中でさえ話が一貫していないデタラメである。

3.
 虚構新聞の中の人および、虚構新聞の記事は虚構だと分かるから誤解する方が悪いだけだと主張する人のほとんどが、実際には、文章に目を通してもその話の整合性・真実と虚構の区切りを正確に理解・把握できてはいない。
 そもそも虚構新聞自体が自分の「経緯説明の記事」のメインテーマについてさえ矛盾して破綻した説明をしている。また周囲の人たちも、事実とそうでないものを把握できる人ならそもそも虚構新聞の破綻した説明を肯定するわけがない。虚構新聞のこの説明記事を肯定してしまう人たちは、現に真実とウソを正確に理解・把握できてない。

 『最後まで読めば分かるから問題が無い』というのは、逆に言うと「どんな記事でもつまらなくても急用が入ってもいかなるときでも最後まで読む」という誰も常時実践してるわけではない前提で成立するものでしかない。
 そしてなにより、「虚構だ」と示されている記事であっても、その文章中には「虚構部分」と「虚構ではない部分」が混じっていてその区切りが逐一明記されてはいない。短絡的に「虚構だと書いてさえあれば誤解は避けられる」と思ってるならその幻想をぶち壊すべき。

4.
 『今回当該記事の削除に応じたのは(中略)「抗議と削除のメールが来た」という事実を公にすることが、この問題を考えるうえで最も効果的であると判断したためです。』←事実の公表は別に記事を削除しなくても普通にできる。記事を削除した理由としては全然意味が通らない。
 削除して煽り立てて注目を集めてもダメな人が暴れるだけで深まらないし、削除要請は不当だと文句言うくせに、その肝心の記事は(相手からの強制力は無かったし跳ね除けて抵抗する意思をアピールまでしてるのに)自分で削除して検証を阻害するから余計に深まりにくくなった。
 虚構新聞は「騒ぎを大きく」して人を煽ろうとしてるだけで、議論が「正確で深まる」こととは逆行した行動ばかり取っている。

5.
 虚構新聞は「日本ユニセフが記事の全面削除を要請してきたこと」を非難しているが、自分の都合を書いてるばかりで「日本ユニセフ協会の要請・行動が正当ではないという主張」をほとんど提示できていない。
 「一部は事実なのに“全面削除”を要請するのは言論に対して暴力的」という程度のことしか言っていない。それだって「加害者である虚構新聞の負担が最も少ない妙案を被害者である日本ユニセフの側が考えてこい」というのは無理がある。他の妥協案を提示して被害者と交渉するのは虚構新聞側がやるしかないことだし、単に虚構新聞自身がそれを放棄しただけ。
 だいたい「虚構新聞の記事に事実だけは残させろ」って誰得すぎて、単に言いがかり付けるために言ってるようにしか見えない。
 印象操作みたいなものを並べて雰囲気だけを作っているが、その実は「どの部分だったのでしょう」で止まってて結局ほとんど相手を非難する根拠と理由と主張を提示すらできていない。是非以前に日本ユニセフの行動を批判するようなポーズをとりながら相手への批判そのものが碌に出来ていないのに暴力的とか言って否定しようとする。

6.
 『事実、今回の件に関しては、ネットでの反応を見る限り本紙と協会の対応についてそれぞれ賛否が渦巻いています。』←渦巻けばいいってもんじゃないし削除の必要があった理由にはならない。
 ダメな馬鹿を暴れさせてゴミが渦巻くことで正当な批判のリソースを削る活動が活発になるのはむしろ害なので、大事なのは質。

 虚構新聞は実際には議論を深めたいなんて思ってないし自分で深める気がないから削除という手段を選ぶ。「世に問うて議論を深める・活発にする」のが目的だといいながら、虚構新聞自身は他人を煽ってるだけで、自分で反論せずその議論から逃げている。

  「俺はそんなこと言ってない」で逃げる姿勢を保ったまま不特定多数の他人を鉄砲玉にして暴れさせておいて、中身に責任を持たないくせにそれを『現にたくさんの賛否が渦巻いている=俺を正しいといってる人もたくさんいる』と自分を正当化する理由に使っている。記事の削除というのは単に自分が同情を買ったり安直に暴れてくれる馬鹿を煽動したりできるという願望に沿っただけの行動。

 そもそも議論のベースになる「日本ユニセフの要請の原文」も「元記事の内容」も公開されておらず、その両方を持っている虚構新聞自身が実質的に最大かつほぼ唯一の当事者なのに、自分でなく不特定多数の他人に丸投げして「議論を深めたい」なんて言い出すのは、単に自分自身のことを棚上げして自分が非を認めないままうやむやにする言い訳を欲しがって話をすりかえようとしてるだけ。

7.「【第074号】虚構新聞友の会会報」が本件に言及しているけど正当な批判にでなく罵詈雑言ばかりを相手にしている。
 津田氏の「謝罪文がクソ」発言に対して『謝罪文と誤読したのか…』と上から目線で言ってるけど、「協会とその活動費を提供している募金者に申し訳ないと思った」と日本ユニセフへの謝意が入ってるし、「まずは多くの読者のみなさまをお騒がせしたことについて、この場にてお詫び申し上げます。」と読者に向けても謝罪しているので、誤読も何も複数の意味で「謝罪文」である。
 特に直接的に明文でお詫びを申し上げた相手のはずの読者のコメントに対して「謝罪文じゃない」と言い出すあたり、この人の「お詫び」や「申し訳ない」はどれも単なる言い逃れと取り繕いで全く中身の伴わない虚構のように思える。

『謝罪文として読めば、謝罪するには中身があまりにふざけているということになりますが…。』
 ↑「つまり俺は悪くないし反省する必要はないと言ってるんだ」という主張。まさに謝罪も含まれていたはずだし説明も兼ねているのにふざけているのが普通に迷惑。

「この会誌の有料部分でネット上の批判に対する反論を片っ端からやっていこうと思ったけど有料会員だけに見せるのは『自分をたたえる信者だけを相手に言い訳を連ねるクズ』と言われかねないからやめておく。削除記事を会員に公開するだけ。」
 ↑クローズドの有料メルマガだけで反論という名の欠席裁判をしたいとかダメすぎる。
 「片っ端から反論できるんだけどなー反論できるのに金取れないから諦めないといけないの辛いわー」ってミサワか何かかよ。
 削除する事で「皆に議論が深まる=議論深めてもらいたい」と求めておいて自分はその議論を放置して反論もしないで投げ出したままというのは『理にかなった批判は真摯に受け止めていますが』という発言と全然合致しない。これのどこが真摯だ。

 そうやって自分では論じないことでボロが出にくくする。何に反論して誤りを指摘しても「それは俺が言ったり俺が支持したことじゃない」で逃げる体勢を保つ。
 単なる罵詈雑言以外でも、「気付く人がいれば話のすり替えと破綻が露見するけどそれさえ来なければもっともらしく見える主張」というものがあり、自分が根拠にするものを明示しないことで指摘を避けながら「現に賛否が渦巻いている」といってそれらを利用するのも卑怯なところである。ちゃんと主張は明示すること。

8.
 日本ユニセフ協会などが「見合う成果の出る経費」として募金に使っている金額・金銭に対して、虚構新聞は「金額に見合わぬ」という真逆のイメージを塗りつけ、そのとんでもない勘違いを「分かりやすくするための事例として紹介」などと宣言してしまっている。なのであの記事は勘違いによる誤った意図で書かれており普通に日本ユニセフに迷惑をかける記事である。
 『記事内での表現や事実関係の裏付けなど、毎回細心の注意を払いながら虚構記事を執筆しています。』と言っててこれなら、こんなデリケートなものを問題なく扱うには能力が足りないのだと思う。
 結局虚構新聞は「迷惑がかかる記事」を書いている。

 個別に問題がありうる点について一つずつそれぞれ配慮せねばならないところなのに『そもそもその配信元は「虚構」新聞です。』と全体として虚構記事であることを自ら言い訳にするなら、「じゃあ全体としてのその記事が迷惑なので全面削除してください」となるのがやはりどのみち適切な結論であろう。

9.
 報告記事なのにその肝心の経緯や対応の中身に関わるところやお金に関わる部分でさえも、実態の不明な「社主UKへの聞き取り調査」という形式や「3か月間減給50%」など、ネタらしき虚実の判然としていない情報が混じりすぎ。
 どうしてもやりたければ自分たちが言うように「最後まで読めばネタと真実が明白に区別と把握できる」ようにしておけばいい。なのにそれができていない。

  虚構新聞のこの「虚構」は、ネタだと主張する事で免罪を乞いながら、実態を隠し、議論を阻害し、人に迷惑を掛ける方向に使われている。結果として虚構を間に挟む事で分かりにくくしたために虚構新聞自身が上記のような現状や内容を直視できなくなっているようなのでやはり向いてないと思う。向いてなくてもやるというのは心意気だけなら否定しないけどそれならちゃんとやれ。

10.
 「虚構のネタにマジレスは滑稽」「ネタとして扱って大目に見るのが当然」みたいな物言いは、ネタとか虚構というものの意味に対する誤解。
 虚構新聞自身も書いてるようにこれもまた言論である以上、言論としての批判を受ける点においては「虚構だから」「ネタだから」「風刺だから」というのは言い訳にならない。それらは説明に用いるものであり、それを使った説明をきちんと完成させてやっと主張できる(そこから検証もされる)ものであって、それ自体で言い訳にするものではない。

 嘘をまったく入れずに事実だけで組み立てたものでさえ偏向報道にあたる言論は迷惑だと非難できるのに、偏向した言論で迷惑をかけている事が虚構を入れさえすれば「ネタだから」で免罪される、なんて道理はない。

 風刺にしろ何にしろそれを持ち出して特別扱いを求めて「ネタに対して、迷惑だと口にする・やめてほしいと表明する・削除要請をすることは悪だ」と主張するのはおかしいし、それは不当な内容で不当な圧力をかけているだけだろう。


    結局のところ

 長々と超長い文を書いたけど、一つには、結局のところ要するに「虚構新聞の元の記事は迷惑な内容だった」、「悪い」ことだった、という話である。

 そして、ここで問題だったのは。
 私がこんな超絶に長い長文で指摘しまくる事になるほど虚構新聞がダメな言い訳を重ねることになったのは。

 結局、迷惑な内容だったにもかかわらず、虚構新聞が「俺は悪くねえ!」と言い出しているのが最大の原因であり根本的にダメなところだと思う。
 虚構なんてものを使う時点で、よほど神がかり的な完璧超人でもない限りほぼ間違いなく不当な要素を含む主張や中傷になる。ここまで散々突っ込んだように、虚構新聞もその例に漏れずそうなっている。
 それを、自分が悪くないという事にしたいがために、必死で「悪の日本ユニセフ協会が都合の悪い事実の話を潰すために善良な虚構新聞に言いがかりをつけてきてるんです!!」という話を作ろうとするからこんな醜い姿を晒す事になる。私の不快感がマキシブーストなのもここだ。

 これはつまり、「悪い」ということを認めたくない、という、こういうことをやるにしては致命的なまでの「覚悟の無さ」の問題だろう。
 この虚構新聞が問題なのはその覚悟のなさなのだ。何も恐れずに面白いことをやりたいのであれば「私は面白いことを正義よりも優先する。そのためになら俺は悪になる!」といって堂々と悪を突っ走ればいい。

 私はそれを善良な行動だとは思わないが、面白ければ、抗いがたく面白ければ、人は「こんなに面白い悪なら俺もその片棒担いでやんよ!」とは言える。

 「虚構新聞が悪いというならモンティパイソンはどうなるんだ」みたいなことを言う人もいるけど、モンティパイソンだろうとアンサイクロペディアだろうと他者を貶めて迷惑をかける部分は「悪いもの」だ。それらにしても「正しく善良な行いだから万民から支持され認められるべき」なのではなく、「その悪さの問題よりも得られる利益を優先して片棒を担ぐ人がいる」だけだ。
 そしてこれはもちろん虚構新聞の記事にだって当てはまる。グロスの件のように、面白さが抗いがたければむしろ相手さえ乗ってくれたりする。悪い、迷惑だ、というような声も認めたうえでなお面白さを優先するために傷ついても血を流しても鋼の心で歩いていくのならば、それは善良ではないがひとつの筋が通った姿勢だ。しかし虚構新聞は、いざ自分がその悪さを追及されると、それを認めることから逃げ出し「俺は悪くねえ!」と言い出した。


 擁護する人たちだってそうだ。「これは悪いけどそれでも自分はその楽しみを我慢したくはないからこの悪いことの片棒を担ぐ」と自覚することを拒絶して、「虚構は悪くない」とか「風刺は無条件に正義の行動として認められ称えられるべきだ、ネタやジョークは無条件に免罪されるべきなのに批判するのは不見識だ」という方向に、無理にでも正当化して自覚を拒絶するための主張をする。

 私は、人に迷惑のかかる虚構や風刺ネタを作り出しまたこれに加担することに関しては、分かった上でそうするならそれは取捨選択の問題だと思う。しかし彼らは実際の内容に反してそれを悪くないとか言ったり、さらにはその悪さに対する必然的な抗議をも「正しい俺に抗議するあいつは悪だ!!」と逆ギレで理不尽な中傷に及んでいる。
 腹を据えて悪の誇りを舞い掲げることができないこの虚構新聞自身の覚悟の無さが、「俺は悪くねえ!」と言う弱さが、こんな無様で醜い行動を取らせている。覚悟の無さが、ただ自分を虚飾するだけの、悪いうえにつまらない言い訳を作る。自分を正当化して逃げることに汲々としているから、ただ他人を攻撃するだけの醜悪で迷惑なだけの、片棒を担ぎたいとも思えない悪を生み出している。ここが駄目なのだ。

 悪いことを選んでそれを批判されるのが嫌ならやめればいいし、どうしてもやりたければ批判されても続ければいい。
 「圧力が~風潮が~」「これでは面白いことができなくなってテレビがネットが社会がつまらなくなる」とか、そんな「私は批判されたら泡噴いて倒れます。私への批判言論を誰かが弾圧して潰しといてくれないと継続できません。人をどんなに標的にして踏みにじっても撃ち返し弾の来ない安全地帯から好き放題やって一部の仲間を喜ばせて賞賛されたいです。」という大宣言はただただ見苦しい。
 言論だとぶち上げておいて、その言論のためにしたいことが、他者による「迷惑だ」という主張などの言論を抑圧するための「ネタにマジレスするのは愚か者だ」という同調圧力形成だというのでは本末転倒。


 で。
 私が一番気に食わないのは、実際ろくに議論を深める気も無いくせに「議論を深めるため」という言い訳を使ってこれ見よがしに記事を削除することで、悪いことをやっている側が偽って被害者を演じて同情を買い、他人を煽動して日本ユニセフ協会を非難・中傷させ、自分の責任から逃げるために被害を受けている側をさらに苦しめようとする姿勢だ。もしかしたら虚構新聞の中の人は本当に「議論を深める」という目的で削除したつもりだったかもしれないが、仮に無自覚だったとしても虚構新聞の議論を深めようとする意思は薄弱で結局「削除で被害者アピールをして人を煽動したいという悪意と願望による行動を正当化できそうな建前を見つけて飛びついただけ」なのは変わらない。

 ぶっちゃけ、最初の虚構記事を出しただけだったら、アンサイクロペディアに一々言及しないのと同じく、私はわざわざこんな風にエントリ書くこともおそらくなかっただろう。
 私がこうして、今回の虚構新聞の言い分がいかに壊滅的に腐ってて卑劣でデタラメかということを述べるために長々とこんな長文を書くに至ったのは、今回の虚構新聞の「我々の言論への弾圧だ暴力だ」という記事・主張とそれに煽動される人たちの言動の方こそがまさに日本ユニセフ協会をはじめとする虚構新聞への批判を展開する人たちの「言論」への不当で醜悪な中傷・抑圧行為そのものだと思うからだ。

 まずそれに気付いてない人がたぶん本人含めてかなり多そうなので何よりそれを指摘しておきたかったし、また可能なら改善してほしい、これを短絡的に肯定して擁護しちゃってる残念な人たちにもそれを認識して自覚してほしいと思っている。そして誤りを広めて迷惑をかけたなら最低限それを広めるのに使ったのと同程度には労力をかけて訂正周知と回復を図るべきだと思う。

 というわけで、以上、このように、ここに記しておく。