⑰ 最終回 ~ Kさんは今どこに | スガキヤ労働紛争記

スガキヤ労働紛争記

労働組合の委員長を務めておられたK氏を救うべく、当時の自分の日記を公開していきます。K氏は立場上、会社と対立。突然の長期休職となり、現在も安否は不明なままです。経緯が克明に記された私の日記が明るみに出ることで、K氏の救済に繋がることを期待しています。

2024 / 3 / 7(木)

※ 令和年 の 追記

 

 

A子 との トラブル が原因で

私の心身に 異変 が起きたのが

2020 年 7 月 22 日 でした

 

 

早朝 5 時 50 分 頃

スガキヤ 本社工場 

いつものように出勤し

作業服に着替えて

作業場へ向かうと

仕事を終えて帰ろうとする

夜勤従業員 たちに遭遇しました

 

その中に A子 の姿がありました

 

私は会社の 命令A子 への

接触挨拶 禁止 されていたため

すぐに顔を壁側に向けて視線をそらし

A子 が過ぎ去るのを待ちました

 

無事にA子 が過ぎ去り

私は作業場に入りました

 

直後 私の身体に 異変 が起きました

 

鼓動 が大きくなり

体の力が抜けていく 症状が起きました

 

スガキヤの本社工場( 愛知県豊明市 )では

300 人 ほどの従業員が働いていましたが

A子 への 接触禁止 を命じられていたのは

おそらく私だけです

 

その命令は 2016 年 から続いていました

 

5 年 近くに及ぶ ストレスの蓄積

適応障害 というかたちで

発症したのです

 

その日は仕事も難しいと判断して

仕事をすることなく帰宅しました

 

翌日も会社を休み

上司 と 電話で話しをしまし

 

この出来事を受けて

2020 年 7 月 27 日 

スガキヤ 本社工場 

工場長 との 面談 が行なわれました

 

工場長 の 発言 を要約すると

 

 会社は当時

 二人を切り離したが

 その後

 フィードバックをしていなかった

 

 相手にも話しを聞いて

 公正に 客観的に 結論をだす

 事実を伝える

 最終的に

 納得できないような

 ことになるかもしれないが

 そのときは説明する

 

 仕事をせずに帰ることは

 雇用契約上このましくないので

 反省してほしい

 

 

いつものように出勤し

たまたま A子 と遭遇してしまい

直後に 動悸脱力感 におそわれ

仕事に支障があると判断して

早退 した私に

仕事をせず に帰ったのだから

反省 してほしい 

工場長 は言ったのです

 

従業員の身体を

心配 するのではなく

反省 をうながしてきました

 

それから 2 週間後

2020 年 8 月 12 日

A子 との面談を終えた 工場長

私と二度目の 面談 を行ないました

 

よい結果が出ると

期待していましたが

その思いとは逆の方向へ

舵は切られました

 

工場長 

 

「 双方の話しの状況が

  まったく違う

  何が正しいのか

  判断できない

  理解できない

  引き続き

  接触をしない状況を続けること

  今はそれしかない 

 

そう言って

わずか 1 分 で説明を終わらせました

 

同じ職場で働く同僚 A子 に対し

私だけが 接触挨拶 も 禁じられ

適応障害 または パニック障害 

呼ばれる 精神疾患 の症状が

認められるまでになったにもかかわらず

それでも 工場長 

引き続き 接触 は 禁止 する

と言いました

 

 

私の日記は その二度目の

面談あたりから始まっていて

約 400 日 に及んでいます

 

当ブログ「 スガキヤ労働紛争記 」は

その日記を 抜粋 して綴ったものです

 

ブログ は 2021 年 9 月 20 日

日記で終わっていますが

これには事情があり

スガキヤ と交わした 合意書 の関係で

結末 を載せることができませんでした

 

 

ブログ内においても表明していますが

私の日記の掲載は

スガキヤ との 紛争経緯

多くの方々に知ってもらうことで

労働組合 の 委員長 を 務められていた

Kさん  救済 することが目的です

 

名古屋ではお馴染みの スガキヤ ですが

その内部は 大手食品会社 とは思えない

モラル 低さ

コンプライアンス 欠如 など

封建的 な 体質企業風土

ブログでは 思い知らされる と思います

 

Kさん   安否 ” 

現在も わかっていません。 

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