特に印象に残っているのは、小指の赤い糸を信じる恋に憧れる少女のショー。踊り手自身が自分の魅力や特性を深く理解していて、脱ぎ捨てる前の衣装でなく全裸になって初めて完成するように計算された“ヘアメイク”と作り込まれた世界観に、淡い色合いの絵本でも眺めたような気持ちになったものでした。そして、跳躍とともに、飛び散る汗。
ひとつのパフォーマンスで、セリフに頼らずとも雄弁な世界へ呼び込んでくれて、ひとの情熱と本能をかきたてて、同じように汗を飛び散らせて。そう羅列すれば、芸術の代名詞であるバレエと、わいせつとみなされるであろうストリップとの違いは何なのでしょうか。もしあるとすれば、チケット代と観客席との距離くらいしか思いつきません。
『東京バレエ団ウィンター・ガラ』では、同じベジャール振り付けの『中国の不思議な役人』も併演されました。ベラ・バルトークの曲に、同名のパントマイムを下敷きにして1992年に初演された作品です。
無頼漢の一行が、“娘”を使って道行く男を美人局にかけ金品を強奪。獲物にしようとした“中国の不思議な役人”は、無頼漢が何度殺しても生き返って“娘”に迫るというストーリーで、パントマイムはあまりに煽情的だと何度も上演禁止になっています。
バレエにおける「射精」の表現
黒いレースの下着姿に黒ヒールと娼婦のような恰好の“娘”を演じるのは男性ダンサーで、鍛えられた筋肉とあいまって倒錯的なエロティックさ。美人局の犠牲者たちとの踊りも、騎乗位でのセックスを彷彿とさせるものや相手の男性が下からしがみついたまま“娘”が四つん這いに移動するなど、男性同士だからこそ露悪的になりすぎず身体的にも可能な振り付けです。
役人は娘が脱ぎ捨てた金髪のウィッグへ腰を押しつけ、欲望を果たします。腰を震わせて頭を思い切り振りあげ、後ろへ向かって一気に汗が飛び散るさまが“正常位”以外のなにものでもない――というところまで、ベジャールは確信犯に振り付けているのでしょう。現代バレエにおいては、100年以上前に初演された『牧神の午後』でもあからさまに射精を示唆する振り付けを盛り込んでおり、情熱と生きる本能は、どんな表現の分野でも不可分であるといえます。
日本ではバレエは、エンターテインメントのひとつとしての鑑賞よりも、女の子向けの習い事、という認識が強いのが現実です。ふわふわのレースのチュチュは確かに愛らしいし、華麗な古典バレエは文句なく魅力的。でも、暗くて退廃的、かつ官能的な美しさも、またバレエの大きな側面なのです。
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