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エロスを表現したアートを文化的に解釈すると、男が去勢されるという珍説

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 性器が描かれている絵を見て、または裸で踊る女性を見て、性的興奮するっていえないのは去勢されたも同然! というのはあまりに短絡的。見たって勃たないものは勃たないし、濡れないものは濡れない。どのジャンルでも幅広い作品、ステージを観ている人ほど、そうなるでしょう。

 以上は、当初はエロ目的ではじまったものが次第にアートとして評価されていったジャンルですが、これとは逆に、芸術的表現をするためにエロが利用されたジャンルもあります。ピンク映画やロマンポルノでは、上映時間のなかに5回絡みを入れれば、あとは自由に作っていい、という不文律があったのだとか。だから映画を撮りたい人たちは、セックスシーンはきっちり抑えていおいて、あとは文学的なりアバンギャルドなり、好きなように表現していたのだそうです。こうした場合、ただ「エロだぜ、勃つぜ!」というのは、作り手の意図をまったく理解していないことにもなります(もちろん作り手の力量にもよるのでしょうし、どう解釈するかは受け手の自由ですが)。

エロを表現するには未熟すぎる

 「そうではなく、勃ったときは勃ったって言いたいだけなんだよ!」と、この記事を書いた方はおっしゃるかもしれません。でも、そうしたストレートな表現って実はとてもむずかしくて、誰もができるわけではないと私は考えています。それは、「サブカルだから」でも「スカシているから」でもなく、「どう表現していいかわからないから」なのです。

 以前、内輪で緊縛のワークショップ的催しをしたことがあります。プロの女性縛師さんに縛ってもらうのですが、縛りが完成した後に笑う人っているんですよね。あくまで個人的な印象ですが、男性にその傾向が強く見られました。縛られては「すげーな、ハハハ」となり、吊るされては「プロの仕事だな、ヘヘヘ」とまた笑う。照れているのか、内なる何かを刺激されたことを誤魔化そうとしているのか。そこで、「すっごく興奮して勃っちゃうんですけど!」という人はまずいません。

 縛師と1対1の空間での緊縛初体験だったらまた別でしょう。でもそうではないオープンな場で、自分の興奮を表現することに慣れている人はとても少ないです。自戒も含めて、そのためのボキャブラリーも表現力も私たちは持ち合わせていないと感じました。先週のコラムである春画作品について「これはヌケる!」と書いた私ですが、展示が終わってばったり会った某週刊誌の記者さんとは「すてきでしたね~、眼福でしたね~」と上品に話して終わりました。まあ、「ヌケる!」と聞かされたところで、その方も困ったでしょうしね。

 性的興奮を的確かつ上手に、しかも人に不快感を与えることなく表現できればとてもすばらしいことですが、そうするには私たちはまだまだ未熟なようです。うまく表現できないから、人前で話せる内容の感想だけを口にする。でも、興奮した自分に自覚的であれば、それで十分ではないでしょうか。そうして胸のうちに秘めている人のほうが、「勃った!」「一発ヤリたくなった!」って騒ぐ人より、よっぽどエッロいこと考えているかもしれませんしね。

(桃子)

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桃子

オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

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