何に成りたいのか
1,価値
私は元々小説家になりたいわけではありませんでした。
文字を並べるのが楽しい、と小説家が楽しいは違うと思うし、作家には嫌な思い出ばかりです。ブログで趣味で投稿していた文章は
「小説家よりも面白くなりたい! 小説よりも面白いものを作って、売っている小説に買う価値が無いと思わせたい!」が原動力でした。
言わば小説家の価値をさげてやる!と思うことで書くのが楽しかった。
なぜこんなにも市場の作品が嫌いなのか、自分でも当初は上手く言語化できませんでしたが、端的に言えば自分に読める本が殆どなかったし、傷付くような内容が溢れかえっていました。
運が良かったのか、努力の賜物なのか、目論見は結構成功しました。
やっと静かになったなぁと思い、数年間嬉しかった。
2,オタク
ですが今度はオタクがすり寄って来るようになりました。
せっかく下げて静かになったのに、またうるさくなって邪魔だなぁと。
自分の作品で自分が傷つくのも面白く無いですし、純粋に面白くない物が多かったです。お前らを否定する為に書いてるのに入って来るなと思いました。しつこかったのが西尾維新です。此処で書くことは特にありませんが、趣味が、勝手に仕事にされる、嫌いな小説家にされる、本当に迷惑な存在です。買う価値もないものに、混ぜないで欲しいというか。
数年間お前らが入って来ない、お前らを否定出来るものを築いたのに。
努力を踏みにじったり地雷を踏むのが本当に上手だよなと。それだけは才能があると思います。
どうしてあの人をあそこまで甘やかしてしまったのか、何がそうさせたのか。裏金や副業も公認しているのか。
割愛しますが、このことについて語ったところで、なんかどうでもいい理由を作られてデマをばら撒かれるので場所は選びます。
3,やりたいこと
最近、何がやりたいのかなと思いました。
小説を書く事自体は好きですが小説家は嫌いです。
小説家を目指す多くの人が好きな小説家の話をするので疎外感が凄い。
(そう言えばイラストを描く人とかに、好きな画家とか聞いてみたいな。イラストレーターではなく…)作曲家さんの好きなクラシックの話とかもいいですよね。あまり触れたこと無いかも)
ともかく、
純粋に、文字を並べて眺めて、響きを楽しむのが好きなんですよね。
今のネットではそう言う話がしづらいです。なんとかみたいな~ばっかりで、息が詰まる。
小説家はここ数年更に嫌いになりました。
イメージの話ではなく、盗作問題裏金問題もだし、体調もあって碌に読めなかったのもあります。
絡まれるとSNSなどが良くも悪くも盛り上がるので、問題になる前に読み込んでいた時期があるのですが、そのとき結構一日中仕分けていたので、後遺症というか物理的に他人の文字の羅列、白黒の線のパターンを見ると気分が悪くなったりするようになりました。
もともとディスレクシアの手前くらいの症状があるのですが、そんなに好きじゃない算数などでグラフだけガタッと成績が落ちたりする感じで、アナログ時計すら読めなくなります。近頃は小説も読もうとすると靄がかかったようになり、同じ行をずっと読んだりしました。
4,輪ゴムの裏話
数行ずつ読める範囲を作り、読める単語を作り、とリハビリしましたが、丸いサイコロのときにも実はこれが酷かったので、どうにかリハビリしていた状況でした。床に輪ゴムをばら撒かれたりもあったので気分が悪かったです。詳細は省きますが、私自身も輪ゴムを顔に投げられるというのを受けて居ました。そのとき、顔に当たってどこかに行った輪ゴムを「取ってこい」と言われます。探すまで叩いたりされて、とって来たとしても輪ゴムをまた顔などに撃たれていました。そのうちに輪ゴムがぼやけるようになってきて、見つかる時間を遅くしたいと思ったのか、直線的な物が更に見えにくくなっていく……というのが、実はモトネタになっています。
○ックマンなどアニメで、輪ゴムを投げる描写がわざわざあったのが気持ち悪かった。人の心とか無いんか・・・
5,補足
小説家が嫌いと言う方は結構居るらしい。自分の作品が小説家の価値に関わってしまうなら活動を辞めるか方針を変えて、価値が下がるようにしていく必要がありますし。いや、小説家が嫌いだからそう思うのかもしれない。
好きな物の価値が上がると良いのかな。
自分が関わる形で今の価値が変動するのが不愉快で、良い落ち着き方があればいいのか、それか別の発散方法を探すべきですね。自分がとらわれているものから…
2024年1月4日10時37分
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