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コロナ禍で問われる命の重み 【後編】生活困窮者支援・小林美穂子さんの原点にある出会い

記事公開日:2021年09月10日

コロナ禍の収束が見通せないいま、失業者は10万人を超えています。東京で、仲間たちと生活困窮者を支援する活動をしている稲葉剛さんと小林美穂子さん夫妻は、住まいを失った人が一時的に暮らせる部屋を提供する活動を続けています。切迫した社会状況の中、小林さんの原点にあるのは、自らが出会った相談者の“取り返しのつかない死”です。悔やみ切れない思いは、格差社会が解消に向かわないことへの強い危機感に繋がっています。小林さんは「知らないことが相手の存在を軽くしてしまう」と警鐘を鳴らします。

初めて知る、生まれ育った国の現実

家もなく、名前も知られず死ぬ人がいる社会を変えたいという信念を貫く、「つくろい東京ファンド」代表の稲葉剛さん。そんな稲葉さんをいちばん近くで見てきたのが妻の小林美穂子さんです。小林さんは、稲葉さんと出会う40歳まで、主に海外に生きる道を探してきました。日本で感じていた生きづらさがその理由です。

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マレーシアのホテルに勤務時代の小林美穂子さん

「帰国子女だったんですよね、私。幼い頃をアフリカとかインドネシアで過ごして、小学生のときに日本に帰ってきたんですけど、育った環境が違いすぎて、物事の表現の仕方とかも違いすぎて、最初から不協和音というか。自分の意見を言ったり、何かちょっと疑問に思ったことを口にしたりするとシーンとなってしまう。社会が認定する“規格”にうまく当てはまらず、はみでてしまっているような感覚でした」(小林さん)

短大卒業後ニュージーランドやマレーシアなどで働き、中国にいた2008年の大みそかに、「年越し派遣村」のニュースを目にします。

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中国にいた当時の小林さん

「『これはどこの国の話かな?』と思って。画面の近くで見ていたんです」(小林さん)

画面では、大きな公園で開かれていた炊き出しや相談窓口に、失業した派遣労働者などが大挙して列をなしている様子を伝えていました。豊かだと信じていた日本で起こっている現実に驚き、小林さんの心境に変化が生じます。

「私はちょくちょく一時帰国していたんですが、路上生活者の方たちに目がいくようになりました。それまではまったく見えてなかったんですよ、いなかったわけじゃないのに。そこで、若い女性の路上生活者が、ほかの男性の路上生活者と一緒にいるのを見て、すごくビックリしたんですね。三つ編みしている若い女性が、ホームレスになっている。ほかの方と談笑していたんですけど、前歯がなかった。普通に若くて健康だったら前歯は抜けないのに、何があったんだろうとすごく考えてしまった」(小林さん)

無関心ではいられないと考えた小林さんは、現実を知るために路上生活者が販売する雑誌「ビッグイシュー」の現場を訪れます。

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「ビッグイシュー」で活動する小林さん

「ビッグイシューを売っている人たちは、みなさん困難を抱えている。その困難には病気とか、成育歴とかが必ず関わっている。でも、それは周りからは見えない。だから、仕事が続かなかったり、ホームレス状態になったりすることを自己責任のひと言で片付けられてしまう非常に残酷な現実があるわけです。彼らは社会が求める規格からはみだしてしまい、私も規格外だったので生きづらさは紙一重です。自分も助けてくれる人とか、学校へ行く経済力とか、親の援助とかがなければ、どうなっていたか分からない。かなり近い位置にいたんじゃないかなと思いますよね。たまたま私はラッキーなだけだったと感じます」(小林さん)

忘れられない後悔

小林さんが支援活動に生きる道を見いだして4年、覚悟が問われる出会いがありました。相談者の1人だった阿部さん(仮名)からもらった手紙を、いつも手帳にはさんで持ち歩いています。

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阿部さんからもらった手紙

小林さま。いなかったら、今わ生きていないと。心よりかんしゃしています。ありがとうございます。なんか自分の心の中でかんしゃしています。こんどは、アパートとおよめさんですね。ごめんなさい。小林さま

(阿部さんの手紙より)

「私がどう活動しているのか、どう生きているのか、見ていてもらいたいと思いまして、お守り代わりに入れてます。『今度は、アパートとお嫁さんですね』と言ったことは軽口なんですね、彼の中では。それで『ごめんなさい』と。照れみたいな感じだと思うんですけれど、この数か月後に死んじゃうわけだから…」(小林さん)

60代の阿部さんは、建設現場の仕事をバブル崩壊後に解雇され、路上や施設を転々としていました。小学校しか出ておらず、読み書きに困難があったといいます。

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阿部さんと小林さん

「東北の出身の方で、6歳の頃に労働力として養子に出されて、冬の凍てつく小川でおしめを洗ったりして、それがいちばんつらかったと言っていた。晴れの日は作業をしなくちゃならないので、雨の日だけ学校へ行かせてもらえて、ブリキ缶にご飯と味噌だけ入れたお弁当を持たされた。栄養状態のせいか、身長もすごく小さくて華奢な感じでしたね」(小林さん)

過酷な人生を送ってきた阿部さんには、精神的な疾患が疑われる症状がありました。さまざまな支援が必要でしたが小林さん以外の人と関わるのを拒み、次第に対応が難しくなっていきます。

「真面目で礼儀正しくて、非常に優しい人だった。一方で、感情が抑制できなかったり、興奮したときに白目をむいて倒れてしまったり。私も疲れてしまったのと、どうしていいか分からなかったので、避けるようになったんですね。朝起きたら着信がすごくたくさん入っていて、留守電を聞くと『コーヒーを飲みに行こう、待っているから』と。仕事へ行かなきゃならないし、こんな早い時間からたくさん電話をしてきて、ちょっと怖いなと思ったんです。出社するときに駅の近くを通ったら、土砂降りの雨の中で彼が傘をさして待っていた。電話をくれた時間から3時間経ってたんですよ。せめて声でもかければ良かったんですけど、隠れるように通り過ぎちゃったんです。かなり距離があったので見えてないと思っていたんですけれども、たぶん彼には見えていたんですよね。必死に探していたと思うので。それっきり連絡が来なくなりました」(小林さん)

連絡が途絶えた2か月後、小林さんの元に届いたのは阿部さんの訃報でした。警察署で遺体と対面しました。せめてコーヒー1杯くらい付き合えば良かったと涙を流し後悔する小林さん。阿部さんからの手紙を手にしながら思いを語ります。

画像(後悔に涙する小林さん)

「見ていてね。間違えないように、見ていてね。ずっと、見ていてもらえれば、私は大きく間違えたりしないと思う」(小林さん)

小林さんは、阿部さんの遺骨を故郷のお墓に納めに行きました。納骨の旅路についてきてくれたのが稲葉さんです。そして、阿部さんが育った土地を二人で巡りました。

悪化する状況に募る危機感

2021年5月の大型連休。東京・四谷の教会の前には長蛇の列ができていました。

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四谷の教会の前にできた長蛇の列

彼らが向かうのは、生活に困窮する人に弁当や食材を配る“大人食堂”です。コロナ禍で支援を必要とする人が増え、稲葉さんたちの活動の規模は拡大を迫られます。稲葉さんたちの団体をはじめ、13の団体が協力して開催した今回の大人食堂には、2日間で600人以上が訪れ、女性や親子連れ、外国人の姿もありました。この状況に稲葉さんは危機感を募らせます。

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大人食堂の準備をする支援者

「コロナ禍での緊急支援の活動を始めてもう1年になりますが、1年経って状況は改善するどころか、常に最悪の状態を更新し続けていて、貧困の拡大に歯止めがかからない状況になっている。私たちも民間の支え合いの活動を続けていますけども、本当にもう限界だなと感じています」(稲葉さん)

小林さんは、これまで抱え続けてきた怒りを込めて語ります。

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大人食堂の活動を行う稲葉剛さんと小林さん

「命の重さは平等なんて、みんなよく言いますよね。地球より重いなんて言った人もいましたね。すごく詭弁だと思うんですよ。もう本当に怒りしか覚えませんけれども、人の命の値段は違う。この国では裕福で、発言権があって、誰でも話を聞いてくれる人の命はとても重くて大切に扱われるんです。ホームレスとか、外国籍とか、ネットカフェで生活する人とか、人がバカにするような職業に就いてる人たちの命ってすごく軽いんですよ。

結局、知らないということが相手の存在というものをすごく軽くしてしまう。何があってもそんなに気にならない相手にしてしまうんだと思うんですね。人は働こうが働くまいが、存在するだけですごく相互に作用する。生活保護を利用しながら生きていて、生産性という意味では、特に貢献してないかもしれないんですけれども。でも、その人がいると、私がすごく楽しかったりだとか。私がすごいしょげているときに、その人がすごく励ましてくれていたりだとか。あと、その人が元気でいるのを見るだけで、周りがすごく励まされたりするとか。人は生きているだけで、存在するだけで、いろんなものに作用する。いろんな人に影響を与えるものだと、私は体感として感じているんですね。

なので、生産性があるなしということではなくて、どんな状態であろうと、元気であろうと元気がなかろうと、一緒にみんなが尊厳を持ちながら生活できるような、そんな社会を模索するという選択肢はないんですかというのを、ずっと問い続けていきたいです」(小林さん)

見てしまったから伝えていく

稲葉さんと小林さんが年に一度必ず訪れる場所があります。路上で暮らした人たちがともに眠る「結(ゆい)の墓」。将来は二人も一緒にこの墓に入ると決めています。

画像(「結の墓」を訪れる稲葉さんと小林さん)

「一人ひとりの方とのつながりをその方が亡くなられたあとでも感じています。お一人お一人とのつながりや、ここで培ってきた関係性が、まさに自分の核にあるので私もここに入りたいという思いでいます」(稲葉さん)

稲葉さんが決して忘れまいと思っているのは、路上で孤独に亡くなった人たちの存在です。

「助けを求めても得られずに1人で路上で亡くなった方に、私たちの社会というか、私も含めてこの世界は何もできなかった。私たちはその人が安らかに眠ってほしいと祈るんだけれども、実際はそんな生易しいものじゃなかったと感じるんですね。そのことを思うと、いくら社会の仕組みが整って、路上から抜け出す人が増えたとしても、奪われた命は取り返せない。誰からも支援されず1人で亡くなった事実は消えないわけですよ。そのことを私は覚えてないといけない。私はそれを見てしまったので、伝えていく責任がある。また、それが繰り返されないために、動き続けないといけないという意識は持っていますね」(稲葉さん)

画像(稲葉さんと小林さん)

この1年、稲葉さんと小林さんは目まぐるしい日々を送りました。お互いの顔を見てやつれたと笑いながら、明日も走り続けます。

コロナ禍で問われる命の重み
【前編】生活困窮者支援・稲葉剛さんの原点にある体験
【後編】生活困窮者支援・小林美穂子さんの原点にある出会い ←今回の記事

※この記事は2021年6月27日放送 こころの時代「あなたを知ってしまったから」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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