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精神科医・崔秀賢さん 「開放医療」で取り戻す人間の尊厳 (後編)家族と、当事者たちとの「絆」

記事公開日:2020年11月09日

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精神科医、崔秀賢(さい・しゅうけん)さんは20代で精神科の閉鎖病棟を目の当たりにし、行動制限により人間の尊厳を奪う医療のあり方に疑問を持ちます。以来、長年にわたって取り組んできたのが、当事者の意志を尊重し、社会で生きる希望を見つけていく“開放医療”です。開放医療を続けてきた崔さんの思い、そしてそれを支えてきた家族と元患者さんたちとの「絆」を見つめます。

試行錯誤の「開放医療」を支えた家族の思い

京都市北部の岩倉で、長年精神科医として「開放医療」に取り組んできた崔秀賢(さい・しゅうけん)さん(74歳)。「垣根を取り払い、信頼関係を築くことが、症状の改善につながる」を信念に掲げる開放医療。当事者の意志を尊重し、他者を信頼し社会で生きる希望を見つけていくことを目指しています。

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妻の順子さんと崔さん

崔さんが、開放医療に取り組み始めて40年あまり。その道のりは、病に苦しむ人たちの尊厳を手探りで取り戻していく試みでした。そんな崔さんのかたわらにいたのは、家族である妻の順子さんと3人の子どもたち。崔さんの家族もまた、試行錯誤の続く開放医療を支えてきました。

「病院の患者さんで、電話をかけるのを我慢できないっていう方がいらっしゃるんですね。止まらなくて、日に何度も何度もかけたり。事があってかけていらっしゃるんじゃなくて、ただもう声が聴きたいというだけで。でもある時、『もう休んでます』っていおうとしたら、その方が、『奥さん空見て空。お月さんきれいやで、見てな』言ってね。電話を切らはったんですね。何しろ空がきれいだから見てな、てことでね。だから、ご自分が迷惑かけてるとか邪魔だなと分かってらして、でも電話せずにおれないのがすごくよく分かって」(順子さん)

患者さんからの電話が自宅にかかってくるのは日常だったという順子さん。しかし、電話をせずにはいられない患者さんの思いをおもんばかりながらも、戸惑ったこともあると話します。

画像(順子さん)

「子どもが小さいときに迎えにいって、岩倉実相院前の公園に入ったことがあるんですけど、(患者さんが)散歩してらっしゃるんです。そしたら自分の心に差別とか違和感ないとか言いながら、ついつい子どもをぐっと、したことがあって。やっぱり頭と心はちがうんやなと。危険な目に遭わないとも限らないっていう思いがやっぱり自分にもいっぱいあるんだなと思ったことがあります」(順子さん)

主治医が自宅や携帯電話の番号を患者さんに伝えることを、崔さんは次のように考えています。

「情報を、差を付ける必要はない。健常な人同士は知らせて、病気のある人には知らせないと、そういう区別はできない。急場いよいよ困ったときは、電話があるというのは、その人の安心感、支えですよね。ふだんはしてこなくても。困ったときに24時間主治医につながるというのは安心感ですよね。友だちはぜんぶ電話番号知ってますよね、お互いに。なんで病気で付き合っている人には知らさないの。その違いが分からない。友人には知らせて、病気の、命けずって生きてる人に知らせないのかね。それは別に批判じゃないですけど。死にものぐるいで生きてるのはたぶん私の友人より、病気持ってる人たちですよ」(崔さん)

人との信頼関係が病を改善する「病抜け」

崔さんには、長い年月をかけて精神疾患のある人と向き合う中で気づいたことがあります。それは、医療の役割とは何なのかを、自らに問いかけるものでもありました。

「私とこの病院では、どこでもあるんでしょうけど、『病(やまい)抜け』の人がいっぱいいます。病が消えていくというか、その人の大きな問題ではくなっていくんですね。病気は病気だけども、トラブルの問題点というのから、離れていくんです。すごく温厚な人に変わるんです」(崔さん)

画像(崔さん)

「病抜け」したというある男性患者の話をしてくれました。

「(自分より)1歳ちょっと下の男の人で、スラっと背が高い人、診察する前は順番きたら私もドキドキしました。緊迫しているから。いつ手が出るか足が出るか、キックが出るかわからない。お父さんになぐられたり、お母さんなぐったり。今はもう全然違います。病院通ってられます」(崔さん)

医師が診察で緊張するほどだった患者さんが「病抜け」するほどまでに回復できたのは、なぜなのでしょうか。

「それは信頼関係です。みんなを自分は信じられる、お父さんお母さんは自分のことを邪魔者扱いしてのけ者にしたけど、いっぱい応援してくれる人がいるというので、ご本人は自分を受け入れたんですね。自分を受け入れた人は人に当たらないですよ。スタッフから、まず、誠意を込めておつき合いして、希望があったら受け入れて。あの人に言ったらわかってくれるなという信頼関係ができてきて、なら一緒に飯でも食いに行こうかとか、そういう希望とかが湧いてきて。ああ、自分を受け入れてくれた』と、怒りというのはなくなってくるんですね」(崔さん)

しかし、常に忙しい医療の現場では、人との信頼関係をベースに考える医療の形を実践していくことは、難しいことではないのでしょうか。

「私個人の意見ですけど、外科医ですと例えば、がんを治す技量がなければ医者は務まりませんけど、精神科ではそんな劇的な治療法というのはないですからね。『おまえはいいから、邪魔だ』と言われた人が、どう自分の名誉を回復していくかということが、ご本人の安定、優しさみたいのを引き出す一番のキーワードだと思うんですよね。いわくら病院では、病気はみんなハードですよ。厳しい。病気はきつい。みんな病気持ってます。でも、病気持っていても、開放でやれるんですね。それは信頼感があるからです」(崔さん)

結ばれた絆 医師と当事者から“友だち”へ

この日、崔さんは、医師として長年、関わってきた2人と食事に出かけました。女性は、短期入院ののち、外来治療を35年余り続け、4年あまり前からは、訪問看護サービスを受けながら地域で1人で暮らしています。男性も、20年に渡る入院生活のあと、今は1人暮らしをしています。

退院した今でも、女性の病気は、完全には治っていません。自宅の天井裏に人がいるという思いが消えません。

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崔さんと元患者の女性

崔さん「天井裏の人は、元気?」

女 性「天井裏(の人)、元気や。女の人3人。男の人3人。『オッケーオッケー』言うてるわ。『いや』とか言ってるわ。『いややったら帰り』って言うたんで」

崔さん「でも平気やもんね」

女 性「平気や。怖いと思ったら怖いけど、平気や」

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崔さんと元患者の男性と女性

崔さん「最近は対人関係、大丈夫?」

男 性「それは対人関係が一番なんですけどね、それがだいぶ良い方に向いてきると昨日の時点でそう思ったんですよ」

女 性「36年。もう来年の4月で37年になる」

崔さん「腐れ縁やもんな」

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元患者の男性

「40歳ぐらいの頃に崔先生に診察をお願いして。友だちが勧めてたんでね、それもあったんですけども、もう崔先生しかないなと思って、お願いして主治医になっていただいて20年ほど診てもらってた人ですよ。その間ずっと入院したままで1回も退院してなかったんですよ。退院できる状態じゃなかったから。でも20年たったら退院できて」(男性)

72歳で、院長の職を降りた崔さん。病院の外で彼らと過ごせるのはかけがえのない時間です。元患者さんたちが退院した後も、医師と患者としてではなく、友人として付き合いを続けていく崔さん。そんな崔さんに、これまで医師として大事にしてきた思い、そしてこれからについて伺いました。

画像(河原で話す崔さん)

「病のために苦しんでる方のかたわらで、応援するすべを持ってこれたし、もっと持てるんじゃないかな。それが私自身の生きがい、自分の生きる糧になっている。そのことで私が生きさせられてる、そういう気持ちはありますね。捨てられてるはずだけど、役に立ってるかもわからないという。偉いから医者になってるんではなくて、医師も同じように病んでいて、病むというと表現不十分ですけど、やっぱりアウトローで生きている、そういうものでよけい病んでる方と共通点を見出していって、根っこでつながるような、そういう生き方、生き様、それはたぶんこれからも変わらないですね」(崔さん)

人生をかけて、精神疾患に苦しむ人たちの心と体を開放しようとしてきた精神科医・崔秀賢さん。互いの尊厳を認めながら、それぞれのリズムで堂々と生きていく。一人ひとりが、そんな世の中の礎となることを、崔さんは目指し続けます。

精神科医・崔秀賢さん 「開放医療」で取り戻す人間の尊厳
(前編)その原点とは
(後編)家族と、当事者たちとの「絆」 ←今回の記事

※この記事は『こころの時代』2017年12月24日放送「捨てられた石が礎となる」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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