半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策にたずさわってきた山内一也さん。ウイルスは「脅威ではあるが、敵対するものではない」と語ります。コロナ禍の今、日本を代表するウイルス学の権威は何を思うのでしょうか。天然痘の根絶にも貢献した山内さんの言葉から、コロナウイルスとの向き合い方を探ります。
東京大学名誉教授の山内一也さんが研究者としての第一歩を踏み出したのは、日本のウイルス学が細菌学から独立し、学問として大きく進展し始めていた頃です。大学を卒業後、山内さんは「日本の細菌学の父」と呼ばれた北里柴三郎が設立した研究所に就職。ここで、その後の研究者人生を決定づける、「天然痘ワクチンの改良」というテーマに取り組むことになります。
北里研究所勤務時代の山内さん
「日本でも明治のはじめから、ワクチンを北里柴三郎のいた伝染病研究所などでも始めていたわけです。ちょうど終戦後に大陸からの帰還者が天然痘を持ち込んだ。それで大量のワクチンが必要になって、400kgくらいある大人の牛を使って、ワクチンを作ることになった。天然痘根絶もそのワクチンで達成されたのです。たまたま私が大学から北里研究所に入って、最初に天然痘ワクチンの製造と改良という仕事をやらされたということです」(山内さん)
牛から天然痘ワクチンを作る様子
天然痘の根絶を達成したあとも、麻疹ワクチンの国家検定、遺伝子工学を利用した遺伝子組み換えワクチンの開発など、山内さんはワクチン研究の最前線で活躍を続けます。山内さんのウイルス研究はその大半が、人類が感染症を克服するためのワクチン開発を目的としたものでした。
「ウイルスは脅威であることは非常によく分かっています。ですから人間社会のために対策をほどこしておくということは、ずっと言ってきたつもりです。ウイルスが人間に来たら困る。対策として、ウイルスが発生するかどうか予測をして、その恐れがあったら防止する。実際に発生があった時は、どのウイルスかということまで確認して、それから対応していく」(山内さん)
ウイルスは脅威で根絶の対象ですが、山内さんは決して「敵対」する感覚はなかったと言います。
「今回の新型コロナの場合ですと、コウモリから発生する危険性というのは、2010年代からいくつも学術論文は出ています。ですから、ウイルスの脅威というのは常に認識しなければならない。ただ、研究対象として捉えた時に、自分が取り扱っているウイルスというのは別の話なのですね。ちょっと説明が難しいですが」(山内さん)
ワクチンの研究開発を通して、山内さんはウイルスという不思議な生命体を独特のまなざしで捉えるようになっていきます。そして山内さんは63歳のとき、ウイルスの奥深い世界を広く一般の人たちにも知ってもらおうと、インターネット講座を開設。エボラ出血熱、BSE、口蹄疫(こうていえき)、SARSなど、当時世界的な関心を集めていた感染症について情報発信を始めました。
山内さんのウイルス解説は思わぬ反響を呼び、専門家だけでなく、一般の読者との間にも様々な意見や感想が交わされるようになっていきます。その中に、山内さんの価値観を激しく揺さぶる問いかけがありました。「細菌に善玉と悪玉があるように、善玉ウイルスはいないのか」というものです。
「目からうろこ、みたいな感じで受け止めました。2000年頃ですが、その頃は人間にとって役に立つウイルスの存在は分かりつつあった。私も知っていたのですが、『善玉ウイルス』というキーワードで見直すことはなかったのですね。ある意味では病気を離れたウイルスをもっと詳しく見ていくようになって、違った世界が見えてきた。それまでも見てはいましたが、頭の中で整理ができていなかった。これはかなり大きな転換点になったと思います」(山内さん)
やがて山内さんは、善玉・悪玉という区別をも超えて、ウイルスが存在するそもそもの意味を問い直すようになっていきます。
「『善玉ウイルス』というキーワードが出てきて、中立的な立場からウイルスの世界を眺めてみた。これまで私はウイルスの世界そのものを紹介していたけれど、ウイルスはどのような意味があるかということまで考えるようになった。ウイルスは人間を特別な動物とは受け止めていません。たまたまそこが居心地がいいか、悪いかというのは、全然分かりませんね。そういったことをウイルスが感じとるわけでもない。ウイルスそのものの中立的な立場に立てば、自分の子孫を残していくための適した場所、住みやすい場所を見つけていく存在なのです」(山内さん)
山内さんは著書に、チャールズ・ダーウィンのエピソードを記述しています。
チャールズ・ダーウィンは1860年、友人のエイザ・グレイ宛の手紙で自然のもっとも残酷な例として、ヒメバチの生態をあげ「私は慈悲深く万能の神が、生きたイモムシの身体の中身を餌にさせることをはっきり意図してヒメバチを創造されたことに納得できません」と書いた。
(山内一也著「ウイルスの意味論」より)
本来なら、異物であるハチの卵がイモムシの体内に入ってくると、イモムシの自己防衛機能により血液中の血球がハチの卵を取り囲んで殺すはずです。そこで山内さんは、ヒメバチの卵巣に寄生する「ポリドナウイルス」に注目しました。
「ヒメバチがイモムシに自分の卵を注入すると、そのとき一緒にポリドナウイルスも入っていく。そして、そのポリドナウイルスが非常に巧妙な手段を使って、子どもをかえしていくことも分かってきた」(山内さん)
ポリドナウイルスのDNAには免疫抑制遺伝子が含まれていて、イモムシの免疫細胞を麻痺させてしまい、ハチの卵を殺すのを阻止します。また、ポリドナウイルスはイモムシにハチの幼虫の餌となる糖を生産させ、さらにイモムシの内分泌系を乱して、イモムシがチョウやガに変態するのを阻止するのです。
ハチがイモムシに卵を注入するイメージ
孵化したハチの幼虫はイモムシの体内でまず脂肪体、ついでイモムシが生きるのに重要ではない器官を餌とし、十分に発達すると重要な器官を食べ、皮を食い破って外界に這い出ます。ポリドナウイルスはハチにとっては幼虫の生存を支える頼もしい共犯者なのです。
ハチが生存すればウイルスも存続でき、ハチとウイルスの双方にとって利益があります。一方で、イモムシにとっては恐ろしい病原体です。
山内さんは、ハチ、イモムシ、ウイルスという3者の関係を人間にも当てはめています。
「私にとっては人間がヒメバチであって、イモムシが自然生態系であると。ウイルスというのは科学技術、それが手助けをして、結果的に自然生態系を破壊していくという結果になっているように思えてならないのです」(山内さん)
人間はウイルスの根絶を目指してきましたが、ウイルスから見れば人間は取るに足りない存在だと山内さんは考えます。
「20世紀は根絶の時代というか、ウイルスの根絶を目指した時代。21世紀は共生の時代であると私は考えます。ウイルスは30億年前に地球上に現れて、現生人類のホモ・サピエンスが現れたのは20万年前です。生命の1年歴というものがあります。これは地球が46億年前にできて、そこから現代までを1年に例えると、ウイルスが出現したのは5月の始めです。人間が出現したのが12月31日の最後の数秒だった。ほんのひととき。ウイルス対人類と言っても、人間なんてウイルスにとっては取るに足りない存在だと思うのです。コロナウイルスに例えて言えば、コウモリという宿主でずっと1万年前からいる。
(ウイルスが)人間の方に来なければいいだけですが、来るように仕向けているのが人間社会なのですね。ウイルス対人類と考えてもいいですが、ただ敵というか、勝つとか負けるとかいう相手ではありません。全然違う存在だと思います。我々の遺伝子のヒトゲノムの4割くらいはウイルスです。ウイルスは私たち人間と一体化しているというか、完全に身の内なのです。腸内細菌が100兆個くらいあるわけですが、1つの細菌にウイルスが10以上いると言われています。すると1千兆ですね。それだけのウイルスが我々の体の中にいるということなのです」(山内さん)
20世紀は、ウイルスの根絶を目指した時代でした。しかし、21世紀はウイルスと共に生きる「共生の時代」であると山内さんは語ります。
「ウイルスと人との区別は、なかなかつけがたい。ウイルスと言っても病気を起こすウイルスだけではないわけですから。まさに我々はウイルスと一緒に生きているわけです。コロナみたいな野性のウイルスと共生するだけではなくて、我々の体の中のウイルスも一緒に生きているということは認識しておくべきだろうと思います」(山内さん)
※記事『ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(前編)』はこちら。
※この記事は2020年6月14日放送 こころの時代「敵対と共生のはざまで」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。