半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策にたずさわってきた山内一也さん。ウイルスは「人生のパートナー」だと語ります。コロナ禍の今、日本を代表するウイルス学の権威は何を思うのでしょうか。天然痘の根絶にも貢献した山内さんの言葉から、未知なる生命体とどう向き合えばいいのかを探ります。
東京大学名誉教授の山内一也さんは現在88歳。半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策に取り組んできた、日本を代表するウイルス学者です。山内さんは、天然痘と、牛の急性伝染病である牛疫の根絶プロジェクトに参加したことで知られています。
人類が根絶に成功したウイルス感染症は、天然痘と牛疫の2つしかありません。とくに、数千年の歴史をもつ天然痘は、世界中で恐れられてきました。致死率は20%~30%にも及び、感染力も極めて高く、ひとつの家に患者が出ると家族の80%以上が感染したといいます。
当時、山内さんが取り組んだのが、種痘ワクチンの改良です。ワクチン接種の徹底によって、有史以来、人々を苦しめ続けてきた天然痘の歴史にピリオドが打たれました。
ウイルス学の偉大な成果と言われる、天然痘の根絶から40年。山内さんはウイルス研究の第一線に身を置きながら、本の執筆や講演活動などを通して、独自の視点でとらえたイルスの世界について発信を続けています。
「ウイルスは私にとって、研究人生を通してのパートナーだったと思っています。好奇心を満たしてくれるパートナーで、恐怖の存在ではありません。そして、非常に多用な性質を持った存在である。ウイルスは見えないということもあって、非常に面白い。そして、年と共にどんどんウイルスの本体が分かってきた。ですからいつまでたっても好奇心が絶えない。そういう対象としてウイルスをとらえています」(山内さん)
日本を代表するウイルス学者の山内さんは、コロナウイルスについてどのように見ているのでしょうか。
「免疫のない状態の所に入ってきた新しいウイルスですから、広がること自体は不思議ではないと思います。インフルエンザウイルスは、もともと鴨が持っている鳥類のウイルスです。コロナウイルスはこうもりで、哺乳類です。哺乳類が持っているウイルスが入ってきた。しかもコロナウイルスというのは、非常に大きなサイズのRNA(リボ核酸)ウイルス。インフルエンザウイルスも同じRNAウイルスですが、その2倍くらい大きい」(山内さん)
インフルエンザウイルスに比較して2倍の大きさがあるというコロナウイルスには、次のような特徴があると言います。 「RNAは数珠につながった1本の鎖のようなものと考えていただければいいです。1つの数珠を1つの文字とすると、インフルエンザは1万5千字の文章になる。コロナウイルスは3万字の文章になってしまう。ということは、コピーする時にそれだけミスが起こりやすくなるのです。そういう意味では、どんどん変異していくウイルスです」(山内さん)
そして、コロナウイルスは昔から存在していたと指摘します。
「コロナウイルスは、こうもりと恐らく1万年くらいは共存してきていると思います。そういうウイルスがたまたま人の世界の方に入り込んできたというのが現状です。我々は遭遇したことのないものが入ってきた場合には、免疫がないわけです。脅威と言えば脅威です」(山内さん)
山内さんは2005年放送の番組で、ウイルスを「究極の寄生生命体」と呼んでいます。
ウイルスは核酸を持っていますが、代謝機構もエネルギー機構も持っていません。すべて、ほかの生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスをつくっています。究極の寄生性の生命体であって、外界に置かれたウイルスは、まったく増えることができません。数分から数時間の後には死滅してしまいます。
(2005年放送NHK人間講座「ウイルス 究極の寄生生命体」より)
「普通の生物は細胞が2つに分裂して増えていきます。ところがウイルスは、たんぱく質の殻に核酸が包まれている粒子で、それは単なる物質。たんぱく質や核酸からできている物質に過ぎない。でもそれがひとたび細胞の中に入れば、これは完全に生き物。生きていると考えるべきだと思っています」(山内さん)
ウイルスが細胞の中に入ると何が起きるのでしょうか。
「細胞の中に入っていくと、殻を脱ぎ捨ててバラバラになるというか、核酸が裸になって出てくる。核酸に遺伝情報が含まれていますが、その遺伝情報に従って新しくたんぱく質が作られる。もちろん核酸も複製される。ウイルス自身バラバラになった状態で、感染性はない単にバラバラの物質です。その時点が『暗黒期』なのですね。それで新しく核酸が複製されてたんぱく質ができて、組み立てられるとまた感染力を持ったウイルス粒子となってくる。それが外に飛び出していくという形をとるわけです」(山内さん)
ウイルスが細胞の中に入ると起きる変化
山内さんは著書で、ウイルスの生と死について記述しています。
暗黒期は生物には見られないウイルス増殖に独特の過程である。
親ウイルスが一旦忍者のように姿を消したあとに子ウイルスが生まれるのである。
ウイルスを生命体として見た時、そこには独特な「生」と「死」が存在する。
(山内一也著「ウイルスの意味論」より)
一方で、ウイルスは生物ではないという議論もあります。これに対して山内さんは、議論は言葉遊びに過ぎないと考えています。
「私はウイルスは生きているとずっと思ってきました。生か死か、その境目というのは私には分かりません。ところが、ウイルスは細胞に寄生しなければ増えないから、生物ではないといった議論がありました。最初に生物学事典を見ると、『生命というのは生物の属性』といった表現をとっているのですね。では、生物は何かというと、『生物は生命活動を営むもの』という循環論法で、これが出てこない。生きているということ自身の定義というのは100以上出されて、言葉の遊びみたいになっている」(山内さん)
そこで、ウイルスに合わせて定義を作ればよいというのが山内さんの見解です。
「生物と無生物の定義そのものを見直すというか、また新しい定義を作っていけばいいと思うのです。生物か無生物かという議論をするよりは、生き物としてとらえていけば、定義はそういう分類があろうがなかろうが、問題ないことだと思っています」(山内さん)
山内さんは、著書でも述べています。「半世紀以上ウイルスと付き合ってきた私にとっても、ウイルスは興味がつきることのない不思議な生命体である」と。
目には見えない不思議な生命体であるウイルスの形態が初めて明らかになったのは1939年。タバコモザイクウイルスを電子顕微鏡でとらえた写真が発表された時です。
タバコモザイクウイルスの電子顕微鏡画像
研究者たちがウイルスそのものを見ることに成功したころ、少年だった山内さんは生物学とも細菌学とも無縁の日々を送っていました。むしろ国語や歴史が好きで、それほど理科系への意識は持っていませんでした。
「旧制高校でドイツ語に初めて触れたわけです。教科書の中でカール・ブッセの『山のあなた』という詩をドイツ語で見たり読んだりして、素晴らしいと感激したことは覚えています。戦後間もない時期ですからね。昭和23年ですから、まだ終戦3年目。あの当時は、ロマンティックな世界に憧れていたのですよね。詩の持つ意味というのは、ものすごく深い感じがあった」(山内さん)
1949年に東京大学へ入学し、意外なきっかけでウイルス研究の道へ進むことになります。
東京大学受験時の山内さん
「結核で1年休みました。軽い症状だったので家の中でブラブラして、片っ端からいろいろな本を読んだ。もっぱらドイツ文学。シュトルムとかヘッセとかゲーテを読んでいました。何をやりたいかということはあまりはっきり記憶していません。覚えているのは、牧場になんとなく憧れていたようで、これはドイツ文学の影響があったと思います。それで畜産を選んだわけです」(山内さん)
ドイツ文学に描かれる自然の暮らしぶりが、病気療養中の山内さんの心をとらえました。結核の治療を終え復学後は農学部獣医・畜産学科へ進学。これが細菌学・ウイルス学との出会いです。
「私はあまり人というか、患者さんを相手にという気にはなれなかったのですね。結核になる前には理学部の人類学教室を選んでいたのです。なんとなく人とはつながって、それでいて生きた人ではない。もっと幅広い世界があると思ったのでしょう。そのつもりだったのですが、結核になってやめてしまって。それで、家畜細菌学教室ですが、そちらの世界に入った。あまり一貫性というか、何になろうと思っていたのかは分からないまま細菌学、ウイルス学の世界に入ったのですね」(山内さん)
※記事『ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(後編)』に続きます。
※この記事は2020年6月14日放送 こころの時代「敵対と共生のはざまで」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。