鳥取市でホスピスを備える診療所を営む院長・徳永進さん。日々臨床の現場で命と向き合う徳永さんは、「死は豊か」だと話します。なぜそう考えるのか。40年以上、医師として最期まで患者とその家族を支え、生と死を見つめ続ける徳永さんに、その思いを伺いました。
鳥取市の住宅街に、1軒の診療所「野の花診療所」があります。2001年開業のこの診療所は、外来患者の診察だけでなく、ホスピスを備えているのが特徴。院長の徳永進さんが、病とたたかう人たちを最期まで支えたいと、立ち上げました。
医師となって40年以上。これまで、あまたの命と向き合ってきた徳永さんは、患者に笑顔を絶やしません。その理由を伺ったところ、こんな答えが返ってきました。
「患者さん自身、家族は深刻な問題に向かっておられますよね。深刻な問題に向かっておられる同じ位置にはどうしてもなれないので、どうしたら肩の力が和らぐかな、みたいなことを考えるんです。言葉はあまりよくありませんけど、少し空気を茶化すいうか、和らげる」(徳永さん)
末期にある患者とその家族は、どうしても緊張し過ぎる状態「過緊張」になりがちだと徳永さんはいいます。痛みが強くなったり、睡眠が妨げられたりするのをどうやって和らげるか。毎日の患者さんとのコミュニケーションの中で実践しています。
「笑えるといいなというのがあるんです。笑えると、痛みもちょっと和らぐかもしれないし。でも、ユーモアって、こうしたらユーモアになるとか、そんなのではなくて、その場にいると必ず笑わずにはおれないことに、出くわすんですよね。なので、肩肘張ってユーモアが大事とかいうことはやめて、ともに過ごしていると思わず笑う。そのときに、そうか、笑いってこんなもんなんだなって思ったことがあって。全部教えられるんですよ、場面、場面で」(徳永さん)
徳永さんは、地元、鳥取市の総合病院で、内科医として20年以上にわたり勤務していました。そこで出会ったのが、死を間近にしながらも、懸命に生きようとする患者の姿。その様に、ひきつけられていきます。
しかし、治療に追われる日々の中で募ってきたのが、「自分が、死を迎えようとしている患者の、本当の支えになっていないのでは?」という疑問でした。そして53才を迎えたとき、徳永さんは患者一人一人とその家族に、じっくり向き合う治療を行いたいと、診療所を開いたのです。
細分化され、専門化された医療を提供する医療機関と、それを求めていく患者。そんな社会の中で、徳永さんがやりたいと思っていることを伺いました。
「近代技術を獲得したこの国では、病気の場合、みんながベルトコンベアーに乗せられる感じがするんです。健診を受けましょう、早期がんだったらこの治療をしましょう、この画像診断を受けましょう。老いになったら、こういう老人施設に行きましょうみたいな。ただベルトコンベアーに乗っていれば、社会がそれなりにポンポンはじいてくれて。でも、人間って意外と一人一人独特で、そこに味がある。いつの時代も、私たちは、どれが正しいか決めるのが好きなんです。正しい方向をやろうとするんだけども、一人一人に会ってみると、その人なりだなという感じ。なので、その人に合うようなパターンをいかようにでも持てたほうが、ワンパターンで行くよりは大事だなと」(徳永さん)
徳永さんは、1日に何度も病室をまわります。患者と話して表情を読み取り、求めているものを探ろうと務めています。「海に行きたい」という患者がいれば一緒に船に乗り、魔女になりたいという患者がいれば、一緒に仮装を楽しむ。人生を豊かに全うできるよう、患者と手を携えています。
菜の花畑に集まった患者さんたち
徳永さんが今の境地に至った背景には、死に直面した多くの患者から聞いた、「言葉」があったといいいます。
「私たちは、ガイドラインとかマニュアルとかそういうものがあることで救われる。でも、それだけでことを済まそうとすると、何かそしゃくできないんです。じっと聞いていると、患者さんが自分の言葉でぽそっとしゃべりだすことがある。それには繕いがない。そういう言葉は不思議な力を持っている。でも、社会を整えるために私たちはいろんな上からおりる言葉、それを1の言葉と私は呼んでるんですけど、IP語でマニュアルのある言葉。1の言葉の特徴は、命がないこと。2の言葉は、おぎゃあから始まり、うんこ、しっこだったり、暖かいだったり、おいしいなとか、しゃっくりが出たとか、そういう自然な言葉は2の言葉の中にたくさんある。でも、ついつい1で走るんです」(徳永さん)
徳永さんは、ある男性患者の話をしてくれました。
その人は、徳永さんが部屋に行くと、いつも「尊厳死を」と話していました。徳永さんが何を話しかけても、答えは「尊厳死を」。ところが、彼が一番可愛がっていた大学生の孫のユカさんが、ある日帰省して見舞いに訪れました。すると「ユカ、お帰り。勉強しよるか」と言ったのです。
「尊厳死」という1の言葉しかいわなかった患者さんが、大好きな孫に会ったことで、命のある「2の言葉」を発したのだと徳永さんは考えています。
そして、2の言葉に出会えることで、臨床の場が和らいだり、理解や承知しにくい死が、わかる場合があるといいます。
「何がしたいかと聞くと、『道が歩きたいです』って患者がいうときはびっくりしましてね。死の前に道歩きたいってどういうことだと思って、一緒にお連れしていくと、家の前に道があって、右に曲がるとスーパーがある。そのスーパーに買い物に行って、主人の好きな酒のさかなをつくってやりたいっていう。死を前にして思い出されるのは、健康なときはごく当たり前にしてきたこと、ごく普通の暮らしにつながること。その1つが道を歩いてみたいとか、そういう具体語が残って。その人から教えられたことは、日常の一つ一つが勝負なんだということです。だから、私が組み立てようとしてることは、みんな患者さんが言ったことなんです」(徳永さん)
「死は豊か」と話す徳永さんに、その言葉の意味を教えてもらいました。
「豊かでありたい、豊かと捉えたいということです。私たちは、死はどちらかというと、あってはならないもの、閉じ塞ぎたいもの、あるいは見たくないもの、人には言いたくないものみたいなネガティブな言葉に置きがちです。でも、そうだろうかという問いを含んでる言い方なんです」(徳永さん)
徳永さんが命の本質とは何かを感じたという出来事がありました。それは、ある末期の胆のうがんの男性が徳永さんのもとを訪れたときのこと。その男性は死を受容したけれど、家で最期を遂げたいと話していました。しかし、徐々に身体が弱っていったあるとき、その男性は、徳永さんに土下座しながらこう告げました。
「この場になってお恥ずかしゅうござんすが、わし、生きとうござんす」
男性の「本物の言葉」を聞いた徳永さんは、衝撃を受けました。
「私は動けなかった。『生きとうござんす』というその言葉が、本物の言葉ですから。だから、逆に、こっちが『頑張りましょう』という形になって。そのときに教えられたのは、命というのは、根本的に生きようとする。夕顔の種をまくとつるがいろんな障害物を越えて上へ行きます。光に向かっていくので向光性というんですけど、その方がおっしゃったのもそれに近いものだと。最後、そのつるはどうなっていくかというと、最終的には地に落ちるんですけど、私は、みんなが1粒の夕顔の種を持っているというようなのがわかりやすいと思って。その種は生きようとするのが根本的な姿勢です。でも、最終的には地に向かう能力も持っていると思っていて。真反対こそ臨床の真実味があって、いろんな真反対がいろんな形である、そこが現場というか臨床というか人生というか、ああいうものの値打ちだろうな。私たちはどっちか1つにしたがるんですが、そんなことがあるわけはない」(徳永さん)
この出来事を機に、徳永さんは施す手立ての限られた患者を前に、治療だけでなく、どうケアするのか。医療に対する考え方が変わっていったといいます。
※記事『“豊かな終わり”を見つめて 医師・徳永進さんの思い(後編)』 に続きます。
※この記事は2018年6月24日放送 こころの時代「“豊かな終わり”を見つめて」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。