​​虚構で「比べる」記事は愚かで恥ずかしい…羽生結弦を貶める記事を喜び、あるいは溜飲を下げる人

日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

私たちは羽生結弦と他者を比べる愚かなことはしない 

 それにしても。

 毎度のことだが、羽生結弦と他のスケーターを比べることに上下や優劣、貴賤を命題とすることの意味が私にはわからない。

 羽生結弦は羽生結弦でしかない。冬季五輪フィギュアスケート二大会連続金メダル、スーパースラム達成、その他書ききれないほどの記録がある。

 羽生結弦の史実を振り返れば、そこには事実しかない。

 故に、私たち羽生結弦と共にある人々は事実しか語らない。事実で十分だから。

 もちろん夢想はする。羽生結弦には夢があるから。私とて、羽生結弦という存在が時代の子、歴史の人、そして伝説となる夢想をしているし、それを羽生結弦と共に歩む人々と創り上げる喜びはある。それを私は「僥倖」と説いた。

 羽生結弦が誰と比べるでなく羽生結弦である、ということは競技以外も同様だ。自身の被災した東北の震災のみならず各地で厚志を尽くしてきた。自分の金銭を以て、身を以て、寄付やボランティアに尽くしてきた。

 これもまた、事実しかない。

 そうした厚志を得た自治体の公式発表もまた、数字として公表している。

 羽生結弦は興行に於いてもそうだ。『PROLOGUE』『GIFT』『notte stellata』、そして『RE_PRAY』。ドームで、アリーナで成功させてきた。稀代の成功、と言うべきか。フィギュアスケートのアイスショウという難しい興行を、羽生結弦として多くの共にある人々と共に成功させてきた。そのチケット争奪戦、動員数、そして開催地域の経済効果と、これもまた事実だ。数字もまた、これを証明している。

 だから私たちは羽生結弦を邪に他者を比べるという愚かなことはしない。上下や優劣、貴賤で比べる愚かなことはしない。そこに意味はない。

羽生結弦を比べ、貶すための前提そのものに誤りがあ

 私はここで「比較」と書かない。「比較」とは学術的にも「比べる」というだけを指さない。羽生結弦とヴァーツラフ・ニジンスキー、羽生結弦とエフゲニー・プルシェンコ、あるいはディック・バトンでもいい、そうした「比較」は重要だ。これについては改めて後述する。

 しかしそうした「比べる」ことを平気で、それも悪意で行う人々もある。

 そしてそれを喜ぶ人々もある。

 そうしたゴシップメディアの「罪」(ざい)はこれまでも書いてきたが、今回もまた、そうした「罪」が、それも稚拙な記事の形でまたぞろ露呈した。今回の場合は、もはやゴシップでなく「虚構」と言うべきか。

 その行為は浅田真央と「比べる」ものであった。それも羽生結弦と直接関係のないアイスリンクの話であった。比べる対象とされた浅田真央のアイスリンクは彼女が大きく関わったもので、実際に名称は「MAO RINK」、それは構わない。それぞれに道がある。

 しかしこの「比べる」には明確な誤りがある。なぜなら羽生結弦を比べ、貶すため(これはタイトルも内容も明白だろう)の前提そのものに誤りがある。

他社記事の焼き直しという恥ずかしい、愚かな内容

 メディア側の私からひとつ内側を腐すなら、これは他社記事の焼き直しという恥ずかしい内容でもある。他誌がすでに報じて、ましてや誤りである記事を元に焼き直した稚拙というか、厳しい書き方をするなら愚かな記事である。

 70億の税金を使って羽生結弦のために仙台市が新リンクを作り、一般人を締め出すというトンデモ記事だったが、その文春の孫引きで書いてしまっている。そこに悪意があったかどうかを問い正す以前の「稚拙」かつ「愚か」な行為である。

 そもそも当の仙台市長が羽生結弦との対談記事『仙台市政だより』2024年1月号でこう述べている。

〈荒川静香さん、羽生さんという金メダリストに憧れる若いスケーターたちが、練習環境の不足から、途中で仙台を離れてしまうということは問題だと考えておりました。そのような中で、ゼビオホールディングス株式会社から、太白区のゼビオアリーナ仙台をフィギュアスケートに対応した併用型施設に改修し、本市に寄付するご提案をいただきました〉

 どこに羽生結弦のため、という話があるのだろう。

 どこに一般の利用はできないとあるのだろう。

 ましてや「ビジネスライク」とはなにを指しているのだろう。私たちは「夢想」を好むが、こうした連中は「妄想」を好む。それも、あえて。

 さらに仙台市長はこう発言している

〈羽生さんにはぜひここで、ショーをやっていただきたいなと考えています〉

羽生結弦を貶める記事を喜び、あるいは溜飲を下げる人

 あくまで羽生結弦は「依頼される側」である。仙台市がクライアントとするなら羽生結弦は「一演者」という扱いである。

 それを生業にしている羽生結弦からすれば当たり前の話だが、いったいこれのどこが「羽生結弦が税金を使って自分のスケートリンクを作って一般人を締め出す」話になるのか。

 先出しの週刊文春にしろ、焼き直しの女性セブンにしろ、メディアの側として見ても稚拙で愚か、面白がって嘘八百を並べ立てているとされても仕方のない内容である。

 このスケートリンク関連に対する反駁文はすでに文春出しの時点で拙筆『羽生結弦の根拠なき汚れを「それみたことか」と匿名で拡散…やはり引っかかる。おかしい』および『身を切って、自分の犠牲にして、無私の行為を繰り返してきた羽生結弦の人生、雑な記事で汚されていいのか』など書いているのだが、文春のわけのわからない記事を女性セブンがさらに浅田真央の目的外利用で魔改造してしまった感がある。

 もはや羽生結弦がどうこうという以前にフィギュアスケートに関心のある人々の大半には「なんで?」というレベルの話なのだが、そうでない方や仙台市における政治的な思惑に絡むと本気にする人もある。フィギュアスケートに関心のある人々の一部にも、残念ながら自分の推しかわいさのあまりに「比べて」羽生結弦を貶める記事を喜び、あるいは溜飲を下げる人もある。

 それを見越して、そうしたメディアはあえて誤りを書く、そして「比べて」書く。本来の「比較」とはそうではないのに。悪意を以て。

(続)

この記事の続き:後編

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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