ルポ 戦後縦断 トップ屋は見た
皇太子妃スクープ,赤線廃止等,昭和30年代を彩る硬軟双方の主題を描いた著者渾身のルポルタージュ選.
皇太子妃スクープ,売春防止法施行,国鉄鶴見事故,王子争議,蒸発人間,産業スパイ,被爆10数年後の広島……,昭和30年代の世相として欠かせない硬軟双方の主題に取り組んだ著者渾身のルポルタージュ選.時代を証言する庶民の声に肉薄し,戦後という空間を縦横に描き出す.しなやかで腰の強い取材力が光る.
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岩波現代文庫では,梶山季之氏の作品として7月に代表作『黒の試走車』,8月に朝鮮小説の白眉である『族譜・李朝残影』を刊行しましたが,今月は氏のルポライターとしての作品の中から,この『ルポ 戦後縦断――トップ屋は見た』を刊行させていただきます.
梶山氏は1975年に45歳の若さで急逝されましたから,今年は三十三回忌にあたります.この間,改めて梶山氏の生涯と作品に光を当てようという機運が盛り上がっているようです.岩波現代文庫での三冊の刊行もその一つですが,それ以外にもさまざまな動きがあります.梶山季之資料室編『梶山季之と月刊「噂」』(松籟社)が刊行されました.また梶山氏が学園生活を過ごした広島ではこの六月に記念シンポジウムが開催され,中国新聞は関連記事を報道してきました.さらに最近では読売新聞文化欄(8月21日),読売新聞編集手帳(8月22日)などで梶山氏が取り上げられ,『週刊読書人』9月7日号では「特集 いま甦る梶山季之」が一面を飾っています.
なおインターネット上では,電子版「梶山季之資料館」が管理人・橋本健午氏によって,この間の梶山氏についてのあらゆる情報を的確に整理,紹介しており,好評です.
さて,岩波現代文庫では,梶山氏の多面的な活動,多彩な作品の中から三冊を刊行させていただきましたが,今回の一冊は氏が週刊誌のトップ記事を飾るトップ屋として大活躍していた時代の作品を中心に構成されています.まずそのあたりの経緯を振り返っておきましょう.
1958年『週刊朝日』誌上で『文藝春秋』が新人ルポライターを養成することを知った梶山氏は応募して採用され,ライター生活に入ります.6月『週刊明星』の創刊とともにそこにはせ参じスクープ記者として著名になります.59年1月には,同年4月創刊予定の「週刊文春」のためにトップ屋グループを独自に編成し,3月には特訓した記者を引き連れ梶山グループとして文藝春秋を「主戦場」として活躍するようになります.以後わずか二年間ではありますが,梶山氏は文字通り『週刊文春』のトップ記事を書き続け,その合間にラジオ脚本を書くという多作ぶりでした.昼夜兼行で取材と執筆に明け暮れる日々であったことでしょう.
本書に収録されたルポの大半は,この時期に取材され執筆されたものですが,後年になって往事の取材を手がかりに新たに執筆したものも含まれています.
本書に掲載されたルポは,多彩な主題を扱っています.その中でも厳しい報道協定に縛られて自由に書けない新聞記者の間隙を縫い,『週刊明星』で皇太子妃についてのスクープをとばし,実録小説を執筆したことは初期において彼の名を高めたといえるでしょう.
皇太子妃の決定,国鉄鶴見事故,赤線廃止,王子製紙争議等の戦後史の重要事件をはじめ,蒸発人間の深層に迫るルポ,下着までも共有する共同体の探訪記,国有財産払い下げの恩恵を蒙った人々,関東大震災をバネにして利殖に成功した人々の成功談,敗戦以来訪ねたソウルの探訪記,観光都市へと変貌する広島で被爆の意味を問い続ける人々と,本書に収められた主題は極めて幅広く,戦後史の現場を鮮やかに複眼的な視点で描いた文章として,現在も十分に一読に値するものであると信じます.
しなやかな観察眼と腰の強い取材力が,昭和30年代の深部を照らし出しています.ぜひ本書をご一読いただき,このトップ屋稼業の後に執筆した『黒の試走車』の世界と読み比べていただきたいと思います.
本書は,梶山季之ノンフィクション選集(5)『ルポ戦後縦断』として1986年に徳間書店から徳間文庫として刊行されました.
掲載作品の初出は以下の通りです.
・皇太子妃スクープの記(『文藝春秋』1968年6月)
・話題小説・皇太子の恋(『週刊明星』1958年11月16日)
・かくて「鶴見事故」は起こる(『文藝春秋』1964年1月)
・赤線深く静かに潜行す(『文藝春秋』1959年1月)
・ストライキの果て(『文藝春秋』1959年12月)
・蒸発人間(『週刊読売』1967年4月28日)
・産業スパイ(『中央公論』1962年5月)
・白い共産村(『文藝春秋』1958年6月)
・国有財産は誰のものか(『中央公論』1965年7月)
・不思議な官庁・通産省(『中央公論』1963年5月)
・ブラジル「勝ち組」を操った黒い魔手(『週刊文春』1966年1月3日1月10日)
・関東大震災を生かした人々(『文芸朝日』1963年9月)
・財閥の葬儀委員たち(『文藝春秋』1959年8月)
・丸ビル物語(『文藝春秋』1958年5月)
・朴大統領下の第二のふるさと(『文藝春秋』1964年2月)
・ヒロシマの五つの顔(『文藝春秋』1958年8月)
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岩波現代文庫では,梶山季之氏の作品として7月に代表作『黒の試走車』,8月に朝鮮小説の白眉である『族譜・李朝残影』を刊行しましたが,今月は氏のルポライターとしての作品の中から,この『ルポ 戦後縦断――トップ屋は見た』を刊行させていただきます.
梶山氏は1975年に45歳の若さで急逝されましたから,今年は三十三回忌にあたります.この間,改めて梶山氏の生涯と作品に光を当てようという機運が盛り上がっているようです.岩波現代文庫での三冊の刊行もその一つですが,それ以外にもさまざまな動きがあります.梶山季之資料室編『梶山季之と月刊「噂」』(松籟社)が刊行されました.また梶山氏が学園生活を過ごした広島ではこの六月に記念シンポジウムが開催され,中国新聞は関連記事を報道してきました.さらに最近では読売新聞文化欄(8月21日),読売新聞編集手帳(8月22日)などで梶山氏が取り上げられ,『週刊読書人』9月7日号では「特集 いま甦る梶山季之」が一面を飾っています.
なおインターネット上では,電子版「梶山季之資料館」が管理人・橋本健午氏によって,この間の梶山氏についてのあらゆる情報を的確に整理,紹介しており,好評です.
さて,岩波現代文庫では,梶山氏の多面的な活動,多彩な作品の中から三冊を刊行させていただきましたが,今回の一冊は氏が週刊誌のトップ記事を飾るトップ屋として大活躍していた時代の作品を中心に構成されています.まずそのあたりの経緯を振り返っておきましょう.
1958年『週刊朝日』誌上で『文藝春秋』が新人ルポライターを養成することを知った梶山氏は応募して採用され,ライター生活に入ります.6月『週刊明星』の創刊とともにそこにはせ参じスクープ記者として著名になります.59年1月には,同年4月創刊予定の「週刊文春」のためにトップ屋グループを独自に編成し,3月には特訓した記者を引き連れ梶山グループとして文藝春秋を「主戦場」として活躍するようになります.以後わずか二年間ではありますが,梶山氏は文字通り『週刊文春』のトップ記事を書き続け,その合間にラジオ脚本を書くという多作ぶりでした.昼夜兼行で取材と執筆に明け暮れる日々であったことでしょう.
本書に収録されたルポの大半は,この時期に取材され執筆されたものですが,後年になって往事の取材を手がかりに新たに執筆したものも含まれています.
本書に掲載されたルポは,多彩な主題を扱っています.その中でも厳しい報道協定に縛られて自由に書けない新聞記者の間隙を縫い,『週刊明星』で皇太子妃についてのスクープをとばし,実録小説を執筆したことは初期において彼の名を高めたといえるでしょう.
皇太子妃の決定,国鉄鶴見事故,赤線廃止,王子製紙争議等の戦後史の重要事件をはじめ,蒸発人間の深層に迫るルポ,下着までも共有する共同体の探訪記,国有財産払い下げの恩恵を蒙った人々,関東大震災をバネにして利殖に成功した人々の成功談,敗戦以来訪ねたソウルの探訪記,観光都市へと変貌する広島で被爆の意味を問い続ける人々と,本書に収められた主題は極めて幅広く,戦後史の現場を鮮やかに複眼的な視点で描いた文章として,現在も十分に一読に値するものであると信じます.
しなやかな観察眼と腰の強い取材力が,昭和30年代の深部を照らし出しています.ぜひ本書をご一読いただき,このトップ屋稼業の後に執筆した『黒の試走車』の世界と読み比べていただきたいと思います.
本書は,梶山季之ノンフィクション選集(5)『ルポ戦後縦断』として1986年に徳間書店から徳間文庫として刊行されました.
掲載作品の初出は以下の通りです.
・皇太子妃スクープの記(『文藝春秋』1968年6月)
・話題小説・皇太子の恋(『週刊明星』1958年11月16日)
・かくて「鶴見事故」は起こる(『文藝春秋』1964年1月)
・赤線深く静かに潜行す(『文藝春秋』1959年1月)
・ストライキの果て(『文藝春秋』1959年12月)
・蒸発人間(『週刊読売』1967年4月28日)
・産業スパイ(『中央公論』1962年5月)
・白い共産村(『文藝春秋』1958年6月)
・国有財産は誰のものか(『中央公論』1965年7月)
・不思議な官庁・通産省(『中央公論』1963年5月)
・ブラジル「勝ち組」を操った黒い魔手(『週刊文春』1966年1月3日1月10日)
・関東大震災を生かした人々(『文芸朝日』1963年9月)
・財閥の葬儀委員たち(『文藝春秋』1959年8月)
・丸ビル物語(『文藝春秋』1958年5月)
・朴大統領下の第二のふるさと(『文藝春秋』1964年2月)
・ヒロシマの五つの顔(『文藝春秋』1958年8月)
山季之 かじやま としゆき
1930-1975年.植民地下の朝鮮・京城生まれ.広島高等師範学校卒業後上京し,「新思潮」の同人になる.後にライター生活に入り『週刊文春』等でスクープ記事を連発し,トップ屋として令名を馳せる.六二年に『黒の試走車』を発表,企業情報小説というジャンルを開拓し一躍流行作家になる.多分野にわたって膨大な作品を執筆したが,朝鮮,移民,原爆を描いた小説『積乱雲』の執筆の途上で,取材先の香港で急死した.
1930-1975年.植民地下の朝鮮・京城生まれ.広島高等師範学校卒業後上京し,「新思潮」の同人になる.後にライター生活に入り『週刊文春』等でスクープ記事を連発し,トップ屋として令名を馳せる.六二年に『黒の試走車』を発表,企業情報小説というジャンルを開拓し一躍流行作家になる.多分野にわたって膨大な作品を執筆したが,朝鮮,移民,原爆を描いた小説『積乱雲』の執筆の途上で,取材先の香港で急死した.