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「人生は50歳を過ぎてから」遅咲きの男たちから学ぶこと

はじめに

多様性のある社会になり、今まで以上に自分自身或いはアイデアを発信、そして受け入れられやすくなった現代。

しかし少なからずその波に乗れず埋もれてしまっている人たちがいる事も事実。実際、私のその1人です。

世間的に言えば若年層と言われる年齢ではあるものの、周りを見渡せば好きな事を中心に生活を送っている者や、自分の才能を活かした仕事をしている者など、自分をしばしばマイナスに捉えてしまう時もあります。

そんな自分に力をくれる、周りのペースや挫折・失敗を気にしない遅咲きといわれる人物たちの略歴と、そこから学ぶことを今回はご紹介したいと思います。


やなせたかし

やなせたかしは『アンパンマン』の作者である漫画家。

アニメ『それいけ!アンパンマン』が放送され、国民的人気作品となったのは何と、やなせたかしが70歳を目前に控えた頃なんです。

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出典:ほぼ日刊トイ新聞より

遅咲きの漫画家人生

28歳で三越宣伝部のグラフィックデザイナーをしつつ副業で漫画を描き、34歳で会社を辞め漫画家として独立します。

しかし独立後は中々日の目を浴びず、約20年間は漫画やイラストの仕事よりも舞台製作などの仕事が主でした。

そんな時54歳で出版した『アンパンマン』が転機となり、61歳で日本漫画家協会賞で大賞を受賞したのを皮切りに、人気漫画家としての人生を歩み始めます。

そしてやなせたかしが69歳の時、アニメ『それいけ!アンパンマン』が放送されて以来、国民的人気作品として今に至ります。

『アンパンマン』への想い

究極の正義とは、ひもじいものに食べ物を与えることである。

引用:「読売テレビ」制作インタビューより

やなせたかしは日中戦争時代、中国人向けのプロパガンダ宣伝の制作を担当。その後日本は激しい戦火が繰り広げられていく中で「本当の正義」とは何なのかを模索し、生まれた作品こそ『アンパンマン』です。

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出典:ほぼ日刊トイ新聞より

更にやなせたかしは、こうも言っています。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこういいものでないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。

引用:『アンパンマンの遺書』より
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出典:Twitterより

アンパンマンを観た事のある方であれば、この言葉の意味を理解するのはそう難しくありません。

絵本発売当初は、幼稚園や母親たちから酷評・クレームなどを受けつつも、アンパンマンの等身を変更したり、登場するキャラクターを増やすなどして見事に国民的キャラクターへと成長していきます。

69歳にして、ようやく漫画家として日の目を浴びた作品『アンパンマン』はこれからも多くの子どもたち、そして大人たちを魅了し続けてくれることでしょう。


伊能忠敬

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出典:サライ.jpより

55歳で測量の道へ

歴史の教科書でも必ず習う言わずと知れた偉人「伊能忠敬」。今の日本地図の原型を作り完成後100年もの間使用され続けた、驚くほど精密な日本地図を作成した人物です。

49歳で町役人を隠居した伊能忠敬は、50歳から天文学や測量を本格的に学び、55歳で蝦夷(北海道)での測量をスタートさせます。

以降、東北・関東・近畿・四国・中国・九州と渡り歩き、完成を目前にして73歳でこの世を去りますが、彼の意志を継ぐ弟子たちによって最後の伊豆七島の測量を終え、「大日本沿海輿地全図」日本で初めての全国地図を完成させたのでした。

学び続けた人生

伊能忠敬は、55歳から地図を始める以前より町役人として優秀でした。

伊能家の傾いていた財政を立て直し、町役人としては飢餓で苦しむ町民たちに私財を配り歩くなど、人間としても尊敬され、商才を発揮した伊能忠敬。

そんな町役人時代でも、測量のためと独学で天文学や暦学などを学んでいた彼は、隠居後、江戸へ上京し社会的地位を有しながらも19歳年下の学者を師匠とし、本格的に測量や天文学などへの勉学に励みます。

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出典:Pinterestより

こうした目標を達成するための熱意や経験・知識が、当時ではあり得ない程精密な地図作りに活きたのではないでしょうか。

地球の大きさを知りたいのです。

引用:「伊能忠敬の測量日記」藤田元春著より

もし、伊能忠敬が73歳時点でも健康であったなら、次は世界地図に目を向けていたのかもしれませんね。

その尽きる事のない目標と生涯学び続ける姿勢が、今でも多くの人が利用するマップやナビの礎になっている事は紛れもない事実といえるでしょう。


カーネル・サンダース

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65歳で「ケンタッキーフライドチキン」を企業

今や世界中で愛される「ケンタッキーフライドチキン(以下KFC)」。

それと同時に、店頭に置かれた人形や企業ロゴに大きく描かれた顔で有名なカーネル・サンダース(以下カーネル)ですが、その人生は決して成功の軌跡とは程遠く

むしろ失敗の人生であると、本人も公言しています。

どんな失敗も、光明への踏み石となりうることを忘れてはならない。

カーネル・サンダース

カーネルは、65歳でKFCを起業するまで実に40以上もの転職を経験しています。つまり40回以上の失敗や挫折を経験しているとも言えるでしょう。

紆余曲折する中で、2度目のガソリンスタンドの経営をしていたカーネル。初めの経営との大きな違いは、小さなカフェを併設したことです。その名も「サンダースカフェ」。

そのカフェこそKFCの原点

次第にガソリンスタンドに立ち寄るドライバーの中で、フライドチキンの人気が沸騰した事で、事業をカフェに一本化。しかし、火事でお店を失い、負債を多く抱えたカーネルは、店舗経営から一度身を引くことに…。

しかし、諦めの悪いカーネルはフライドチキンのレシピを売り歩くFC契約(フランチャイズ契約)を展開し、1009回断られながらも、600店舗を超える規模まで拡大し、大成功を収めたのでした。

過去の経験を土台に

40社以上もクビになり、3度の破産をしたカーネルですが、そんな中でも交友関係やビジネスのノウハウを蓄積していきます。

おいしいもので人を幸せにしたい」というKFCの理念には、幼い頃に家族のために作った料理の経験からであり、何を隠そうカーネルの作るフライドチキンは、実の母が作ってくれていたレシピが基となっている事も事実です。

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出典:J-CASTニュースより

KFCのフライドチキンには、思い出や失敗・挫折の経験が土台となった「唯一無二の美味しさ」があると言えるでしょう。


3人に学ぶこと

紹介した3人に学ぶことは2つあります。

  • 「体験」ではなく「経験」をすること

  • 「夢中」であること

経験

ここでいう「経験」とは、活かすことのできる技術や知識を習得することです。そういった意味では、私の人生は「体験」ばかりであったと気づかされます。

やなせたかしは戦争という、本来表に出し辛い経験を力に変えアンパンマンの制作に取り組みます。

伊能忠敬は、様々な学問に触れ得た知識と町役人時代に築き上げた商才と財力が地図作りに大きく貢献。

カーネル・サンダースは、人並み以上の失敗と挫折を繰り返す中でアイデアやノウハウ・人脈を蓄積させ最終的にKFCを大規模に拡大させていきます。

新たなことに挑戦した或いは取り組んだ行為や実績ではなく、その体験によりどのような知識や技術を得るか(得たか)に焦点を当てて、行動する大切さを学ぶことができると考えています。

夢中

彼らに共通して言えるのは、焦りや不安というワードが出てこないという事です。

本来、3人の年齢や周りの環境を考えれば、将来への不安や焦りは抱えるべき大きな悩みと言えます。しかし彼らにそうした感情が表立ってこない理由は、「夢中で取り組んでいたから」ではないでしょうか。

変な言い方をすれば「砂場遊びをする子ども」の様に夢中で取り組み、気づけば時が経っている。

だからこそ彼らは前を向き続けることができ、時間や年齢を気にする事なく目標や夢に向かって邁進することができたのでしょう。

現代において、大人になって「夢中」になれるものを見つける事も「夢中」になる時間や環境づくりも中々簡単なことではありませんが

先ずは夢中になれるものを探すことや、夢中になれる時間を作ることから始めてみてはいかがでしょうか。


おわりに

やなせたかしが『アンパンマン』で世に知れ渡るのは自身が69歳の時。伊能忠敬が地図作りを始めたのは、人生50年と言われた時代でありながら55歳です。

カーネル・サンダースに限っては、いくつもの挫折を繰り返しようやく夢が形になった時には既に73歳であったと言われています。

人生100年時代と言われる今、何ができるのか或いは残せるのか。

紹介した偉人たち程の功績を残すことは並大抵ではありませんが、誰かの役に少しでも立つ、もしくは自分が生きた証拠を残すことのできる「何か」を模索するところから始めてみようと思います。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


















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いつか長期休暇をとってアイスランドへ行きたい、東京在住の27歳です。 好きなコト・モノを共有できたら嬉しいです!
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