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太平洋戦争 開戦前の1年をたどる

日米開戦80年企画 1940年12月、日米開戦の1年前、 日本ではまだ多くの人がアメリカと戦うとは思っていませんでした。 それが、なぜ開戦に至ったのか。 1940年~1941年にかけて日を追いながら、NHKに残る映像や資料・番組などで辿ります。
プロローグ 日中戦争

プロローグ 日中戦争

1940年、日本は3年前の盧溝橋から始まった中国との戦いが長期化。日本軍は上海、南京を占領、中国の蒋介石政府は重慶に移動。その重慶に対する爆撃が6月18日の「日本ニュース」で報じられている。蒋介石政府はアメリカ、イギリス、ソ連などの支援を受け抗戦、日中戦争は泥沼化した。

プロローグ 日本軍 北部仏印進駐

プロローグ 日本軍 北部仏印進駐

1940年9月23日 日本軍が北部仏印(フランス領インドシナ、現在のベトナム)への進駐を始める。ドイツ占領下だったフランスのヴィシー政権はこれを承認。当時の「日本ニュース」は、一部仏印軍との交戦を経たが「平和的進駐」だったことを強調している。日本の目的はアメリカやイギリスなどが蒋介石政府を支援する「援蒋ルート」を断つことだった。

プロローグ 日独伊三国同盟締結

プロローグ 日独伊三国同盟締結

1940年9月27日 日本・ドイツ・イタリアが同盟を締結。当時の「日本ニュース」は、世界新秩序の建設を担うと伝えている。
1939年9月にヨーロッパで勃発した第2次世界大戦で、ドイツはフランスを占領しイギリス本土を空襲するなど、その勢力を広げていた。

三国同盟締結をとりあげた番組

三国同盟締結をとりあげた番組

番組名:「その時 歴史が動いた」ぼく一生の不覚~三国同盟締結・松岡洋右の誤算~ (2001年放送) リンク先は 三国同盟が議題となった9月19日の御前会議で、原嘉道枢密院議長が危惧を表明し、同盟締結を進めていた松岡洋右外相に説明を求めたやりとりの部分。同盟締結後、アメリカはくず鉄などの日本への輸出を禁止する厳しい経済制裁で応えた。
 ※プロローグはここまで、次からは日付を追って、日米開戦までをたどります

1940年10月11日(金)紀元二千六百年特別観艦式

1940年10月11日(金)紀元二千六百年特別観艦式

この日、昭和天皇は横浜を訪れ「紀元二千六百年特別観艦式」に臨んだ。「日本ニュース」は、連合艦隊の旗艦「長門」をはじめ百余隻が列をなしたと伝えている。指揮官を務めたのは連合艦隊の山本五十六司令官。

1940年10月13日(日)新日本発足の雄叫び国民大会の盛況

1940年10月13日(日)新日本発足の雄叫び国民大会の盛況

この日、前日12日に発足した大政翼賛会と三国同盟結成を祝い全国一斉に開かれた国民大会を「日本ニュース」が伝えている。大政翼賛会は各政党が解散し結成された。軍に対抗しようと近衛文麿内閣が組織したが、後に、政治活動を禁じられ政府に協力する機関となる。

1940年11月6日(水)米国大統領ルーズベルト三選

1940年11月6日(水)米国大統領ルーズベルト三選

この日、アメリカ大統領選で初の3選を果たしたのは、フランクリン・ルーズベルト。「日本ニュース」では投票を終え、3選を喜ぶルーズベルトの表情を伝えている。彼はこのあと、日米交渉の中心人物となる。

1940年11月10日(日) 紀元二千六百年輝く世紀の祝典

1940年11月10日(日) 紀元二千六百年輝く世紀の祝典

この日、皇居外苑広場では昭和天皇も臨席して「紀元二千六百年」を祝う式典が開かれ、5万5000人が参加したと「日本ニュース」は伝える。開会の旨を奏上したのは、近衛総理大臣。その翌日の奉祝会で奉祝詞を奏上したのはアメリカのグルー駐日大使。この後、ともに日米交渉にかかわることになる。

1940年11月25日(月)日米友好回復のための使節が来日

1940年11月25日(月)日米友好回復のための使節が来日

この日、アメリカからの日米友好回復を働きかける使節として神父ウォルシュと司教ドラウトの二人が横浜港に上陸。
日本側で対応したのは、産業組合中央銀行理事井川忠雄。民間レベルでの日米交渉が始まる。
(番組:さかのぼり日本史 昭和“外交敗戦”の教訓 第1回「挫折した日米交渉」2012年放送より)

1940年12月14日(金) アメリカの航空母艦ホーネット進水

1940年12月14日(金) アメリカの航空母艦ホーネット進水

この日、アメリカの航空母艦 ホーネット が大西洋岸バージニア州で進水した。後に東京への初空襲や、ミッドウェー海戦に参加する空母。
その進水式を伝える「日本ニュース」は、「軍艦が12日に1隻」とアメリカの工業力を伝えている。

1940年12月14日(金) プルトニウム発見

1940年12月14日(金) プルトニウム発見

この日、カリフォルニア大学でプルトニウムが発見されたが、第二次世界大戦中のため秘密にされた。
プルトニウムは長崎に落とされた原爆の材料。
原爆を開発した科学者を描いた番組に、BS1スペシャル「”悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆科学者たちの心の闇~」がある。

1940年12月21日(土)東條陸相中支視察

1940年12月21日(土)東條陸相中支視察

この日、国民政府要人との懇談のため中国大陸を訪れた東條英機陸軍大臣(のち、日米開戦時の総理大臣)の様子を「日本ニュース」が伝えている。この国民政府とは、重慶の蒋介石政府とは別に、南京に汪兆銘が樹立した政府。中国では日本の傀儡とみなされていた

1941年1月7日(火) 真珠湾攻撃の作戦案提出

1941年1月7日(火) 真珠湾攻撃の作戦案提出

この日、連合艦隊司令長官山本五十六が真珠湾攻撃の作戦案を海軍大臣に提出。
元駐米武官でアメリカを知る山本。作戦目的は開戦時に大打撃を与え相手の士気を失わせることだった、、、
リンク先は、番組「その時歴史が動いた シリーズ真珠湾への道(前編)山本五十六・苦渋の作戦立案」(2005年放送)より、山本が海軍大臣に提出した、対米戦に関する作戦案の部分。

1941年1月8日(水) 東條陸相が戦陣訓発表

1941年1月8日(水) 東條陸相が戦陣訓発表

この日、東條英機陸軍大臣が軍人のあり方を示した文書「戦陣訓」を発表。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱め(はずかしめ)を受けず」の一節は、将兵に対し捕虜になることを固く戒めたもので、太平洋戦争で玉砕や自決、動けなくなった傷病兵の殺害などが起こることにもつながったと言われる。NHKの「戦争証言アーカイブス」には東條陸相自らが読み上げた「戦陣訓」の音声が残されている。

1941年1月14日(火) 銅鉄献納

1941年1月14日(火) 銅鉄献納

この日、公開された「日本ニュース」。前年、日独伊三国同盟締結後、アメリカは経済制裁として日本へのくず鉄類の輸出を禁止。日中戦争が続く中、不足する金属類を補うために、国民の生活が制限されていくことになった。

1941年1月15日(水) 大島駐独大使国民壮行会

1941年1月15日(水) 大島駐独大使国民壮行会

この日、日比谷公会堂で行われた壮行会について、「日本ニュース」は松岡外相やドイツのオットー駐日大使らが出席し激励したと報じている。大島は2回目の駐ドイツ大使就任でヒトラー総統の信頼も厚かった。この大島大使からの情報をもとに、日本はヨーロッパでがドイツが勝ち続けるという「確証」を得、日米開戦に傾いていった。

1941年1月23日(木) 米に向かう野村特命全権大使

1941年1月23日(木) 米に向かう野村特命全権大使

この日、特命全権大使としてアメリカに向かう野村吉三郎海軍大将の見送りの様子を「日本ニュース」が伝えている。東京駅には松岡外相のほか、アメリカのグルー駐日大使の姿も。野村はアメリカが第一次世界大戦に参戦した1917年に駐米武官を務め、当時海軍次官であったルーズベルト大統領とも知り合いだった。2月にワシントンに到着し、ハル国務長官やルーズベルト大統領と相次ぎ会談。日米交渉がいよいよ始まる。

1941年2月3日(月) 第8回大本営政府連絡懇談会(大本営政府連絡会議)

1941年2月3日(月) 第8回大本営政府連絡懇談会(大本営政府連絡会議)

この日、第8回の大本営政府連絡懇談会(大本営政府連絡会議は第二次近衛内閣の時、連絡懇談会と改称。後に連絡会議に戻る。)が開かれる。松岡外相はドイツ、イタリアにソビエトを加えて、アメリカと対抗しようと考えていた。リンク先は、番組「さかのぼり日本史 昭和”外交敗戦”の教訓 第1回「挫折した日米交渉」(2012年放送)より、1941年2月3日の大本営政府連絡会議議事録に見る日本の構想の部分。

1941年2月4日(火) 枢軸国の勝利近し ヒ総統獅子吼

1941年2月4日(火) 枢軸国の勝利近し ヒ総統獅子吼

この日、公開された「日本ニュース」。日本の同盟国ドイツのヒトラー総統が、ベルリン市内で行った演説会について報じている。ナレーションは「とき至れば我々は最後の攻撃を敢行するであろう、とイギリス本土上陸の決意を明らかにし」と伝えている。しかし、アメリカの援助もありイギリスの抗戦は続き、ドイツのイギリス本土上陸は行われることはなかった。

日米交渉に影響を与えた「ヒトラー情報」を取り上げた番組

日米交渉に影響を与えた「ヒトラー情報」を取り上げた番組

日本が日米開戦へ向かう前提として、ヨーロッパでのドイツの勝利がありました。そのドイツの勝利を日本が信じた理由に、ヒトラーの信頼が厚い駐独大使・大島浩からの情報があります。大島が、日本に送り続けた「ヒトラー情報」について取り上げた番組番が「その時歴史が動いた」 ヒトラー情報 日本を揺るがす ~「真珠湾」へのもう一つの道~ (2002年放送)です。 リンク先はNHKオンデマンド。