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この作品「ハートに火をつけて」は「湾岸ミッドナイト」「北見淳」等のタグがつけられた作品です。
ハートに火をつけて/白野の小説

ハートに火をつけて

11,895文字23分

20231123発行
湾岸ミッドナイト・北見×島のメリバ結婚式本の再録です!
それほど残酷ではないですが、作中でキャラが死ぬのでご注意ください。

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 ハートに火をつけて


 一羽の鳥が夜を飛んでいた。
 
 夜によく馴染んだその身をぬるい潮風に預けて、悠々と星の見えない空を渡っていく。
 日が昇るまでにはまだ大分かかりそうだったが、鳥はすでに朝食を首尾よく済ませた後だったのでとても気分がよかった。
 騒がしい地面の生き物たちが起きてくる前のこの時間、街は半ば鳥たちのものになる。
 
 しばらく空を漂っていた鳥は、次の目的地を定めてから海の上に身を投げた。
 灯りに照らされることのない海は空よりもずっと暗く、休めるような場所も見つけにくい。自分がどこを飛んでいるのかわからなくなりそうな深さの黒い水が恐ろしいと思うこともある。鳥は目的地の眩い灯りだけを見るようにして進んだ。
 その視線の先、海の上には、昼日中のように明るく照らされた道が真っ直ぐに通っている場所があった。
 地面の生き物のことはよく分からない。しかし彼らの多く棲む場所は夜でも昼のように明るく、鳥は光るものが好きだった。特にこの場所では、よく目を凝らせば大抵途中できらきら光るものを見つけることができる。その中でもいちばん良いものを選び出して帰り、巣の飾りの一つに加えるのが鳥の日課だった。
 それほどかけず、鳥はその場所にたどり着いた。
 高所を渡る線の上に止まった鳥の下を、光る目の生き物がまばらに通り過ぎていく。明るい昼は数え切れないほど走っているあの生き物も、この時間には眠っているのだろう。
 空から見る分には害がないように思えるあの生き物は、近くで見ると想像よりもずっと速い。飛んでいれば大した問題はないが、拾い物をしている時などに夢中になりすぎ、あの突進を避けきれずに死ぬ鳥も少なくなかった。
 しばらく場所を転々としながら目ぼしいものを探していたが、ふと聞こえはじめた音に気がつき、鳥は慌てて近くの灯りの上に飛び乗った。
 
 あれが来る。
 
 鳥が辺りを見回している間に音はどんどん大きくなる。その源は、すぐに姿を現した。
 光る道の端、夜よりもずっと黒い体を街頭が次々に照らして過ぎる。
 それは鳥ではない。
 それは轟音を引き連れて訪れ、不自由な地面に足を貼り付けたままどんな鳥よりも速く飛んでみせる、この時間、この場所に棲むものの中では知らないもののいない、光る目をした黒い生き物だった。
 鳥は、光る道をただ真っ直ぐに行くあの生き物をほとんど畏敬していた。つられて追いかけてみようとしたことさえあるが、いくら必死に飛んでも止まっている時とさほど変わらない速度で消えていくそれを見送るのは一度で十分だった。
 周りの生き物を軽々と縫うように抜き去り、高らかに鳴くその威容。少なくとも鳥は、あの黒い生き物ほどに王という言葉がふさわしいものを他に見たことがない。
 街頭の上で頭を垂れて敬意を表し、黒い生き物が通り過ぎるのを待つ鳥の眼下を、その生き物は風よりも速く通り過ぎていく。
 鳥はその行く末を目でそっと追い、完全に見えなくなったのを確かめてからまた自分の仕事に戻った。
 
 そうしていつも通り夜に紛れていった黒い生き物は、その日を最後に、二度と鳥の前に現れることはなかった。
 
 
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 島は軽く肩を揺すられる感覚に重い瞼を開けた。
 狭いナビシートから身を起こした北見が、幾らか申し訳なさそうな顔をしながら島を見ている。
「起こしてわりーな。でもそろそろ起きねーと」
「すみません。寝過ごしました」
「いや、オレも昨日先に寝ちまったみたいだったし」
 目を擦りながらそれを聞いた島は、寝起きの頭の中から引きずり出されてきた昨日の記憶に、そっと含み笑いを漏らした。
「なんだよ」
「いや、流石だなと。あれだけの速度の中で普通に寝るなんて、正直驚きましたね」
「くくっ、今更だろ。……まだ眠そうだな。満足いくまで走れたか?」
「ええ。いい夜でした」
「ならいい。じゃあ、行くか」
 島と北見は、ブラックバードをその場所に停めたまま、それなりの荷物を抱えて山の中に分けいった。
 
 
 ■■■


 概ね舗装はされているといった体の山道をしばらく歩くと、ほどなくして、目的地であるホテルの裏門が見えてくる。
 木製の小さな門をくぐると、そこには人の手によって美しく整えられた庭園が広がっていた。
 
 島は幼い頃、両親に連れられてこの場所を何度か訪れたことがある。山の起伏を活かしながら造られ、季節によって全く違う顔を見せる庭はいつ来ても島の目を楽しませたものだった。
 特に、夏が来る前のこの時期は、雨が降る度に木々の色が濃くなっていくのが鮮明に感じられる。天気この雨の多い時期に、昨日今日と晴れ間が続いたのは僥倖だったというほかない。
 ホテルのある棟に続く小径を上りながら、島はちらりと隣を歩く北見の様子を伺う。
 いつも通りの薄い笑みを浮かべながら景色を見ていたらしい北見は、その視線に目ざとく気がつくと、少しだけ笑みを深くしながら島の方に肩を寄せ、島の手をしっかりと握ってからまた歩き出した。
 その手を緩く握り返しながら、島は左手の池の側にある、さほど目立たない建物を見た。そこは、このホテルに併設されているいくつかのチャペルの中では最も小さい式場だった。
 島と北見は今日そこで、二人を主役とした挙式と、ささやかな披露宴を執り行う予定になっている。

 庭園から続く小さな階段を上ると、そのままホテルのエントランスホールに出る。
 広いロビーには一面に大理石張りの床が広がっており、高い天井に等間隔に吊られたシャンデリアと大きな窓によって、ほとんど閉塞感が感じられないような作りになっていた。
 さて、と辺りを見回したところで、一眼と撮影用具一式を提げて二人を待っていたらしいイシダとちょうど目が合った。
 イシダは人好きのする笑みを浮かべ、島の方に小走りで駆け寄ってくる。
「オハヨーございます、島センセ。北見さんも」
 居住まいをただして軽く頭を下げた島を見て、イシダはからからと笑った。
「ヤだなぁ、そんなに畏まるような仲でもないでしょう。いやしかし、驚きましたよ! 恩人二人の式に呼んでもらえるとは、光栄です。今日は気合い入れて頑張らせてもらいますから、お二人ともそのつもりで!」
 では、着替えが終わるころにまた、と言って、イシダは島たちが歩いてきた庭へ続く階段の方へ向かって行った。これから撮影場所の下見にでも行くのだろう。彼は相当腕のいいカメラマンなのだという噂はどこかで聞いたことがあった。大破したフェラーリの中でもカメラを構えていた彼なら、きっといい写真を撮ってくれるだろう。離れていく背を見送りながらそう考えて、島は満足そうな微笑を浮かべた。
「達也。写真、どこで撮りたいとか何となく決めてあんのか?」
「ああ……はい。何度か来た時に、いくつか候補は考えておきました」
「よし。じゃあ、さっさと着替えちまうか」
「はい。ではまた後で」
 二人はそれぞれ別の場所に別れて、着替えに取り掛かった。着物やドレスを着る訳ではないので、それほど時間はかからないだろう。
 用意してあった黒いタキシードを身につけながら、島は昔のことを思い出す。
 
 島は、幼い頃から今まで、一度たりとも女性を性愛の対象として見たことがない。良き友人として、尊敬できる一人の人間として好きになった女性はこれまで何人もいたが、恋愛となるとてんでだめだった。
 島自身の内面がどうというよりは、女性の肉体に性的な衝動を抱けるような性質に生まれつかなかったというだけのことだ。
 島が好きになるのはいつでも、柔らかく指になじむ脂肪の層よりも、しっかりとした筋肉に覆われた体をもつ性別の方だった。ないものねだりと言えばそれまでだが、自分自身にはいささか欠けているそういう要素が、島の目には随分好ましく、美しいものとして映る。
 だが、島も普遍的な美しさというものを全く解さないわけではない。例えば、この場所で挙式をしたいという幻想を抱くきっかけとなったのも、幼い日ここで見た一人の美しい女性だった。
 
 
 チェックアウトまでの間、一人暇を持て余していたロビーで、幼い島は遠い笑い声を聞きつけた。
 好奇心のまま声のする方に向かう。絨毯のひかれた廊下を通った先、ロビーから少し離れた吹き抜けにある大きな階段で、一組の男女が、カメラマンとともに写真を撮っていた。
 彼らは、どうも結婚式をこのあとに控えた新郎新婦のようだった。大きな窓から差し込む澄んだ朝の光が二人を包んでいる。
 島はこれほどまでに日常とかけ離れた盛装を目にするのは初めてだった。朝日の差し込む中、純白のトレーンを大階段に長く垂らし、笑う花嫁の姿。その幸福としかいいようのない瞬間がカメラのレンズを通して永遠に刻まれる、その光景は階段の下に立ち尽くしたままの島の記憶にも同じように鮮烈に刻まれることになった。
 フロントに戻ったあと、自分を探していた両親が怒っているにも関わらず、随分はしゃいだままその事を報告したのを覚えている。
 その時から島は、いつかずっと一緒にいたい人ができたらこの場所で、あの美しい花嫁のように写真を撮り式を挙げたいと漠然と考えていた。
 自分が女性を好きになれないと気がついてからはほとんど諦めていたことだったが、島は北見と恋に落ち、どういう巡り合わせか、その蜃気楼のような夢をこうやって叶える機会に恵まれた。
 
 島はネクタイを締めつつ、鏡に映る自分の姿を確かめた。面白みも何もない、ただの黒いタキシードを着た、いつも通りの姿がそこには映っている。
 あの時の美しい花嫁とは比べるべくもない。その時、花嫁と並んでいたはずの花婿は一体どんな格好をしていたのだったか、今となっては全く思い出せなかった。
 
 僅かに沈んだ気持ちを抱きながら、島は北見の様子を見に向かった。
「お、早えーな。ちょっと手伝ってくれ」
「僕が早いんじゃなくて、北見さんが遅いんですヨ」
 やはり慣れない服に手こずっていたらしい。
 島は助けを求める北見の首もとで曲がっているボウタイを直し、胸ポケットで縒れていたチーフをきちんと畳んで戻してやった。
「はい。これで大丈夫だと思います」
 少し離れて全体のバランスを見る。悪くない……というより、かなりいい。
 いつもほとんど作業着か緩い部屋着を着た姿しか見せてもらえなかった島は、二度と見られないだろう北見の盛装にすっかり見惚れていた。特にこだわりがないというので白を着てもらったが、正解だったかもしれない。北見と共に鏡に映る自分の姿は、先程よりずっと悪くないと思えた。
「はー……こんな堅っ苦しい服着んのは、マジで中学校の制服以来かもなあ」
 締め付けが気になるのか、しきりとシャツの襟周りに触れながら、そう零す北見に島は真剣に食いつく。
「……それ、すごく見たいですね……」
「くくっ、写真なんてわざわざ撮ってねーよ」
 二人が軽口を叩き合っていると、ちょうどイシダがやってきた。
「失礼します。御支度の方、どうですかー? ……ああ、素敵ですね。センセも北見さんも元がいいですから、随分写真映えしそうだ」
「北見さん、行きましょうか」
「おう」
 先導するイシダに続いて、二人は歩きはじめた。
 
 緑の中を風が通り抜ける。
 十分に晴れてはいるが、まだ早い時間ということもあってそれほど暑くはない。
 二人はまず手初めとして、青い紫陽花がまとまって華やかに咲く場所の前で肩を寄せた。
「お二人さ~ん、カオが固いよ! 特に島センセ! 笑って笑って……って言っても無理かなあ」
「達也……。お前、完全に顔引きつってるぞ」
「……スミマセン。こういうの、あんまり慣れてなくて……」
「別に、無理に笑わなくてもいいだろ。こーいうのは、思い出になればそれでいいんだよ」
 自分の頬を指で揉みほぐしながら答えた島に、北見はそんな事なんでもないという口調で言った。
「そ、そうですか?」
「ああ。そんでずっと先、この時のお前がどんだけ笑うのが下手くそだったか、思い出して笑ってやる」
「北見さん……」
 そのとき、パシャ、と控えめなシャッター音が響いて、ついカメラのことを忘れて見つめあっていた二人は音のした方を同時に向いた。
 そこに立っていたイシダの表情を見て、島は顔を真っ赤にし、北見はカメラから目を逸らして、少し照れくさそうに頬をかいた。
 
 
 ■■■
 
 
「はーい、OK! お疲れさまでした。この後も適宜流れを撮影してきますけど、こんな感じでしっかり撮るのは今だけです。後は勝手に横から撮らせてもらうので、カメラのことはあんまり気にしないでいいですよ」
「いやあ、結構撮ったよな。こんなもんで大丈夫か?」
「はい。ありがとうございました」
「出来上がり、楽しみにしててくださいね。さ、結構時間が押してます。式場の方へ」
 イシダにそう促された島と北見は、早足で小径を抜け、池の側へある式場と急いだ。
 
 
 島と北見が式場に着いた時にはすでに、そこは誰もいないかのように静まり返っていた。
 島はそっと中の様子を伺うと、そこには大勢の二人と関係の深かった人たちが見えた。彼らは、二人のために開かれた道の脇に整然と並べられた長椅子に腰掛け、静かに二人が来るのを待っているようだった。
 
 島はひとつ深呼吸をしてから入口の前に立った。それに北見も並ぶ。島は早まる鼓動を感じながらも覚悟を決め、北見の腕に自分の手を回した。それを確認してから、北見は初めの一歩を踏み出した。
 北見がゆっくりと歩くのに歩調を合わせながら、島は真っ直ぐに参列者の間を進んでいく。
 そしてたどり着いた道の先、十字架のもとで待っていたのは、アキオだった。
 年若い彼に式の進行を頼むのは随分荷が重いかとも思ったのだが、彼以上にこの役目にふさわしい人間を島は思いつくことができなかった。
 アキオは、二人に柔らかく笑いかけてから、良く通る声で参列者に一通りの挨拶をした。
「じゃあ、島サン。みんなに誓いの言葉を」
 そう促され、島は、暗記した誓いの言葉の文言を思い出しながら、はっきりと皆に聞こえるように唱えた。
「僕は、北見さんと、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も共に過ごし、互いに支えあうことを誓います」
「北見さん」
「ああ、俺も誓う」
 島は隣に立つ北見をいくらか冷たい目でじっと見つめた。
「…………あー、分かったって。……俺も、この達也と、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も共に過ごし、互いに支えあうことを誓う」
 それを聞いて、アキオはにっこりと笑った。
「はい! ちゃんと聞いたよ。じゃあ、次は指輪の交換だね」
「北見さん。指輪を」
「わかった。ちょっと待て……」
 ジャケットの内ポケットを少しさぐり、北見は天鵞絨張りの小箱を取り出した。それを開く手は微かに震えているように思えたが、島の気のせいだったかもしれない。自分の手をそっと取る北見の繊細な手つきに島が夢中になっている間に、あっさりとその指には銀の輪が嵌められていた。島も同じように北見の指に指輪を嵌めてやる。島の手が北見の手から離れたあと、二人はしばらくそれを一緒に眺めていた。
「北見さん。島サンと誓いのキスを」
 揃いの指輪に未だ目を奪われている島の肩に、北見がそっと手を添える。島は自然と目を閉じ、かるく上を向いていた。唇の端にそっと北見の唇が押し当てられる柔らかい感触。
 肩から手が降ろされる。大きな拍手の中で、ようやく島は目を開いた。いつになくやさしく、血の通った目つきをした北見が島を見つめている。それは島をなんだかたまらない気持ちにさせた。
 島は流れから少し逸脱してしまうかもしれない、と思いながらも、ひょいと首を伸ばして、北見の唇の端に掠めるようなキスを返した。アキオも北見も驚いたような顔をしていたが、島は彼らに向かって満足気に笑い返した。
「ふふ……仲がいいのはいいことだよね。これで式は終わりだよ。島サン、北見さん、結婚おめでとう」
 また後でね、と手を振るアキオと多くの拍手に見送られ、二人は式場を後にした。
 
 
 
「はあ……なんか、それなりに疲れたな」
「朝からずっと立ちっぱなしですもんね。時間は……そろそろお昼過ぎってところです」
 二人は少しの間、座って一時の休息をとっているところだった。
「お前はまだまだ元気そうだな。年かねえ」
「僕だってもう若くはないですヨ。ほら、あとはほとんど座ってるだけなんですから、もう少し頑張ってください」
「はいはい、わかったわかった」
 自分に続き、よいしょ、と重い腰をとあげる北見の背中を島は押した。
 
 二人が披露宴の会場に到着すると、大きな拍手が湧く。先程の式で見た顔ばかりだ。アキオ、レイナ、カメラを構えたイシダ、高木や富永、RGOの面々……。二人は彼らからの拍手を浴びながら用意された席に着いた。いつも通り、席は北見が右、島が左だ。
「じゃあ、ここからはあたしが進行しまーす!」
 そう宣言して立ち上がったのはレイナだった。
 彼女の乾杯の挨拶がつつがなく済むと、会場に音楽がかかり始めた。どこかの有線の音楽チャンネルかなにからしく、少し前に流行ったようなポップソングが流れる。
 それを待っていたかのように、徐々に会場はざわめく人々の会話や食器を繰る音に満たされていった。

 テーブルに並ぶ料理は和も洋も、なんなら中まで織り交ぜた、支離滅裂なメニューだ。
 島はスタンダードな洋食のコースがよかったのだが、北見がせっかくなら好きなものを食べたいというので、ここだけは譲歩した形だ。横に座る北見はどうも満足がいっているらしいので、よしとした。
 初めこそ島は北見とのなれそめや、この後自転車屋を一緒にやったりするのか? などというよくある会話をしていたが、ほとんどその筋の知り合いしか呼んでいないこともあって、話題は結局車のことに収束していってしまう。
 視界の隅で数少ない病院の同僚が肩身の狭そうにしているのを申し訳なく思いながらも、島はすぐに話に夢中になっていった。
 
 それから少し経ったころ、ふと二人の耳に聞き覚えのある曲が届いた。
 島と北見は同時に顔を見合わせる。
「お、これ……未来想像図……じゃなかったよナ?(笑)」
「未来予想図、ですよ」
「ああ、それそれ。やっぱりダメだな、年々物覚えが悪くなってよ」
 そう言いながらも、北見はどこか満足そうに見えた。島も、多分今、北見と同じことを考えている。
 予想通りだったとは到底言えないが、二人が今一緒に描いている未来図も、それほど悪いものではなかった。
「はいはい皆さん、注目してくださーい!」
 レイナが再び立ち上がり、手を叩く。
 彼女の前には、白いクリームで美しく飾られたウェディングケーキが置かれていた。なんとなく想像していたものよりずっと小ぶりだったが、こんなものなのだろう。
「どうぞ。愛情の大きさの分だけ掬って、北見さんに食べさせてあげてください」
 そういってレイナが差し出したケーキの脇に置かれていた大きなスプーンを、島は迷いなく手に取った。
「北見さん。ケーキのやつ、やりますよ」
「げ、ホントにやるのか……」
 少し怖気付いたような北見を無視して、島はごっそりとスプーンでケーキを掬う。
「これくらいかな。はい、どうぞ」
「お、お前、それはさすがに多すぎるんじゃないか?」
「でも、愛情の大きさだけ掬え、ということですし……」
 島が口の前に差し出したスプーンを引かないでいると、どこか覚悟を決めたような表情で、北見はそれに相対した。
 できるだけ大きな口を開けて待つことにしたらしい北見の口に、島はスプーンの上に載せたケーキを一息に押し込んだ。
 北見は目を白黒させながら、咀嚼も満足にできないほどめいっぱい口の中に押し込まれた塊を飲み下そうと奮闘している。いままで一度も見た事のない表情に、参列者たちは一斉に笑った。もちろん島も。
 笑いすぎて滲んだ涙を島は手の甲でぬぐった。
 
 
 ■■■
 
 
 長く続いた笑いの余韻を残したまま、島は深いため息を一つついた。
 残ったケーキに刺さった蝋燭は、日の落ちるのに合わせて薄暗くなってきたブラックバードの車内で頼りなく揺れている。
 プラスチックの薄い皿に乗った小さなショートケーキの白いクリームが、溶けかけながらも小さな光源を反射してきらきら光った。
「なんていうか……こういうのにあこがれがあったんですよね。幸せの象徴、って感じで」
 そう言いながら、島は先程からついたままになっていたラジオをかちりと消す。全くの静寂が二人の間に戻ってくる。
「北見さん。僕のわがままに付き合ってもらって、ありがとうございました」
「ん……それ言うなら、オレのほうだろ」
 ようやく口いっぱいのケーキをなんとかしたらしい北見は、静かにそう答えた。
「達也。今なら、まだ帰れるぞ」
「帰れませんヨ。さっき誓いましたから。だから、北見さんだけが、っていうのは、もうナイんです」
 
 それこそ、命をかけて必死に止めてもよかった。恋人である島にはそうする権利があったとも思う。

 「……ほんとに強情だな、お前」
「北見さんだって同じでしょう」
 
 でも彼はもう自分の未来図を決めてしまっていた。島がどうあがこうが、それは北見の決定に何一つ影響を及ぼすことはないだろうと、島は気づいていた。

 「あっさりバレちまったからなあ。あんなにタイミングよく来ることもねーのによ」
「ふふ。北見さんだって分かってますよね。会うべき時に、会えただけです」
 
 だから、島は北見と一緒に死ぬことにした。それだけのことだ。
 
 
「傷、結局そのままになっちゃいましたね」
「そういやそうだったな。まあ今更か」
「ほんとに、僕と、ブラックバードでよかったんですか。アキオと、あのZじゃなくて」
「ダメだったらわざわざこんな面倒なことに付き合うかよ。それに……オレはたぶん、まだ信じたいんだ。あいつらのことを」
 北見は少し言い淀むように間を開けて、言葉を続けた。
「でも、オレはここまでだ。あいつには黙ってたが、Zが本当にあいつに言いたかったのはそれなんじゃねーかと思う。もうオレの役目なんて、何一つ残ってないってな」
 そう言い切った北見は、ずいぶん清々しい顔をしているように島には見えた。
「お前の〝お願い〟聞いてたら、本当に悪魔と取引きするみてーな幕の引き方になっちまったが……まあ、いいだろ。予定よりちょっと早いが、オレと、それからお前たちの残りの人生。全部あいつらにくれてやろうぜ」
「はい。……あなたがそう望むなら」
 島は、北見がこんなままごとに興味などないということを知っていた。それでも、できるだけ未練のないようにと島が恐る恐るその身の丈に合わない夢を吐露したとき、北見は笑って「オレはいっぺんやったことあるからな。お前の好きなようにしていい」と答えたのだ。その受容が、今の島にとっての全てだった。
 
 話している間にまた一段と暗くなった車内で、無言のうちに二人の顔が近づく。その影のような横顔が重なって、しばらくしてから離れた。
 それから、島は鍵を抜いてブラックバードのエンジンを止め、運転席から降りた。用意してあった灯油の容器の蓋を開け、ブラックバードとその周りに満遍なく撒く。
 運転席に戻り、車内でも同じことを繰り返してから、島は北見に声をかけた。
「じゃあ、いきますね」
「おう」
 北見がいつも通りの調子でそう答えたのを聞いて、島は微笑んだ。
 先程ケーキの蝋燭に火をつけたのと同じマッチを擦り、無造作に足元へ放る。
 ほんの小さな火は瞬く間に広がった。
 
 朝。二人は山の中の目立たない場所でブラックバードを降りた。
 それぞれ少し離れた場所で礼服に着替えた。
 少しでも景色のいい場所を探しながら記念写真を撮って周った。 池の側の少し開けた場所で結婚式の真似事をした。
 ブラックバードの狭い車内に戻って、思いつく限りの話をした。
 出来合いの最後の晩餐をついさっきすませたところだった。
 
 残されたケーキを、しっかりと繋がれた二人の指に光る指輪を、現像されないままのフィルムを、二人の白と黒の服を、誰にも送られることのなかった招待状を、島が最後まで手放してやれなかった車とその鍵を、火は何もかもを平等に舐めつくしていく。
 
 そうして、蝋燭より何千倍も明るく、二人と一台は燃えた。
 
 
 ■■■
 
 
 アキオは、公園の橋の上に立ったまま、柵の向こうの海を見ていた。正確には、その海の上に立つ橋、少し前までアキオの全てだった場所を。
 
 数え切れないくらい駆け抜けたあの場所では一度も感じたことのなかった潮風がアキオの髪を揺らす。それは身を切るような冷たさだったが、アキオはずいぶん長い間そこに立っていたので、もうそれほど気にならなかった。
 
 今年の春先だった。
 Zに乗っていたアキオは、街で小さな単独事故を起こした。スピードがそれほど出ていたわけではなく、Zもほとんど無傷だった。アキオは衝撃で首を少し痛めたために、一日ばかり検査入院をしたが、すぐ元の通りに走れるだろうと思っていた。
 しかし、病院から帰ってきたアキオは、もうZの半身ではなくなっていた。そのささやかな、事故とも言えない事故をきっかけに、Zはアキオを降ろしてしまったのだ。永遠に。
 
 アキオは退院したあと、真っ先に北見の所へ行き、そのことを話した。北見は初めそれを一笑に付したが、冗談ではないということがわかると、多分、彼の持てる全ての力をアキオとZのために注いでくれた。
 しかし、誰がどこを触っても、アキオとZの関係は事故の前のようには戻らなかった。
 表面上は何一つ変わっていないのに、Zとの距離は縮まらない。ひどくよそよそしい顔を見せるその車に、全てを賭けて走ることなどアキオには到底できなかった。
 
 アキオは、一度北見にZを返したいと持ちかけた。ろくに乗れもしない自分がずっと抱え込んでいるより、北見のところで新しい乗り手を見つけることをZも望んでいるのではないかと話した。だが北見は頑として頷かなかった。
 Zは今でも、軽くエンジンを慣らす時以外は、アキオのガレージの中で眠っている。
 
 しばらく経ったある日、高田から連絡があった。「北見さんと連絡がとれない。何か知っていることはないか」と。
 それから程なくして、ブラックバードもほとんど同じ時期に勤めていた病院を辞めており、現在の所在がわからないということが判明した。
 それを聞いても、走れなくなったアキオにはどうすることもできなかった。高田の手伝いはまだ続けていたし、Z以外の車に乗って走ることもままあった。それでも、彼らとアキオを結びつけていたのはやはりZで、それを失った今、北見や島とアキオの間には、驚くほど何も残っていなかった。
 
 アキオは今朝、なんとなく北見の自転車屋があった場所までふらりと足を伸ばしてみた。シャッターは閉じ、かかったままだった看板も、いつの間にか降ろされていた。
 それを見た瞬間、北見も島も、走れなくなった自分とZを置いて行ってしまったのだ、ということがアキオにもようやくわかった。
 Zに命を吹き込んだのは、アキオをこんな風に走ることに夢中にさせたのは、彼らだったのに!
 それから今までのことは曖昧にしか覚えていなかった。

 「アキオくん」

  アキオは、不意に自分の名前を呼んだその声にぴくりと肩を揺らしたが、振り向かなかった。
 どうしてここに、と聞くこともしないで、ただ一番誰かに聞きたかったことを聞こうと思った。
「やっぱり、オレが」
「カンケーないよ。アキオくんは」
 アキオの言葉を遮って、声の主……レイナはそう強く言い切った。
「二人ともいい大人なんだし、そんな心配することないって。どっかで元気にやってるよ」
「……そうだよね」
 ことさらに明るいレイナの声は、どちらの耳にもひどくそらぞらしく聞こえた。
 
 カラスが鳴く。ようやく明るくなり始めた海の方に向かって、羽ばたいていく。
 アキオは一度もレイナの方を見ないまま、そのカラスのように、海のずっと向こう、彼から永遠に失われてしまったかもしれない場所を見つめ続けていた。
「アキオくん」
 その祈るような響きを含んだ声に、アキオはようやくレイナの方を振り返った。昇り始めた朝日で白む海に背を向けるようにして。
 レイナの目をアキオはじっと見つめる。レイナは随分長い間アキオの目を見つめてから、一言だけ言葉を紡いだ。
「帰ろう。……もう朝だよ」

 それを聞いたアキオは、寂しそうに、少しだけ笑った。
 

 彼の遥か頭上、東の空に、未だ星は輝いている。

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