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私のポリシーですが。事象や事実は変わらないけど、考察は変えられるので、疑わしきは罰せずの精神で行くことで、悲しむ人を減らせると考えているのです。これ、似たようなことを法医学の某教授が大学の生講義で仰っていました。例えば肝硬変患者の食道静脈瘤破裂で、元々顕著な食道静脈瘤があって、加害者が蹴ったことで静脈圧が上がって破裂し亡くなられたとき。蹴らなきゃ「今」死ななかったかもだけど、その数時間後に破裂した可能性も十分にある。事実は食道静脈瘤があった。蹴られた。破裂した。亡くなった。これを「蹴られたから亡くなった」に注目して殺人にするか、「食道静脈瘤が破裂して亡くなった」として内因子寄りにするか。加害者のご家族などを含め、悲しむ人を増やすだけの方向は好ましくないと考えていると。当時は釈然としませんでいたが、今はわかります。
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法医学の先生はそういう考え方をするのですね ちょっと不思議ですね 法律とは違う考え方ですね😦
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法医学の先生は、としてしまうと主語が大きすぎるかも……あくまでその先生のご意見ですので。でもまあ、個別の症例に関していえば、いつ死んでもおかしくないような、内因死の可能性が高い持病があって、さらにそれが直接の死因になった症例においては、外的要因との因果関係の有無や寄与度がブラックボックス化するのは確かです。例えばつねっただけでも、なんならつねりもしなくても亡くなったかもしれない。あるいは次の排泄でいきんで破裂したかもしれない。自分も学生の時は死が遠くにありましたので、蹴られた人がそのタイミングで亡くなれば殺人じゃん?と思いましたが、今は人の死にたくさん触れますので、感じ方が変化しました。
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その先生のみの話 おっしゃるとおりですね 主語を大きくしてしまいましたただ、法律的には例えば「ビルから自ら飛び降りた人にたまたま外から発射された銃弾があたり、なくなってしまった場合殺人になるのか?」という様な場合、過失致死、もしくは故殺が適用されるという認識があったので、法律に携わっている人としては不思議な考えだなぁと思っただけですなるべく不幸になる人が少なくなる様に、という考え方はアンチテーゼ的だなぁと感じましたわかりやすく返信頂きありがとうございます🙇
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