ようこそ実力至上主義の教室へ 9

〇曖昧なもの



 はしもとまさよしにとって、誰の下につくか、という問題はさいなものだった。

 いや、全く気にしていないと言っても過言ではない。

 さかやなぎがリーダーをしようとかつらがしようと、自分にとって有益である方を利用する。ただそれだけのこと。スタートがAクラスだったことは幸いだが、途中BクラスやCクラスに落ちることも視野に入れている。

 大切なのは最後に逆転できるポジション取り。

 だからこそ、早い段階で台頭してきたりゆうえんかけるに接触し、可能性を感じた。

 坂柳やいちをも倒しうるいつざい。不気味な強さを持った人間だと認識した。必要に応じ、Aクラスの情報を流すことも躊躇ためらわなかった。無論、あくまでも坂柳の傘下としてのちようほう活動。しかし、龍園が他者を上回ることがあれば、坂柳を裏切ることも辞さない。

 同じようにBクラスの一之瀬にも目星を付けた。ただ一之瀬の場合は龍園や坂柳と違い裏工作の通じない相手。橋本は無理せず、外堀から埋めることを選択した。一之瀬を裏切らせるまでは行かないものの、彼女に近いBクラスのある生徒ともつながりを持っている。

 これが入学して、橋本がすぐに構築した各クラスとの関係だった。

 不測の事態に備えての保険は多いに越したことはない。

 そして、今日もその『不測の事態』に備えての下準備をしようとしていた。

「あ、あの橋本くん。ちょっといいかな?」

 放課後の廊下。橋本の下に、クラスメイトのもとという女子が声をかけてきた。橋本と同じテニス部に所属している。橋本が教室を出たのを機に追いかけてきたようだ。どこか浮ついた様子で、落ち着きがない。

 用件を聞かずとも、橋本は状況をすぐに理解する。

 今日は2月14日。こんな光景を既に数回経験していた。

 ただし、理解したと顔には出さない。当然言葉にもしない。

「どうした元土肥。何か用か?」

 そう優しく問いかけると、意を決したように元土肥が切り出す。

「これ、チョコレート。今日バレンタインだから、さ」

 そう言って差し出されたチョコを、橋本はすぐに受け取った。

「ありがとな元土肥。うれしいぜ」

「よ、よかった」

 橋本は以前から、元土肥が自分に対し異性としての好意、その視線を向けていたことに気がついていた。十中八九、本命のチョコレートだろう。告白すれば成功する自信はあったが、元土肥に対して抱く感情は何一つない。良くも悪くも利用する価値のない人間としか認識していないからだ。付き合うメリットも0と判断する。

「たまには部にも顔を出してよ」

「悪いな、最近サボってばっかりで」

「ホントだよ。先輩、あきれてたんだから」

「覚えとく。とりあえず来月、ちゃんとお礼させてくれ」

「う、うんっ」

 もとは顔を赤らめうなずくと、気恥ずかしさから逃げるように走り去っていった。

 付き合う可能性は皆無。それでもはしもとは、関係の糸口を残しておく。

 もしかしたら今後、何かが変わるかも知れないからだ。

 橋本は遅れを取り戻すため、やや早歩きで1年Cクラスへと向かう。

 今、元土肥などよりもよっぽど注目している人物が一人いるところだ。

 Cクラスの男子生徒、あやの小路こうじきよたか

「何でこんなに、気になるンだろうなぁ」

 橋本自身、不思議に思っている部分はある。

 合宿までは完全にノーマークで、何となく顔を知っている程度だった。体育祭の時に元生徒会長と壮絶なリレーを繰り広げたことは記憶していたが、それだけ。足の速さくらいで評価が大きく変わることはないと思っていた。何より強いアンテナを張っているさかやなぎりゆうえんが、綾小路に対して特別な視線を向けていなかったからだ。

 だがここに来て、その綾小路への考えを改める出来事が起こった。

 生徒会長ぐもみやびによる奇妙な発言。ほりきたまなぶが誰よりも買っている男だ、という謎のセリフ。ただの冗談で片付けようとしたが、それが出来なかった。

 今にして思えばそのちようこうはあった。元生徒会長と綾小路が直接対決をしたのか。

 あれは単なる偶然ではなかったのではないか。

 何か意図があって、あのような形で演じざるを得なかったのだとしたら。

 そんな疑念がうずくようになった。

 それに龍園がいしざきたちに抑え込まれた一件も、まだに落ちていない。現Cクラスもまた春の時点では圧倒的に最下位だったが、着実に上位クラスと差を縮め始めた。

 もしこれら一連の出来事に、綾小路が絡んでいるのだとしたら……。

「坂柳や龍園をりようする、ってこともあるのか……?」

 現時点では、とてもそんな風には思えない。

 それも当然のこと。今のままでは単なる疑念止まり。行き過ぎた妄想。決定的な何かが足りない。南雲のセリフは現実味のない冗談に過ぎないし、体育祭で行われたリレーのくだりそのものも、勝手な橋本の想像。

 だからこそ事実を確かめるための行動。

 坂柳に指示され、いちに関するうわさをばらきつつ、ここ最近は空いた時間を見つけては綾小路の後を付け回し、探りを入れている。

 Cクラスに辿たどいたが、既に綾小路の姿は無かった。

「いつも無駄がないんだよな、あやの小路こうじは」

 交友関係が狭いためか、放課後教室に居残ることは少ない。

 今日も三宅みやけゆきむらたちの仲良しグループと一緒なのか? そう思ったが、教室に幸村とくらが残っているのを確認し、その可能性をいったん消去する。

「ようひら

 下手に他クラスを観察していると目立つ。

 まだ部活に向かっていなかった平田に、はしもとはすぐに声をかけた。

「やあ橋本くん。どうしたんだい?」

「新しい彼女が出来たのか、確認に来たのさ」

「そんな、今は彼女を作るなんてことは考えていないよ」

「傷心をいやしてる最中、ってことか?」

「はは……そんなところだね」

「また今度、その辺の話聞かせてもらうぜ。ところで、合宿で一緒だった連中の連絡先を聞いて回ってるとこなんだ。次は綾小路、と思ったんだがもう帰ったみたいだな」

「会わなかった? ほんの1、2分前に出て行ったと思うけど……」

 わずかな遅れ。すぐに追いつけると判断し、平田へと礼を告げすぐに玄関へと向かった。

 もうすぐ学年末試験。橋本としても毎日尾行だけを繰り返すわけにはいかない。白か黒か決着をつけて、早いうちに頭を切り替え試験のために万全の態勢を整えたい。

「そろそろここらで何かつかませてもらいたいところだ」

 何かしらのチャンスがあれば仕掛ける。そのつもりで追いかける。

 運の良いことに、綾小路は玄関先で携帯をいじっていた。誰かと待ち合わせでもしているのか、単なる暇つぶしか。どちらにせよ橋本としては幸運続きの展開だった。

 綾小路は、ひんぱんに携帯を触っては誰かと連絡を取り合っている。それが三宅たちだけなのか、それとも橋本の知らない人間とつながっているのか、それは分からない。

 ひとつ確かなことは、尾行そのものは非常に楽な相手だということ。

 これまで、橋本は何人かの生徒を尾行した。かつらりゆうえんかんざき、時にはいちも。その誰もが簡単に尾行できたわけじゃない。2日に一度後を追えれば上出来。ツイてない時には1週間近く情報を得られなかったこともある。

 ところが綾小路は毎日が単調な行動かつ、極端に交友関係が狭い。

 そのため、先回りすることも容易だった。何より警戒心というものが全くない。

 背後に気を使ったり、鋭い感覚、偶然の嗅覚を発揮させることも皆無。

 それでも橋本は油断しておごることはしない。

 念には念を入れ、十分に距離を取りながら綾小路の後を追う。

 その橋本のところへクラスメイトのみずなおから電話がかかってくる。

「もしもし。どうした直樹」

「いや……実は今朝のことなんだが……マジ参ったぜ」

「ああ。気にしない方がいいぜ? クラスの中にもおしやべりが多いってことだ」

 はしもとの所属するAクラスでは、朝ちょっとした問題が起きた。みず西にしかわという女子に告白し玉砕したことがクラスの女子連中に知れ渡っていた。大方西川が、友人にポロッと告白の話をして広まったんだろう。往々にしてあることだ。

「いちいち気にしてたら、誰にも告白できなくなるぜ?」

「そ、そうだけどよ……マジ許せねえよ西川のヤツ」

「愚痴に付き合ってやりたいのは山々なんだが、今ちょっと取り込み中だ」

「そうか、悪い」

 また夜に掛け直す、そう約束して橋本は電話を切った。

「確実に成功する条件が整わずに、告白なんてするからさ」

 後でなぐさめることを決め、寮へと戻っていくあやの小路こうじの後を追った。

「このままぐ帰るなら、今日も何もなし、か」

 綾小路を尾行していてつらい点があるとすれば、変化に乏しいことだろう。

 ところがエレベーターは綾小路の部屋がある4階を過ぎた。そのまま上昇していく。しばらくモニターの様子をうかがっていると、女子の住まうフロアで、一人降りていった。

「確か……いちのいる階か」

 単なる偶然で、別の女子と会うことも考えられる。

 だが、この時期だと嫌でも一之瀬絡みを連想してしまう。

「つってもな、一之瀬だとしても単なる見舞いって可能性もあるか……」

 いくら交友関係の狭い綾小路とはいえ、一之瀬は学年でも人気の高い生徒だ。

 綾小路と友達であっても驚くことじゃない。まして相手が可愛かわいいなら、何かしらを期待して見舞いに行く生徒がいてもおかしくはない。

 ところがすぐにエレベーター内に綾小路が戻ってくる。そしてそのままエレベーターは綾小路の部屋がある4階で止まり、降りて行った。

「なんだ……?」

 理解に苦しむ行動。一之瀬の階からBクラスの女子たちが乗り込んで来る姿が映し出される。綾小路より先に見舞いに訪れていたところに鉢合わせして引き返した、という推理を立てた橋本。

 念のためエレベーターですぐに4階に向かうが、既に綾小路の姿は無かった。

 部屋に戻ったとみて、ほぼ間違いないだろう。

「結局今日も何もなし、か」

 引き上げるか思案した橋本は、ロビーでしばらく様子を窺うことに決める。

 まだ時間も早い。この後一之瀬に接触したり、あるいは別の人間と約束をして出かける可能性も十分にあると踏んだからだ。上に行くにしろ下に行くにしろエレベーターに乗り込めばモニターで確認することが出来る。

 そんな橋本の念のための一手は、約1時間後に実ることとなった。

 エレベーターに乗り込んだあやの小路こうじが下の階へと移動を始めた。

 まだ私服には着替えていない様子。

「もう一度学校か?」

 わざわざ帰宅した後、そのような行動に出るのは不可解だ。

 仮に手近なコンビニに行くのに着替えるのが手間だった、ということであれば説明もつくが、手には学生かばんを持っていた。

 すぐにソファーから立ち上がり、非常階段の方へと身を潜めにいく。

「面白い展開を期待したいところだ」

 そんなはしもとの願いが通じたかのように、綾小路はロビーを出て人気のない方へと歩き出す。これで少なくとも学校やコンビニという線は消えた。なら、誰かとの待ち合わせ? いや、単に友人と待ち合わせるには不向きな場所への移動。

 こうなると、何をするのか、誰と会うのか、という部分に否でも期待する。

 待ち合わせであることは確定的。

 ほりきた元生徒会長、あるいはりゆうえん辺りが出てくれば熱い。

 そんな思惑は、思わぬ形で裏切られることになる。

「おいおいマジか……」

 綾小路が待ち合わせしていた場所に現れたのは、1年Cクラスのかるざわけい

 ここ最近ひらと別れたことで、Aクラスでも少し話題になった女子だ。橋本とはこれまで接点は皆無だったが、意外な存在の登場に驚きを隠せない。

 押し寄せてくる脱力感。裏切られた期待。

 橋本の追う綾小路の『裏』とは関係などない、単なる恋愛ごと。頭が自動的にそう切り替えようとしたが、どうにも二人の関係は友人の枠を超えている気がした。

 平田と軽井沢のデートは何度か目撃したことがあったが、その時には感じなかった『恋人らしさ』や『親密度』の濃さが見て取れたからだ。

「……分からないな。なんで綾小路なのか」

 そもそもどちらが好意を寄せているのか。あるいは両方なのか。推理を巡らせるも、答えが出ない。そもそも恋愛に正解はない。客観的に平田と綾小路を比べれば、八割の女子は平田を選びそうなものだが、残り2割が綾小路を選んでもおかしなことじゃない。

 100人いれば、最低でも20人は綾小路を選ぶということ。

 ということは……。

「綾小路がこまめに連絡を取っていた相手は、軽井沢……?」

 しかしすぐに考えをシフトする。現状は橋本の中での勝手な決め付け、想像でしかない。もっと探らなくては答えは出ない。しかし人気のない場所だけに、不用意に近づくわけにも行かないため会話の内容までは聞くことが出来ない。

「どうするかね……」

 結論を出せないでいた橋本だったが……。

 2人の状況が一気に動く。

「チョコレート、か?」

 かるざわは手にしていたモノをあやの小路こうじに手渡す。2月14日、人目を盗んで手渡すモノといえば、もはや中身を見なくても想像はつく。

 こうなると、少なくとも軽井沢は綾小路に対して好意を向けていることになる。

「まぁ、何にせよ今日は終わりか」

 知りたかった情報とは無縁だった。

 そう結論付け引き返そうとしたところで、はしもとは動きを止める。

「この際だ……ちょっと仕掛けてみるか」

 学年末試験まで残り少ないことを踏まえれば、これはチャンスとも言える。

 無関係の軽井沢を強引に巻き込むことでさぶりをかける。そこで綾小路がボロを出せばチャンス。逆に何も出てこなければ白と扱えるかも知れない。

 そう橋本は判断し、綾小路たちに向け歩みを速めた。


    1


 背後から近づいて来た気配……その足取りは速い。オレたちが近距離で接しているのを見逃すまいとした動きであることは明らかだった。

「よう軽井沢。それに綾小路も」

 ここまで、ロビーから息を潜め後をつけてきていた橋本だった。

「……えっと、誰?」

 けいの方は橋本のことを知らないのか、オレに確認してくる。

「Aクラスの橋本だ。この間合宿で一緒だったんだ」

 橋本は、オレへの挨拶もそこそこに恵へと近づいてきた。

「こんなところで男と女が密会なんて、隅に置けないな綾小路」

 いずれ接触してくることは分かってたが、このタイミングになったか。

 それなら、こっちもその仕掛けを利用させてもらうとしよう。

「別に何かしてたってわけじゃ───」

「隠すなよ。今日はバレンタイン、恋人同士じゃない二人が密会してても不思議はないさ。実際もらってたみたいだしな」

 こちらが受け取り、すぐにかばんったチョコレートも目撃している。

「チョコを貰ったのも偶然だ。意図的に会ってたわけじゃない」

 そう否定するも、橋本は鼻で笑いその言い訳を看破する。

「いやいや、最初からチョコを貰えるって分かってたんじゃないのか? その鞄」

「鞄?」

「一度寮の部屋に戻ったのに、わざわざ学校の鞄なんて持って出かけないだろ」

「……いや、そもそもオレは図書館に行こうと思ってたんだ。ただその前に、かるざわから呼び出しを受けてついでに応じた、って流れだ」

「つまり……たまたまだと?」

 オレははしもとに対しうなずいてみせ、学生かばんから2冊の本を取り出して見せた。

「まぁ、どっちにしろ同じことだ。軽井沢からチョコをもらったんだからな」

 橋本にしてみれば、オレから接触したものではなかったにしろ軽井沢からチョコを貰ったという事実が重要だと言う。

「よく分からないんだが……何か問題なのか?」

あやの小路こうじのどこにかれたのか、単純に興味ってヤツさ。軽井沢の元彼は、学校内でも屈指の人気を誇るひらだぜ? その平田を振ってまで、綾小路を選んだってことだろ?」

 つまり、その過程に至ったのか、その部分に興味があるということだ。

 一通りの流れを黙って聞いていたけいが口を開く。

「あーごめん。あんさ、それ勘違いなんだけど」

「勘違い?」

「そ。このチョコ、元々平田くんにあげるつもりだったわけ。でも、なんか捨てるのももつたいいし、誰かにあげようと思って、それで適当に綾小路くんを選んだわけ」

「あんな親しげにチョコを渡すのが、適当? 悪いがそうは見えなかったな。しかもこんな場所だぜ? うそをつくにしちゃ、ちょっと弱いな」

 そう言って笑う橋本だったが、その様子に恵が露骨に怒りを見せた。

「はあ? あんたいきなり現れてペラペラ話して、一体なんなわけ?」

 きゆうきよ威圧する目を向けた恵。

「俺はただ本当のことが知りたいだけさ」

 ちょっと気押された橋本。

 とは言え不自然な部分を隠しきれないのは事実。

 そこでオレは方向性をシフトする。

 恵がそれにく合わせられるかは腕の見せどころだろう。

「もう、正直に話した方がいいんじゃないか軽井沢。ここで隠す方が、後で面倒なことになると思う。オレたちが付き合ってると『あいつ』に思われるほうが困るだろ?」

 そう言ってバトンを投げる。

 恵は迷わず、あからさまなため息を一度ついた。

「あぁもう。言っとくけどこの話は絶対に広めないでよ?」

 そう言って、橋本に指を突き立てる。

「チョコは、綾小路くんにたくしただけ。あたしの本命に渡して貰うためにね」

「つまり───綾小路は仲介役だと?」

「そういうこと。分かった?」

 どうにも信じられない、そんな仕草を見せる橋本。

「ならそのチョコ、誰に渡すんだ?」

 はしもとの追及は続く。

「は? 初対面の人間に教えるわけないでしょ。バッカじゃない?」

 あおるようなけいだが、その部分にはうそくささはない。

 作り上げてきたギャル、かるざわ恵の姿がそこにあった。

「それは───まぁ、そうだな」

 やや驚いた様子で確認する橋本だったが、すまなそうに頭を下げた。

「頭下げて終わる問題じゃないし。マジ勘弁してって感じ」

「……そうか。どうやら俺の勘違いだったみたいだな、悪い。互いに好きなんじゃないかと思って、つい勘ぐってしまったんだ」

「そもそも、無関係なくせに何首突っ込んできてるわけ?」

「その点に関しちゃ、無関係ってわけじゃないんだよな」

「はあ?」

 怒る恵に対して橋本は足を向けた。

 そして壁に押しやるようにして、恵を腕の中に囲う。

「ちょ、何よ」

「前から良いと思ってたんだ、俺と付き合ってくれよ軽井沢。新しい本命が誰か知らないが、まだチョコを渡してないならおもいを伝えてないってことだ。そうだろ?」

 今からでも遅くない、と強引なアピールをする。

「何言ってるわけ……こんな状況であたしがオッケーするとでも?」

「恋愛はどうなるか分からないから面白いんだぜ?」

 そう言って、鋭い視線が一瞬オレをく。

 恵に強く接することで、何かしらの感情をオレから引き出そうとしたのかもしれない。

「じゃあ、オレは行くから」

「は? ちょ、あたしだって帰るし」

 強引に橋本の胸を突き飛ばし、恵は距離を取った。

「つれないねえ」

 苦笑いを浮かべた橋本だったが、流石さすがにこれ以上強引な手は使わないらしい。

 というよりも、もはや恵からは興味を失ったように思えた。

 状況が状況だけに、恵はあきれたため息をわざとらしくついて帰っていった。

「悪かったな。妙なところで乱入して」

「いや別に」

 寮と学校の分岐点まで、橋本と共に歩き出す。

「にしても、お前も恋愛面じゃ色々苦労するんじゃないのか?」

「と言うと?」

「あんだけデカイと、経験の浅い女じゃ受け止めきれないんじゃないかって話さ」

 からかうように笑いオレの肩に手を回し耳元でささやいた。

 またその手の話か……。

あきれるなって。おまえのこと、かなりの人数が一目置いてる状況だぜ」

 全くうれしくない。

 むしろ、その原因となった合宿がどんどん嫌いになりそうだった。

「てことでキング。俺と連絡先交換してくれよ」

「その突然のあだ名を二度と使わないなら、交換してもいい」

「はははは。言わない言わない」

 謝りながら携帯を出してきたはしもとと、連絡先を交換することにした。

「それじゃ、俺も今日のところは帰ることにするか。じゃあなあやの小路こうじ

 嵐のようにやって来て、去っていく橋本。

 これで収穫十分と思ったのか、深追いは禁物と感じたのか。

 どちらにせよ、橋本の中でオレの存在はグレーとして残り続けるだろう。

 このままであれば。

 オレは図書館に立ち寄り、待機しているであろうひよりに会っていくことを決めた。

 そしてもう一人、学校で会う約束をしている人物に会わなければならない。


    2


 予定よりも帰宅が遅くなってしまったことで、グループに合流できなかった。

 7時前に寮の部屋に戻ってくると、扉の前に紙袋が置かれてあった。

 中を覗くと、二つの包装違いの箱が入っていた。一つは四角、一つは丸。手書きでそれぞれ名前が書かれてあった。あいからのバレンタインチョコだ。

 既にチャットにはその旨の記載があり、あきけいせいも同じものをもらっている。

 部屋に戻り、机の上にチョコレートを並べる。

「まさか五つも貰うことになるとは……」

 けい、愛里、波瑠加、ひより。そしてもう一つ。

 ピンク色の可愛かわいらしい包装用リボンがついたチョコレート箱。

 夜の10時を過ぎたところで、オレはフードつきの私服を着て廊下に出た。

 そしてエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーター内に設置されたカメラからは、オレの顔をとらえることは出来ない。

 万が一、問題になっても回避できるようにだ。本来なら別の場所で接触するのが理想的だったが、体調不良で休んでいるならやむを得ない。

 既に寝ていてもおかしくない時間帯だったが、ほりきたから教えてもらったいちの連絡先からチャットを飛ばし、まだ寝ていないことを確認しての行動だ。

 ただし部屋に行くとは伝えていない。

 オレはいちの階へ行き、ドアの前に立つ。チャイムを鳴らす。10秒、20秒。

 中からは音が聞こえてこない。もう一度チャイムを押す。

 夜中の訪問に、当然一之瀬は困惑するだろう。

 30秒を過ぎたところで、オレは声を発した。

「オレだ一之瀬。あやの小路こうじだ」

 門限を過ぎた時刻に、オレがこのフロアに居続けることは問題となる。

 そのことは一之瀬も理解しているだろう。

 不用意に相手を危険な目にさらすことを、彼女は選択しない。

「……綾小路、くん。どうしたの?」

 扉越しに聞こえてくる一之瀬の声。声を聞く限りでは弱々しい。

「ごほ、ごほっ」

 直後室内からのせき。これが本当の体調不良かどうかを音だけで見極めるのは難しい。

「少し大事な話がある。直接お邪魔したいんだが、ダメか?」

「ううん……っと……」

「正直、今女子に見られると面倒なことになりそうなんだ」

 やや強引に話を押し進める。

「ちょっと待って、ね」

 そう言うと、程なくして室内の鍵を開ける音が聞こえてきた。

 扉を開けた一之瀬は、信じられないほどダウナーなテンションで姿を見せた。

「にゃは、ちょっと強引だねぇ、綾小路くん……」

 マスクをして明らかに体調が悪そうだ。

 どうやら仮病を使っている、というワケでもない。

「悪いな。確かに強引な形になった。体調、悪そうだな」

「うん……。ちょっと、やらかしちゃって……」

「悪いなそんな時に訪ねて」

「いいよ、いいよ。熱はもうほとんど下がってるし。どっちかって言うと、寝すぎと空腹で参ってる感じ? あ、それとごめんだけどマスクしてもらえるかな?」

 風邪を移すわけにはいかないと、一之瀬がマスクを差し出してきた。

 オレはめんえきりよくは高い方だが、それでも絶対はない。無闇に断って風邪を引いたら、後で一之瀬が強く後悔するだろう。ここは迷わず同意して、装着しておく。

「それで、病院には?」

「平日のうちには行ったよ」

 一之瀬はまんえんしたうわさが原因で、仮病を使って休んだ。

 そう多くの生徒は思っていたようだが、どうやらそうじゃなかったらしい。

 純粋に体調を崩したのは間違い無さそうだ。

うわさのせいで休んでるんじゃないかって、心配してくれたんだよね。ありがとう」

「いや……」

 こちらの考えは見透かされていたか。

「病気中に、こうして顔を合わせたのはあやの小路こうじくんが初めてだよ」

「そう、なのか」

「熱がひどい時にお見舞いに来たがった子たちには、申し訳ないけどキツかったから断りを入れたの。それ以来、他の友達も私が落ち込んでると思って、遠慮したみたいだね」

 遅めの連絡をしたオレだけが、皮肉にも初めての面会人になったわけか。

 実際に体調不良で休んでいたいちだが、これまでの彼女の傾向を考えれば、体調管理にも気を配るタイプであることは深く考えるまでもない。まして学年末試験が近いこのタイミングでの病気は、本来なら避けたいところ。心のダメージ、めんえきりよくの低下による風邪とみて間違いないだろう。

「私、あの噂くらいで休む気はないからさ」

 本人に限っては、その部分を認めることはなかったが。

「強いんだな」

「強いって言うか……あ、ごめん。玄関閉めてもらった方がいいね。一応さっき換気はしたんだけど寒くって……。帰った後ちゃんと手洗いとうがいはしてね」

「ああ」

 室内では、かんそうを防ぐために加湿器が作動していた。風邪のウイルスは、低温乾燥の環境下で空気中に漂う量が増える。そのため、湿度を上げてウイルスを地面へと落としやすい環境作りをすることが先決だ。ここをあなどると、風邪が長引いたり、あるいは訪ねてきた見舞い客にまで風邪を移してしまう可能性がぐっと上がる。冬場は乾燥しやすいため風邪が長引くことになるのは、こうしたことが主な原因でもある。

 しかし、最近部屋に女の子が上がったり、女の子の部屋に上がることが多いが、それが何一つ恋愛に関係していないというのも不思議なものだ。

「どうしたの……?」

 加湿器を見ていたオレを、不思議そうに見てくる一之瀬。

「休んでる時に悪いな」

「ううん、いいのいいの。本当は顔を合わせないほうが安全なんだけどさ、一応本当に風邪を引いてたってところを知っておいてもらったほうがいいかなって」

 仮病を使って休んだんじゃないのか。

 そんなおくそくが広がっていることは、一之瀬も十分承知の上だろう。

 証明するかのように、携帯を見せてきた。

 何度かほりきたとやり取りしたような形跡がある。

 あいつなりに心配し続けているということだ。

 長く話し込むことはせず、オレは頃合いを見計らいすぐに退室することにした。


    3


 仮テスト当日がやって来た。

 全クラス、それぞれテストに向けて集中していなければならない朝。

 教室は勉強一色、ではなく話し込む生徒であふれていた。かといって、単語や予習の声が聞こえてくるわけじゃない。全く関係ない話題ばかり。

ずいぶんと騒がしいな」

「当然でしょう? 今朝、とんでもないうわさが聞こえて来たのだから」

「とんでもない噂? いちに関する続報か?」

「いいえ。私たちCクラスの内部を混乱させるための、新たな噂よ」

「新たな噂……ね」

 浮き足立った教室を見れば、それがただ事じゃないのは明らかだった。

「ちなみにあなたも無関係じゃないわ、あやの小路こうじくん」

 そう言って、ほりきたは携帯の画面をオレへと向けてきた。

 そこには4つの噂がメモ帳に書かれていた。

「これはまた───」


 ・綾小路きよたかかるざわけいに好意を寄せている

 ・ほんどうりようろうは肥満の女子にしか興味がない

 ・しのはらさつきは中学時代に売春をしていた

 ・とうでらかやを嫌っている


 噂の内容、その傾向は似ていたがオレを含め4人の名前が槍玉に挙がっていた。

「これどこから流れてきた情報なんだ?」

「学校が用意していた、各クラスの掲示板の存在は知っているかしら」

「確かアプリの中にあるやつ、だよな」

 残高照会をするときなど、学校の製作したアプリからログインすることになっているが、生徒たちが自由に利用できる掲示板がある。ただし携帯には様々な使いやすいチャットアプリがあるため、99%利用されていない代物だ。

「よく気がついたな。最初の発見者は?」

「私が教室に来た時には、既に広まっていたわ。この中の誰かがアプリ内で偶然見つけたんじゃないかしら。掲示板は更新されると分かるようになっているし」

 掲示板はクラス用だけじゃなく、雑談のためだけの掲示板も沢山ある。誰でもアクセス出来るため、この噂は他クラスに見られている可能性も十分にある。

「前回までと手口が違うのが気にならないか?」

「同一犯だろうと別人であろうと、広め方なんて無数にあるもの。手口の違いを考えても仕方ないんじゃない? こうして書き込まれた以上、隠し通せるものじゃないし」

 ところで、とほりきたが前置きする。

「念のために聞くけれど、事実?」

「事実じゃない」

 すぐに否定する。

「そもそもオレとかるざわとがそれなりに話す関係だと知ってる人物は少ない」

「思い当たる節は?」

「無いわけじゃない」

 オレは昨日、はしもとと会った時のことをつまんで説明する。

いちさんのうわさを広めたのが橋本くんである可能性が高いなら、あなたと軽井沢さんのことを広めても何の不思議もないわね」

「けど、他の連中はどうかな。確かめる方法は限られている」

「そうね……」

 直接、この噂の真相を確かめられる生徒なんて───。

「おいしのはら、おまえ売春とかしてたのか!?」

 空気を読めないやまうちが、笑いながらそんなことを叫んだ。

「し、してないわよ!」

 慌てて立ち上がり、全力で否定する篠原。その顔には恥ずかしさと怒りが見て取れた。

「じゃあその証拠見せてくれよ」

「証拠って……どうやって証明しろってのよ!」

 噂を面白がる者が、新しく教室にやって来る生徒たちに広めていく。

 まあ、遅かれ早かれではあるが。

「あなたがうそだと言うなら、ここに書いてあることは全て嘘、デマカセということ?」

 山内と篠原のやり取りを見ながら、そう確認してくる。

「どうかな……山内のように名指しされた生徒一人一人に確かめるしかないだろうな」

 だが、隠したい傷口をえぐるようなはまず常人には出来ない。

「バッカじゃないの! 誰が書いたかも分からない噂に流されるなんて!」

 篠原が怒りを山内に向けながら否定するのも無理はない。

 こんなことを書かれて平静でいられる方が驚きだ。

「けどよ~。なんかここに書かれてあることって、真実っぽくね?」

「おまえ、やめろよはるっ」

 ようしやない山内の追及に、そばに来たいけが肩をつかみ強引に止める。

「な、なんだよ。いつも偉そうにしてる篠原に仕返しするチャンスじゃん」

「仕返しって……こんなの嘘に決まってんだろ!」

「わかんねーぜ? ああいうややブス女が、意外と悪いことしてんだって」

 いけの気持ちを考えようともせず、ヘラヘラとそう語るやまうち

「あぁそっか。池おまえ、しのはらのこと結構好きだもんな。認めたく───」

はる!」

 池が山内の胸倉をつかむ。

「やめろっておまえら」

 その状況を見かねたどうが、力任せに二人をがした。その直後、教室にやって来たひらがすぐに空気を察知し近づいてきた。女子から事情を聞きうわさを確認する。

 否定するばかりの篠原から、山内は一度ターゲットを変更する。

「じゃあほんどう~おまえ、デブ専ってマジなん?」

 山内の矛先が本堂へと向いた。

「ち、ちげえ! ちげえし! うそっぱちだぜこんな噂! なああやの小路こうじ、おまえだってかるざわが好きなんてありえないよな!」

 当然本堂も噂を否定する。そして逃げるようにオレへと助けを求めてきた。

 一気に視線が集中する。ただ幸いにもけいグループはまだほとんど登校していなかった。

 うなずいて見せると、ほらな?と、本堂が叫びながら山内に返す。

「ちぇ、なんだよ全部嘘かよ」

 三つの噂を三人ともが否定したことで、やや落ち着きを見せようかという時。

「けどさ……とうさんって、でらさんのことあんまり好きじゃないよね?」

 まえぞのがそんなことをポツリと漏らした。まだ小野寺がいなかったからこそ、思わず口から出た言葉だったかもしれない。

「ちょ、や、やめてよ前園さん!」

 佐藤は慌てて前園の発言を止めようとするが、既に遅い。

「そういや佐藤って小野寺と遊んだりするところ見ないよなぁ?」

「そ───それは───」

 噂は嘘、それでは片付けられないかも知れない状況に一変しつつあった。

 そんな中、須藤は池と山内が離れたことを確認して、ほりきたとオレを見て歩いてきた。

「綾小路。おまえ本当に軽井沢が好きじゃないのか?」

 須藤からもそんなことを聞かれる。

「いや、違う」

「ふぅん。俺としちゃ、真実でも別にいいんだけどよ。すず

「何、須藤くん」

「いや、さっきちょっとおまえらの話が聞こえて来てよ。俺でよかったら協力するぜ」

「と言うと?」

「俺は無神経だからよ。春樹みたいにズバズバ聞いて回ってもいいんだぜ?」

 そう申し出てきた。

 今回の件、話の起点という意味では須藤は武器として使えるかも知れないが……。

 というか聞こえていたのなら、オレがけいのことを否定したのも聞いていたはずだが。

「自分から他人の評価を下げる行動をしないことね。あなたの場合、周囲からの評価は高くない。今は少しでも高くなるように努める時期なの。やまうちくんは不用意な発言でクラス内での地位を大きく下げてしまったようだし……」

 元々クラス内で一番ヘイトの高かったどうを、一気に抜き去った感はあるな。

 何より一番仲良くしていたいけが、その山内に対して怒りをぶつけた。

「そうかも知れないけどよ……役に立ちたいんだ」

 一瞬須藤はオレを見たが、すぐに視線をらした。ほりきたがオレに色々と相談しているであろうことは、何となく察してるだろうからな。もちろん、単に席が隣同士で話しやすい関係だから、であることは分かっているだろうが。

「それならあなたは、山内くんが暴走しないように見張っておいて。良いうわさがひとつでもあったなら話は違ったけれど、今回はどれも個人的に真実であればやつかいな噂ばかり。ほんどうくんも、精神的に傷ついているはずだからケアをお願いしたいの。出来るわね?」

「……そうだな」

 少し残念そうな須藤だったが、素直に指示に従った。

 須藤が離れたのを確認して堀北が逸れた話を戻す。

「恐らくこれも、さかやなぎさんの一手、ということなんでしょうね。いちさんだけじゃ飽き足らず、私たちCクラスにも同じ手を仕掛けてきた。それも複数人同時に。学年末試験に対するさぶりと思うけれど……どうする?」

「どうするも何も、この噂に立ち向かう方法があると? こっちが全面的に否定すればするほど周囲は真実なんじゃないかと想像をてる。かといって認めれば認めたでそうなんだとささやかれ続ける。オレの噂はまだ平気な部類だが、生徒によっちゃうそを真実と認知されるダメージはかなり大きい」

「……そうね。そうかも知れないわね」

 自分自身に置き換えたのだろうか、堀北も本堂やしのはらを見ながら納得したようにうなずく。

「でも、ある意味反則技ね。こんなものに抵抗のしようなんてあるの?」

「どうだろうな」

「自分に火の粉がかかってきたというのに、あくまでも静観し続けるつもり?」

「火の粉ってほどじゃない。まぁかるざわにして見れば間違いなく火の粉だろうけどな」

「つまり平気だと?」

「ああ平気だ」

 何となく、オレが慌てふためく姿が見たかったのかも知れない。

 少し残念そうな珍しい堀北の表情を見ることが出来た。

「それにしても、幸いなのは逆だったことくらいね」

 逆。もしも逆だったなら。恵がオレを好きだという噂だったら、ということだ。ひらと別れた直後、別の男を好きだという噂が流される。となれば様々なおくそくが飛び交う。

 たとえ事実ではなくても、誰かが事実だと認定する。きよもまた真実。

「でも───いつまでもあなたのように静観は出来ないわ」

「そうだな」

 放っておいても、これだけの騒ぎになれば燃え広がっていくのは明らかだ。

 やまうちは再びしのはらとうに話を振ろうとしていたが、それをひらが止める。

「山内くん。掲示板に書かれてあったからと言って真実とは限らない。仲間同士で傷つけあうのは、少なくとも間違ってるんじゃないかな」

「けどいちうわさみたく、もう全員知ってるんじゃねーの? だったら俺たちが黙ってたって一緒じゃん?」

「そうとは言い切れない。少なくとも現状じゃ分からないよ。だからこそ、今出来ることはこんな掲示板に惑わされることなく、行動することだと思う」

 平田の声で、男女からそうだと同意の声が強く上がる。もちろんそれで万事解決とは行かないだろうが、少なくとも簡易なふたをすることには成功した。

 そんなほりきたの携帯に一通のメッセージが届いた。

かんざきくんからよ」

 そう言って、メッセージに目を通した堀北。

「どうやら、今日も一之瀬さんは休みを取っているみたい」

 仮テスト当日。ちょっとした体調不良だったとしても、自らの実力チェックをねて受けておきたいところ。まして一之瀬はクラスのリーダー。仲間たちをけんいんする役目を担っている。ま、昨日の様子じゃ完治していなくても無理はないか。

「それともう一つ……Bクラスの掲示板にも噂が書き込まれていたそうよ」

「ということは、向こうはこっちの書き込みにも気づいたってことだな」

「そうみたいね」

 堀北が急ぎアプリにログインし、Bクラスの掲示板を確認する。するとそこにも4人の名前とCクラスと似たような噂が書き込まれていた。Dクラスの掲示板も同様だった。

「ご丁寧に、Aクラスの噂だけが書かれていないわね。放課後時間をもらえない? 彼女についても詳しく知っておきたいし、この掲示板に対する対応も話し合いたいの」

「そうだな」

 オレは堀北に同意しておいた。

「ひとまず、今は仮テストに集中しましょう。学年末の難易度の確認、クラスの状況をあくする貴重な機会なんだから」

 しかし噂の対象外である堀北とは違い、対象者はそうはいかない。

 けい、そして仲の良い女子たちが登校して来ると周りに集まって耳打ちが始まる。

 そしてこちらの様子をうかがう。まるで汚物を見るような目で。

 言葉は直接聞こえて来なくても分かる。

あやの小路こうじくん、かるざわさんのこと好きらしいよ?』

『ねえどう思う? ねえかるざわさん』

 そんな会話が繰り広げられている。そして、けいは間違いなく『気持ち悪い』やら『最悪』なんて単語を並べ立てていることだろう。

「平気、なんでしょう?」

「……結構キツイかも」

 これ以上視線を向けてるとそんな言葉が直接聞こえかねないので、やめることにした。

 問題はオレ以外に名指しされうわさを流された生徒たちだろう。


    4


 クラス内にギスギスしたこんを残しながらも、仮テストが始まる。

 学年末に向けた大切な時間。

 その仮テストの内容は、これまでの試験と比較しても難易度は高め。高難度だ。

 ただし、これまでの試験を堅実にこなして来た生徒なら慌てることなく対処できる内容であることも確か。逆にギリギリで綱渡りしてきた生徒は、この仮テストを境に猛勉強が必要だろう。

 あやの小路こうじグループから勉強会の誘いはあったが、今日のところはほりきたに付き合うため、先に勉強会を始めてもらうよう連絡しておく。かんざきは目立つことを嫌ったようで、仮テストを終えた放課後のケヤキモール集合となった。

 堀北に導かれるように、オレは神崎の下を訪れる。ケヤキモールの南口そば

 ここは学校から最も離れた位置にある場所で、生徒はまず立ち寄らない。

 クラスの争いに興味はないが、それでも友人としては心配していないわけじゃない。

 情報を耳にしておく分には悪いことではないだろう。

 それに、ここ最近ははしもとからのマークが続いていたこともある。

 オレがBクラスに接触すれば、必然Aクラスの影が近づいてくることにもなる。

 それはこっちにとって、望む展開だ。

 事実橋本はオレから適切な距離を取りつつ、ここまで後をつけてきていた。

「2日連続の休み。しかもいちさん本人とは連絡が取れないの?」

「レスポンスが遅いだけで反応がないわけじゃない。風邪を引いて体調を崩したとの報告だけは受けている」

 ここ最近の神崎はピリピリした緊張状態が解けていないようだ。一之瀬からは気にしないよう繰り返し言われているはずだが、大人しくはしていられないのだろう。

 実際に体調を崩していることも一因だろうが、一之瀬は今クラスメイトと顔を合わせることに対して消極的。噂について言及されることを嫌がっている。

「担任の先生は何て言っているの?」

「似たようなものだ。風邪を引いたため休んでいるとしか答えない」

 担任もいちから同じように報告を受けているのだろう。

 かんざきの表情が暗いのは、本当に一之瀬が休んでいる理由が風邪なのか、そのことを疑問視しているからだ。ここ最近、一之瀬はうわさの渦中に居続けた。それが原因ではないかと考えている。

「お見舞いには? 直接会えばハッキリしそうなものだけれど」

「何人かクラスの女子が訪ねたそうだが、直接顔は合わせていないらしい」

 状況がかんばしくないことを悟り、ほりきたも深く考え込む。

「救いがあるとすれば、彼女が学力面で優秀な部分ね。仮テストを受けてなくても、恐らく支障はないでしょうし」

 一之瀬のように体調を崩した生徒は後日問題文をもらうことが出来るし、他の生徒から答えを教えてもらうことも可能だ。

「その点は俺たちも心配していない。気にかかっているのは一之瀬のメンタル面だけだ」

 堀北と神崎。

 対策を立てるべく思案していると、近づいてくる複数の影があった。

 どうやらはしもとがこの密会に関して報告を入れたようだな。

「一之瀬さんは今日も学校をお休みされたそうですね。来週末は学年末試験。もしその日まで長期のお休みということになれば……大変なことになってしまうかも知れませんね」

「……さかやなぎ

 オレたちの前というよりは、Bクラスの神崎の前に現れた坂柳たち。そこにはむろの姿と橋本の姿もあった。更にはとうという男子生徒も同行している。

 坂柳の派閥、その主要メンバーといったところか。

「Cクラスの方々と、一体何のお話をされているんです?」

「おまえには関係のないことだ」

「歓迎されていないようですね、私たちは」

「歓迎されたければ、変な噂の数々をふいちようして回るのをやめることだ。取り返しがつかなくなる前にな」

 坂柳はクラスメイトと顔を見合わせ、クスリと笑う。

「一体何のことでしょう?」

いくつ噂を流したとしても、Bクラスの結束はるがない」

「あなた方がどのような状況に置かれているかは知りませんが、楽しみにしていますよ」

 あくまでも様子を直接見に来ただけ。だが、それでこう覿てきめんだと判断したようだ。

「気にしないことね神崎くん。全て坂柳さんの作戦よ」

「分かっている」

 仲間思い、そしてひかえめな性格故に、神崎が苦しむジレンマ。


    5


 学校が終わっても、うわさの流布が止まるわけではない。

「ちょ、ちょちょちょちょ! どういうことよきよたか!!」

 帰宅してのんびりと過ごしていると、けいから電話がかかってきた。

「どういうことって、何が」

 分かっていたが一応聞き返す。

「何が、じゃないって! 清隆が、その、あ、あたしを好きなんて噂が広まってるんだけど!?」

「噂だ気にするな」

「い、いやいやいや、噂だからって気にしないわけにはいかないっていうか、なんでどうしてそんなことになってるわけ!?」

 キーンと耳の奥が痛くなるほどの声量だったので、一度携帯から耳を離す。

 音量を下げるボタンを指先で押しながら調整する。

「もしかしたら、はしもとが流した噂なのかもな。あるいは他に見てた生徒がいたか」

「ぇぇぇ~~~~~~!」

 小声で悲鳴を上げる恵。

「まあ良かったじゃないか。逆だったら大変だったろ」

「ぎゃ、逆って?」

「恵がオレを好きだ、なんて噂の方がやつかいだろ。ひらと別れた直後なんだ、変な勘ぐりはオレ以上にされてたと思うぞ」

「……そ、そうかも知んないけどさあ……」

「安心しろ。噂なんてものはすぐに風化する」

「ホントにぃ?」

「とは言え、この噂のお陰で今後は接触しやすくなったとも言える。オレが恵に話しかけてようと、そういうことなのか、で片付けてもらえるからな」

 モノは考えようということだ。

 そもそも目立つところで会話をするつもりもないが、そういうときの保険にもなる。

「いやいやいやいやいやいやいや」

 今度はさっきよりも長い『いや』を繰り返す。

「2人でいるとき、めっちゃ変な目で見られるじゃん! 絶対見られるじゃん!」

 繰り返すのがブームなのか、実に変な口調だ。

 オレの後をつける橋本にもそういった情報を間接的に植えつけられる。

「とにかく気にしないことだ」

「気にしないことだって言っても…………………やっぱ無理だって!」

 長い沈黙の後、やはり難しいと判断したらしい。

 ぶつぶつ言いながら、しばらく話していた恵だったが、やがて諦めたように通話を切った。


    6


 目まぐるしく動き始める展開。

 特別試験もなく、学年末、2月下旬に行われる筆記試験だけに集中しておくべきこの時期に、波乱のようそうだ。仮テストを終えて3日った、2月18日金曜日。

 学校の敷地から離れた場所に、Bクラスを除く3クラスの生徒たちが集まっていた。

 新たに散布されたうわさを、ぎわで食い止めようというひらの動きもあったが、その努力もむなしく瞬く間に噂は広がりを見せた。

 唯一掲示板に書き込まれることのなかったAクラスも、既に他のクラスのその情報をつかんでいる。

「よういしざき。話がしたいなんて一体何の用だ?」

 Aクラスのはしもとはいつもと変わらない様子で石崎に問いかける。

「何の用だ、じゃねえよ橋本。おまえ、とうまで連れて来てどういうつもりだ。俺はおまえ一人に来いって言ったんだぜ?」

「そっちこそアルベルトを連れてきてるだろ。用心のためさ」

 ひりひりとした空気が流れる。

 先日まで合宿で生活を共にしていたとは思えないような状況だが、無理もない。

「今日は話し合いをしに来たんです。そうですよねいしざきくん」

 Dクラスは石崎とアルベルト以外に、ひよりとぶきも参加していた。

「向こうが荒立てなきゃ、大丈夫でしょ」

「ですが……」

 ひよりが心配するのも無理はない。

 このメンツで何事も起こらないとは、到底思えそうにないからだ。

「しかし、なんだよこのメンツは。俺たち以外にも呼び出してたなんてな」

 はしもとはオレたちを見ながら、あきれたようにため息をつく。

「知らねえよ。おまえが呼び出したんじゃねえのか」

 DクラスもAクラスも、オレたちCクラスの存在に違和感を抱いている。

「おまえの言う通りだったなあやの小路こうじ

 そう声をかけてきたのは、隣に立つあきを含む綾小路グループ。

 勉強会を行うためにカフェに集合するところだったメンバーたちだ。

「この間、かんざきと橋本がめてた時のことを思い出したんだ。『たまたま』あいつらが敷地から離れていくのが見えたから、もしかして……って」

 オレが不穏な空気を感じると明人に伝えると、すぐに合流してきた。

 ただ、予定外だったのはあいけいせいも一緒だったことだ。

「前回よりもメンツがメンツだ、マジで一波乱あるかもな……」

「あーもう、なんでこんな険悪な状況ばっか続くわけ?」

 度々こんな場面にそうぐうしている波瑠加があきれたように言う。

「まぁいいさ。誰が呼び出したにしても、な。用件を聞こうかしいちゃん」

「例のうわさの件です。アレはあなたたちAクラスが流した情報ですよね?」

 石崎に任せるとけんごしになると判断したのか、ひよりが声をかける。

「おいおい、なんで俺たちにそんなことを聞くんだよ」

「んなもん───!」

「私に任せてください、石崎くん」

 怒りのままに発言しようとする石崎をひよりは優しく制止する。

いちさんの噂を広げているところを、神崎くんが見たとの証言を耳にしました」

「あいつもおしやべりだねえ。それとも、そっちにいる2人から聞いたのか?」

 神崎と橋本のやり取りを聞いていたオレとあきのことだ。

「お答えください橋本くん」

 ひよりはこちらに顔を向けることもなく橋本を問いただす。

「……ま、そっちにいる綾小路や三宅みやけは知ってるから素直に言うが、俺はどこかで耳にした一之瀬の噂を、興味本位で右から左に流しただけなのさ」

 当然橋本が、その事実を認めることはない。

「都合の良い言い訳だぜ。そんなもんがまだ通ると思ってんのかよ」

「言い訳? 事実さ。ま、興味本位で広げたことを悪だというなら悪なんだろうさ。にしても妙だよな。無関係のはずのDクラスがここに来てしゃしゃり出て来るなんて」

 陽気ながらも鋭い眼光を見せたはしもとが続ける。

「もしかして……例のうわさを流したのはおまえらDクラスなんじゃないのか?」

「ふざけんな。さかやなぎが噂を流させたってことはもう分かってんだよ!」

「決め付けんなよ。確かにウチのリーダーは好戦的さ。いちに対しても、ついつい挑発的な発言をすることもある。それを深読みして、噂の根源だと決め付けたい気持ちも分からなくはない。けど無関係なのさ。実際に証拠はないだろ?」

 橋本の言葉を受けていらいしざき。しかし言っていることも間違っていない。ポストにとうかんされた手紙も、掲示板に書かれた噂も、今のところ坂柳である確証はない。十中八九そうだと分かっていても、だ。

「今日はそれを問い詰めるための場だった、ってことか。しかし知らなかったぜ、おまえらDクラスが一之瀬の肩を持つなんて」

 にらみを利かせる石崎たちに対し、橋本は分かったように息を吐く。

しても無駄なんだよ。おまえら一之瀬だけじゃなく俺らの噂話までベラベラと流しやがって」

「なるほど。やっぱりそういうことか。一之瀬なんてどうでもいいんだろ? Dクラスのあることないこと、噂を流されたことが気に入らないんだよな。『小学生に悪戯いたずらして少年院に入れられた』んだって? 石崎」

 そうあおられた瞬間、石崎がキレたのが分かった。

 ひよりは慌てて石崎の腕をつかみ、飛び掛りそうな石崎を押さえる。

『小学生に悪戯して少年院に入れられた』とは、掲示板に書かれていた『うそ』の一つ。

 こんな噂を流されれば、石崎が怒らずにいられるはずがない。

 このような状況が出来上がることは必然。

 引く様子を見せず橋本は続ける。

「よくもまぁあんな噂を並べ立てたもんだな。一之瀬の件だけじゃない、どうやっていろんなヤツの噂を調べ上げたのか教えてくれよ」

「ざけんな橋本!」

「待て石崎!」

 ひよりでは抑えきれないと思ったあきが慌てて石崎を止める。

「止めんな三宅みやけ! これ以上Aクラスに勝手させられるかよ!! ぶっ飛ばす!」

「やめとけよ石崎。するのはそっちだぜ? けんに自信あるんだろうが、こっちも結構やるんだぜ?」

 とうは静かに一歩前に出ると、石崎とアルベルトに対して握りこぶしを作った。

 状況次第ではこの場でも受けて立つ、そんなようそう

「おまえらやめとけよ。この学校がけん騒動にうるさいのは知ってるだろ」

 遠巻きにあきが落ち着くよう声をかける。

「以前までは、な」

「以前まで?」

「今度の生徒会長は、ちょっとしたいざこざはおおめに見てくれるらしい───ぜ?」

 はしもとは距離を詰め右足をいしざきめがけ繰り出した。それをあきが左腕で受け止める。

「っ……は、マジかよ。何でもありだな、あの生徒会長」

 橋本の言葉ひとつじゃ、本当に『喧嘩解禁』とは言い切れない。

 だからこそ、自ら先手を取ることでそれを証明して見せた。

「やるな三宅。道理で俺たちの喧嘩を止めようと口出しするわけだ」

 橋本は下がり再び距離をとる。

 先ほどよりも、ちりちりとした空気が場を支配していく。

「喧嘩はダメです」

「分かってるよ。俺は喧嘩するためにここに来たんじゃないのさ。今のはこっちにも自衛するだけの力はあるってことを証明するためなんだよ」

「……信じていいんですね?」

 ひよりの目を見てうなずく橋本だが、誰も信じようとはしない。

「もういいでしょひより、こいつらは平気でうそをつく。どう考えてもうわさを流したのはAクラス。その証拠にAクラスだけは噂のターゲットになってなかった」

「それは……だからこそ犯人ではないという可能性もあるのでは?」

しいちゃんの言う通りさ。もし俺たちが噂を流したんなら、疑われないようにAクラスの掲示板にだって適当な嘘を並べ立てるぜ?」

「どうだかな。いちの噂を流した件だってAクラスの連中全員がさかやなぎが張本人だと知ってるとは思えない。そんな状態でAクラスに噂を流せば、当然混乱する」

 明人からの指摘に、橋本はため息をついた。

「そんな推理が通らない、ってわけじゃないけどな。悪魔の証明だな、こりゃ」

 極めて疑わしくとも証拠がない。潔白を示すのも困難だ。

「そういう連中には拳で直接本当のことを聞き出すしかないの」

「おいおい、やめようぜぶきちゃん。俺たちが争っても得はないぜ?」

「そっちから喧嘩売ってきといてやめようだなんて、ずいぶん調子いいんじゃないの」

「俺たちは無関係なんだよ。信じてくれ」

 そう言って橋本は笑うが、伊吹に笑顔はない。

 むしろ怒りをこらえるので精一杯といった様子だった。

 この伊吹もまた、石崎と同じようにあらぬ『嘘』を流された。

「おまえ、りゆうえん……がリーダー辞めたからって、俺たちめてんじゃねえのか」

 石崎は我慢の限界を迎えたのか、明人を押しのけて前に出る。

 合わせるようにぶきが、はしもととうの前に立ちふさがる。

「いやいやマジで待てよ」

いちうわさ、そんで俺たちへの噂の件。その両方をさかやなぎび入れさせろよ」

「勘違いだ。俺たちが流したんじゃない」

「笑わせんな!」

 いしざきが手すりを全力で蹴り飛ばす。

 もはや収まりがつかない状況になったことを橋本も理解していく。

「……だったら、どうするつもりだ?」

「決まってんだろ。力ずくで黙らせんだよ」

「マジでやるつもりか?」

「ああ。それが嫌だったら今すぐ噂を取り消せ」

「何度も言うが、俺たちが噂を流したんじゃないんだよ」

 そう言っても、それが簡単に通じないことは橋本も理解している。

 坂柳が一之瀬に対して宣戦布告したも同然の中、無実の証明は難しい。

 一度橋本は口元が緩んだ。

「笑ってんじゃねえよ」

「悪い悪い。あまりに理解不能だからな」

 噂の出所を坂柳だと認められない以上、石崎の要求は突っぱねるしかない。

「だったら直接坂柳と話をさせてもらうぜ」

「おまえが? やめとけ」

 相手にされるはずがない、と橋本が手で払う。

 それを分かっているからこそ石崎も、橋本に声をかけたのだろう。

「鬼頭。やるしかないかもな」

 空気の流れを読む橋本は、会話で終わらないことを予感した。

 鬼頭は既に心の準備を済ませていたのか、ゆっくりと構えを取った、その直後。

「うらぁ!」

 石崎が鬼頭にタックルするように突っ込んでいく。

 さらにその真横では、伊吹が飛び掛るような蹴りを繰り出す。橋本は慌ててける。

「っぶね!」

 勢いよく飛び跳ねた伊吹のポケットから、携帯と学生証が飛び出し散乱する。

 想像以上に速く、そして強力だと理解した橋本は、敬意を表する前に危機感を口にした。

「伊吹ちゃんもけん慣れしてるんだったな……忘れてたぜ」

「おまえらやめろって!」

 あきが近くに転がってきた携帯を拾い上げながら叫ぶ。

 しかしDクラスは止まろうとする気配を見せない。

 携帯が傷つこうと、動じた様子はないな。

 オレも足元そばに落ちたぶきの学生証に手を伸ばす。

 ふと視線を落とした、その学生証。

 そこには当然笑顔もなく、硬い表情の伊吹が無愛想に写っているだけ。


 しかし───


 オレは『ある一点』を見て気づく。

「どういうことだ……?」

「何が」

 つぶやきを傍で拾ったけいせいが聞き返してくるが、すぐに首を左右に振る。

 いったん邪魔になる伊吹の学生証をポケットにう。

「いや、何でもないんだ。それよりけんを止めたほうがよさそうだな」

「止めるって……どうやって」

 既に2対2の図式が出来上がり、第二ラウンドが始まろうとしている。

「そうよ。やめときなって」

「危ないよきよたかくん……」

 あいもやめるよう進言してくる。

「……そうだな。あきに任せておいた方が賢明か」

 その明人は、次の衝突を止めるべく間に割り込む。

「邪魔すんなよ三宅みやけ!」

 力任せに押しのけようとするいしざきだったが、明人はその手をつかみ、強引に押し倒した。

「てめ、放せ!」

「悪いな石崎。俺はおまえみたいなタイプは嫌いじゃないんだけどな」

「邪魔するな!」

 伊吹が明人の頭を狙い蹴りを繰り出す。

 慌てて石崎から離れた明人は間一髪蹴りをけるが、体勢を崩した。

 その明人をアルベルトの大きな手が掴んだ。

「押さえといてアルベルト」

「くっ……」

 怪力のアルベルトに上から押さえ付けられては、明人といえど抵抗のしようがない。

 Dクラスとしては2対2の図式さえ作れれば負けないという判断。

「伊吹!」

 石崎の叫び。それと同時に伊吹の首元を狙ってきたとうの手。

めんな!」

 その手に対し素早く反応した伊吹が、鬼頭の手を蹴り払う。

「マジで喧嘩始まっちゃったじゃん……どうする?」

 止めることも出来ず、静観するオレたち4人。

「始まったもんは仕方ないが、Cクラスの連中がいると邪魔だなあ……」

 起き上がったいしざきに注視しつつはしもとはこちらにも目を向けてきた。

「ここに来たのは偶然だが言いたいことはある。石崎たちと同じように俺たちの仲間……あやの小路こうじうわさのターゲットにされて頭にキテるんだ」

 けいせいがそう訴えると、あいが隣で激しく縦にうなずいた。

「はっ、そういやそうだったな。かるざわを好きだなんて、可愛かわいい噂じゃないか」

「ぜ、全然可愛くありません!」

 静かな愛里が珍しく声をあげて反論した。

 オレもそれに合わせるようにして、橋本に言葉をかける。

「こんなことを言いたくはないが、オレもお前を疑ってるんだ橋本」

「……だろうな。先日、おまえと軽井沢の密会を見たのは俺だけだろうしな」

「み、密会?」

 ぐるっと愛里、だけじゃなくの顔もこちらを向いた。

「変なことは一切ないぞ」

「本当に? で、でもきよたかくん、ちょっと最近軽井沢さんと仲良いイメージあるし……」

 オレのことをよく観察している愛里なら、それくらいは分かっているからな。

 だが、この会話を橋本に聞かせることは非常に重要だ。

 オレとけいの関係性について、知る者は知っているということを知らせる必要がある。仲介役でチョコを渡す役目を課せられた、という大前提には、それなりの親密関係がなければ成り立たないからだ。

 クラスメイトがオレと恵の関係性をどう理解しているのか、試すためのフリ。

 優秀であるが故に、自ら可能性を閉ざしてしまう。

 オレに目を付けているのに、シロかも知れないと言う証言を引き出してしまう。

 結果、オレへの疑いが薄れていく。

「今は俺が相手だろ橋本ぉ!」

「ったく……やつかいなことになったもんだ」

「これ以上はやめてください石崎くん。少なくとも、私は許可しません」

 ひよりが石崎に、強い口調で言い放つ。

 それを無視も出来ず、困ったように振り返った。

「で、でもよ!」

「仮にここで、橋本くんたちにけんで勝って、強引に自白させたとしても証拠にはなりません。肝心のさかやなぎさんは、恐らく一切認めないでしょう。認めてもらうことは出来なかった、その事実だけで良いではありませんか」

「俺もぶきも泣き寝入りしろってのかよ」

「厳しい言い方をするようですが、そうです。今は耐えてください」

「あんたが私たちを連れて来たんでしょ。それなのに耐えろって変な話じゃない」

「必ず報いを受けてもらいます」

 そんなやり取りを聞いて、はしもとが興味深そうに口笛を吹いた。

「この場をセッティングしたのは、いしざきじゃなくてしいちゃんってことか」

「アルベルトくんも、放してあげてください」

 そう指示すると、ゆっくりと拘束を解いた。

「Cクラスの皆さんもお騒がせしました」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「これで終わりにしようってのも、一方的な話だな。俺たちは疑われ、殴られ損か?」

「許してはもらえませんか?」

 正面から橋本の言葉を受け止めたひより。橋本としてもこれ以上引っ張って得することは何もないと分かっているはずだ。

「ま、したってわけでもないしな。今回はこれで終わりにしようかとう。けど、これ以上俺たちを不用意に疑うのはやめてくれ。疑うなら確実な証拠を持ってきてくれよ?」

 何とか大乱闘になる前に事態を収拾することに成功したが、これでAクラスと他クラスの関係の溝は修復不可能なところまで進行した。


    7


 その日の夜。オレはほりきたまなぶに電話をかけていた。

「おまえから俺に連絡とは珍しいこともあるものだ」

「あんたにひとつ聞きたいことがある」

「なんだ」

 オレはある二人の生徒の学生証を見て、気づいた点を報告する。

「おまえの勘違い、ということはないのだろうな」

 初耳と言った様子で、驚いた反応が返ってくる。

「その言い方をするってことは、生徒会……いや、前例がないってことか」

「そうだ。単なるミスでない場合を除き、だが」

 もちろん、ミスである可能性を排除することは出来ない。

 だが、こんなミスがそうそう起こることでないことも確かだ。

「この学校も当然、毎年変化し進化しようとしている。その『事象』にも意味があるはずだ。恐らく誰よりも先に気づいたおまえには、いずれ役立つものかも知れん」

 そんな日が来ても、出来れば役立てることなく終わりたいものだ。

「おまえたち1年は、恐らくあと1回で一年度の特別試験が終わるだろう」

 1年『は』ということは、こっちと事情が異なるってことか。

「これはあくまでも、前年までの話であって確実性のあるものではないが、従来通りであれば3年にはあと2回以上、特別試験の機会が残されている」

「あんたにとっちゃ、災難が続くってことだな」

 ぐも率いる2年全員が、3年Bクラスをバックアップすることになればけして安全圏とは言えないだろう。

「予断を許さない状況であることは確かだが、おまえが気に留めることではない」

 さすがは元生徒会長、自分の状況をきゆうだとは思っていないようだ。今の状況を打開し、そして戦っていくだけの力は身につけている。そんな自負を感じる。

 だが、それはあくまでもほりきたまなぶ一人に限っての話。

 たちばなあかねが狙われたように、南雲は崩せるところから狙ってくる。

「今心配するべきは1年全体の方だ」

「生徒会がバックアップすれば、それなりのもみ消しも出来そうだしな」

「ああ、可能だ。もちろん、やりすぎれば学校側からの信頼を失い強制的に解散させられることもある。だが南雲のことだ、く立ち回るだろう。くしの件は問題ないか?」

「その件なら片付いた」

「今回のいちつぶしの一件、裏で何か動いているようだな」

「また連絡する」

 オレは聞きだすべきことを終え、通話を終えた。


    8


 それから、あっという間に数日が流れる。

 その間渦中の存在だった一之瀬は一度も学校に姿を見せず休み続けていた。

 しかし学年末試験まで、いよいよあと1日となった2月24日。

 ついに一之瀬は学校へと来た。直接見かけたわけじゃないが、1週間以上学校に姿を見せなかった一之瀬の動向は常に大勢が注目している。すぐに情報は飛び込んできた。

 とは言え、あくまでもそれはBクラスにとっての重要なことであり、Cクラスにとっては明日に迫った学年末試験の方が大切なことだ。

「よし。あやの小路こうじも、あきも、も、あいも。全員バッチリだ」

 昼休み、オレたちは授業の前にけいせいの机の周りに集まっていた。

 啓誠の作ってくれたテストの仕上げ、その答え合わせをするためだった。

 夜の間に自主的に行い、実力を試すために用意してくれていたもの。

「うわきよぽん90点とかすごいじゃん」

 サンドイッチを食べながら、波瑠加が驚いたように言う。

「啓誠の作ってくれたテストが完璧だったからな。そっちだって似たようなもんだろ?」

 3人とも多少点数にバラつきはあるが、おおむね80点前後だ。

「仮テストと俺の作った模擬テスト。どっちもこれだけ解けてれば試験はまず問題ない」

けいせいからおすみきをもらったなら楽勝だな」

 あきも今回は気合いを入れたからか、凝った肩をぐるりと回した。

「本当にありがとう啓誠くん。私、テストとか毎回不安だったから……」

「いや。俺に出来るのはこれくらいだしな」

 ちょっとテレ臭そうに啓誠は鼻の上を人差し指で軽くいた。

「けど今日は本当に何もしなくていいのか?」

「この1週間、相当勉強に時間を費やしたからな。最後の1日はあえて休んで欲しい。ここまで丁寧に身につけたことはちょっとやそっとじゃ抜けない。それよりも無理して体調を崩したり、本番で眠気に襲われる方が危険だ。さいぼんミスを重ねて点数を落としたらもつたいいからな」

「了解。ゆきむーの指示に従うであります」

 謎の敬礼をしながら、たちは素直にうなずいた。

 バン! 突如扉を激しく開いた音が教室中に響き渡った。

「皆すげえぞ!」

 ゆっくり昼食を済ませよう、そんなタイミング。

「うわ最悪……」

 波瑠加は驚いて手に持っていたサンドイッチを床に落としてしまったようだ。

「ちょっとなによ」

 あからさまに不機嫌になった波瑠加が、入ってきたいけにらみつけた。

「祭りだよ祭り! 今Aクラスの連中がBクラスに乗り込んだんだってよ!」

 そんな話が飛び込んでくる。

いちさんの復帰と共に、さかやなぎさんが動いたのね……」

 同じく教室で昼食を取っていたほりきたは慌てて立ち上がった。オレに声をかけることもなく教室を飛び出す。それを見ていたどうひらたちも、堀北に続いて教室を出て行った。

 明日は学年末試験。

 最後の仕上げをするならこの日しかないからな。

 復帰して来た一之瀬を仕留めるため、直接攻撃をかける狙い。

「どうする明人……」

「行くしかないだろ。また先日みたいなことになったら止める人間がいる」

「そう、だな」

「けど波瑠加とあい。おまえらはここに残れ。人数が多くても意味ないからな」

「はいはい、分かってるって。私たちはゆっくり食べてよ」

きよたかくんはどうするの?」

「オレは───」

 明人と共に啓誠も立ち上がっている状況だ。残るとも言いづらい。

「一応ついていく。役に立てるとは思わないけどな」

 三人で教室を出てBクラスへと向かう。

 既に廊下では騒ぎが伝染しているようで、明らかに人が集まってきている。

「何しに来たんだよさかやなぎ!」

 Bクラスにやってくると、しばが坂柳に詰め寄っていくところだった。

「何しに、ですか。私はあなた方Bクラスの皆さんを救いに来たんですよ?」

 坂柳の左右にはむろはしもととうや他の生徒の姿はなかった。あまりに大人数を連れ歩くのは問題になりかねないとして少人数での行動だろう。

「どういうことなのかな、坂柳さん」

 教室の奥で数人の生徒に囲まれるようにしていたいちが声をかける。

「待てよ一之瀬、おまえが出る必要はないって」

「そうだよなみちゃん。行っちゃダメっ」

 一人がぎゅっと一之瀬に抱きつき、坂柳との接触を防ごうとする。

「まずは体調が快復されたとのことで、良かったです。本当はもっと早く声をかけたかったのですが、試験勉強に忙しかったもので。それにしても良かったです、明日の学年末試験には間に合いましたね」

「うん。ありがとう」

 距離をあけての二人の会話。

 Bクラスの生徒たち全員が坂柳を敵視しているのは当然理解しているだろう。

 昼休みだというのに、誰一人欠けていない。

 恐らくクラス全員で一之瀬を一丸となって守るつもりだったのだ。

 しかし坂柳は全く動じた様子もなく、完全なアウェーの雰囲気を楽しんでいる様子。

 うわさの渦中にある一之瀬が、昼休みに食堂などを利用しないことも見越しての行動だ。

「救いにと言ったな坂柳」

「ええ」

 かんざきの問いかけに笑ってうなずく坂柳。

「それはつまり、あの噂を流したことを認める、ということか?」

 その謝罪に来たのなら理解できなくもない、と神崎は続けた。

「噂を流したのは私ではありません」

「……なら、何をもって救いだと?」

「以前、一之瀬さんが大量のポイントを保持している。という噂が広まったことは覚えていらっしゃいますね? あの時は不正行為がなかったためすぐに沈静化しましたが」

「それがどうしたと言うんだ」

 神崎がかんはついれず言う。一之瀬に出番を与えないためだ。

「これは私の勝手な想像でしかありませんが……不正行為なく大量のポイントを保持する方法は限られているということです。クラスメイトから定期的にプライベートポイントを回収し、集めておく。要は銀行のような役割を、一之瀬さんが担っているのではないかと判断しました」

「それは答えられることじゃない」

 Bクラスの戦略に関わってくる部分。当然拒否する。

「ええ。別にその回答を求めているわけではありません。ただ───ただもしも、いちさんが私の推理どおり銀行の役割を果たしているのだとしたら……それは非常に危険なことではないかと思ったのです」

 そう言って、遠くでさかやなぎを見つめる一之瀬に視線を送る。

「…………」

 一之瀬は答えず、ぐとその視線を見つめた。

「私の言っていることは間違っていますか? 一之瀬なみさん」

 無駄なんだ坂柳。おまえは、確かに一之瀬を追い詰めた。

 沈黙という武器で戦うしかなかった一之瀬を、ギリギリの縁にまで追いやった。

 あと一押しで、だんがいぜつぺきからたたとせる。

 そんな状況を作りだしていた。

 だが、もうその手は通じない。

「ちょっと道をあけてくれるかな、ひろちゃん、ちゃん」

「で、でもっ」

「大丈夫。私ならもう、大丈夫だから」

 そう言って優しく微笑ほほえみ一之瀬はゆっくりと歩みを進めた。

 坂柳との距離を詰めていく。

 だが最終的に一之瀬が向き合ったのは、坂柳ではなく教室のクラスメイトだった。

「……ごめんみんな!」

 一之瀬は教壇の前に立つと、Bクラスの生徒全員に向かって頭を下げた。

「な、何を謝ってるんだよ一之瀬。何も謝る必要なんてないって。なぁ?」

 どうようしたしばは、一之瀬の言葉を遮ろうとする。

「止めないであげましょう柴田くん。彼女はざんしようとしているんですよ」

 坂柳が愉快そうに笑う。

「私は今までの1年間……ずっとずっと隠し続けてきたことがあるんだ……」

「待て一之瀬。この場では何も話す必要はないんだ」

 不穏なものを感じたかんざきが止めようとするも、一之瀬は止まらない。

「この数週間私のことで変なうわさが立っていたと思う。その中に一つだけ、うそじゃない本当のことがあるの。それは、手紙に書かれてあったこと……私が犯罪者だって話」

 その言葉を引き出し、坂柳は満足そうに微笑んだ。

「それは本当のことなの」

 騒がしかった教室の中が、静まり返っていくのが分かった。

「ここに居るお人しの集団は全く見当もついていないようなので、詳しく教えて差し上げてくださいいちさん。あなたは一体、どんなあやまちを犯したんですか?」

「私は───」

 一之瀬は続けようとして、一度喉を鳴らした。

「みんなに黙ってたことを───今から告白します」

 そう言って、一之瀬は封印してきた過去を口にする。


「私の隠してきた犯罪、それは……万引きをしたこと───」


 優等生一之瀬なみの万引き。

 その事実は、Bクラスだけじゃなくあきけいせいなどの観客も驚いたことだろう。

 そんなことをするような生徒には見えない。

「帆波ちゃんが……万引き……ほ、本当に?」

「うん。ごめんねちゃん」

 謝りながら一之瀬は、その発端を語り始める。

「私は母子家庭で、お母さんと2つ下の妹との3人暮らし。裕福な方じゃなかったけど、不幸だと思ったことは一度も無かった。2人の子供を育てながら働くお母さんは、いつも大変そうだった。だから私は小学生の時、いずれ中学を卒業したら働きに出ようと思ってたの。高校に行くのにも沢山のお金がかかるから。就職してお母さんを助けて、2つ下の妹をバックアップしようと考えてたから。でも、お母さんはそれに反対した。姉として妹の幸せを心から願うように、母として、娘2人には同じくらい幸せになってもらいたかったんだと思う」

 自らの過去を全て話しだす一之瀬。

「お金がなくても、一生けんめい勉強すれば特待生制度を利用できることを知った。必死に勉強して、学校でも1番だって言われるまでに自分を成長させることが出来た。でも……そんな私が迎えた中学3年生の夏……お母さんは無理をして倒れてしまった」

 日々の生活を支えるため、一之瀬の母親は働き続けたんだろう。

 我が子を育てるため、身を粉にして。

「妹の誕生日が近かったの。妹はこれまで、何一つお母さんにも、私にもプレゼントなんておねだりしてきたことはなかった。妹はまだ中学一年生。もっと甘えてもいいはずなのに、ずっと我慢し続けて来てた。欲しい洋服も買わず、友達との遊びや買い物にもついて行かないで、耐えて耐えて、耐えてきた。そんな妹に……初めて欲しいものが出来た。それは去年流行したヘアクリップ。妹の大好きな芸能人が身につけてた物だった。きっとそのヘアクリップを買ってあげるために、お母さんは無理してシフトを入れてたんだと思う」

 だが───入院というアクシデントに見舞われ、誕生日プレゼントどころではなくなった、ということだ。

「今でも覚えてる。病室のベッドで泣きながら謝るお母さんに、ありったけのせいを浴びせていた妹の顔を。泣きながら、楽しみにしていたヘアクリップのことを叫んでいた妹の顔を。そんな妹を私は責められなかった。たった一度だけ願ったプレゼント……」

 その告白を、さかやなぎは変わらぬ笑みで聞き続けていた。

「姉として……何とかして妹の笑顔を取り戻さなきゃいけない。そう思った。だから私は、誕生日当日の放課後、デパートに足を運んだ」

 今も、当時と同じようにどうが高鳴っているだろう。

「あの時の私の感情は、きっと闇だったと思う。いいじゃない……たった一度、妹のために悪さをするくらい大したことじゃない。世の中、悪いことをする人なんていっぱいいるんだから。そんな感情を持ってた。これまで我慢し続けてきた私たちが、責められる必要なんてない。これは許される行為なんだ。そんな身勝手、我がままなかいしやく。普通に買えば1万円以上はする。私は妹の欲しがったそのヘアクリップを……盗んだ」

 重たいモノを吐き出すように、いちは口にする。

「すべての人を不幸にする行為。でもあの時の私は、何とかして妹に喜んで欲しかった」

 それが引き金。

「……ダメだね」

 ポツリと吐き出す一之瀬。

「結局、犯罪行為は犯罪行為。どれだけざんしても、けして消えることのない罪」

 途切れ途切れに言葉をつなぐ。

「それで捕まったってことか」

 はしもとのそんな問いかけに、いちは首を左右に振った。

「私はそのヘアクリップを持ってデパートを出た。初めての万引き、初めての犯罪。それは誰にも見つからなかった。それから、すぐに家に帰った私は塞ぎこむ妹にヘアクリップをプレゼントした。盗んできたから、こんぽうも何もない、雑なプレゼントだったけど。すごく喜んだ。その笑顔を見ると、私は罪悪感が一瞬薄れた気がした。でも違う、後からどんどん罪悪感は増していった」

 自嘲気味に笑う一之瀬。

「悪いことをした娘に、母親が気づかないはずがないよね。秘密にしておくように言ったプレゼントを、妹は身につけてお母さんのお見舞いに行った。だって、そうだよね。妹は思いもしなかったはずだもん。私が盗んできたものをプレゼントしたなんて。そのとき初めて、本気で怒るお母さんを見た。私をひっぱたいて、妹からそのプレゼントを取り上げた。泣きじゃくる妹はわけも分からなかったと思う。まだ入院していなきゃいけないお母さんに連れられ、私はお店に連れて行かれた。土下座して許しを願った。そのとき私は自分の犯した罪の重さを初めて理解した。どんな言い訳を並べ立てたって、犯罪がこうていされることはない、って」

 それが一之瀬の過去。隠してきた過去。

「結局お店の人は、私を警察へは突き出さなかった。だけど騒動は瞬く間に広がって、私は自らからに閉じこもった。中学3年生のほぼ半年、ただ部屋に閉じこもる生活を続けた……。だけど、もう一度前を向こうと思った。そのキッカケが、この学校の存在を担任の先生に教えてもらった時だった。入学金も、授業料も免除される。その上、卒業すればどこにでも就職できる。もう一度やり直そうって、一からやり直そうって」

 全てを話し終えた一之瀬は、改めてBクラスの生徒全員に頭を下げた。

「ごめんねみんな。こんな情けないダメなリーダーで……」

「そんなことはないぜ一之瀬」

 そばで聞いていたしばが、そう言った。

「今の話を聞いて確信した。一之瀬はやっぱり良いヤツなんだって。なあ?」

「うんっ。なみちゃんは悪いことをしたのかもしれない、だけど───」

 カン!

 甲高くつえを床にたたきつける音が響き渡った。

めてください。笑わせないでもらえますかBクラスの皆さん」

 一之瀬を擁護する声を、一蹴する。

「実に下らない茶番劇ですね。不必要な過去の詳細まで語って、同情を引いているつもりですか? どんなきようぐうであれ万引きは万引き。同情の余地などありません。あなたは私利私欲のために盗みを働いたんです」

 その言葉を聞き、隣のむろの表情が一瞬こわった。

「うん、その通りだね。過去の背景は、一切関係ないよ」

「あなたが『犯罪行為』を犯したことは事実です。すなわち、今大量に抱えているプライベートポイントも、卒業間近で盗み取ってしまうのではありませんか?」

「……そんなことできっこないよさかやなぎさん。もし私が全員の意向を無視して、Aクラスに上がるようなをすれば、それは裏切り行為。学校も許可しないんじゃないかな」

「そうですね。あなたは賢い人ですからそういう露骨なやり方はしないかと。けれどまさに今、ここで実演して見せている同情を誘うやり口で、全員のおすみきをもらってAクラスに行くのではないですか?」

 しつように追い詰める坂柳。

「そう、だね。私が……私がどれだけ頑張っても、私の努力は全て偽善なのかも知れない。一度犯した罪は二度と消えることはないんだよね」

 犯罪者としてのレッテルは付きまとう。

 いずれ裏切られるのではないかという疑念が消えることはない。

「皆さんも分かったんじゃないでしょうか。それが、いちなみさんという生徒です。このような人をリーダーに据えている限り、あなたがたBクラスに勝ち目はありません」

 てつてい的に、現実をたたきつける。

「今すぐこの場でプライベートポイント全てを生徒に戻し、Bクラスのリーダーを降りる。それくらいのことをして頂きたいものですね。それくらいしなければ、今後もあなたの悪いうわさが消えることはありませんよ?」

 一之瀬は目を閉じる。

 静かに、呼吸を整える。

「どうなんだ一之瀬。おまえは、どうしたいんだ」

 Bクラスを代表したかんざきからの問いかけ。

 リーダーを続けるのか否か。

 それを決めるのは一之瀬本人だからだ。

 もしこれが、一度目の心の骨折だったなら。

 一之瀬は耐えられずポッキリと折れていたかも知れない。

 だが、既に一之瀬の心は折れた。


 いや『オレが叩き折った』。


 そして、完治した。

 折れたしよは、以前よりも強くなり強度が増す。

「これで私のざんは終わり!」

 そう言って、笑顔を坂柳に向けた。

「私は確かに万引きをした。坂柳さんの言うように同情の余地はないと思う。罪は罪だからね。それから逃げるつもりはないよ。だけど、実際に私は刑罰に問われたわけじゃない。つまり、償うべき罪って言うのは本来存在しないものなの」

こうがんとはよく言ったものです。万引きをした悪人とは思えない開き直りですね」

「そうかも知れないね。でも、私はもう振り返らない。過去に縛られない」

 クラスメイトに笑顔を向け、いちは続ける。

「こんな厚顔無恥な私だけど───みんな、最後までついてきてくれないかな?」

 そう言った。

 一瞬の沈黙。

 けして、一之瀬は楽観して言ったわけじゃない。

 今にも泣き出しそうで、逃げ出したくて。過去を恥じて。

 それでも前に進もうとしていた。

 1年間苦楽を共にしてきたBクラスの生徒に、それが分からないはずがない。

「ついて行くに決まってるよな!?」

 しばが、笑顔で叫ぶ。

 それと同時に、Bクラスの生徒、一人残さず全員が満場一致のエールを送る。

 一之瀬に対する人望。

 その厚さを実感させられる。

 けいせいあきも、そんなBクラスに魅せられるようにうれしそうな顔を見せた。

 Bクラス全体だけじゃない、それ以外のクラスの生徒から、ここまでえんする声が上がる生徒など他にはいないだろう。

さかやなぎ……どうするの」

 仕掛けていた坂柳の攻撃は、無効化された。

 それをむろも肌で感じ取る。だからこその、撤退の進言とも取れる一言。

「フフフ」

 坂柳が笑う。

「フフフフフフ」

 もう一度、今度は長く。

「なるほど。Bクラスに対してはく丸め込みましたね。ですが、先ほどあなた自身が言ったように犯罪者の過去が消え去るわけではありません。これから先もずっとずっと、あなたに関するうわさは広がり続けるでしょう」

「うん。それから逃げるつもりはないよ」

「そうですか。ではてつてい的にやら───」

「はーい、皆そこまで」

 坂柳が答えようとしたところで、Bクラスに教師と生徒が姿を現す。

 生徒会長ぐも、そしてBクラスの担任ほしみやちやばしらだ。

ずいぶんと大物が集まりましたね。これは1年生同士の問題ですが?」

「確かに1年のいだ。しかし、本日をもって安易なうわさふいちよう行為を禁止とする」

「……どういうことでしょう? いちさんの噂に関するかんこうれいとは、納得がいきませんね。どこが発端にせよ、一之瀬さん自身が迷惑していると、一度でも学校側に報告があったのでしょうか?」

「そうじゃないさかやなぎ。これはもはや一之瀬だけの問題じゃないのさ」

 ぐもが坂柳に対してそう答える。

「……と、おつしやいますと?」

 説明しようとする南雲の前に、ちやばしらが立つ。

「詳細は伏せるが、おまえたち1年生の間でぼうちゆうしようの応酬合戦が行われていることが明確に確認された。流された噂の数は20近くに上る。これ以上の噂話は学校の風紀を乱す。噂は噂。しかし確証があろうとなかろうと、個人をおとしいれるような噂がこれ以上まんえんすることを学校側は望まない。よって、無意味に吹聴して回る者は今後、処罰の対象となる可能性があるということを通告しておく」

 とどまることを知らない噂の広がりに、これまでもくにんしていた学校側が行動に出た。

「……なるほど、そういうことですか」

 茶柱の言葉で、全てを悟る坂柳。

「学校側が重い腰を上げた、ということね」

 状況を見て近づいてきたほりきたも察する。

「結果論だけれど、これですべてのクラスが救われるんじゃないかしら。事の発端だった一之瀬さんに関しても、これ以上坂柳さん陣営はたたくことが出来なくなる。ほんどうくんやしのはらさん、あなたやとうさんに立った噂もこれで沈静化するはずよ」

「そうだな」

「やりすぎたわね、坂柳さんは。全クラスを同時に同じ戦略でハメようとしたんでしょうけど、目立ちすぎたのがあだになったわ。好戦的な彼女の行き過ぎた一手だったようね」

 そう言った後、堀北は黙り込む。

 そして少しして口を開いた。

「でも───」

「どうした」

「いいえ、なんでもないわ」

 そう言って堀北は話そうとしなかった。

「引き上げましょう。学校が動いたのであれば、私たちの出番は不要ですね」

 状況を理解した坂柳はクラスメイトに撤退を命じる。

 騒がしかったBクラスが、一度だけ大きく盛り上がった。

 Aクラスの撃退に沸いたのだ。


    9


 Cクラスに戻ってくると、が食い気味にあきへ話しかける。

「ねえどうだったのBクラス。すごい騒ぎだったみたいだけど」

「予想外の展開だ。いちさかやなぎを退けた」

 明人はBクラスで起こったことを端的に伝える。

 一之瀬のうわさばなしの真相と、学年でまんえんした噂は今後広めないよう通達されたこと。

「午後の授業になったら先生から釘を刺されるだろうな」

「万引きかー。意外も意外だけど、それならちょっと納得かな。触れられたくない過去に触れられたら、そりゃ休みたくもなるって」

 事情を知った波瑠加が、一之瀬を擁護する発言をする。

「ともかくこれで騒動は終わりだ。噂に振り回されることなく、試験に集中しよう」

「良かったねきよぽん」

「まあ……そうだな」

 と、携帯が鳴る。

「誰から誰から?」

「登録のない番号だ」

 オレは表示された番号を波瑠加たちに見せる。先日真夜中にかかってきた番号とも違う。

 席を立ち、グループから少し距離を取ったところで電話に出る。

「もしもし」

あやの小路こうじくんですか?」

 声の主はすぐに分かった。坂柳だ。

「どうしてオレの番号を……と思ったが、調べることは難しくないか」

「ええ。昼休みが終わるまでまだ10分ほどあります、出て来れませんか?」

 断ることは簡単だったが、また後で時間を取るのも面倒だ。

「どこに行けばいい?」

 話しながらオレは廊下に出る。

「そうですね。1階の玄関前でどうでしょう」

「分かった」

 通話を切りオレは玄関へ向かう。

 むろはしもとがいるかも知れないと思ったが、その場に居たのは坂柳一人だった。

「安心してください。今は誰も連れていません。実にお見事でした。綾小路くん」

「何の話だ?」

「私の気づかないところで、水面下で動いておられたようですね。いくつか解けない謎は残っていますが、答えあわせを求めようとは思っていません。ただ、一之瀬さんを守ろうと思ったのか、その点だけが気になったんです」

 そう言って、さかやなぎはオレを凝視した。

「待て。話が見えない」

「あなたがいちさんを救ったからこそ、彼女はあの場で開き直り……いえ、立ち直ることが出来たとしか思えません。恐らく彼女は、あの場で初めて過去を告白したのではなく、事前に口にしていたんでしょう」

「その相手がオレだと?」

「そうです」

 その結論に至ったのも無理はない。

「オレを動かすためにむろを使っただろ」

「神室さんを?」

「一之瀬が万引きをした過去。その話を明確にする前に、オレだけに流した」

「あれは彼女が勝手にやったことです」

「いや、それは違うな」

そう言いきれるのです?」

 どうやら、答え合わせを求められているのはオレの方らしい。

「万引きをした証明として、オレに差し出したアルコールの缶。アレはあの日盗み出したものじゃない。入学当初に神室が盗み出したものだ」

「その根拠は?」

「賞味期限だ。オレは神室から渡されたビール缶の賞味期限を確認した後、コンビニで同じ銘柄のアルコール缶を手にとって賞味期限を確認した。店の中に置かれてあった缶の賞味期限とは4ヶ月以上もの差があった。たまたま一つ前だけが4ヶ月以上も古いものだったとはまず考えられない。神室はそのときのアルコール缶はおまえが処分すると言って受けとったものだと言っていた。なら、あらかじめおまえから保管しておいたアルコール缶を渡されて準備していたか、オレの部屋を出た後おまえに接触しアルコール缶を直接受け取ったか、ということになる」

 その時点で、神室が接触し一之瀬の過去を話すことは想定の中だったことになる。

「何故、私がそのような回りくどいことをしたと?」

「オレを誘い出すため、だろ?」

「フフフ。流石さすがあやの小路こうじくん、といったところでしょうか」

「今回の一件、オレは静観することは容易だった。むしろ、そうするつもりだった」

 それに水を差したのは、他でもない坂柳だ。

 自らの手で一之瀬をおとしいれ、そして自らの手で一之瀬に救いの手を差し伸べた。

 もちろん、非常に回りくどい方法で。

「すべてはあなたに関心を持ってもらうためですよ、綾小路くん」

 坂柳はつえをつき、ゆっくりと歩きながらオレへの距離を詰めてくる。

「一之瀬さんをそのまま壊してしまっても構わなかったのです。ですが、あなたが介入してくる可能性の糸を残しておけば、それをつかんでくれるのではないかと期待してしまいました。可能性は五分五分でしたが……理想の展開となったわけです」

 さかやなぎにしてみればいちの存在などどうでもいい、と言うことだ。

「私と勝負してください、あやの小路こうじくん」

「もし受けなければ?」

「あなたは大したダメージにはならないとおつしやるかもしれませんが、あなたがCクラスを率いてる黒幕だと言うことを暴露します。うわさの範疇で済む話ではないことは、今の綾小路くんなら理解できるでしょう」

 学校側に表向き噂のふいちようを禁止にされようと、平然と坂柳は話を流すだろう。

「どうです? 受けていただけませんか」

「何をもつて勝ちにする。おまえはAクラス、オレはCクラス。差は歴然だ」

「次の試験内容がどんなものかは存じませんが、その順位で争いましょう。あなたが勝てば、私は今後一切過去に関する話を他言しないとお約束します」

 悪くない条件ではあるが、それが守られる保証はどこにもない。書面や音声で記録を残すつもりも、こちらとしては全くない。

「信じられませんよね。ですが信じてもらう他ありません。そうでなければ、あなたの過去は白日の下にさらされる。日常生活を送ることは困難になるでしょうね」

「好きにすればいい。だがそうなれば、オレとおまえが戦うことは金輪際なくなる」

「……フフ。そうですよね、綾小路くんはそう仰る人です」

 簡単に勝負など受けないことは、坂柳自身が分かっているはずだ。

 だからこそ、これまで坂柳は誰に対してもオレの過去について語っていない。

「では私自身の退学を賭ける、と言ったら? そしてその保証相手として、この学校の理事長である私の父を立会人にしても構いません」

 オレとの勝負に絶対の自信を覗かせる坂柳。

「もちろん私に負けたとしても、あなたが学校を去る必要はありません。何か特別なものを賭けろと言うつもりもありません。ただし、あなたがCクラスの黒幕だったことだけは公表します。それくらいのリスクを負って頂かなければ、あなたは単純に棄権するだけかも知れませんし」

 どうでしょうか? とオレに対して問いかけてくる。

「その条件でいなら、受けよう」

「ありがとうございます綾小路くん。これでやっと、退屈な学校生活が終わりそうです」

 満足そうに微笑ほほえみ、坂柳が撤収する。

 オレは今回の一件、その影の立役者に電話しておくことにした。

 それはほりきたでもけいでもなければ、堀北兄でもない。


「そろそろ連絡くれる頃だと思ってたんだ。こんばんは、綾小路くん」

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