ようこそ実力至上主義の教室へ 6

〇結成・綾小路グループ



 早いもので、ゆきむらたちと勉強会を共にするようになって5度目の機会が訪れた。

 2回目から4回目までは学校併設のパレットで勉強会を行ってきたが、今日はケヤキモールの中にあるカフェに集まることを決めた。今日からは期末試験に向け全部活が休止することも相まって、学校併設のパレットは大混雑すると予想したのだ。

「やっぱりな。想像以上に騒がしい」

 カフェに着くなり、その生徒数の多さに圧倒される幸村。オレたちは何とか席を確保したがカフェはほぼ満席状態で、全学年が入り混じっての勉強会が始まっていた。静かに取り組む生徒も多いが、やはり数が集まると静かな図書室のようにはいかないらしい。

「図書室か俺の部屋にすればよかった」

「そんなことないって。こっちの方がやりやすいやり易い。ねえみやっち?」

「そうだな。静かな張り詰めた空気は、弓道の時だけで十分だ」

 幸村の想像とは裏腹に、二人はこちらの方が落ち着くらしい。

 部屋に閉じこもって机に向かう時代は終わった。

 仲間と語らいあいながら学ぶのが現代の勉強法なんだろう。退化のような進化だ。

「勉強をするのはお前らだ、集中できると言うなら信じるさ。今日の課題を用意してきた」

 たんたんと準備をはじめた2人に渡されたノートには、弱点を狙いすました文系問題がびっしりと並んでいる。花火大会の日のテキ屋の出店のようだ。ゆきむらは相当気合いが入っているらしい。これは解きがいがあるな。

「うわぁ、今日も文系問題びっしりじゃん……ゆきむーようしやないねー」

 好きじゃない勉強、しかも苦手な科目となればが苦悩するのもうなずける。三宅みやけは吐き気を覚えたのか、ノートを見ながら胸のみぞおち辺りを手で押さえていた。

「始める前からおじづいてどうする」

「そりゃ、まぁそうなんだけどねー……。明らかに前回より多いし難しそうだし」

「やる前から決め付けるのは点数を取れない生徒にありがちな思考パターンだ。まずは出来ると思って挑むことが基本中の基本なんだよ」

 教えることに熱の入る幸村が語る。

「んなら、この問題は前回より簡単なの?」

「もちろん難しい」

「……やっぱ難しいんじゃん」

 そりゃそうだろう。いつまでも簡単な範囲ではとどまってくれない。

 しかし幸村の出題、そして解説は見事なものだ。表現は悪いかもしれないが、教師の事が出来るくらいの実力はあるんじゃないだろうか。

 しかりつつも見放さず、それでいて相手が理解できない時に声を荒らげない。ほりきたが成長していた陰で幸村も成長していたか。こんな風に変わってきているとは。

 一学期のころ堀北と一緒になって自分は優秀だ、Dクラスにいるのは間違いだとえていたのが遠い昔のようだ。

「やるぞ長谷部」

 いつまでも不満をれていても意味がないと悟ったのか、三宅が覚悟を決める。

「やる気じゃんみやっち。どうしたの、熱血系?」

せつかく部活が休みなのに何時間も勉強で時間を失いたくない。終われば帰れるんだろ?」

「もちろんだ」

 幸村と堀北たちには教え方にも違いがあった。決められた時間をきっちり勉強する堀北と違って、幸村は時間を定めていない。用意した課題が終わるまで続ける。だから予定より早く終わることもあれば逆に長引くこともあった。

 どちらが良いかは人それぞれだが、長谷部と三宅がある程度出来るからこそのやり方だろう。

 いけたちのように基礎の出来ていない生徒がこれをやれば大変だ。

 早く終わらせるためによく考えもせずに答えを書き殴る可能性もある。

 まぁ、そうなったらそうなったで理解するまで教え込まれるだけなんだが。

「時間が無いなら部活もやめればいいのに」

「部活はやりたいんだよ。でも自由な時間も欲しいんだ」

「わがまま~」

 何にせよ二人のモチベーションが回復したのなら言うことはない。もしどちらか、あるいは両方が離脱してしまったら、後日ほりきたにどんな難癖を付けられるか。

 この数回の勉強会でゆきむらが着実につちかってきた信頼が2人に良い影響を与えているように見えた。今の2人に幸村のやり方への疑いは感じられない。

「それからあやの小路こうじ。今日からはおまえにもやってもらうぞ」

「……うん?」

「おまえはある程度点数が取れるんだろうが、ペアの相手はとうだ。しっかり予習復習しておかないと。二人で退学なんてことになったら取り返しがつかないからな」

「いやオレは───」

「やりなよ綾小路くん。そして一緒に死のう?」

 が幽霊のようにうつむいて前髪をらし、井戸にでも引きずり込むような手でオレをつかんだ。

「いらっしゃ~~~~い」

 背筋がゾクッとするような冷たい声に引きずられるように、オレも文系問題の闇に飲み込まれた。


    1


「そう言えばさ。Cクラスによしもとくんっているじゃない? みやっちわかるよね?」

「吉本こうせつのことか? 弓道部の」

「そうそう。その吉本くん。2年生の先輩と付き合い始めたんだって。知ってた?」

 勉強に疲れてきた長谷部が、雑談しだした。

「知らなかった。ただ最近妙に帰るのが早いと思ってた。そういうことか」

 1つでも年上と付き合うのは、高校生の中では結構ハードルが高い。これが30歳くらいの大人になれば1つや2つの年齢差など関係なくなっていくらしい。まだ十代の自分には想像もつかない話だが、きっとそうなるんだろう。

「吉本くん、将来結婚するって息巻いてるみたいだよ。男って単純バカよねー」

 長谷部と三宅みやけの中で話が脱線していく。

「誰が誰と付き合おうと関係ないし将来を語るのも自由だが、最低限手は動かしてくれ」

「分かってるってば。ちょっとした息抜きのおしやべりじゃない」

 慣れてきたもので、ゆきむらからの指摘にもは動じなかった。

「どうだかな」

「わ、なんかいやな感じ。お代わり取って来ようかな」

「また砂糖マシマシか? あんな激甘よく飲むよな」

「私からすれば、ブラック飲む方が理解に苦しむけどね。わっと」

 長谷部は空になったプラスチックカップを持って立ち上がろうとするが、足元に置いていたかばんに少しつまずき、手に取りかけていたカップを床に落としてしまう。

 コロコロと回転して転がるカップを、何となしに目で追う。

 すると、そのカップが歩いていた生徒の足元まで転がって行った。

「あ、ごめ───」

 謝ろうとする長谷部。しかしそのカップが直後に踏みつぶされたことで、謝罪の続きはのどの奥深くに飲み込まれることになった。

ずいぶんと楽しそうだな。俺らも混ぜてくれよ」

「何よあんたら……」

 警戒心を一気に強め、鋭くにらみ付ける長谷部。

 それも無理のない話だろう。カップを踏み潰したのはCクラスのりゆうえんだったからだ。そのすぐ後ろにはいしざきみやこんどうと、よく見るCクラスのトリオの姿も。

 何が面白いのかニヤニヤと笑みを浮かべている。

 そしていつもは見かけない女子生徒も一人、石崎たちの隣に立っていた。

 この場に似つかわしくない緊張感のない表情をしている。

「ちょっと。なんで私のカップ踏んじゃったわけ? 事故じゃないよね?」

「足元に転がってきたから捨てたと思ったんだよ。手間を省くために踏んでやったのさ」

 そう笑い、蹴飛ばして長谷部の方へと潰れたカップを戻す。

 わずかに残っていた中身が床にこぼれてしまっていて、カップには穴がいてしまっていた。その様子を黙ってみていた三宅みやけがゆっくりと立ち上がる。

「おい龍園。前々から言いたかったんだけどな、そういう態度はいい加減やめろよ」

「あ? おまえ誰に向かって口利いてんだ?」

 龍園が出るまでもないと石崎が前に出て三宅の胸倉をつかみあげる。

「おまえじゃねえよ。取り巻きは引っ込んでろよ、石崎」

 動じることなく三宅は石崎の手を振り払う。

「てめぇ!」

 石崎が叫ぶと、騒がしい周囲からも注目を浴びる。

 そのことに敏感に反応したのは他ならぬ龍園だった。

「やめろ。こんなところでぼうりよくでも起こすつもりか石崎」

「す、すいません。三宅みやけが生意気だったんで、つい……」

「感情だけで先走るバカは嫌いじゃないが、今は大人しくしてろ」

「はい……」

 りゆうえんが正しい。ここにいるのは一年だけじゃない。上級生から店の店員、そして数台の監視カメラ。死角のない公共の場なのだ。

 ここで事を起こせば責任を追及されるのはCクラスであることは明白。証言と記録によって何らかのペナルティを受けることも想定される。

「俺はおまえに用は無い。そっちの2人に興味があるんだよ」

 そう言って、龍園はオレとゆきむらに一度視線をやった。

「贈り物は届いたか?」

「一体何の話だ……」

 幸村には当然、何のことか理解できない。もう一人に指名されたオレを見る。贈り物とは間違いなく、先日送ってきた『おまえは誰だ?』と書かれたメールのことだろう。

「さあ……」

 合わせるようにオレも白を切る。龍園も強引な方法に出たもんだ。問い詰めにかかったところで墓穴を掘るわけもない。疑いを濃くしようと結論は出ない。どこまで行ってもグレーにしかならないからだ。

「どうだ。何か引っかかることはないか? ひより」

 龍園は一度オレたちから視線を外すと、唯一同行していた女子に意見を求めた。

「どうでしょう。現段階ではなんとも申し上げられません」

 龍園に仕えながらもおびえる生徒が多い中、女子であるひよりと呼ばれた生徒は冷静だった。どこか焦点の合っていない目がオレと幸村を交互に見る。

 どういうつもりで龍園はこの生徒を連れてきたのだろうか。

「どちらも印象の薄い顔で、すぐ忘れそうです」

「ククク、そう言うな。今後長い付き合いになるかも知れない相手だからな」

「幸村さん……あやの小路こうじさん……こうえんさん、あとどなただったでしょうか」

ひらです平田」

「そうでした。平田さんでした。どうしてこう、顔と名前は覚えにくいんでしょうか」

 そこだけポヤッとした不思議な空間に包まれているようだが、いしざきが敬語で話した事が気にかかる。顔だけは見たことがある、Cクラスの生徒だ。

流石さすがに高円寺のことだけは覚えたようだな」

「あの方は非常に独特なので覚えやすかったですね」

 どうやら龍園からマークされているのは、平田と高円寺もらしい。高円寺に限っては確かに行動が読みきれない上に、能力も高いから気にかけるのも無理はない。

 とは言え、こうえんが役作りではなく本物の生まれながらの変人であることを知れば、遠くない日にりゆうえんのターゲットからも外れるような気がする。

「一体なんなんだよ龍園。俺たちは忙しいんだ、用件があるなら手短に済ませてくれ」

 オレたちの気持ちを代弁して、三宅みやけが強気に話を返す。

「何もねえよ。今日はただのあいさつだけだからな。おまえらに伝えておくぜ。近いうちに改めて会おうってな」

「どういう意味だ」

 更に食って掛かる三宅を無視して、龍園は取り巻きたちを連れてカフェを出て行く。

 一瞬せいじやくに包まれた店内はすぐに活気を取り戻し勉強ムードを取り戻した。

 しかし───。

 ひよりと呼ばれた生徒だけはこの場に残り、ずっとこちらを見ていたのだ。

 そんな状況では勉強に集中できるはずもなく、少しいらちながらが言った。

「なんなの? そこに居座ってられると邪魔なんだけどさ」

「少しお待ち下さいね」

「はあ? なにそれ。邪魔だからどっか行ってってことなんだけど、わかってる?」

 カップを踏みつぶされた長谷部は先ほどから機嫌が悪い。

 荒々しく突っ込む長谷部に、ひよりはどこか抜けた笑顔で答えると、自らの荷物を足元に置いたまま背を向けて店のレジへと歩いていった。

「なんなのあれ」

「さぁな。俺にはさっぱり何がなんだかわからない。知りたくもない」

 ひよりの行動が理解不能といった様子のゆきむらは、しばらくの間考え込んだが、結論は出ず無視することを決めたようだ。

「確かCクラスのしいひより、だな。見たことがある」

 三宅みやけだけは覚えがあったようで名前を口にする。

 その椎名は店員に注文をしていたようで、カップを2つ持って戻ってきた。

「こちらでよろしければどうぞ」

「どういうこと。なんであなたが私にくれるわけ?」

「警戒なさらずとも大丈夫です。先ほどの行為は私も見ていましたし、りゆうえんくんが悪いことはいちもくりようぜんです。これはCクラスの一人としておびさせて頂きたいんです。お砂糖の方は勝手ながら入れさせて頂きました」

「入れたって……んっ。あれ、しい。さっき私が飲んでたのと全く同じだ」

「先ほどのつぶれたカップには、コーヒーの底に砂糖が大量にちん殿でんしておりましたので、甘いのがお好きな方なのかなと。間違えていなかったようで良かったです」

「でもさ、入ってる砂糖の量も同じ気がするんだけど……偶然?」

「溶け残っている砂糖の量から逆算しました」

「えぇっ!? そんなこと出来る!?」

「意外と出来るものですよ。こう見えて、どうさつりよくに優れているんです、私」

 そう言い、オレと幸村、そして三宅にもそれぞれ視線を送った。

「これは───皆さんで勉強会をされているんですね」

「なんかこの子、気力抜けるなぁ……」

 さっきまで怒っていただが、ひよりの何とも言えないペースに戸惑う。

 勉強を教えている幸村にしてみれば余計な情報は与えたくない。慌てて全員分のノートを閉じさせる。

「もしかして私、スパイと思われてますか?」

「もしかしなくてもそう思われてる」

「そのようなことはしません。私は普段龍園くんとは距離を置いていますし」

「その割には龍園くんから親しそうに名前を呼ばれていたじゃない?」

「無理を言って同行させてもらったんです。Dクラスに興味を持ちまして」

 ひよりの発言の意図が理解できない3人が首をかしげる。

 もちろんオレも右へならえで理解していないフリをする。

「知りません? 今Cクラスでは話題騒然なんですよ。Dクラスに正体を隠した策士が隠れていると。その策士の方は無人島の試験や船の上での試験、そして体育祭でDクラスのやくしんに大きくこうけんしたそうなんです。本当にごぞんありません?」

 これまでDクラスの生徒、その大半が気づいていなかった事実をひよりは話していく。当然たちの頭には奇妙なはてなマークが浮かんでいる。

「よくわからないな。ほりきたのことじゃないか?」

「そうだよね。私も堀北さんくらいしか浮かばないけど」

「堀北すずさんではないそうです」

 考えた末に出した結論を、ひよりは一刀両断する。

あやの小路こうじさんは、よく堀北さんと一緒にいらっしゃるそうですね」

「最近はそうでもないけど、他のヤツよりは一緒にいる時間は長いかも知れないな」

「席が隣同士だもんね」

「けど、あいつ以上に頭の良いヤツもそうはいないはずだぞ」

「そうだよな。基本的にDクラスの作戦は堀北が考えてるイメージだ」

 いタイミングで長谷部や三宅みやけが同意してくれ、言葉のしんぴようせいが増す。

 一緒にいることを変に肯定したり否定する必要はない。

 あくまでもDクラスの生徒が見たありのままを伝えることが大切だ。

「なるほど。皆さん同じクラスメイトさんはそういった評価をされているんですね」

「よく分からないことを言って俺たちの邪魔をしないでくれないか」

 ひよりの持つ独特の雰囲気に流されつつあったオレたちに対し、ゆきむらが強く言った。

 これ以上勉強の時間を減らされることが我慢ならないようだ。

「……ごめんなさい。私のせいで勉強のお邪魔、ですよね」

「申し訳ないけどその通りだ」

「そこまで言わなくてもいいんじゃないの、ゆきむー」

「赤点を取って退学をしても文句を言わないなら好きなだけおしゃべりしてくれ。俺は帰らせてもらうぞ」

「う、それはちょっと勘弁してください。教えてください」

 ぺこりと頭を下げる長谷部。

「ということだ。変な話がしたいならテストの後にしてくれ」

 半ば強引にひよりの話を終わらせる幸村に、ひよりも申し訳なさそうにから立つ。

「本当にごめんなさい。そこまで必死に勉強しないと危ないものなんですね、テスト」

 それは赤点を取りそうな生徒たちへのいやだろうか。

 どことなく天然の香りもするが、信用していいかは定かではない。

「分かりました。また期末テストが終わった頃にお話しましょう。それからでも遅くはありませんし」

 大人しく帰ることを決めたのか、ひよりはカップを持つ。

「コーヒーありがと。ごそうになっちゃった」

「いえいえ、お気になされませんよう。それではさようなら」

 りゆうえんと共に現れたひよりも、こうした接触をて去って行った。

 オレをさがし出すための作戦なのかどうか、確信を持つことは出来ないが警戒するに越したことはないな。

 一応あいつに調べさせておくか。


    2


 オレたちは同じ寮のため必然的に一緒の帰路につく。

 ゆきむらは携帯を操作しながら、今日の勉強会の進行具合を記録していた。

「ここまで勉強に集中したのって久々かも。6時間に加えて放課後の2時間でしょ? 世の学生たちでもそうはいかないんじゃない?」

「途中Cクラスの生徒が割り込んできて時間を無駄にしたけどな」

「そういう妨害にも負けず、私たちは今日も勉強を頑張りましたとさ」

 二人は満足げにそう話し合いながら歩いていた。それを耳にした幸村がムッとして顔をあげる。

「冗談だろ。大学受験が始まったら最低でも放課後は3時間以上。出来れば4時間は勉強したい。もちろん毎日だ。受験直前なら一日10時間以上は自主的に勉強する」

「えぇっ、ムリムリ。そんなに勉強なんて出来ないって。つかゆきむー詳しいね」

「俺の姉は教師なんだが、受験前にはいつもそれくらいは当たり前のようにやっていた」

「エリート家系なわけね。ゆきむーも将来先生目指してたりするわけ?」

「教師になるくらい、別にエリートでも何でもない。それに俺は教師を目指してない。教師を目指すんだったら、こんな世間からいつだつした制度の学校に来るものか」

 教員への道のりは、普通に考えて簡単じゃない。ただ弁護士や公認会計士などに比べれば難易度は数段階引き下げられるし、わざわざこの学校を選ぶメリットは余りないだろう。

 まして幸村の場合は勉強を苦にしていないし学力も人並み以上にある。なお更だ。

「じゃあなんで?」

「……別に何でもいいだろ。いちいち他人がここに進学を決めた理由を聞きたいのか? 根掘り葉掘り聞かれる立場になったらどんな気持ちなのか分かるだろ」

 そう突っ込まれるだったが、それは残念ながら逆効果だったらしい。長谷部は特に嫌がる素振りも見せず、それどころか自分から率先して答える。

「私はぶっちゃけ、この学校のうたい文句に誘われた口だし? 卒業すれば進学も就職も思いのままっていうんなら、入学しない手は無いっていうか。動機なんてほとんどの人がそれなんじゃないの?」

「もう一つ付け加えてくれ。金がかからない学校ってのも進学理由に値する。まして寮生活なんて普通金を取られるもんだ。けどこの学校はそれすらも要求しない。仮にポイントがなくても学校生活が送れるように作られてるだろ。進学なんかの保証よりそっちの方がありがたいくらいだ」

「それは言いすぎでしょ。どこにでも進学就職できるって相当すごいって」

「夢を語るのは自由だが、その前に期末テストを乗り越えてくれ。の期待する制度もAクラスで卒業できなきゃ何の意味もないんだからな」

「なんかオマケとかないの? 実はAクラスだけってのは学校のうそで、ちゃんと卒業さえすればどこにでも行かせてくれるとか」

「それはないだろうな。もしそうなら、在校生に必ず情報が出回るだろ。でも部活やっててもそんな話は一切聞かない。それどころか2年3年のDクラスは相当さんらしい」

 部活に所属していないオレはその辺の事情を殆ど知らないが、以前接触したことのあるDクラス在籍の3年生には確かにがなかった。

「国が直接管理する学校とはいっても、Aクラス以外に特別な権限を与えないことを見ると、進学や就職の時にはプラスに働くどころかマイナスに影響することも考えられる。Aクラスに上がれなかった生徒、としてな。だから俺は絶対にAクラスで卒業しなきゃならない」

「えーそれって最悪じゃーん」

 名門、名の知れた学校であれば『卒業』『個人成績』の2つがあれば基本的に高く評価される。ところが高度育成高等学校の場合には、卒業してもゆきむらの言うようにAクラスに上がれなかった生徒のらくいんを押されてしまう可能性がある。それを裏付けるのがいけたち学力に定評がない生徒たちの存在だ。つまるところ入学条件に『偏差値』はあまり関係していない。

 この面を大学や企業が見たときに不審がらないわけがない。

「みやっちもよく続くね勉強会。てっきりすぐやめると思ってた」

「おまえこそ珍しくないか。そもそも男子とは普段からもうとしないだろ」

「まー、ね。でもこの3人ならいいかなって思ったわけ」

 長谷部なりに思うところがあるらしい。

 そろそろ頃合いかと思い、ある質問をぶつけてみることにした。

「長谷部、少しだけ話があるんだがいいか」

「ん?」

「おまえとうとは仲がいいのか?」

とうさん? 別に仲が良いってことはないかな。そもそも私群れるの好きじゃないし。佐藤さんだったらかるざわさんに聞くのがいいんじゃない?」

 それが出来れば誰も苦労しない。

 ある程度込み入った関係の人間には話しづらい問題だ。

「それがどうしたの?」

「いや───」

 なんて言えばいいかわからないが、少なくともありのままは伝えられない。困っているとゆきむらが気づいたように言った。

「ペアだから気になる気持ちは分かる。得意不得意も分からないと不安だからな」

「あぁそうか、さっき言ってたっけペアだって」

「直接聞こうにも接点が無さ過ぎて、どうにも出来ないんだ」

 ごしゆうしようさま、とに両手を合わされる。

 しかし、思いついたことがあったのか新しい提案をしてきた。

「軽井沢さんに聞きづらいならキョーちゃんに聞いてみたら? 佐藤さんとも仲が良いし、あやの小路こうじくんだってキョーちゃんなら話せるでしょ?」

「うん? キョーちゃん?」

 聞き覚えの無いあだ名に誰のことか分からず聞き返す。

きようちゃんのこと。綾小路くんだって結構話したりしてるでしょ?」

 桔梗だからキョーちゃんか。分からなかったが知ってみると納得だ。確かにくしなら適任だろう。クラスの内情を良く知っているし、ほりきたとの件がなければ迷わず頼っていた可能性はある。だが、今の状況で頼る相手なのかどうか。

 櫛田に聞けば良いと言うアドバイスに納得せずにいると三宅みやけが助け舟を出してきた。

「あの軽井沢はともかく、櫛田に聞く分にはいいんじゃないか? 男子も女子も、櫛田とは仲良くしてるようだし。長谷部だってそうだよな?」

「そうね。嫌いな女子は多いけどキョーちゃんは好きかな。クラスのために平気で苦労背負い込んだりするし。だけどいつも明るいし。普段私って誰かに相談とかしたりしないんだけど、キョーちゃんだけはちょっと特別。親身になって聞いてくれるし、誰かに言いふらしたりも絶対しないから」

「おまえにも相談するような悩みとかあるんだな」

「うわ、それ失礼みやっち。年頃の乙女には色々とあるんだってば」

「なんだ色々って」

「ソレはね───って言うわけないでしょ。あんた絶対言いふらすでしょ」

「しねえよ。……とも言い切れないな。内容による」

 そう言う人間に悩み相談を持ち込むわけも無いのは当然か。

「確かに気になることがあればくしに相談するのが一番だろうな。俺も賛成だ」

「でしょ? とうさんのことが好きなのか知らないけど、絶対バラされたりしないよ」

「なんだ、佐藤が好きなのかあやの小路こうじ

「一言もそんなこと言ってない。オレは佐藤と仲が良いのか聞いただけだ」

「それが怪しいじゃない? 今まで佐藤さんと仲良くしてたわけでもないよね?」

「佐藤が気になるのはペアだからって綾小路が言ったろ。もう忘れたのか」

 そんな三宅みやけの言葉にもは引き下がらない。

「そうだけどさー。なんかそれだけじゃない感じがしたんだよね。聞き方にさ」

 女子には時折理解できないレーダーがついている。こればかりはかなわないな。

「あぁそうだ。ちょっとコンビニ寄ってっていいか」

 三宅の唐突な提案でこの話は自然に終息してしまう。助かった。

 しかし、櫛田の存在はDクラスにとって無くてはならない存在にしようされている。

 確かにいつどの場面を振り返っても、必ず櫛田は全てのことにかかわっている。それでいて強い主張はけしてせず、誰かのサポートに回ってけんしんてきに活動をしてきた。その草の根運動が着実に成果となっているのが今だろう。

 この場にいる少し癖の強いメンバーの誰一人、彼女の悪口を口にしない。

 本人がいない所では普段言えない良くないことのほうが大抵先行して出て来るものだが、良い話しか聞こえてこないところがすごいな。

「あ、私も。2人も行こうよ」

「子供だな」

 そう言いつつ、ゆきむらもまんざらではない様子だった。


    3


 4人でコンビニの外に立って、買ったアイスを食べる。

「ちょっと肌寒くなってきた時に食べるアイスもしいよね」

 長谷部はカップのバニラアイスを、薄い木のスプーンですくい口に運びながら言った。

 一方で幸村は普段あまりアイスを食べないのか、原材料を見ている。

「保存料と着色料のオンパレードだな」

「うわ、そんなとこいちいち気にしてたら何も食べられないよ?」

「俺は食べるものにはこだわりたいんだ。無人島生活の後、体調を崩してそう思うようになった。今はケヤキモールのスーパーに売っているオーガニック食品中心だ」

「ガチなヤツじゃん」

 どうやら幸村は、健康志向な人間になっていたらしい。

「そもそもコンビニは単価が高い。ちょっとモールに足を向ければ同じ商品でも数十円違う。もう少し効率の良い買い方をしたらどうだ?」

 アイス以外に日用品も買い込んだの買い物袋を見て指摘する。

「もしかしてゆきむーってげんちゆう?」

「それとずっと気になっていたんだが、ゆきむー……ってなんだよ」

ゆきむらくんだからゆきむー。私仲良くなる時はあだ名から入るから。みやっち、ゆきむー、それからあやのん。んー、なんかあやのんってしっくり来ないけど」

 いつの間にかオレにもあだ名が付けられていた。そして微妙な評価のあやのん。

「ゆきむーとかやめろ。恥ずかしいから」

「嫌なの?」

「……そうは言ってない。恥ずかしいって言ったんだ」

「いいじゃんそれくらい」

「しかし公衆の面前で、ゆ、ゆきむーはちょっとな……」

 そう言って止める幸村だが、長谷部は割と真顔で幸村に返してきた。

「悪くないかもって思い出したわけ、こういう関係も」

「あだ名で呼ぶ関係が、か?」

「いやさ、私もみやっちもさ、結構一人でやって来た系じゃない?」

「ま……そうだな。否定はしない」

「いざメンバー組んでみたら、思いのほか居心地が良いって言うか。ゆきむーもあやのんも基本的には友達が少ないわけだしね。2学期も半ばになっちゃったけど、この勉強会を通じて新しいグループを作りたいって思った。だから時間を取り戻すって意味じゃないけど、早く打ち解けるためにあだ名とか下の名前で呼びたいと思った。2人はどう?」

 そう提案してきた。幸村とオレが答えられずにいると、三宅みやけがそれに続いた。

「そうだな。悪くない、というか自分でも驚くほどこのグループにんでる気はする。どうたちとは馬が合わない。ひらは少し別枠って感じだしな。基本女子に囲まれてるし」

「でしょでしょ? 2人はどうなわけ?」

 長谷部も三宅も、この4人がグループになることを肯定的に考えていた。幸村は突っぱねてしまうだろうか。

「元々俺はおまえたちの勉強を見るためだけに一緒にいる。それが終わったらこのグループはおしまいだ。けど……テストは今回で終わりじゃない。3学期はもちろん、卒業するまで続く。なら───効率化のためにも認めて構わない」

「なにそれ、分かりにくっ。でも───ありがと」

「ふ、ふん。退学者を出してこれ以上クラスの評価を下げないためだ」

「後はあやのんだけだね。あ、でもほりきたさんとはグループだから難しい? それにいけくんややまうちくんたちともよく遊んでるしさ」

「クラスメイトに優劣はつけないが、少なくともオレとはちょっとタイプが違って合わせられない面が多かった。ここにいるメンツは無理しなくて良いというか、楽だな。正直。ほりきたとは隣の席同士ってのが強いだけで、特別グループって訳でもない」

 その点に関しては本心だった。

「そっか。じゃあこれで決まりってことで。これから私たちはあやの小路こうじグループってことでヨロシク」

「待て。なんでオレ中心なんだ」

「一応つなわせたのは綾小路だし、それでいいんじゃないか?」

 三宅みやけの意見に同調する。ゆきむらはどうだろうか。

「異議なしだ。勝手に幸村グループと名乗られても迷惑だしな」

 すんなりと認められてしまう。

「それからグループ発足に当たってひとつ。これからは堅苦しい名字は禁止にしようよ」

「禁止にするのは勝手だが、俺はみ、みやっちとか……あ、あやのんとは呼べないぞ。恥ずかしい。それ以前にバカみたいだろ」

 幸村やオレが『みやっち』と呼ぶのには確かに違和感がある。

 その否定を代わりにしてくれたのは非常に助かった。

「じゃせめて下の名前ね。ちなみに私は、呼びたいように呼んでくれていいよ。みやっちって下の名前はなんだっけ」

あきだ」

 それなら呼べるでしょ? と長谷部は得意げな顔をした。

「明人か。まあ、それならなんとか。綾小路はきよたかだったよな」

 同じ部屋で寝泊りしたこともあるため、幸村は下の名前を覚えていてくれたようだ。

「確か幸村の下の名前はてるひこだったよな」

 船上試験の時のことを思い出した。するとか途端に幸村の表情がくもる。

「……覚えていたのか」

 感動したというより、幸村は困った表情を作った。

「へー、ゆきむーって輝彦って言うんだ。なんか別のあだ名考えようかなあ」

「やめろ」

 強い口調で止めると、少しだけ長谷部がしゆくする。

「何かまずかったか?」

 明らかに態度が変わった幸村にたずねると、思いもよらぬ言葉が返ってきた。

「下の名前で呼ぶ話はしようだくした。けど俺を輝彦と呼ぶのはやめてもらえないか」

 そう提言してきたのだ。

「呼ぶのはいいけど呼ばれるのは嫌ってこと?」

「別におまえたちの何かが気に入らないわけじゃない。ただ、俺は自分のその名前が嫌いなんだ。今まで誰も俺を下の名前で呼ぶことがなかったから気にしないようにしていたが、事情が変わった」

「別に今時のキラキラネームでもないし、普通だよな?」

 三宅みやけが不思議に思うのも無理はない。

 確かにてるひこという名前はスタンダードな、普通のカテゴリに属するだろう。

 わざわざ嫌うような名前だとは思えない。

「何か特別な理由があるってことか」

「……ああ。輝彦という名前は俺の母親が付けた。小さい頃に俺と姉、父親を置いて出て行った卑劣な人間だ。だから受け入れることが出来ないでいる」

 思った以上に重たい理由だったことを知り、と三宅の表情が硬くなる。

 それを察したゆきむらは、すぐに話を切り上げることを決めたようだ。

「すまない。余計なことを言ったな」

「ううん、私こそごめん。なんか勝手にあだ名とか下の名前とかの話したから」

「何も謝ることはない。事情を知らなかったんだから当然だ。普通に考えれば自分の名前を好きじゃない人間なんてそうはいないだろう。俺としても出来ればこの場の空気を壊したくはない。だからもし不都合がなければ、今後はけいせいと呼んでほしい。これも俺が小さい頃から使っている名前だ」

「啓誠? ゆきむーには名前が二つあるってこと? なんかすごく複雑そうなんだけど」

「啓誠という名前は適当に考えたものじゃない。父が名付けようとしてくれていた名前の方だ。母親が出て行った日から俺は自分自身でそう名乗るようにしている。もし納得がいかないなら今まで通り幸村と呼んでほしい」

 幸村がそう決めていることであれば、これ以上追求することは出来ない。

 それに名前を二つ持つ人と言うのは意外と少なくない。

 芸能人だけじゃなく、一般人にも結構いるものだ。

「嫌な呼び方をするのは私も本意じゃないし、別にいいんじゃない?」

「そうだな。それじゃあ改めてよろしくな啓誠」

 長谷部の言うように、気にせず希望する名前の方で呼んでいくことを決める。

「悪いなわがまま言って。……きよたかあき。それに

 幸村から全員が改めて下の名前で呼ばれる。

「いいっていいって。多かれ少なかれ、人には事情があるもんだしな」

 その通りだ。オレにも明かしたくない、知られたくない過去があるように、幸村……いや、啓誠もかかえている過去があるというだけのことだ。

 オレもけいせいならい声に出して名前を呼んでみる。

あきに啓誠に……、だな。こっちも覚えた」

 女子の呼び捨ては男子よりも更に緊張するな。

「それにしてもきよたかかあ」

 波瑠加はなにやら、またオレの名前で引っかかったらしい。

「あやのんじゃなくてきよぽんかな。うん、そっちの方がしっくりくるし確定。ゆきむーも一緒にそう呼ぶ?」

 うわ、なんかあやのんよりも恥ずかしいあだ名を付けられてしまった。

 これから大衆の面前でそう呼ばれると思うと、なんかかゆくなってしまいそうだ。

「呼ばない。清隆に決まってるだろ恥ずかしい」

 恥ずかしさはともかく、最終的にい具合に呼び合う名前が決まった。

 本来なら自分から呼ぶタイミングなんてつかめないが、この流れなら問題なくいけそうだった。

 オレは振り返る。この良い流れの時だからこそ背後に気配を向けた。

 このまま黙って聞いているだけでいいのか、くら

 佐倉はオレたちが集まって勉強会を開くごとに後ろからついてきている。

 今日のカフェも、そして今も少し離れたところから様子をうかがっている。

 オレたちの声は全部が聞き取れるわけではないだろうが、ギリギリ届いているはずだ。

 グループが結成されそうになっているこの瞬間が、最後のチャンスだろう。

 もしここで割って入って来られないようなら───。

「じゃあ、全員名前もあくしたところで改めて。4人でグループってことで───」

「ああ、あぁ、あのっ!」

 がたっ! とそばのゴミ箱が音を立てる。ソレと同時に立ち上がる一人の生徒。

 もちろん今更言うまでもない、佐倉だ。カチコチに緊張した状態で歩き出すと、ロボットのような動きでオレたちの傍にまでやって来た。

「佐倉?」

 3人がほぼ同時に名前を呼ぶ。

「わた、わたし、私もあやの小路こうじくんのグループに入れて!」

 長らく表に出られず苦悩していた佐倉が、めに溜めた勇気を振り絞った声をあげた。

 緊張で顔は露骨にこうようし赤くなっている。視点が全く定まっていないせいか、慌てたせいでズレたメガネの位置がおかしいことに気づいていない。

「グループに入りたいというのは、赤点の不安があるということか。確かに佐倉の点数とパートナーを考えれば不安におちいる気持ちも分からなくはないな」

 努めて冷静に啓誠は佐倉来訪を分析する。そして結論を導き出した。

「俺としてはほりきたたちのグループに参加するべきだと思う。多人数に教えるほど自分の器量は大きくない。それにこの2人と違って教える部分も異なってくるだろうからな」

 勇気を振り絞ったくらの言葉は、残念ながらけいせいの冷静な対応にはじかれる。

「ち、違うの……私も、純粋にあやの小路こうじくんのグループに、入りたくてっ!」

 旅の恥はかき捨て、動きだした列車は止まらない。佐倉の覚悟は多少のことではづかない。改めて気持ちを伝える。

「いいんじゃないか? 佐倉が加わっても。なんか合いそうだしな」

 そう言ってあきは思わぬ来客を歓迎した。

「いいのか。そんな簡単で」

「1人増えても大して変わんないだろ。それに、このグループに入るのに資格なんてないはずだ。クラスのはぐれ者同士、丁度いいと思ったんだが。違ったか?」

「はぐれ者同士、か。そうかもな」

 Dクラスの中で佐倉もまた、一人でいることが多いのは周知の事実だ。

「啓誠もいいか?」

「反対する理由はない。けどこれ以上増やすのはやめてくれ。佐倉だから受け入れやすいが、騒がしいヤツが入ってくるなら俺は抜けるからな」

「あ、ありがとう、三宅みやけくん……ゆきむらくん……」

 多少条件は付いたものの、啓誠もしようだくした。残るはだ。

 一番楽に迎え入れてくれそうな印象だったが、その表情に笑顔はない。

「悪いんだけどさ佐倉さん。このままじゃ私納得できないんだよね」

「あうあ……わ、私なんか、ダメ、かな……」

 せつかくの歓迎ムードに水を差すように波瑠加は険しい顔をして佐倉に迫る。

「私はね。このグループに結構期待してるっていうか、久々に仲良くやれそうだなって予感を感じてる。だから───」

 高らかに人差し指を空に向けて突き上げた後、その指を佐倉の眼前に突きつけた。

「このグループに参加を希望する以上、下の名前で呼ぶかあだ名で呼ぶことを義務付けるつもり。つまり佐倉さん改め、えー……っと、下の名前なんだっけ」

あいだ」

 サッと補足しておいた。

「皆から愛里って呼ばれることになるし、他のメンバーも呼んでもらうことになる。大丈夫なの?」

 佐倉が対人関係を苦手にしていることは、全員薄々理解している。だからこその忠告。

 そんな状況に耐えられるの? と確認を取ってきた。

「え、ぇっと……」

 困惑するくらに、オレは出来る限りのフォローをしてやることにした。ここで下手にからあだ名で呼ぶよう強要されるとハードルが上がってしまうからだ。

けいせいに、あきに、波瑠加だ」

 ゆきむら三宅みやけを順番に説明してみせる。

「……け、啓誠くんに、明人くんに、波瑠加、さん……はふぅっ」

 かすれそうな声を必死に絞りだして下の名前を呼んだ。

「呼び捨てにする必要はないだろ?」

「そうだね。下の名前なら合格かな。さ、あとはきよぽんだけだね」

 くるっとこちらを見た佐倉は、露骨なまでに顔が赤くなっている。人生でいきなり3人下の名前で呼んだのだから気持ちは分かる。後はその要領でオレを呼ぶだけだ。

「は、はひゅっ!」

 謎の擬音が佐倉の口から漏れた。

「きよぽんとは前々から結構親しくしてたみたいだし、余裕じゃない?」

 追い討ちをかけるように波瑠加が言う。まるで試験官のようだ。

きよたかでいいからな」

 いくらなんでもきよぽんはハードルが高すぎる。心の中で言うのも恥ずかしい。

「き、きよ、きよ……ピヨッ……!」

 全員が佐倉の挙動に注目しているため嫌でもプレッシャーは高まっていく。

 時間がてば経つほど悪循環におちいってしまうパターンだ。

「このグループがどんな影響を与えるかは分からないが、少なくとも今の佐倉にとっては必要なことだとオレは思う。大きく一歩進んだんだ、もう一歩進むことも怖くない」

 背中を後押ししてやるように、そう優しく伝える。

「……うん……。き、清隆くん。よろしくお願いします」

 わずかな決意の沈黙の後、佐倉はしっかりとオレの目を見てそう言えた。

「うん合格。私もあいが入ってくることに賛成」

 これで満場一致、佐倉の加入が認められる。

「きよぽんも、ちゃんと愛里のことを名前で呼んでみて」

「えーっと……愛里」

「は、はいっ」

 カチンコチンに緊張しながらも、互いに名前で呼び合うことに成功する。

「じゃあもう一度改めて。この5人がきよぽんグループってことでヨロシク」

 誰が加わっても、オレの名前主体なグループ名は変わりないらしい。


    4


 そんな形で発足したあやの小路こうじグループは(自分で言うのは非常にしゆうしんを誘うが)正式にあいも交えて活動を始めることになった。元々はあきの2人をサポートするために発足したものだったが、その枠を少しずつ超えはじめた。波瑠加が間接的にグループを引っ張るようにグループチャットを作り、一緒にいない間はそこで会話するという機会が格段に増えてきた。大勢の友達を持たないからこそ、チャットでの会話は弾む上に部屋に1人でこもることも多いため、長くなる。

『明日の授業が終わったらさ、全員で気分転換に映画でもに行かない?』

 そんな話題がチャットで飛んできた。

『もしかして、例の新作映画?』

『そうそう。明日から上映開始なんだって。今はテスト期間中だから意外とすんなり席が予約で押さえられそうなんだよね』

『リフレッシュ目的としては悪くない案だな。全員ということは俺も参加しないといけないのか?』

『もちろんゆきむーも参加しなきゃ意味ないでしょ。グループも発足したばっかだし。だけど急に声かけたわけだし、スケジュール合わないならテスト後に変更して行こうよ』

 人数が欠ける様ならスケジュールを先延ばしにするつもりらしい。

 まだ明人に既読は付いていないが、このチャットを見ていたら流れに乗るようにしようだくしたんじゃないだろうか。けいせいも愛里も返答を保留にしている今こそ、先導するべきか。

 少し緊張しながら、チャット文章を作る。

『参加する』

 そう送ると、数秒後に愛里からのチャットが流れてきた。

『私も行きたいです』

『……分かった。明人が行くなら行く』

 これで既読がついた明人以外は全員が参加を表明することになった。その明人も数分後にチャットに気づいたのかメッセージを送ってきた。

『いいぜ。俺もその映画気になってたし。予約は任せてもいいよな?』

『うん。ちゃんと後でポイントは回収するからよろしくね』

 それで一度グループチャットの方がていたいする。インターネットで席を予約するため、そちらの操作に画面を切り替えたのだろう。

『楽しみだね、映画』

 個別で愛里から飛んでくるメッセージ。

『そうだな』

『明日もよろしくねきよたかくん。お休みなさい』

 わざわざ丁寧に個別メッセージを送ってくれたあいとの会話を終える。

「明日はグループで映画か」

 なんか、ちょっとガチなリア充になりつつあるんじゃないだろうか。

 この程度のことでと世間は思うだろうが、オレには今までにないわくわく感があった。

「……遅刻しないように早めに寝ないとな」

 そこで電話が鳴る。

 画面に表示されたほりきたすずの名前を見て通話に出た。

「起きてたみたいね」

「まだ10時だしな。何か用か?」

「そろそろ図書室で勉強会の仕上げに入るわ。それから明日、勉強会の後に期末試験に向けた最後の打ち合わせがしたいの。付き合ってもらえるかしら。ゆきむらくんにも声をかけてもらえると助かるわ」

「明日か……」

「何か問題でもあった?」

 問題が無いといえばうそになる。

 勉強会の後は映画をに行くことになっているからだ。

「何か不都合があるようなら明後日でもいいわ。だけど木曜日が限界よ。問題文はほぼ出来ているけれど、場合によっては入れ替える必要もあるでしょうし」

 そのジャッジを出来る限り早めにしておきたいようだ。

 こちらとしてもその期待をにしたくはない。念入りにひらたちと打ち合わせては来てるだろうが、最後の最後までチェックをしっかりとしておきたいのだろう。

「分かった。ちょっとけいせいに話してみる。遅くなっても大丈夫か? それと平田やかるざわにも連絡を取った方がいいならしておくが」

「啓誠? ずいぶんと幸村くんとは親しくなったみたいね。そっちは心配要らないわ。既に話は通してあるから。あとは日時と時間を伝えるだけ」

 どうやらオレだけじゃなく、堀北は堀北で勉強会を通じて2人との距離を縮めることに成功したらしい。最低限単独でも平田たちと会話が成立するようになったのなら非常に喜ばしいことだ。

 通話を切るなり携帯にまたメッセージが入る。今日は立て続けだな。

 今度は愛里からじゃなく軽井沢からだ。

『あんたに言われた通り確認してきた。今日一人、さんがコーヒーに入れた砂糖の量を見てたか聞いてきた子がいたって。その子は偶然、結構な量を入れてたから注目してたみたいね』

 やはりそういうことか。

 どうさつりよくに優れていたというより、機転が利いたということだ。ひよりはこちらに揺さぶりをかけるために、自らの眼力をするように見せ付けてきた。

 丁度いい機会だ。あの話をしておくか。

『明日ほりきたから連絡が行くと思うが、20時頃から打ち合わせの予定だ』

『20時? ずいぶん遅いじゃない』

『ちょっと予定がある。勉強会の後映画に行くんだ』

『映画って、もしかしてあの新作の?』

『よく知ってるな。それよりも、その打ち合わせでおまえに頼みたいことがあるんだ』

 オレはかるざわに細かな指示を出す。

 明日の打ち合わせを利用しない手はないからだ。

 全てを聞き終えた軽井沢から、鬱陶うつとうしそうなメッセージが返ってきた。

『またすごい面倒な役回りじゃない。何が狙いなの?』

『終わった後で説明する。その方がおまえのためだ』

『あっそ。それじゃ明日ね』

 すぐに追求をやめた軽井沢。しかしそのすぐ後、もう一度だけメッセージが届いた。

 それは文字ではなく小さなイラストのスタンプ。

 可愛かわいらしいいちごのホールケーキにロウソクが数本立っている。

『気づくの遅れた』

 そんな追記のメッセージも入る。それ以降軽井沢から連絡が来ることはなかった。

「あいつ、オレが誕生日だったことに気づいたのか? だがどうやって」

 誰にも誕生日を話した覚えは無い。そう思ったところで真相に気づく。チャットのアプリを利用する際に名前やメールアドレスの他に、生年月日を入力する欄もあったな。そこで非公開を選んでいなかったため、調べようと思えば調べられる状況にあったのだ。

 今年は絶対に無いと思っていたこと。オレの誕生日に最初に気づいたのが軽井沢とは。

 軽井沢とのやり取りは終わった後全て消すことにしている。

 バースデーのスタンプを消すことに少しだけ抵抗を覚えた。

 その場の流れで軽井沢のプロフィールにアクセスしてみる。すると3月8日が誕生日だということが分かった。

「一応覚えておくか」


    5


 今日の授業は意外と長く感じた。

 放課後仲間内で勉強会を開くことが、段々と楽しみになっていたせいかも知れない。

 オレはゆきむらたちと一緒に映画館へ向かう。

「なんだか、集団行動ってワクワクするねっ……き、きよたかくん」

 ひかえめながらも隣であいが興奮したように話す。

 子供のように無邪気だなと思いつつ、オレも同じような感想を抱いていた。

 なんていうか、オレも子供だな。

「そうだな。悪い気はしない」

「えへへへ……清隆くん」

「どうした?」

「えっ、何がかな?」

「呼んだだろ? 名前」

「……わ、私呼んでた!? ご、ごめんなさい、全然そういうのじゃなくって!」

 聞き間違いだったとは思わないが、愛里は呼んだことを否定した。

 ケヤキモールに足を踏み入れすぐに映画館に向かう。

 チケットの発券をしたが、一人一人にチケットを手渡す。

「楽しみだよねー」

あやの小路こうじくん!」

 遠くからこちらに向かって叫ぶ声が聞こえた。とうだ、ここに……。

「もしかして今から映画るところだったの? あ、これ話題のヤツ!」

 手に持っているチケットを見て興奮したように言う。

「実は私も映画観に来たんだよね。それからかるざわさんたちもいるよ」

「……そうみたいだな」

 佐藤の後ろからぞろぞろと女子たち数人が近づいてくる。

「軽井沢から誘われたのか?」

「ううん。勉強会で私が映画を観に行く話をしてたら、軽井沢さんも行きたいって言って来てね。それで一緒に行くことにしたわけ。せつかくだから一緒に観ようよ」

 そう言って佐藤はグイッとオレの腕を両手でつかんだ。

「ふあぁ!?」

 後ろで愛里が悲鳴に似た声をあげる。

「お、おいやめろ」

「えぇなんで~別にいいじゃない」

 平気そうに言う佐藤だが、顔は少し赤い。無理して頑張っているようにも見えた。

「偶然ね、幸村くんに、綾小路くん。それにさんやくらさんも」

 そう言って軽井沢はちょっと上から目線で声をかける。

 全く偶然じゃない、昨日映画に行くことを伝えたばかりだ。だが、かるざわが来ることは想定していなかった。

「……嫌な偶然だな。中に入ろう」

 ふんがいな様子のけいせいは一人先にチケットを見せて中に入って行く。

「それじゃあオレも行くから……」

 少し強引にとうから離れ、オレも啓誠のあとを追った。

 映画館の中は、席を埋め尽くすほど生徒で満たされていた。香ばしいポップコーンの匂いと焼けたホットドッグの匂いがこうをくすぐる。

 オレたちは最後尾の一番高い列席の右端から5席予約している。

 佐藤や軽井沢たちはまだ売店で品物を悩んでいたらしく、中には入ってきていない。

「あの、き、きよたかくん」

 席に座るなり、隣に座ったあいから小さく耳打ちをされた。他の生徒たちもおしゃべりに興じているため、そんなに小声でなくても良いと思う。

「どうした?」

「清隆くんって……その、佐藤さんと、最近仲が良い、よね……?」

 さっきの光景をていたのなら、そう思っても仕方がない。

 しかし事実に反することはしっかりと否定しておかないと、下手にうわさが広まってしまうと大変だ。

「誤解だ。とうとはペアを組んで何度か勉強したからな」

「で、でも普通腕とか組んだりは、し、しないよ?」

「アレは組んだんじゃなく組まれたんだ」

「嫌だったら振りほどいたりしても、いいと、思うんだけど……」

 弱気ながらも的確なツッコミを入れてくるあい。確かにその通りかも知れない。

 つい流されるまま受身になっていたが、それで周囲に誤解を生むのは良くないな。

「分かった。次があるとは思わないけど気をつける」

「そ、それにね?」

 まだ何かあるのか……。

「ペアとか決まる前にも、佐藤さんと二人でどこかに行ってたよね?」

 そう言えば、佐藤に呼び出された時愛里は教室でオレのほうを見てたか。

「……ふ、二人の間に、なにか、あるとか……」

「ない」

 無かったといえばうそになるかも知れないが、たかが連絡先を聞かれただけ。

 愛里とだって連絡先を交換しているわけでやましいことではないだろう。

「納得いかないか?」

「う、ううん。ご、ごめんね。変なことばっかり聞いて……不快だよね……?」

「そんなことはない。また気になることがあったら随時言ってくれ」

「ま、任せて。私、きよたかくんのこと、しっかり観察しておくからっ」

 いや、そんな気合い入れて観察されても困るが……。

 小さくガッツポーズを作る愛里に否定を入れるのも忍びないので言葉を飲み込んだ。

 その後は特に特別なイベントが起こることもなく、しゆくしゆくと映画を鑑賞した。

 ただ映画の内容については若干微妙なものがあったとだけは言っておく。


    6


 ケヤキモールには様々な商業施設がのきつらねている。大多数はスーパーのような日常的に利用されるものだが、その中には時折しか利用されない店舗も多い。例えば電気ガス水道のトラブルを解消してくれる専門店やコンビニの食材を寮の部屋まで運んでくれる宅配サービスがその代表格だろうか。そして、クリーニング店もその一つだ。サラリーマンなどの社会人であれば度々お世話になることも多いだろうが、この学校の生徒にはあまり縁がない。しかし、ブレザーなどがひどく汚れた時など、自分たちではれいにしきれない衣服がある時には利用される、重要な役割をしている。

 普段世話になることがなくても、それが必要になる時は不意に訪れるものだ。

 来週に試験をひかえた木曜日の夜8時過ぎ。既に校内の店も閉店時間となり、Dクラスのメンバーが集まったのはカラオケルーム。この空間なら外部に話が漏れることなく打ち合わせが出来る。ひらたち2部の生徒も今日は特別に参戦だ。

 ほりきたと平田は素早く行動を起こした。期末試験発足時の集まりにけいせいを加え、最後の打ち合わせに臨んでいた。

 本当なら誰かの自室で開くのがベストなんだろうが、それを望まない人物がいたのだ。

「ねえ歌っていい?」

「待ってかるざわさん。今日は遊びに来たわけじゃないのよ」

せつかくのカラオケなのに?」

「あなたがどうしても寮は嫌だと言うからここにしたんでしょう?」

 カフェや食堂ではどこに耳や目があるか分からないからな。

「そうだけどさ。何ていうかカラオケに来て歌わないのって馬鹿っぽくない?」

「飲み物とフードだけで我慢して」

 既にテキパキと注文を済ませていた軽井沢。テーブルにはポテトを始めとしたジャンクフードと各個人のドリンクが置かれてある。

「じゃあ作戦会議終わったら一緒にデュエットしようよようすけくん」

「そうだね。話がくまとまったらそれくらいの息抜きはいいんじゃないかな」

「私も賛成かな。試験に向けた打ち合わせはちゃんとしておきたいけど、カラオケで歌うのも結構久しぶりだし」

 せつちゆうあんを探るように、平田とくしが堀北と軽井沢それぞれに同意を得る。

「……始めるわよ」

 そんな2人を軽く無視して、堀北は話を始める。

「まずは勉強会の成果だけれど、正直に言って上々の結果だと思ってるわ。序盤男子のふざけた行動が目立ってどうなることか心配したけれど、しっかりと勉強に取り組んだお陰で期末試験の範囲にはある程度対応できるようになったはずよ」

「口から英単語帳が飛び出してくるくらいやったっつーの」

 どうなりに勉強したアピールをするが、至極分かりづらい表現だ。

「須藤くんも当初に比べれば格段に成長したわ。特に集中力の向上には目覚しいものがある。だけど今はまだ付け焼刃をしている段階、基本学力は中学1年生にも劣っているのを忘れないで」

「こんだけ勉強して中1レベルかよ……」

「今までが小学校低学年だったのだから立派よ」

「ほ、堀北さんそれは流石さすがに言いすぎなんじゃないかなぁ……」

「この間まで円周率の存在も知らなかったのよ?」

 それは中々に爆弾発言だ。まさか円周率の存在を知らずに今日まで生きてきたとは。

「えぇっ? それバカ過ぎじゃない!?」

 あまり勉強が得意じゃないかるざわもオーバーリアクションするほどだ。

「うっせぇよ軽井沢。おまえだって知らないんじゃねえの」

「いやいや無いでしょマジで。あたしだって3・14くらい知ってるし」

 そんな低次元な話がカラオケルームで展開される。聞いている方は頭が痛くなってきたんじゃないだろうか。

「もうやめてくれ。おまえらの学力がどの辺りなのか大体見えた。本当に大丈夫かほりきた

「心配無用よ。言ったように基本学力は低いわ。でも高校1年生2学期の範囲に絞って言えば、彼は大体理解してくれている。赤点を取るようなことには絶対ならない。ゆきむらくんの方こそ、さんと三宅みやけくんの問題は解消してもらえたのかしら?」

「もちろんだ。それはあやの小路こうじが一番近くで見ていた、そうだよな?」

「これ以上ない方法だったと思う。赤点の心配もない」

「良かった。私Dクラスの誰かが欠けるなんて絶対に嫌だから、皆で乗り越えようね」

「……なんかさぁ、あたし思うんだけど。本当に大丈夫なの?」

 くしの思いを聞いた後、軽井沢がそんな不安なことを口にした。

「そりゃクラスメイトが減るのは嫌だけど毎年誰かが退学してる試験なんでしょ? あたしやどうくんが赤点を取らないなんてそんな保証ないよね?」

「保証は、その、出来ないけど……」

「だったらそんな軽々しい言い方しないでよ」

 どこかかんしていた空気が、ピリッとした空気に変わっていく。

「櫛田さん。なんかさ、さっきからずっとれいごとじゃない?」

「そう、かな……私はただ皆が無事に試験に合格して欲しいだけで……」

「いいよね、頭が良い人はさ。あたしなんかどうなるかもわかんないのに」

「大丈夫だよ軽井沢さんは。今しっかり勉強会にも参加しているし」

 ひらがフォローするも、軽井沢は納得がいかないようだった。

「前々から言いたかったんだけど、櫛田さんって良い子ちゃんぶってない?」

「え……そ、そう、かな……」

「冷静になってもらえないかしら軽井沢さん。今はテストに向けての話し合いをしている最中よ。関係のないことで時間を取らないで」

「堀北さんはちょっと黙っててよ。ねえ櫛田さん、もしかして頭の良くない私を心の中で馬鹿にしてたりするんじゃないの?」

「そんなことしないよ私っ」

「だったら気安く保証しないでよ。こっちは毎回毎回テストのたびつらい思いしてるんだから。それで赤点取ったら責任取れるわけ?」

 あまりに不条理。ある種理解不能な怒りにくしだけじゃなく周囲も困惑する。

 櫛田の正論と優しさに対して、かるざわが一方的にキレる。

 そして直後、ほとんど手をつけていなかったグレープジュース入りのガラスコップを手にとって櫛田に向け思い切り中身をぶちまけた。着色料を含むジュースがブレザーの胸元付近を中心に大きく飛散する。

「軽井沢さん───!」

 その信じがたい行動にひらが珍しく大きな声をあげコップを握る手をつかんだ。

「今のはいけないよ。やっていいことと悪いことがあると僕は思う」

「だ、だって……。あたしが悪いわけ?」

「申し訳ないけれど、今の話はあなたが悪いわ軽井沢さん。櫛田さんにはどこにも非がなかった」

 櫛田と冷戦状態にあるほりきたですら、ようしようのない行動だ。

「私は平気だよ。全然気にしてないから。ね? 軽井沢さんを責めないであげて」

「そうはいかないだろ。どう考えても軽井沢が悪い」

 歯に衣着せず、客観的にけいせいも判断する。この場にいる全員が敵に回るのも無理は無い。誰がどう見ても悪いのは軽井沢の独りよがりな発言と考えられる。だがそれは不自然なものじゃない。元々軽井沢けいとはそういう少女だ。

「あ、っそ。あたしだけが悪者ってわけ。そうだよね、櫛田さんはクラスの人気者だし」

 この場にいるオレ以外は既にジャッジを下した。

 残るオレにすがるように、軽井沢は顔を向けてきた。

「ねえあやの小路こうじくんはどっちの味方?」

「どっちの味方もなにも、全員間違ったことは言ってない。軽井沢が間違ってる」

「ああそう。そうだと思った。全員あたしの敵ってわけ」

 立ち上がった軽井沢は、謝罪もせずかばんを手にした。

「軽井沢さん。このまま変な状態で今日を終わらせたら絶対後悔する。僕はそうなって欲しくないんだ」

 平田がカラオケルームから出ようとする軽井沢を強く引き止める。

「なにそれ。だったらどうすればいいわけ?」

「まずは櫛田さんに謝ることだよ。それが一番大切だ」

 彼氏からの説得を受け、軽井沢は悔しそうにしながらも踏みとどまった。

「自分が悪いと思ってないのに、謝らなきゃいけないわけ?」

「まずは口にすることだよ」

 それからまた、少しの間かるざわは無言で立ち尽くした。

「……ごめん」

 沈黙の後、ひらさとされるように軽井沢が折れて謝った。

「ううん全然だよ。私ももう少し軽井沢さんに理解ある発言をするべきだったかなって」

 怒っても不思議じゃない状況で、くしは全く怒ることもなく軽井沢を許した。

 それを受けて、やっと軽井沢にも罪悪感が目覚めたのだろうか、平田の隣に戻ると座りなおした。

「なんか、ちょっと冷静じゃなかったかも。ごめん」

 再度櫛田に対して、軽井沢が謝った。気にしないように櫛田が笑顔を向ける。

「ありがと……」

 その2人の様子を見てホッと胸をろす平田。

 しかしそれで事態を全て解決させて良いわけじゃない。

「櫛田さん。明日学校に着て行く予備のブレザーって持ってる? 大丈夫?」

「あ、ううん。私前に1着ダメにしちゃって、これしか残ってないな……」

 元々ブレザーは学校から2着支給されている。だが今回のように不測の事態も起こるし成長に合わせてサイズも変わってくる。その際に必要になればケヤキモールの制服を専門に扱う店で買うことも出来るが、生徒個人に合わせるために仕立てる時間もある程度必要になるだろうし、ポイントもけして安くない。

「クリーニング屋があるんじゃね? 俺部活で汚した服とか持ってくぜ。今日出しておけば明日の朝一で受け取って間に合うだろ」

「普段使う機会がないから知らなかったわ。それなら何とかなりそうね」

 ナイスなどうのアドバイスを受け解決の糸口をつかむ。

 話を聞いていた軽井沢が、自分にも出来ることがあると思ったのか一つの提案をする。

「おびってわけじゃないんだけど、さ。クリーニング代だけは出させて」

「いいよそんな、気にしないでも」

「それじゃあたしが落ち着かないって言うか……ダメ?」

「本当にいいの?」

「うん。全部あたしが悪いから、それくらいはさせて」

 こうしてこの事件は、クリーニング代を軽井沢が出すということで着地点を見つけた。


    7


 波乱の打ち合わせを終えて寮への道を戻っていると、噴水のそばで立ち尽くす大男がいた。

 誰かと待ち合わせをしているようには見えなかったので、その男かつらに声をかけてみる。

「何してるんだ?」

あやの小路こうじか。いや、少し考え事をしていた。来週の期末試験のことだ」

「期末試験について? こんなところでか?」

「ただ静かに時を過ごし一人で考えていたいと、そう思ってな」

 なんとも高校1年生らしくない発想だ。

 それにしても期末試験? 学力の高いAクラスが苦にする試験とは思えないが。

「今度の期末試験はくいきそうか?」

 そんな風に聞いてきたので、率直なところを述べてみることにした。

「どうかな。けんめいに勉強してるみたいだけどな」

「そうか。退学者が出るようなことにならないといいな」

 そんな他人を心配する様子に、どうにもが感じられない。

「何かあったのか」

 そう問うと、かつらは少しだけ重そうな口を動かし出した。

「……おまえは中学生の時、学級委員や生徒会といった役職についた経験はあるか?」

「いや、全くない。興味もなかったし」

「俺は小学生の頃から学級委員と生徒会に常に所属し続けた。小学校でも中学校でも生徒会長を務めあげて来た。だが、この学校に入ってからは大きく軌道修正することになった」

「そういえば生徒会には入ってないんだな」

「入りたかったが、ほりきた生徒会長に認めてもらうことが出来なかったからな」

 その話と期末試験の話とは内容が結びついてこない。

「生徒会や学級委員というものは、一見何の権力もないように見える。大半の生徒はそんなものに価値がないと思っているし手間のかかるものにしか思っていないから、やりたがる人間はごくわずかだ」

 オレの抱いている気持ちと一緒だ。基本的に管理職などやるものじゃない。

「だが、それらの役職というものには『権利』が付与される。役員とそうでない者との間には埋めようの無い差が存在するということだ。そして、俺にはその権利が無くなった」

「Aクラスでのお前の評価は一定以上あるだろ」

「そうであるなら、Bクラスをターゲットにする選択肢は絶対に選ばない」

 そうだろうな。葛城のような人間であればDクラスかCクラスを狙う。

 確実に防衛し確実に勝利する道を選ぶはずだ。

「いいのか? クラスの内情を話して」

「これくらいのことは、少し分析すれば分かってしまうことだ」

「背負いすぎる必要もないんじゃないか。オレには葛城がAクラスを引っ張っていたように見えたけど、それだけが全てじゃないだろ。どの道今のままならAクラスはばんじやく。大切なのは今の位置をキープすることだろうしな」

「……そうだな。ふっ、追いかけてくるはずのDクラスに言われるとは」

「追いつけないほど離れてるからこそ、客観的に見えるものもあるのかもな」

 2人で寮に帰り着くと、ロビーには人だかりが出来ていた。

ずいぶんと騒がしいな。何かあったのか?」

「さぁ。適当に聞いてみるか」

 近くに見知った顔、博士がいたので声をかけてみる。

「どうしたんだ?」

あやの小路こうじ殿でござるか。どうにも1年全員のポストに同じ手紙が送られているらしいでござるよ」

「同じ手紙?」

 人ごみをけ、オレは自分のポストのダイヤルキーをまわした。普段はあまり使用しないポストだが、通販や学校からの連絡、生徒間のやり取りでたまに使われることもある。

 他の生徒たちも興味があるようで開けたオレのポストを後ろからのぞんでいた。

 数字を合わせて、開錠された扉を開いた。

 そしてそこに入っている『四つ折りにされたプリント』を取り出しそとむらの元へ戻った。

「これ、か?」

「そうでござるそうでござる」

 少し遅れて、かつらも同じプリントを持って戻ってきた。

 葛城が開くとほぼ同時に、オレもそのプリントを開く。

 そこには印刷された文字で、こう書かれてある。


『1年Bクラス、いちなみが不正にポイントを集めている可能性がある。りゆうえんかける


 外村も同じものが入っていたというようにプリントを開いて見せた。

 印字された文を読み終えた葛城がつぶやく。

「丁寧に名前まで書いて、どういうつもりだ、あの男は。これが何ひとつ根拠のない話であれば訴えられる可能性もあるだろう」

「少なくとも、多少なり事実を含んでるから実行したってことか?」

「そうでないならさく。だがヤツらしいやり方だ。真実かどうかはさておき、不正を思わせる材料があるのなら責めるスタンスだろう。本来ならめいそんで違法もいいところだが、ヤツはそんなことも全く気に留めていない」

 うそだった場合は龍園のイメージが大きく下がる恐れがあるが、元々悪評が立っている龍園にしてみれば、痛くもかゆくもないということだ。

「おい、りゆうえんが帰って来るぞっ」

 生徒の一人が、学校から戻ってきた龍園の姿を見つける。

 騒ぎになっていることを知ってか知らずか、龍園がロビーに入ってくる。

「おい龍園、どういうつもりだ!」

 ロビーに入るなり、Bクラスの男子生徒がつかみかかる勢いで詰め寄った。

「あ? いきなり何だ?」

「この手紙のことだ! ふざけたもの配りやがって!」

 そう言い目の前に突きつける。そして手紙に目を通した龍園は、肩で笑った。

「あぁそれか。おもしれぇだろ?」

「何が面白いんだよ! やっていい事と悪いことがあるだろ!」

「だったら事実を証明しろよ。いちが不正にポイントを集めてないって事実を」

「それは───」

「どうなんだ? 一之瀬」

 騒ぎを聞きつけてやって来た一之瀬に対して龍園が手紙と共に問いかける。

「今私がここで何を言っても、多分龍園くんは信じないよね?」

「ああ。不正があったかなかったかは、学校が判断することだからな」

「だよね。皆ごめんね、変な疑いをかけられちゃったみたい。だけど安心して、明日先生に報告してりゆうえんくんの勘違いだってことを証明して見せるから」

 そう堂々たる姿で主張するいち

「どうやって証明してみせるつもりだ? 一之瀬」

「学校に詳細を話すよ。私がどれくらいのポイントを持っているのか、そしてどうやってそのポイントを得ることが出来たのか。そうすれば満足かな?」

「学校に報告? その前にここで説明出来ないのか?」

「今私がここで説明するだけで信じてくれるのかな、龍園くんは」

「信じないだろうな。口からデマカセを言うことなんて息を吐くくらい楽勝だ」

「だからだよ。学校が間に立って報告すれば不正の余地はないよね」

「クク。なるほどな。それも一理ある」

 納得したか! と、周囲にいたBクラスの生徒が騒ぎ立てる。

「けどな、人間ってヤツはうそつきで汚い生き物だ。今から何らかの対策を練って隠蔽工作をする可能性だってあるよな?」

 あくまでも龍園は強気に一之瀬に対して食って掛かる。

「あの男は何を考えている。一之瀬が大量のポイントを持っていたとしても、不正に得るようなタイプとは程遠い。ここでしつように責めたところで勝ち目などない」

 かつらは理解に苦しんでいるようで、表情は一層険しくなった。

「なら、どうすれば信じてもらえるのかな?」

「まずここで持っているポイントを開示しろ。そしてそのポイントにいたった理由の説明をすればいい。そして明日同じことを学校で報告する。これならこの場でおまえに不信感を募らせている生徒も納得するだろうぜ」

 確かにそれならば、後で言い訳を考えたり嘘をく隙は極端に減る。

 しかし、そうやすやすと一之瀬が応じるとは思えない。

「それは出来ない相談だね、龍園くん」

「不正を認めるってことか?」

「そうじゃないよ。不正にポイントを得ていないからこそ手の内は明かせない。プライベートポイントをいくら持っているかは今後の戦略にも大きく影響してくるからね」

 一時的に疑われるとしてもカードは伏せるということだ。

「明日私が学校に説明をすれば調査はされるはず。その上で不正があれば、私が隠そうとしたかそうじゃないかに関係なく、全て公表されるんじゃないかな?」

「おまえが明日学校に報告するって証拠はないだろ」

「じゃあ龍園くんから言ってもいいよ。この手紙に書いたようにね」

「そうか。クク、よほど自信があるらしいな」

 もしも不正にポイントを集めていたのであれば、いちは内心ヒヤヒヤだろう。

 しかしどこにも揺らぐ意志はない。常に堂々としている。

「なら明日を楽しみにしておくぜ」

 エレベーターに乗り込んで不敵に笑い去っていくりゆうえんを一之瀬は見送った。

「一度疑いを持たれればそれをふつしよくしない限り疑いは残り続ける。一之瀬のような優等生であっても例外じゃない。疑いの色が濃くなればなるほどその信頼は一気に反転する」

 この状況を分析したかつらの推察は正しい。国を代表するような政治家にしてもそうだ。高い水準で支持率を保っていても、それを妨害する『うそ』ひとつで大きく支持率を落とすこともある。

 もちろん事実無根であると分かれば、反発し以前より支持率を上げることもあるだろうが、大抵は疑惑を払拭しきれずに終わるものだ。

 そして翌日。一之瀬が言ったことは現実となった。学校側からの発表は『不正なし』の通達。学校を保証人に立て無事に疑惑を晴らした。

 以前オレが偶然のぞた一之瀬のプライベートポイントは100万を軽く超えていた。以前より更に積み増ししているだろう。

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